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Still/Pete Sinfield(スティル/ピート・シンフィールド) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 クレジットされてはいるけれど演奏には参加していないメンバーという少々特異な立ち位置でクリムゾン在籍時を過ごしたピート・シンフィールドがバンド脱退後にリリースした初めての、そして恐らく生涯唯一の、と、そろそろ言っても間違いなさそうなプロジェクトが本作だ。

 

スティル

スティル

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2000/02/23
  • メディア: CD

 言い尽くされた話ではあるが後になって振り返ってみればデビュー直後のクリムゾンというのは誰がリーダーであっても変ではないほどの才人が集まっており、しかもメンバーのうちの2名以外はクリムゾンのファーストアルバムがレコードデビューであるというのも凄い話だ。21世紀の今にして思えば創世記の神話みたいな話ではなかろうか。
 もっともその2名にしたところでクリムゾンの母体であるGiles,Giles & Flippはおよそ問題外としか言えないほど惨憺たるレコードセールスでメジャーシーンからは消えかかっていたわけだから、後に合流したメンバー達にしてみればクリムゾンのデビュー盤で達成した音楽的商業的成果についてそれぞれ何かしらの矜持なり自負心なりがあるのは容易に想像が付く。
 実際、出自は忘れたが何かのインタビューでピート・シンフィールドはこれら2作間での飛躍幅がつまり自分の貢献量であり存在意義だったのだという意味のことを語ってもいた。

 本作のリリースされた当時、参加メンバーの顔ぶれからロバート・フリップとの確執の深さを憶測されていたのは音楽の本質そのものと直接関係があるようなないような構図なのだが、音楽世界としてはクリムゾンの4作目であるIslandsと共通する質感の箇所も結構多いように私は考えている。

 

アイランズ(紙ジャケット仕様)

アイランズ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: WHDエンタテインメント
  • 発売日: 2006/02/22
  • メディア: CD

 だから私はある時期までのフリップ氏のバンド運営は結構民主的な側面もあったのではないかと見ているのだが、一種法則として、メンバー各自の表現意欲が次第に成長していけば、やがて一つの器であるバンドに複数の個性が共存するのは困難になってくるという証左を私達はここに聴くわけだ。
 それにしてもフリップ氏との軋轢以前から人間関係の悪化を生じていたメンバー三人と、本作Stillの最終曲などではボス抜き同窓会みたいな場面を設けてもいることから、このプロジェクトの目的は本人の表現意欲の発露以外にも一種、かつてのリーダーへの面当てのような意図は混じっていたのかもしれないというゲスの勘繰りはやはり拭いきれない。

 展開される音楽世界を多少大まかに表せば、Islandsからピースフルな側面や叙情的な側面を抜き出して拡張した、と把握している。そしてこれはある程度予測可能で、ピート・シンフィールドのプレイヤーとしての素地がフォークソングにあることがここでは示されている。
 私には音楽を聴く上ではっきり自覚できる欠点として、歌詞について余り注意を払わない傾向があるのだが、演奏スタイルとして確かにフォークソングは歌うことが中心だからしてピート・シンフィールドがクリムゾン在籍時には専属作詞家として重用されたことにも本作では思いのままに言葉の世界を展開するのも改めて納得がいく。余談ではあるけれど、ダブルジャケットのLPレコードの内側に歌詞が印刷されている造作というのは英語の読解力のない私のような者にとっても何だか好ましい。いい時代でしたね。

 まず詩があり、そこから作詞家の意図に基づいて展開される音楽世界の充実度として本作は本人の内面世界を非常にヴィヴィットに結実させていると思う。複雑な暗喩やギリシャ風であったりローマ風であったりする神話的世界観の断片を十分咀嚼できるだけの文化的な許容幅が私には欠落しているのだが、それでもこの人には何かしら確固たる美意識があってそれらを対象化する想像力の豊かさは深く実感する。

 ただ、しばしば色々な方が指摘されるように、本人のプレイヤーとしての資質となるとこれはまた別の問題であって、正直なところその歌唱力などは特に、素人の域を出ない拙劣なものだ。本人の美意識の高さやプロデューサーとしての水準と脇を固めるサイドメンの力量がいわば本作の生命線なのであって、もしも本作の楽曲全てがギターの弾き語りとリズムセクションだけで演奏されていたらまず間違いなく、凡作の烙印が押されていたのではあるまいか。
 そういう意味ではプロジェクトリーダーであるピート・シンフィールドのイメージを具現する職人としてのサイドメン達のお仕事ぶりは実に見事なものだ。特筆すべきはリード楽器を担当するメル・コリンズで、その後スタジオワーカーとしての超売れっ子ぶりが納得できる。
 アウトラインを提示するピート・シンフィールドとディティールを書き込んでいくメル・コリンズという共同作業がここには見て取れる。私のように語彙の乏しい者はその成果を「陰影と浮遊間があり、耽美的である」などという陳腐な紋切り型でしか表せないが、言葉の機能を超えた音楽としてのグレードはこのリード奏者によって担保されている。
 ただそれだけに、本人の主役としての、殊にシンガーとしての陥没ぶりが殊更露呈しているわけでもあって、冒頭書いたように「メンバーとしてクレジットはされているが演奏には参加していな」かった根拠も納得できる結果ではある。
 恐らく本人にそのような自覚があったにせよ、ピート・シンフィールドは頭だけではなく、自分の肉声と体を用いて内なる世界を一度は音楽として表したかったのだろうと私は勝手に想像している。その動機が仮に、バンド在籍時に志向する音楽性がどんどん乖離していったロバート・フリップとの確執がもたらしたものであったとすれば、人間心理の綾のような複雑な色合いがここに加わる。

 その後のシンフィールド氏は後年、何とセリーヌ・ディオンの座付き作詞家として恐らくそれまでクリムゾンの信者(当然私を含めて)の誰もが予想だにしなかった形で再浮上を遂げた。先鋭的なロックバンド(クリムゾン)で摩訶不思議な世界観に浸る夢想的な文学青年をとっとと卒業してやおら音楽業界の表街道を堂々と闊歩するサクセスフルな人生模様の主役となったわけだ。
 ここから先は私の下世話な憶測でしかないのだが、この先シンフィールド氏のソロプロジェクトはもうない。私小説的な内面世界の表現の可能性もその限界も本作一枚が既に示しているように私にはきこえるのだ。

 多少の青臭さを含んだデリケートで瑞々しい感触のある若書き、キング・クリムゾンという恒星からまき散らされた惑星のうちにはそういうものもある。本人のキャリアにあっても内省的な外伝とでも位置づけるべきだろうか。


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