Junior/Junior Mance(ジュニア/ジュニア・マンス) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
せっかくブログを開設したのだから、思い切り入れ上げたミュージシャンのことを目一杯書いてみたいという気持ちはいつもある。私にとってそのうちの一つはキング・クリムゾンだ。
ほぼサンデーリスナーとなってしまったが、それでもやはり三つ子の魂百までもと言うべきか、土曜の夜は気合いが入る。
レビューまがいのことを何かしら書くからにはまず、改めて聴き直してみよう、それではまず最初に何について書こうか、聴こうかと思案した挙げ句、これを引っ張り出してきた。
覚悟を要求する音楽である。聞き流すという姿勢が許されない。何を書こうかなどという思案ごとを巡らしながら聴く音楽では全くない。ただ、不断に対峙すること、刮目することのみを厳しく要求する。
LP両面を聴き通して、改めて自分が歳をとったことを思い知った。改めて別のエントリーで書こうと思うが(今回は挫折しました)、リアルタイムで接した中学生の頃、私はこのレコードを日に3回も4回も繰り返し聴きまくったことさえあったのだ。あれは一体、どういう種類のエネルギーだったのだろうか?
ハイテンションな音楽と対峙したあと、緊張を緩和するために聴きたい音楽というのはやはり私にもあって、昨夜はこれに手が伸びた。
予定調和もまたよし。
等身大ミュージシャンの、日常における小さな僥倖の記録である。私自身が僅かにブレながらも決してある一線から逸脱することはない日常に価値と幸福を認めている、その心象風景の反映でもあるのだろう。
いつからそうなったのかも分からないうちに、私はそのような「大人」になり、かつてはあれほど違和感を抱き続けていた世間のうちのどこかに、ある役割を与えられて収まっているらしい。
癒しという言葉を安易に使いたくはないけれど、私にとってはそういう作用を与えてくれる音楽のうちの一つである。
選曲よし、メンツよし、長すぎない演奏時間、大仰でないプレイスタイル。着慣れたシャツとか、行きつけの一杯飲み屋とか、それらに類した好ましさをもう20年以上もこのレコードからは与えられ続けている。20年以上という時間の長さが、つまりはこの一枚に詰まっている滋養の豊かさでもある。
平凡な日常が連続する、そのこと自体が幸福である。人はどこかで必ずそれを実感するようになる。当然ながら、あらためてそんなことを思う。
(追記)録音が素晴らしい。ベースの音は生理的な官能をさえ喚起させてくれます。
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