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Electric Ladyland/Jimi Hendrix(エレクトリック・レディランド/ジミ・ヘンドリックス) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 9月18日はジミ・ヘンドリックスの命日だ。

世の中あまたあるミュージシャンのうちジミヘンは私にとって文句なしに最高ランクに位置づけられる大きな存在であるにもかかわらず、昨年もその前の年も何かをアップしておこうと思いながら結局何もできなかった。過度に思い入れの強い音楽の前では言葉は意味をなさないのだろうか。今年も同じ轍を踏んだ訳だが三日遅れであり、所詮見当違いの印象作文程度でしかないにせよ何かを書いてはおきたい。これまで何度か書いてきたが偉大な音楽というのはリスナーをして何かの行為に駆り立てるものだと改めていまの私は思う。

エレクトリック・レディランド

エレクトリック・レディランド

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2006/06/21
  • メディア: CD

 

 いつまで経っても語り尽くされることのない本作は、言うまでもなく生前オフィシャルリリースされたスタジオレコーディングとしては三作目であり、本人の手になる編集がなされたものとしてはこれが最後となる。そして、これがまだ三作目でしかないというところにこの人の天才性は際立っているのではなかろうか。

 他の多くのロックバンドなりミュージシャンなりと比較してみれば歴然だが、一作目から二作目、そして三作目という変遷にあってこれほど大きなストライドで表現形態を拡大して行った例は私の知る限りではない。多くのミュージシャンが、例えば三作とか四作かかって達成する音楽的成長を、この人は一作で片付けてしまっている。

  「1960年代後期に於ける進歩的なロック・ミュージシャン」としての姿は既に前作(まだ二作目でしかない)で、ほぼ完成型として提示されている。

アクシス:ボールド・アズ・ラヴ

アクシス:ボールド・アズ・ラヴ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: USMジャパン
  • 発売日: 2006/06/21
  • メディア: CD







 三作目である本作は、既に完成されかけていたLPレコードとしてパッケージングされるフォームを自ら突き崩して更なる拡張を試みた結果、40分では収まりきらずに巨大な混沌を生み出した永遠の問題作と今の私は捉えている。

 例えばの話、かのマイルス・デイビスが1970年代に生み出した新しい彼のバンドの音楽でさえも、そのアイデアの骨格は本作で無造作に散乱している断片の再構築でしかなかったのではないかとさえ私は見ている。他の例を列挙していけば枚挙に暇がないほどだ。そして驚くべきことに、リリースされて40年経過した現在に至っても本作の放つ未消化な危なっかしさ、未完成であるが故の音楽的スリルは摩滅しきっていない。模倣され尽くされてはおらず、言葉などという粗雑で不器用な表現方法によって規定されることを未だに拒絶し続けている。

 きっとあらゆるリスナーが、それまでの経験を総動員して定義づけたい、ある枠の中に収めておきたいという意図の全てを本作はもう40年以上の間、頓挫させ続けている。天才の音楽とは、まさにそういうものではないのか。
 私には未だにここで野放図に展開される世界に届く言葉がなく、それを収めきることのできる視野も持てずにいる。だからと言うべきか、であるにも関わらずというべきか本作にはもう30年以上にわたって物凄い引力を放射し続けていることを私は本作を棚から引っぱり出す度に痛感する。

どこに向かっていたのか
何を見つめていたのか
 
 それらは結局、謎だ。それは天才にだけ答えることが許されている。
毎度聴き直す度に、コンマ数ミリでもそこをかいま見ることを試み、毎度果たされることがない。本作と私の32年間はそういう時間であり、音楽的充足は過剰なほどに満たされながらも音楽が終わった後には必ず頭の中に何かしら謎めいたものが渦巻いている。音楽の謎、謎の音楽、今の時点で無理矢理本作を言葉の枠の中に押し込めようとするならばせいぜいそんな程度でしかまとめようがない。

 近年一つ、うすぼんやりと本作のことで思い描くことがある。
それはギターを嗜む知人と雑談中にジミヘンのことが話題になったある時唐突に飛び出したある仮定で、今から3年くらい以前のこと、もしもジミヘンがまだ存命だったらという話に及んだ時、知人が言うにはもう音楽とは何の縁もない生活を送っているのではないか、例えば孤島とか山奥で一人暮らしをしながら絵でも描いているといった生活を送っているのではないか、だってもう、音楽として表現できることなど全てやり尽くしてしまったじゃないか、というものだった。

 私はその仮定に、ひどく強いシンパシーを抱いたのだった。
しかしこの、生き急ぎ過ぎた天才が目指した着地点が音楽ではない何かだったのではないかという仮定でさえも、ではどこだったのかと想像を巡らしてみれば言葉はそこで機能を失う。

 本作は音楽とそうではない何かの境界上で常に揺らぎ続けて無数の謎をリスナーに投げかけ続け、これまでそうであったようにこれから先も無数のリスナーを取り込み続けては惑溺させ続けることだろう。この世に少なくとも一つ、そういう音楽は確かに存在することを私は知っている。

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