Lyle Mays(ライル・メイズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
今年の夏はさっぱり暑くならないが、それでも長年の習慣で夏の間はパット・メセニー一党のレコードを聴く機会が増える。
パーカッションにナナ・ヴァスコンセロスが加入した時期以降は中南米風味が加わったようなテイストでなおさら夏向きのバンドトーンを持つようになった。
何かの拍子に、そういえばメンバーのうちの一人、ライル・メイズのソロ作を買ったきりで随分長いこと聴いていなかったのを思い出した。
聴き終わってみて私は結構良く聴くドン・チェリーのEternal Rythmを思い出していた。(傑作ですよ)以前書いたレビューまがいのテキストはこちらhttp://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2008-10-03
無国籍風のごった煮音楽という点では共通するが、エターナル・リズムはさすらいの大道芸人チックにしてプリミティブな肉体言語による肌合いであるのに対して本作はもっと文学的というか絵画的というか、意識的というか構築的というか、インテリの手になる世界紀行的音楽と聴いた。ワールド・ミュージックと一言でいってもそのアプローチはミュージシャンによって様々だとあらためて思う。
すでにAmazon.comのレビューで触れられているように、本作全体を貫くトーンカラーは殆ど全くパット・メセニー・グループそのままといってよい。言い換えると、パット・メセニー・グループの音楽性とは、実はあらかたライル・メイズのアイデアに負うところのものだったことが本作でわかる。
とは言え、当然ながら本作でのギターはパット・メセニーほどには明確な個性を持たないプレイヤーでソロスペースも控えめなのでその存在感の小ささによって本作はライル・メイズのソロ作であることを示している。
曲調はバラエティに富んでおり、本人の郷里であるところのアメリカ中西部を出発点として日本へ、それからアラスカ、夜の星空を思わせるトーンポエムを経て故郷に戻ってくる、といった感じの構成をなしている。
こういう論理的整合性を持った音楽上のストーリーは、作曲以前にあらかじめ全体構想として練り上げられていたものに違いなく、先に書いたドン・チェリーの音楽世界が北アフリカや中近東をイメージしており、ひとつながりの曲として半ば感覚的、突発的に場面転換しているように聴かせるのとは良くも悪くも対照的だ。
すなわち、そのコンストラクションは緻密で隙がなく、細部に至るまで欠落も過剰もなく、知性的で申し分なく説明的でもある。しかし反面、文脈上矛盾するが、この音楽には私にとって大変大きな欠損がある。それは肉体が楽器を駆使することで発散される生命の脈動とも言うべきもので、見事にデコレートされていながらプレイそのものには印象深い局面がない。表層的な意味でなく、人の体温や躍動感が伝わってくるのは皮肉なことにパーカッションをはじめとするサイドメンの演奏がクローズアップされる場面ばかりで、リーダー本人によるピアノソロは紋切り型の予定調和で薄ら寒いほど没個性的だ。
本作が音楽としてどういう立ち居値にカテゴライズされるのか、といった議論はさておくとして、半ば本能に根ざした衝動的な身振りが時にはあらかじめ作編曲された状況と拮抗し得るほどのドラマツルギーを持つこともあり得る、という偶発性にジャズの面白さの一側面があるのだとすれば、パット・メセニー・グループの音楽総体としてのクオリティはライル・メイズによって担保されているのは先に書いた通りだが、ちょっと聴きにはアメリカ版プログレ風のこのバンドをジャズのカテゴリーに押しとどめている要因とは第一にやはりリーダーのプレイだったのだとあらためて再確認した。
予想を超えたドラマや偶発性の生み出すスリルというのは本作の中にはないが、精緻さとストーリー性に富んだ、清潔感や清涼感のあるビューティフルな音世界に40分間浸ってみたいときには大変具合のいい音楽である。 こういった、頭の中で大方のものがあらかじめ構築された涼しげな肌合いの、ステンドグラスみたいに壮麗な音楽、というと、少年期に大きな驚きとともにはまり込んだこんなレコードのことも思い出す。 作編曲の構成力はずば抜けているがプレイヤーとしての印象は希薄、というのが共通点だろうか。
補記のようなこととして、欧米のミュージシャンが日本をモチーフとした音楽を演奏するとき、私の知る限りではほぼ例外なく中国風のテイストになってしまうのはどういうわけか。本作二曲目のTeiko(ていこさんという日本人女性をイメージしてのものらしい、実在の方なのだろうか)は日本人の私が聴くとなんとも中華風味の音楽だが西洋人の受け止め方、見え方としては中国も韓国も日本もみんなOrientalでひとくくりになっているのかもしれない。 立場を変えてみれば私にしたところで米国も英国もフランスもみんな西洋としてひとくくりに見ているところは確かにある。
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