「天国と地獄」を我が家で鑑賞してのドタバタ [映画のこと(レビュー紛いの文章)]
ある時期までの黒澤明監督作品というのは私にとって映画の基準であり教科書であって、何度繰り返して見ても映画に込められた全ての意図を汲み取れたような気分にはなれない。見ている間は非常に充実しているが、見終わってからそれでは自分は何一つとして見落としたり見過ごしたりしたことはなかったかと自問するとどうも心許ない。
本作は何度目かのレンタルDVDによる鑑賞だ。
私が学生の頃はレンタルショップなどはまだ出現しておらず、過去の名作を観ることができなかったので、当時読み漁っていた87分署シリーズが原作だと気づいたのはだいぶ後になってからである。
キングの身代金 (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11) (ハヤカワ・ミステリ文庫 13-11)
- 作者: エド・マクベイン
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1984/07/01
- メディア: 文庫
映画は働き出すようになってからレンタルビデオから借り出してきて何度か観た。内容についてあれこれ雑感を書きたいのだがいかんせん私の脳みそではそれらをうまくまとめられない。見終わってからすぐに書けそうなことと言えばサスペンス映画の金字塔だとか何だとか余りにも紋切り型で陳腐な感想でケリのつくような濃度では全くない、くらいのことしかないあたりが私の思考能力の限度なのだろう。
レビュー紛いの文章は別の機会に譲るとして、今回自宅に移り住んでから初めて居間のスクリーンでDVD版を観た。
本作に限らず、シネスコ版の画面というのはやはりできるだけでかい画面で見るべきだと改めて思った。
単純にテレビドラマを長尺化しただけでしかないようなある時期からの三流邦画とは違って、黒澤明の映画というのは劇場のスクリーンの大きさを前提としてフレーミングが想定されていたのでは無かろうかと今回私は勝手に想像している。
現在、我が家の居間にぶら下がるスクリーンは幅が240cm位だが、引っ越し前に29インチのテレビ画面で見ていたのとは明らかに何かが違う。小道具や微細な表情の変化等々、細部のディティールがこれほど緻密に撮し込まれているというのは以前の鑑賞環境では分からなかった。
ここから先はみっともない私の周辺事情を白状することになる。
それで私は「おーやっぱり大画面はいいのう」と満悦至極で映画に見入っていた。と、いきなり音声がとぎれ、画像は静止したままになってしまったのだ。あれこれDVDプレーヤーをいじってみたが状態がさっぱり解決されない。すっかり興ざめしてしまった私は何とも腹立たしい気分で鑑賞を途中で打ち切った。これが昨夜のことだ。
何故そのような障害が起きるのかは大体察しがついた。
春に買い込んだ安物DVDプレーヤーの出来が悪いからだ。試しにこうして使用しているパソコンでは今日、何の滞りもなく最後まで普通にプレイバックができた。17インチの画面で見る「天国と地獄」はストーリーとして勿論堪能したがビジュアルとしては少々窮屈だった。
ぶつ切りの鑑賞、パソコンの画面を覗き込むようにして観た後半90分と、かなりフラストレーションが残る結果となったので今は雑感みたいなことをあれこれ書きたくないのである。まさに安物買いの何とやらを地でいくような私のドタバタぶりがみっともない。自分のケチぶりを棚に上げてGEO の商品管理のずさんさを疑った己の品性にも恥じ入る。いずれどこかで小金を稼いだらもっとマシなDVDプレーヤーを買って改めてきちんと鑑賞することにします。
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