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まれに見るバカ [書籍]

 昨日書店をぶらついているうちに刺激的なタイトルにつられて何となく買ってきた新書である。
まれに見るバカ (新書y)

まれに見るバカ (新書y)

  • 作者: 勢古 浩爾
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2002/01
  • メディア: 新書
 
 面と向かって他人様をバカ呼ばわりすることはさすがにないが、表出されない心象風景としては私のみならずままあることではないかと思う。恐らくこの本の筆者もそうだろう。
 
 考えてみるとここ数年、他人様と話していて辟易する場面が多い。一体何に辟易するのだろうかと一時考えてみたことがあったのだがこの本を読んでそれが自意識過剰気味な人物の一人称人生物語を延々と聞かされる場面だとわかった。
 ごくありふれた日常の出来事を微に入り細にわたって相手構わず延々と垂れ流す、人間関係の襞やらささくれやらの妄想物語をこれまた際限なく膨らませ続ける、地球上の人々は皆、自分の生活時間という物語の中を生きているわけだが逢う人ごとにそれぞれの人生物語や妄想ドラマを毎度聞かされていたのでは時間が幾らあっても足りない。そのような時間につきあい続けるのはなかなか辛抱を要することであってある意味、結構迷惑な時間とも言えないだろうか。
 
 本書で筆者が指弾するのはそのような人たちで、ここでは『自分バカ』と括られている。
 
 『自分バカ』には確かに、病的に恐ろしい人物がいる。私は以前、その類いの輩に取り憑かれて大いに悩ましい目に遭った。
少なくとも私は、本書でこき下ろされているような『自分バカ』ではないぞ、という矜持めいたものはあるのでその顛末についてここで子細な記述はしないが、要点だけをかいつまんでおくと私の同級生だったその人物は職場恋愛片思い男で、成就出来ずに終わった自分の恋愛感情を野放図に垂れ流しまくり、恋い焦がれた彼女が自分を受け入れてくれなかったのは職場の同僚達が寄ってたかって自分と彼女を遠ざけるような策謀を巡らせているからだ!という益体もない妄想を果てしなく垂れ流し続ける行為を毎日毎日、夜中の11時頃に私に電話をかけてきて3時間も4時間も、実に4年以上にわたって継続してくれたのだった。
 それは殆どストーカーみたいなもので、とてもじゃないがつきあいきれないというか毎月毎月電話の通話料を4万円近くも払って(大阪から北海道までの長距離通話である)よくやるわい、と、変に感心したりもしたが今になって思えばこれは他人の時間を盗み取る行為であって、ここ10年以上も交流の途絶えているその人物に対しては結構腹立たしい気分になる時はある。
 
 本書を読んでいて、私はかつて関わったその妄想男のことを思い出した。本書の文体は口語体に近く、大変読みやすいものであると同時に以前私がその妄想男に取り憑かれていた時間の焦れったいような苛立つような感覚がよく伝わってきて一種のシンパシーを覚える内容である。私は内心、”おお、そうだそうだ!”と筆者の痛快な指弾に内心手を叩きながら一日で本書を読了した。
 
 ただ、読み終えてみて少し時間を置き、多少温度の下がった脳味噌で顧みてみると、ここでの筆者もまた『自分バカ』に辟易する筆者自身の苛立ちをぶちまける『自分バカ』になってはいないかという疑問もないわけではない。更に言えばそれを受けてこうしてキーボードを叩いて一人称を垂れ流し続けているいる私自身もだ。
 小ずるいようだがそれについては口述と筆記という伝達方法の違いということでなんとかお許しを願いたいと思っている。リアルタイムで『自分バカ』のいつ区切りがつくとも知れない長口上に延々とつきあい続けなければならないのとは違って、文字として書かれたものは受け取る側は気が向いた時に読み、面白くなければ中断すれば良いという自由は残されている。これは半ば屁理屈めいた弁解かもしれないが。
 
 本書は『自分バカ』への苛立ちや軽蔑を燃料として書かれたテキストだが人間、内在させ得る燃料の量には限度があるらしく後半ではさすがに息切れを起こして失速気味の傾向が見られる。 それは本書中で何度か繰り返される『バカの相手は疲れる』ことの現れなのか。脳内格闘によってガス抜きが行われる様子を辿るドキュメントと読めるのかもしれない。

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