The Cutting Edge/Sonny Rollins(カッティング・エッジ/ソニー・ロリンズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
しばらく以前のことになるが、夕食を食べながらFM 放送を聞き流していたらモントルー・ジャズ・フェスティバルの過去の名演集みたいな内容だったのでついつい耳がそちらに傾いた。
放送された曲目は1990年のマイルス・デヴィスとギル・エバンスの共演をはじめとして色々あったのだがそのうちの一曲にソニー・ロリンズの1974年のステージからSwing Low,Sweet Chariotが紹介された。
The Cutting Edgeというレコードでは最後に収録されていた曲だ。
今の時点ではどう位置づけられているのか分からないが、およそ30年くらい前にはソニー・ロリンズというプレイヤーはいつまでも現役にしがみついている過去の人であり、所詮は聖者ジョン・コルトレーンの咬ませ犬とか踏み台程度のサックス奏者でしかなかった、という論調の全くもって愚にもつかない善悪二元論がスイング’ジャーナルという専門誌ではことあるたびに繰り返され、その新作はことごとくと言ってよいほど散々酷評され続けた。
雑誌の中のQ&Aのようなコーナーであるとき、バグパイプで演奏されたジャズのレコードを何か教えてください、という読者の質問に答えて編集部では本作を紹介し、その紹介文の最後でレコードそのものは音楽として全くとるに足らない内容のものであるとまでコメントしていたのを記憶している。
大体、スイングジャーナルなどという雑誌は所詮、レコード会社の提灯記事か日本固有のマイルス史観による「モダンジャズの歴史」の使い回しや焼き直し記事くらいしかない愚劣な印刷物なので書かれていることをいちいち真に受けているとレコード会社のコマーシャリズムに振り回されることにしかならない。
贔屓の引き倒しだとか判官贔屓だとかを抜きにしても、私の中でソニー・ロリンズは最上位にランクされるサックスプレイヤーだが、それでも自分のレコードラックを眺めてみると60年代初頭にビクターと専属契約を結んでからのレコーディングはインパルス時代の数枚があるだけで、ものの見事に1950年代でコレクションは断絶している。私もまたたわけた活字メディアに洗脳されていたわけだ。
誤解なり洗脳なりを自覚したのは放送されたモントルーでのライブが生理的に気に入ったからだ。若い頃のThematic Inprovisationとかなんとか訳の分からない即興芸術の理屈づけ以前に、私にとってはただその音を聞いているだけで理由もなく充足できるプレイヤーがソニー・ロリンズだ。
幾らかの所持金がその時あれば若い頃に享受できていたであろうささやかな愉悦が、しょうもない雑誌の三文記事に影響されたばっかりに機会を喪失していたことに私はちょっと慌てた。
今となってはソースの調達もAmazon.comやYahoo!!のオークションが頼みである。ロリンズのこの時期の録音は雑誌が当時、目一杯こき下ろし続けてくれたおかげで中古盤の出回り量が多く、値段も安かった。
レコード一枚を通して聞いてみると、歴史的な傑作とかいう重みは感じられないにしても音楽としては十分楽しめる内容だ。一度コンサートに行って本物を間近に見たときの印象とかなり近い演奏形態である。(今にして思えばたった一度だけでもステージを見られたのは私にとって一生の宝ですよ)
元々、ソニー・ロリンズはこれから演奏しようとする曲の青写真を予め構築しておくといったタイプのプレイヤーでは全然無い。類例としてはチャーリー・パーカーとかジミヘンのようなタイプのプレイヤーだと私は見ている。良くも悪くも出たとこ勝負の人である。もうひとつ、こういったタイプのプレイヤーがリーダーであるときの常として、オーガナイザーとしての才覚は殆ど全くない。或いはそちら方面への関心がないと言ったほうが正しいのかも知れない。だから緻密なバンドアレンジとかメンバー同士の緻密なインタープレイとかいった場面は殆どない。
サイドメンをアピールする曲はそれとして用意しておき、残りは完全なワンマンバンドというか一人舞台、徹頭徹尾終始一貫してとにかくバリバリ吹きまくる。私が見たステージでもそうだったが、ステージで演奏される曲のうち半分以上はサイドメンのソロさえない。正直、サイドメンなど誰でも関係ないように感じられるほどだ。
まあ、メンバー同士の以心伝心、阿吽の呼吸を求めたい人はそういった類の音楽を聴けばよいのであって、ソニー・ロリンズはやっぱり一発勝負のアドリブとあの物凄い出音が身上だろう。
本作で演奏されるバラッド、To wild losesの中間部でロリンズは長いカデンツァを綱渡りのような緊張感を保ち続けて吹奏する。そこからメンバー全員がインテンポでクロージングテーマに入るその瞬間、モントルーの聴衆から物凄い拍手と歓声が沸き起こる様子が記録されている。
中古盤を買ってから私は飽きもせずに毎日一度は本作をターンテーブルに乗せるのだが何度聴いても何というか、グッと来る場面だ。拙い私の英語力でライナーを読むと、このステージでは実に3回もアンコールがあったという。そんなエピソードが無条件で納得できる快演だ。
ベースのボブ・クランショウはロリンズとの共演歴が長いだけあってバックの核として実に収まりがいい。ここではエレキベースを弾いているが最終曲では器用にチョッパー奏法を披露するというちょっとしたおまけもある。
残念なのはマイルストーン・レーベルの毎度の録音の悪さで、特に最初の曲はマイクはオフ気味でサックスの音が拾われている。はっきり言ってこれではあの物凄い出音の迫力と充実感を半分も伝えていない。
そんな些末な瑕疵はあるものの、繰り返すが本作は代表作とは言えないにしても快演だ。ジャケットで大写しされているソニー・ロリンズは実に良い表情をしている。眺めているだけで妙に嬉しい気分になるのは何故だろう?
そんなわけで私は今年、ビクター時代から現在に至るまでのソニー・ロリンズの録音歴をほじくり返してみたい。商業雑誌の変なオピニオンを鵜呑みにしたせいで大きな楽しみをスポイルされたような気分になっているのである。
印刷物を読まないのと中古で入手した中に何枚か在ったシアワセで、このサックスは好きです。
by だーだ (2008-01-14 07:43)
だーだ様 今年もよろしくお願いいたします。
言葉以前のところで何かしら生理的に反応する出音はやっぱりあって、私の場合のこの人あたりが筆頭格のようです。
御大は高齢のため国外演奏はもう無理っぽいのが残念です。
by shim47 (2008-01-16 23:31)
はじめまして。
私もスイングジャーナルは無意味な雑誌だと思います。
一度、訊いてみたいのはヴィーナスから広告費が
出なくてもエディ・ヒギンズをプッシュするのかと。
右も左も分からないときにスイングジャーナルじゃなくて
以前の「ジャズ批評」を手に取ってよかったと今でも思っています。
by ダイナ (2008-02-03 22:47)
ダイナ様 コメント有り難うございます。
>以前の「ジャズ批評」を手に取ってよかったと今でも思っています.
同感です。特に「以前の」というところに。
結局音楽は演奏するか聴くかのいずれかであって言葉で語り尽くせるものではないとは思いますがそれでも人は言葉によって対象化しておきたいのだと思っています。
商業主義に浸かりすぎるのは考えものですが、海の向こうの誰とも知らないプレイヤーを教えてくれるのも商業主義でして・・・難しいところです。
by shim47 (2008-02-05 02:02)
音楽の文章化は「演ると聴く」というごく当たり前な行為と
別の立ち位置で成立していると私は思っています。
音楽を聴いたときに素晴らしいと思った感情を素直に誰かに伝えたいとか、
自分がそのときの感じを留めておきたいとかそういったときにのみ
成立するのではないかと思っています。
中立性のなさと広告による偏向、演奏家の相対的な評価で
「ジャーナル」とはジャーナリズムと逆の行為をしていますね。
商業主義がつきまとうのはいたしかないにしても
結局はそれを受け止める私たちが個人的に編集者となり
取捨選択をきちんとできる耳と中立性が必要なのでしょうね。
これだけ情報に溢れているわけですから、自分の純度を高めたいものですね。
by ダイナ (2008-02-09 08:51)
私も昔からS.RollinsのCUTTING EDGEは好きなアルバムです。
このときの演奏は、レコードが発売される前にFMでノー・カットのライヴを聞いています。そのときの演奏ではスタンリー・カウエルの素晴らしいソロが入っていたのですが、契約上の問題からかどうかレコードではピアノ・ソロがまるまるカットされてしまっています。
その後発売されたCDでも同じでした。
こういうことは、その当時リアル・タイムでラジオを聴いていたひとでなければわからないと思いますので、私の周辺の人にはお話しています。
音が悪いのは我慢するとしても、Swing Low, Sweet Chariotを完全な形で発売もらうことはできないものでしょうか。
by カフェおやじ (2010-09-08 20:22)