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マックスウェルの悪魔:都筑卓司 著 [書籍]

 本書を買ってからもう30年近く経ったが、これまでの間にどういう訳か私は折に触れてこの本を読み返すことが多い。本一冊を読むことが人生の節目になり得るのだとすれば本書がそうなのだろうかと思うこともある。
 購入当時の私は理系の学生で学業は全く振るわなかった。生まれつき大して出来が良くない上に怠け癖は抜けず、学業にも関心が持てないのだから救いようがない。理系の学生とはいっても取り立てて理系の科目が好きだったわけでもない。たまたま自分の学力で合格できそうな学校だったからそこに進学したに過ぎなかった。機械や何かをいじり回したり学業と関係のない本を読んだりするのはそこそこ好きだったが机に向かって勉強するのは大嫌いだった。何よりも少年期の頃の私は何とも言いようのない観念的な葛藤につきまとわれていて精神が不安定だった。
 机の上で学ぶ数学や物理は私の頭の中では実態と結びつくところが皆無だったので、とどのつまりはちんぷんかんぷんだった。当然成績は悪く、留年までした。自分の資質のなさに我ながら嫌気がさして学校を中退することまで真剣に考えたほど私は出来の悪い学生だった。

 学校の履修科目の中には応用物理学というのがあった。担当教官は高分子を専攻しておられた方で、開校以来のボンクラといわれたこの私を何故か気にかけてくださっていたように思う。学校を中退してどっかで適当な職を見つけようとしていた私を思いとどまらせてくださったのがその方だ。
 教官の講義には人それぞれで特徴がある。この方の場合は数式を展開していく過程で必ずある寄り道をするのがおきまりだった。それは何かというとエネルギー量を表す○△²/2(私のパソコンでは数式をうまく記述できる環境にないので表しにくいが)をどこかで導く癖があり、このエネルギー積分がエネルギーの形態を変えて力学だろうが電磁気だろうがとにかく頻発した。講義のたんびに必ず『ここで○○をエネルギー積分する・・・・』が出てくるので物理の勉強というのは何かしらエネルギーと関係があるらしいというところまではわかったものの、それではエネルギーとは一体何かとなるとさっぱりわからず、結局堂々巡りのまま試験では赤点を取り続けた。

 本書は私が学校の中退を思いとどまって、だからといって向学心を持つ手がかりも見あたらない時期にたまたま出くわした。確率から熱力学、統計力学という流れに関する解説書を一見装っている。親切なところは身近な出来事から事象を語り起こし、理系学問を修めていない人でも容易にイメージが喚起できるような記述がされているところで、解説書というのはこうでなくてはという見本みたいな著作である。
 
マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ (ブルーバックス 152)

マックスウェルの悪魔―確率から物理学へ (ブルーバックス 152)

  • 作者: 都筑 卓司
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1970/02
  • メディア: 新書






 読み始めて私はたちまちはまった。脳天をまさかりで叩き割られたような気分になった。応用物理の教官が一体何故、講義のたんびにエネルギー積分を繰り返すのかも理解した。形而上、形而下を含めて世界とは何か、出来事とは何かを考えるのが学問であって物理学という分野もその中に収まっているのだとそのときやっと私は理解できたのだった。それは当時の私が本当に意識の根っこのところで知りたいことでもあったのだった。少なくとも、目に見える物理現象の殆ど全てはエネルギー保存則に支配されていると理解したときは本当に興奮した。
 実は本書は単なる物理の解説書ではなく、もっと広汎な人間世界の行く末にまで踏み込んでいる。だから私にとっては、ある世界観を育成するための手引きとも言える本だ。腰が重く怠け者のボンクラ学生だった私を「それじゃあ一丁、大真面目に勉強してみようではないの」と奮起させたこの本はその後の私に大変大きな影響をもたらしたことになる。

 件の教官は、学生寮に当直だったある晩、私の居室を訪ねてきて枕元に置いてあった本書に目をとめて取り上げるとニヤッと笑って「見えてきたか」と仰った。今にして思えば出来の悪い教え子が想像する世界観を既にお見通しだったのではあるまいか。退官後の現在も時折手紙のやりとりをさせていただいているが、この方はどうも、ただ者ではなかったと未だに私は思い続けている。

追記;本書はその後、新装版として現在も書店で買えるが私は自分が買った古いほうの表紙のイラストが好きだ。どうでもいいことだけど。


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