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The Sound of Sonny/Sonny Rollins(ザ・サウンド・オブ・ソニー/ソニー・ロリンズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 所謂「サキコロ」以降のロリンズは1958年にオフィシャルリリースが途絶えて雲隠れするまでの間に結構あちこちのレーベルにリーダー作を散発的にレコーディングしている。

 ソニー・ロリンズについては長く粟村史観に影響され続けてきたので私のコレクションは随分長いこと50年代の吹き込みのまま途絶えていたのだが、近年、ジャズを聴き直すようになってきて60年代以降のものであってもそれはそれなりに聞き所はあるのではないか、というよりもむしろ56、7年のハイテンション状態が特別な期間だったのではないかと考えを変えつつある。

 これはかなりの確信を持っているのだが、ソニー・ロリンズという人はこれから演奏する音楽の姿が予め頭の中にある、というミュージシャンではない。多少乱暴に言えば出たとこ勝負であって『始まってしまえばあとは何とか帳尻を合わせるさ』というのが芸風だと思う。
 ジャズが、特にモダンジャズが偶発性に依存するところの大きいカテゴリーだとすればソニー・ロリンズというプレイヤーは実に何ともジャズメンらしいジャズメンだと思う。

 偶発性への依存度が大きいだけに出来不出来の波は結構激しい。ただ、時間を置いて聴き返してみるとレコード一枚の完成度の出来不出来というのはサイドメンの水準とか適性や理解度の問題であってロリンズ自身のプレイは大体ある一定水準をマークしているように今は評価している。
 それを言い換えれば、ロリンズという人のリーダーとしての定見のなさ、サイドメンの人選にあたっての眼力のなさということにもなるのだが、これは自分のレギュラーバンドを持つようになってからの諸作に於いて既に証明済みだと思う。しかし現在となってはそれもさして問題視するには当たらないと私は感じている。
 まあこれは私個人の選別基準が下がったということなのかも知れない。演奏しているのがロリンズなんだからとにかくそれでいいんだみたいな緩み具合は確かに自覚できる。

 長らく、ソニー・ロリンズの諸作の評価はサキソフォン・コロッサスという絶対基準からの減点法で定められることが通例だったように思うのだが今にして思えばあれこそが偶発性が最大に作用した一種異様な時間だったのであって同時期に吹き込まれた諸作をしらみつぶし的に聴き漁っていくと色々と興味深い側面も見えてくる。
 リバーサイドに吹き込まれた2つのリーダー作は50年代後期でも地味な立ち位置にあって教科書的な意味でのファーストチョイスとは言い難い。歌ものを中心に一丁上がり的に仕上げたThe Sound of Sonnyは長いこと眠り続けていたがどういうわけかここ10年くらいの間に段々手の伸びる回数が増えてきた一枚だ。

ザ・サウンド・オブ・ソニー(紙ジャケット仕様)

ザ・サウンド・オブ・ソニー(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ソニー・ロリンズ,ポール・チェンバース,ソニー・クラーク,ロイ・ヘインズ,パーシー・ヒース
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2006/08/23
  • メディア: CD

 

 本作は1957年6月のレコーディングだ。サキコロと双璧をなす傑作Way Out West録音の3ヶ月後、私の最大の愛聴盤であるビレッジバンガードの5ヶ月前になる。
 このようにして時系列で3作並べてみると霊感漲る傑作二つの間に挟まれた息抜きみたいなプレイ内容で、実際、本作は大して人気がない。このブログで利用しているAmazon.comでもレビュワーは一人もいないことが不人気ぶりをある程度証明しているのではなかろうか。

 総じて本作はロリンズ本人のテンションが低い。三大傑作がスーツにネクタイで居ずまいを正しているロリンズだとすると本作などはカッターシャツにカジュアルパンツ姿でその辺をぶらついてるようなイメージだ。本作の演奏時間は3分台のものが多く、長くても5分強くらいである。抜き差しならない構成美に充ち満ちた山あり谷ありの雄大な楽想はここにはない。なんか、手癖に任せてさらさらっと書いた一筆書きみたいな曲ばっかりなんである。
 具体例を挙げればEverytime we say goodbyeのように演奏が始まっているのにマイクと全然関係ない方を向いて吹き始め、途中気づいて「おっとっと」という感じでマイクに向かうような場面も記録されている。鷹揚な感じと言うよりはやはり少々上の空的な風情と見るべきだろう。

 サイドメンの趣味は良いがどこか小粒感が感じられる人選で、このリズム・セクションの上に乗っかるのが例えばハンク・モブレイくらいのプレイヤーなら結構まとまりが良さそうだが重く硬く野太いロリンズのトーンは彼らにとっていささかtoo muchの感は拭えない。屋根だけ物凄く立派な家を見ているようなのだ。
 しかしそれでもここ数年の私はここでの緩いロリンズを結構愛聴している。構えていない手癖だけで流しているようなソロがかえってテーマの崩し方だとか、符割のずらし方をわかりやすく提示しているように聞こえるのである。無意識的で無防備な身振りの中にその人の個性の芯みたいなものを発見したようなつもりに私はなっている。
 結果として私はソニー・ロリンズが生み出した「抜き差しならない構成美を持つ傑作」という芸術的作品評価よりもこの人固有の肉声感とか身振りに惹かれていたことになる。
 偉大な作品など生み出さなくても、あのトーンであの節回しで演奏してくれさえすればいい、それだけで満足だ。今の私はこの、稀代のアドリブプレイヤーとそのように接することにしている。

 追記だが、サイドメンであるリズム3人はロリンズとの相性は今ひとつであるが聴いていて大変楽しい。一期一会の共演となったソニー・クラークは既にタメを効かした独自のキータッチを会得していて十分に個性的。少々腰高なロイ・ヘインズのきびきびとしたコンビネーションも心地よい。この3人でピアノトリオの録音をしておかなかったのはリバーサイドの見落としだったと今でも私は考えている。


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