Gettin' Together/Art Pepper(ゲッティン・トゥゲザー/アート・ペッパー) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
「次の〜」とか「再び〜」といった枕詞で語られがちな企画がある。俗に言う柳の下の何とやらなわけだが、本作などはその典型だろう。
二匹目のドジョウを狙う着想の是非をここでは言わない。一度目が成功すれば誰だって「もう一丁」を狙いたくもなろうというものだ。ましてや本作のレコーディングに先立つこと3年前に生み出されたのがこんな傑作であればなおのことだ。
所謂West meets East企画の枠で見て間違いなく3本の指に入るArt Pepper Meets "the Rythm Section"のレコーディングに於いて、アート・ペッパーはクスリ漬けですっかり体調を崩し、2週間もサックスに触らないまま殆どぶっつけ本番でセッションに臨んだというエピソードが残っている。
結局、ペッパーの健康状態はその後もどんどん悪化の一途を辿り、1960年代初頭からは長い長い療養生活に入って音楽シーンからフェードアウトしていくことになるわけだが、ペッパーの体調がまだ演奏活動に耐えられる状態であるうちにマイルス・デヴィスの西海岸でのツアーに絡めてもう一度、今度はもっと周到な準備の元にレコーディングを行いたいと考えたとすれば至極もっともな着想だとは思う。
リズム・セクションを務めた三人は本作のレコーディングに先立つこと4日前、ブラックホークにてライブ・レコーディングを終えたばかりで、こちらも「もう一丁」の録音である。
そんな経緯の元に録音された本作はアットホームな雰囲気の感じられる佳演ではあったものの、残念ながら57年のように一期一会的なテンションとスリルを獲得するには至らなかった。
何よりペッパー自身のコンディションの悪化が痛い。更にプレイヤー同士の相性みたいな点で言えば、ジミー・コブ(ds)は手堅いプレイヤーだがフィリー・ジョーの持つ、いい意味での八方破れさ加減とか共演者への触発性が希薄である。だからそんな事情とも相まって、本作では目の覚めるようなピックアッププレイは大きく減った。
本作の穏健さは、とりもなおさずこの時点でのマイルス・デヴィスのバンドがコルトレーンを擁した頃と比較しての穏健さにも通じていると私は思うのだが、楽器のパートで検証していけばそれはドラマーの資質に多くを負っているに違いない。とは言え、多くの西海岸ドラマーの作法に比べるとジミー・コブでさえもが多弁で闊達に聞こえる本作の取り合わせはやっぱり興味深いのだが。
製作サイドとしては57年の再現を狙いたい期待と、単なる二番煎じでは芸がないので何かしら変化を付けたいという少々矛盾した展望があったように思う。個人的には幾つか注文を付けたいところのあるセッションだ。曲によってはtpのコンテ・カンドリが参加するが余り必然性は感じられない。繰り返しになるがジミー・コブとのインタープレイはフィリーとのそれに比べてやはりどこかぎこちない感じで精彩を欠く。テナーサックスに持ち替えて吹く曲はあるがペッパーのフレーズはやはりアルトサックスのトーンでこそ生きると思うし、セロニアス・モンクの曲はペッパーの楽想との接点に乏しそうに思え、選曲の動機が疑問である、などなど色々。
しかしそうした細かいアラを補って余りあるのが2曲演じられるスロー・バラードでのペッパーだ。これはもう、腐っても鯛というか三つ子の魂というか企画の甘さを補って余りある名演だ。私にとってはこれら二曲が本作を少々ランク落ちした二番煎じ企画である程々の佳演という評価から更に高いところに位置づける理由である。
どんなにメロメロな状態にあっても決めるべきところでは決めてくれるアート・ペッパーの資質をやっぱり私は愛する。
このテキストは寝ぼけ眼で書いているのできっと酷い内容なのだろう。悪文の見本みたいな結果だろうと思う。読み返す気にもなれないような代物に違いない。アート・ペッパーのような天才とは違い、私のようなどこからどう切ってみても凡庸そのものでしかない輩というのはちょっとでも調子が悪かった力を抜いたりすればたちどころにお粗末さを露呈することにしかならない、というのが今回のオチである。
関係ないコメントでおじゃまします。
先日はお越しいただいてありがとうございました。
本当に感謝しています。
ああいう仲間です。
またお誘いしてもいいですか?
よろしくお願いします。
by YOSHIE (2007-11-30 19:23)
YOSHIE様
コメント有り難うございます。大いに楽しませて頂きました。
また、何かを学んだようなつもりにもなっております。
ご案内大変有り難うございました。次回もよろしくお願いいたします。
by shim47 (2007-12-02 04:08)