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粟村政昭氏の著作 [書籍]

 何でもそうだが、評論家という人種くらい訳の分からない人達もいない。彼らが一種の営業マンというか販売代理人であるという見地に達するまでには結構時間を要した。
 音楽評論家という職業についても事情は多分一緒なのだろう。LPやCDを買ってライナーを読んでいるとその時その時で提灯持ちにこれ努めて、言質に一貫性がなく、過去の仕事と併読してみると矛盾だらけの批評家もいる。
 自分がそういう職業を志したことはないし、特にうらやましいなと思えることもないのだが一つだけ。
 ああいう職業は少なくとも自分がライナーを書くことになった音楽とか何かの賞にノミネートされていて自分が選考委員になった場合はレコードをタダで貰えるのではないだろうか。

 文章そのものの信用度で言えば、何か本業を持っている方の批評文が好きな方だ。
利害のしがらみがない分だけ本音が書けるのだろうと私は考えている。
 もっとも、音楽などというのは結局、聴くか、自ら演奏するかのどちらかであって書いたり語ったりいてもきりがないし本質を捉えたことにはならないのではなかろうかとも思うのだが、定見が定まらないうちは何か他人の言葉の助けを借りて対象化したいものでもある。

 そういう時期は私にもあって、若い頃にはこういう本をずいぶん熱心に読んだ。

ジャズ・レコード・ブック―キング・オリヴァーからアルバート・アイラーまで (1968年)

ジャズ・レコード・ブック―キング・オリヴァーからアルバート・アイラーまで (1968年)

  • 作者: 粟村 政昭
  • 出版社/メーカー: 東亜音楽社
  • 発売日: 1968
  • メディア: -


モダン・ジャズの歴史 (1977年)

モダン・ジャズの歴史 (1977年)

  • 作者: 粟村 政昭
  • 出版社/メーカー: スイング・ジャーナル社
  • 発売日: 1977/08
  • メディア: -

 著者は本業が医師なのだそうだ。だいぶ以前に執筆活動は止めており、目下、著作はこれ2冊だけで、どちらも絶版だ。ジャズ・レコード・ブックの方はだいぶ以前、知人に貸したきり戻ってこないままである。

 評論の傾向としては、成長過程にあるプレイヤーとか創意工夫のある音楽に対しては好意的だが、スタイルが固まり、マンネリ風の作風になると手厳しくなる。また、8ビート以降のジャズ、例を挙げればマイルスのBitche's Brew以降の演奏形態には一切論評しない。
 若い頃の私は、この姿勢にだいぶ影響されたが現在は少し違った場所にいるように自覚している。
 どんな人であれ、生涯に於いて真に創造的な時期など幾らもないのが実情ではなかろうかと今の私は考えている。ある時期束の間輝き、あとはダラダラと生き続けるのがおおかたの実相だし、ここしばらくの私は普通の人達の人生に於ける一こまをちらっと眺めることを面白がっている。

 CDやLPを購入するお金やそれらを聴く時間はいずれも有限であり、バイヤーズガイドの効能とはそれら時間なりお金なりの節約ということにあるのではないかと考えている。誰の書いたバイヤーズガイドを指針にするかは自分のコレクションの性格づけに影響するとも言えそうに思う。
 そういう意味で、プレイヤーの創造性や歴史的な位置づけを最重要視する粟村氏の
選定眼は、学術的にして芸術的な見識を醸成させたい方には大変参考になると思う。但しそれは一種、古美術品の目利き的な眼力の養成であって「ま、無銘の壺にもなかなか味のあるものはありますな」という志向の方には向かない。
 何しろ、ハンク・モブレーもリー・モーガンも本書には登場しないのだ。歴史的に見れば彼らは取るに足らない小物であって、そういう人達までいちいち取り上げていたのでは紙数が幾らあっても足りないということらしい。だからディキシー、スイング、モダンジャズ、がそれぞれ大体3等分のボリュームくらいで扱われる。歴史としてのジャズとはそういうものらしい。

 また、前述したがBitche's Brewでジャズの創造性は枯渇したという、所謂「粟村史観」は現在に至るまでジャズの愛好家達にとって一つの定見として敷衍していると思う。私も長い間そのように考え続けてきたが、ここ数年はもっと以前、ジョン・コルトレーンの没した1967 年がジャズの進化が止まった年だと思うようになった。

 聴いて楽しければそれでいいではないかという関わり方は確かに正論ではあるけれど、私小説的な印象作文や枝葉末節な蘊蓄ではなく、ある表現形態の歴史的な発展を読み取りたい方にとっては大変有益な本だと思う。


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コメント 3

カワサキヤ

粟村さんをつくづく偉いと思うのは、記述が具体的であることです。レコードやCDを買って、聴いてみると、粟村さんの記述がいかに正鵠を得ているかが判りますので、今以て愛読しています。わたくしが「流石だなあ」と思ったのは、トランペットのジョー・スミスの「STAMPEDE」(フレッチャー・ヘンダーソン楽団の「挫折の研究」3枚組CDに収録)の妙技。粟村さんは「感動せぬ奴は人間ではないと思う」と書いていますが、余程のスイング・ジャズ嫌いでない限り、このジョー・スミスの技芸には脱帽すると思います。そして粟村さんと油井正一さんを除いて、ジョー・スミスに言及している我が国のジャズ評論家は少なくとも昭和50年代以降はおりません。あるいは硬派で知られたマグシー・スパニアがレコーディングの折に、あるメンバーが他人のソロをパクったのに立腹するあまり、小節数を間違えた「there will be some changes made」(スパニアのCDではしばしば復刻されています)なども、実際に聴いてみれば「いかにも、そんな感じだ」と納得できます。無論、モダン以降のミュージシャンについても、何ら変わることはありません。以上は「ジャズ・レコードブック」ですが、「モダン・ジャズの歴史」は、何年何月録音の「・・・・」に聴く事が出来る、という書き方で、あらゆる演奏スタイルの継承と発展過程が書かれてあります。わたくしは、それを耳で辿るという楽しみ方を、高校生時分から50代に手の届きそうな現在まで、ずっとしております。粟村政昭さんにお会いしたことのないのが残念であります。
by カワサキヤ (2009-10-17 17:27) 

shim47

カワサキヤ様、コメント有り難うございます。
含蓄深いコメントを大変得心しながら読ませていただきました。

私はカワサキヤ様ほどスイング・ミュージックに精通している輩ではありませんが、およそジャズと言えばモダン・ジャズ以降であるという一般的な認識のされ方を結構残念に思っています。(加えてフリー・フォームは黙殺されっ放し)

 粟村氏の著作を読みながらそれなりに成長出来たリスナーであってよかったと思える点の一つは、本の帯にもあったように「キッド・オリーからアルバート・アイラーまで」がバランス良く提示されたところにあると思っています。

>高校生時分から50代に手の届きそうな現在まで、ずっとしております。粟村政昭さんにお会いしたことのないのが残念であります。

 カワサキヤ様の年代は私と非常に近いのですね。同じようにして同じ時間を過ごしてこられた方がおられることを知って大変に嬉しく思っております。大したことを書く能力が私にはありませんがよろしくお願いいたします。
 
  
by shim47 (2009-10-18 13:10) 

カワサキヤ

粟村政昭さんがお亡くなりになったと伺いました。改めてご生前の素晴らしいジャズ評論の数々を読み返して、ご冥福をお祈りしたいと思います。
故人の意志もあってか、まったくご著作の再販がありません。勿体ないことと思うのはわたくしばかりでないと思いますが。
by カワサキヤ (2014-04-14 04:05) 

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