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ライカ拝借 その4 [カメラのこと]

 
IMGP1165.jpg
使い回しの画像であるが、左のM2-Rについてるレンズはズミクロン35mmの8枚玉、右側のM5についているレンズはコシナ(フォクトレンダー)のノクトン35mm F1.2である。左奥に置いてあるのがノクチルックス50mm F1.0(!)超希少なお宝レンズである。

 ライカのボディにはライカのレンズをおごってみたい。しかし私は以前に書いたとおり、ライカのレンズで撮った写真をプリントとして見たことがない。
見たことがあるのは印刷物に掲載された作例だけなのだ。
 人から聞いた話の受け売りだが、ボケは見事だが色はひどいというのがライカレンズの通り相場なのだそうだ。だとすればモノクロ撮影専用と捉えるべきか。

 ボケとなるとやはりF値が気になる。
腕前はさっぱりなのに一端に含蓄だけは垂れてみたい背伸び気分を押さえきれない私は今のところ、ライカ菌の発症が確認された段階と見て良さそうだ。
私の手持ちレンズの中で、唯一お宝(とは言ってもノクチルックスに比べれば横綱と幕下くらいの格差があるのだが)と言えそうなのがペンタックスの
Aレンズ、85mm F1.4というやつだ。
 被写体になってくれる相手もいないのにポートレイトをものにしたくて20年近く前に買った。絞り解放で撮ると意図とは全然関係のないところにばっかりピントがいっていて私は自分の素質のなさに大いに気落ちした。ニッコールの105mm F1.8でも同様のていたらくで結局、腕のなさを再確認することにしかなっていない。せっかく明るいレンズを買ってもそれを活かすだけの技量がさっぱりない。しかし、腕もないのに明るいレンズがむやみと欲しい。これも一種、病原菌の発症例とは言えないだろうか。そういう人って、結構いませんか?

 伝説のノクチルックスをしげしげと眺めているうちに色々妄想がふくらんできた。
IMGP1167.jpg
所有者曰く、ノクチルックスはカナダ製のほうが出来はいいらしい。
写りはさておき、何ともセクシーな容姿である。
 非球面レンズを使わずにF値1.0を達成した唯一の標準レンズなのだそうだ。私の手持ちの50mmレンズはSMC,ニッコール共にF1.4で、どちらを使っても絞り解放撮影では結構な確率でピントを外している。
 1.4でそういう有様なのだから私にノクチルックスを使いこなせるはずなどない。従って私がこのお宝レンズに物欲をかき立てられることはなさそうだ、というのはまるっきり上辺だけの事情で、実のところこの物体はあまりにも高価で私が幾ら妄想を逞しくしても物欲がわいてこない、というのが真相である。

 50mm F1.0といえば、以前はキャノンのEFレンズにもそういうのがあった。
やはりとんでもなく高価だったが、当時私はEOSを使っていて一瞬、物欲が沸々と湧いてきた。しかし、この辺はもううろ覚えで記憶が定かではないのだが、そのレンズは最高級機のEOS-1でしかまともに動作しないらしいという説明を受けた。ピント合わせにはかなり精密な合焦の制御プログラムを働かせなければならないそうでそれはEOS-1にのみ内蔵されていて下位機種だとピントが合わずにいつまでたってもシャッターが切れない恐れがあるとのことだった。

 少し頭を冷やしてみれば、手持ちボディの6倍も7倍もするほど高価な、しかも標準レンズである。猫に小判なのは買う前から明白で、あっさり諦めがついた。
 しかし、ここからがキャノン商売の本領発揮である。
そのカメラ屋さんでは手持ちボディからEOS-1へのグレードアップを勧められた。その手があったか!と、私は呆れたり感心したりした。売り込みというのはこうでなくては。

 買えない負け惜しみで言うわけではないが、光学メーカーにとってF1.0の標準レンズをリリースするというのは技術力の宣伝くらいの意図しかないのではなかろうかと私は考えている。EOSのファインダーから覗いたF1.0の世界は夢幻のごときモヤモヤ具合で、ピントリングをちょっとでも触ると、とんでもなく浅い焦点がたちどころに消し飛んだ。一体こんなレンズで撮影したいものって何だろうかと考えたが一つも思い浮かばなかった。

 だからここ最近の私はこの、「明るいレンズ菌」に対しては結構な免疫を身につけたのだと勝手に思いこんでいる。但し、35mm F1.2となると心証はちょっと変わってくる。35mmは私の画角なのだ。
 ノクトンのくっついたM5はなかなか渋い。程度のいいM5とセットでも36回払いくらいのローンなら貧乏生活の私にも何とかなりそうだと危険な発作が起こりかける。しかし、ライカのボディにコシナのレンズではいかにもボディを買うのが精一杯でレンズにまではお金が回りませんでしたと白状しているみたいで格好悪い。
 だから今は我慢、我慢・・・・と、躍起になって発作を押さえにかかる。

 物欲を押さえるのに、それは自分にとっては過ぎたるものであって、買ってもどうせ真価を発揮させることがないからという見識上の理由からではなく、お金がないからとか見栄を張りづらいからという下世話な根拠が実際のブレーキとして働くところは私の俗物ぶりをよく表している。



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