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Trio 64/Bill Evans(トリオ64/ビル・エバンス) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 音楽愛好家として何かを書き記しておきたいと思い立ったのがこのブログを始めた大きな動機のうちの一つなのだが、ビル・エバンスのことはなるべく触れないでおこうというヘンな考えが私にはあった。

 言うまでもなくビル・エバンスはエバーグリーンの人気ピアニストで、色々な人が色々な場所で色々なことを言ったり書いたりしまくっているからして、しかもそれら言質は全て、かのスコット・ラファロとの共演に限定されていて端から見ていると、今更私のような者が能書きをたれるまでもないのではないかという気分だった。

 ビル・エバンス自身はレコード作りに関しては大変平均点の高いプレイヤーで、何を買ってもまず失敗はない。多少意地の悪い見方をすると、あのアクセント、あのイントネーションで、あの和声感覚で演奏されるとジャイアント馬場の16文キックみたいなものでリスナーはとにかくビル・エバンスの表現として無条件で納得するもののようだ。芸風というのはこういう関係性の上に成立しているのではなかろうか。 ただ、平均点が高い諸作の中にあってもスコット・ラファロとの共演はやはり群を抜く高みにある。それは恐らく、かなりの客観性を持ってみても断言できる水準ではある。しかしこれは両者のキャリアを通して聴いてみると、相当に特異な時間の中での出来事であって、一種マジカルな場面だったのだと私は位置づけている。

 リバーサイド4部作も確かに結構だが、それ以降の演奏にも色々と聴き所はあって、ビル・エバンスの場合は共演するベーシストによって微妙にテンションが変わる傾向があると私は見ている。

トリオ’64+8

トリオ’64+8

  • アーティスト: ゲイリー・ピーコック,ビル・エバンス,ポール・モチアン
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/12/21
  • メディア: CD

 演奏歴中唯一、ゲイリー・ピーコックとの共演記録が本作では聴ける。ドラマーはポール・モチアンで例の4部作と同じだ。ベースマンとしてのゲイリー・ピーコックはスコット・ラファロが到達した境地を出発点とするプレイスタイルなので、中身を聴くまではさぞかし往事を凌駕せんばかりのスリルが横溢しているはずだという期待を私は持っていたが実相は手短にまとめた小唄集で、代名詞のごとく語られるインタープレイの場面は何故か少ない。ソロの出番はお互いにきっちり線引きされていて二つのメロディラインが絡まり合って生み出された以前の奇跡はここでは、そしてこの先も再現されることはなかった。演奏者としての人生時間の中で奇跡などというのはそうそう滅多に起こるものではなく、また、技量の高い演奏者が顔を合わせたからといって必ずしも歴史的名演が生まれるわけでもないという至極陳腐な教訓をここから導き出すのは簡単だがそれにしても本作以後、レギュラーのベーシストとして更に穏健な演奏スタイルの持ち主であるチャック・イスラエルを起用するようになった背景をあれこれ想像するとこれはこれで興味の湧いてくる変遷ではある。

 こんな斜め読みとは関係なく、さほどシリアスな向かい合い方をしなければ本作は聴きやすくまとめられた小品集で、演奏のテンションを別にすれば選曲による取っつきの良さという意味で全作中での最右翼かもしれない。

 目玉の一曲を上げればやはりSana  Claus is Comming to Townだろう。私が知っている限りでは録音された唯一のクリスマス・ソングである。いかにもという語り口で演じられるこの世俗的なノベルティ・ソングが収まった本作を私は毎年12月には必ず一度は棚から引っ張り出して聴くことにしている。取り戻すことのできないマジカルな時間が終わった後の日常にも何かしら小さな発見や驚きは散在しているのであって、ビル・エバンスの音楽は私のそういった小市民的日常感覚にも確かに浸透しているだけの包括性があるのは確かだ。

 (追記)いつ頃からか、毎年今時期になると実に沢山のクリスマス・ソング集が企画されてはリリースされるようになってしまった。こんなことではノベルティとしての有難味など毛ほども感じられなくなる。本作の録音は1964年12月18日である。さりげなく一曲だけ入れておきます、といった奥ゆかしさが当時はまだあったと見るべきなのだろう。 

 


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