居候の存在 [居候の生態]
いつの頃からか我が家のサンデッキには居候が出没するようになった。野良猫だ。
私のやもめ暮らしももう大分長い。 気付いてみれば人生の折り返しはとうに過ぎた。孤独でありながらもどこかで自由な、ひっそりと優雅な貧乏生活に慣れてくると家族というのは元々私には縁がなかったのではないだろうかと思えるようになってきた。孤独死結構、死んだ後のことまでなど考えません、私は。
ペットを飼う、というのは元々余り好きではなく、それを継続できる自信もない。元々私はものぐさで自分自身の世話でさえロクに焼けないような奴なのだ。人間を含めて、他の生き物の世話など考えただけでも疲れてくる。子供の頃に昆虫などの小動物を飼ってみたことはあるがどれも長続きした試しがない。最初のうちは物珍しさで日がな一日眺めたり弄ったりしているがそのうち世話を忘れて死なせてしまう。何度やっても同じことだった。慰み者にされたあげく飽きられて死んでしまった小動物にしてみれば私はずいぶんと傲慢な奴だったことになる。そのことには子供心に多少の罪悪感が生まれた。以来、私はペットは飼わない。
居候がいつ頃からサンデッキに居着くようになったのかを正しく思い出せないが、随分態度のでかい奴ではある。居候は私と接触することを好まない。いたずら半分に食い物を置いておいたことがあったが見向きもされなかった。 写真にはサンデッキに出る開き戸が写っている。戸を開けて私の気配を察すると居候はどこかに去るのでガラス戸越しの撮影となった次第だが、この野良猫には一応、自分が無断で居着いている居候である自覚らしきものはあるようだ。
ショッポ、ブルーシート、猫。
正しく働いてつつましく生きる。
理想の姿じゃないですか?
by だーだ (2008-08-01 18:48)
だーだ様、しばらくです。
ブルーシートに気付かれましたかwまあ、そういう稼業なのです。
どうも私自身の生態が野良猫に類するように思えています。
by shim47 (2008-08-02 09:58)