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James Tayler/Greatest Hits(ジェイムス・テイラー/グレイテスト・ヒッツ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 手前味噌だが、サラリーマンだった頃の私は働き者だった。およそ20数年会社員をやっているうちに大体一生分働いたはずだと勝手に算段している。しかし腹立たしいことにあれだけ働きまくっていながら一生心配なく暮らしていけるだけのお金が手元に残ったのかと言えばそんなことは全然ない。代わりに職場に対する怨嗟とか世間に対する懐疑は一生かかっても消化できないくらいごっそり抱え込んだ。

 あんまり働きすぎて体調を崩して入院したこともあった。過労死しなかっただけでもよしとしておくことにした。4年前にしがない商売を開業して日銭を稼いではその辺でゴロゴロする生活を決め込んでいる。気取って言えばレイド・バックとかセミ・リタイヤ、一般の方々の目から見れば典型的なのらくら者、怠けの神髄を究めたぐうたら親父ということになる。
 
 最近思うに、宮仕えしていた頃の日々というのはどうも本来的な自分の姿ではなかったのではなかろうか。あれはきっと、世間なり職場なりに強いられた役を律儀に演じていただけなのだ。世間の枠から逸脱しないような生き方の有り様を心がけている限り、義務感で振る舞う場面があるのは仕方ないがそれも程度問題だ。睡眠と食事以外の時間は全部仕事とか、挙げ句の果てにはその日何時間眠れるか、風呂に入る時間がとれるかなどということを懸念するようになったらそれはもう人間の生活ではない。

 とりまとめれば30代半ばからのおよそ10年間、毎度私の中にあったのは「人生しんどい」という実感だった。若い頃、たとえばペーペーの社員だった20代くらいの頃だったら職場の帰りに独り者の仲間連中で酒でも飲んで騒いでガス抜きでもしたのだろうが中年ともなればなかなかそういうわけにもいかない。歳のせいでエネルギーの絶対値みたいなものが低下しているのはことあるたびに身にしみた。中間管理職というのは給料が30%位上がる代わりに仕事量と責任は70%位上がるものなのだと気付いたときにはもう暴れ出す元気もないくらいよれよれだったんである。

 民間中小企業ではお約束のサービス残業の最中、何故か私はジェイムス・テイラーをよくお仕事のBGMとしていた。深夜の職場で残っているのは私一人、近くのコンビニで買ってきた晩飯を胃袋に押し込んで、やおらドラフターにトレーシングペーパーをあてがう(CADなどという気の利いたものがなかったのです)、時計を見ればあと数十分で日付が変わる・・・『しんどいなあ・・・・』という内心の呟きにジェイムス・テイラーの歌は不思議なくらい共鳴した。

ベスト・オブ・ジェームス・テイラー

ベスト・オブ・ジェームス・テイラー

  • アーティスト: ジェイムス・テイラー
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2004/12/08
  • メディア: CD

 ロック小僧だった少年期の私には全く縁のないシンガーだった。実は今でもいい若い者がこういう音楽に入れあげるべきではないとどこかで決めつけている。
 風貌といい、その歌といい、絵に描いたような優男である。若い頃の私にはどうにも受け付けられないシンガーがジェイムス・テイラーだった。ある時期までの私は音楽の中に精神の臨界点みたいなものを求めていたのだろう。
 この人の唄う世界には感情の爆発とかある一戦を踏み越える瞬間がない。日常の音楽、等身大の音楽、人の激情や攻撃性をやんわりとたしなめるような、沈静を促すような、そういう音楽である。ここ数年で定着した言葉で言えば典型的な癒し系ということになるのだろう。
 仕事に疲れた中年期のある日、私はジェームス・テイラーのベスト盤を中古屋で拾い上げていた。奴隷もどきの生活の中で、あるいはそのとき、折れそうな心を抱えていたからなのかもしれない。頑張るとか奮起するとか鋭意努力するとかいったタームと無縁でいられる世界をどこかで求めていたということになるのだろう。

 深夜の職場で、製図の合間に放心したようになってタバコを灰にしているとジェイムス・テイラーの歌は不思議なくらいすんなりと染み入ってきた。英語のヒアリングはからっきしダメなので歌詞の内容はわからないがどの曲も「なんか、キツイよな・・・・」とため息混じりに呟いているような聞こえ方がした。
 嫌気がさしながらも最後の一踏ん張りができるとすればそれはきっと、「俺一人がこんなしんどい目に遭っている訳じゃない」とか「いつまでもこんなしんどい時間は続かない、いつかは報われるだろう」といった思いではなかろうか。当時、ジェイムス・テイラーの歌は私の精神状態をそういう方向に誘導してくれる効能が確かにあった。

 今になってみて、のんきな自営業のぐうたら生活を決め込むようになってから不思議と私はジェイムス・テイラーをあまり聴かなくなった。それはサラリーマンだった頃の欠落部分を自営業者になってから獲得できたことを意味しているのかもしれない。愚痴や泣き言をさんざん垂れ流した物わかりのいい知人に時間を隔てて再会したときの気恥ずかしさやばつの悪さのようなものを今は感じてしまう。
 だからというわけではないが、目下私が持っている唯一のソースであるこのベスト盤を手がかりにして、この先ジェームス・テイラーの軌跡を掘り下げていくことは多分ない。折れそうな自分、崩れそうな自分、打ちのめされた自分を直視することは大事だけれど、だからといっていつまでもそこにいるわけにもいかないのが現実の人生だろうから。

 あるいはまたこんなことも考える。全てを受容するヘナヘナした優男を一生貫き通すというのは、実は物凄く剛胆で男らしい姿だと言えはしないだろうか。
実際のジェイムス・テイラー氏の内面が歌の世界通りなのかどうかを窺い知る方法はないが、こういう佇まいもまたある種の男気を漂わせているように感じる。
 ここで私は世俗的な説教オヤジを気取って世間の若い衆に一席ぶちたいのである。
若いうちからジェイムス・テイラーに入れあげるようなことではいかん。これはもっと歳をとってくたびれた中年になってから聴く音楽である。そうならなければ良さはわからない。若くて、威勢が良くて、馬力や復元力があるうちは君らはテンションを上げて働け、死ぬほど働け。誰かに利用されまくって、頭を小突かれ、背中をどやしつけられ、あちこち駆けずり回らされて、つんのめって転んで、穴に落ちたりドブにはまったりしながら生きて、踏みにじられ、叩きのめされ、ある日ある時精根尽き果てた中年オヤジになったときにこそこれらの歌は涙を流したくなるほど有り難く聞こえるだろうから。
 私は若い衆の見本にも手本にもなれないが、そんな時間の中でこそジェイムス・テイラーを有り難く聞き流していたのですよ。


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