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オノ・ヨーコ氏のテレビ出演 [身辺雑記]

 日頃から私はいつもテレビが嫌いであることを公言してはばからないのだが、本日たまたま目にしたことは書き留めておきたくなった次第である。

 もう既に他にも沢山のブロガーの方々はこのことを書かれているかもしれないので、何もここで私のような者が、とも思うのだがやはり書き留めておくことにする。

 お仕事の合間に昼飯を済ませ、午後からの予定にしばらく時間があったので漫然とテレビを眺めていた。公共放送の提供するところの昼の番組で、『スタジオパークからこんにちは』という番組名だったと思う。
 本日のゲストはオノ・ヨーコ氏だった。
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 一種、インタビュー番組というかバラエティ番組というか、そういった性質のもので、ゲストの経歴やPRを含めた近況がインタビュー形式でやり取りされるわけだが、本日のゲストであるオノ・ヨーコ氏は言わずと知れたジョン・レノンの妻であって間違いなく世界一有名は日本人女性である。 

 私は長いことジョン・レノンの音楽にはあまり関心がなく、ビートルズが解散した後のここのメンバーの活動にも特段の注意が向かうことはなかったのだがオノ・ヨーコ氏という方は色々な意味で、良くも悪くも強かなところのある方のような印象を持っていた。 
 クリエイターとしてのオノ・ヨーコ氏はこれまた色々な意味で私にとっては評価に困惑する存在なわけだが、それはここで書いておきたいことの本筋ではない。 

 番組冒頭、私が奇妙に思ったのは照明が煌煌と灯っているはずのテレビスタジオに現れたオノ・ヨーコ氏が何故かサングラスをかけていたことだった。しかもそのサングラスはかなり下までずり下げられていてその本来的な機能を果たしていない。まるで数十年前、大塚製薬のオロナミンCのコマーシャルに出てきた大村昆がやってみせた(これを読んで”ああ、あれな”と察しのつく方は私同様かなり年季の入ったオヤジである)あのかけ方だった。 
 それで番組途中、話題はオノ・ヨーコ氏のファッションセンスについて触れられることになり、帽子とサングラスというのがトレードマークであるらしいことをこの時私は初めて知った。 オノ・ヨーコ氏は帽子が好きであることの由来を語り、次にサングラスへと話題を移した。以下は私のうろ覚えに基づくその大意である。 

 それは1980年秋のこと、レノンご夫婦はNYで新作のレコーディングの真っ最中であり、スタジオワークの最中にレコーディングエンジニアの都合で小一時間ほどのブランクが生じた。 
 手持ち無沙汰になったのでレノンご夫婦は気分転換をかねてスタジオを一旦出て町中をぶらつくことにし、あるデパートに入った。その時夫(ジョン・レノン)はあるサングラスを買い求めてその場で自分(オノ・ヨーコ氏)にかけて、「これからあなたはずっとサングラスをかけているといいよ」といったようなことを仰ったのだそうだ。
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  それからおよそ一ヶ月後の12月8日にジョン・レノン氏は非業の死を遂げることになる。(この辺りからオノ.ヨーコ氏の声の調子がおかしくなり始めた) 
 その後の自分は泣いてばかりいるようになった。人前で泣き出すことも珍しくないほどだった。そういう時に、泣きはらした目を隠すためにサングラスは確かに便利な小道具だった。 
 しかし、何故夫は氏の一ヶ月前に自分にサングラスをかけることを勧めたのか、もしかしたらその先の自分の運命をどこかで予感していたのだろうか・・・・・ 

 と、ここまでを何とか語ったオノ・ヨーコ氏は言葉を詰まらせて目頭を押さえ、サングラスをずりあげて目元を隠した。NHKの女性アナウンサーは狼狽えながら声がうわずり、もらい泣きをし始めそうになった。カメラがズームアウトして全景が映し出されたスタジオには異様なムードが立ちこめたのだった。 

 私も日本人の端くれであって、浪花節的な気質が確かにある。形容し難い気分と言うか、なにかしら胸に迫ってくるものがその時確かにあったこともここで白状しておく。 
 しかし、だ。そのようなハプニングを目撃してから数時間経過して、出来事の唐突さ、情動の振れ幅の大きさに圧倒された後に少しく頭を冷やしてみると私の中には別の見方が芽生えつつあるのも事実である。念のためにこれは重ねて言っておきたいが、故人やその未亡人の遭遇した悲劇的な出来事を貶めたり、味わった苦痛に下衆の勘ぐりを入れるつもりは全くない。だからその後私が巡らしたある思いの詳細はここでは書かない。それは私の意識の中だけにとどめておくことにして、この先文字になることはない。

 ただ、一つのことだけは書いておきたい。表現者としての志半ばで落命したロックミュージシャンは数多いが、ジョン・レノンの死ほどその悲劇性が薄らぐことなく、生々しさをもって語り継がれている例はない。もう29年も経過しているが、その死は単なる一ミュージシャンの悲劇という範疇をさえ超えて時間が経つほどにむしろスケールアップされているように見受けられるほどだ。そこから先については文字にしたり口に出すことは許されていない。そういう空気は確かに醸成され、定着していると思う。私はそれを肯定も否定もしない。そしてジョン.レノン氏の悲劇的な幕引きにあやかるわけではないがこのテキストは唐突にここで終わりです。

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いっぷく

ジョンとの関係が始まって以来、永い間彼女を見てきていますがどうも謎が多くて理解できない部分が多かったのです。
サングラスと帽子というのはヴィジュアル的にも老いを隠すのに有効です。
人は会ったその瞬間でその人のイメージや先入観、偏見を取り除いてくれるということを彼女は体験させてくれました。
ジョンと出会ったきっかけも彼女の作品の「YES」という文字でしたね。
ロンドンの街かどで偶然出会い、写真を撮りたいという私の意思を瞬時に読み取ってくれて彼女の発した言葉はまさに「Yes写真を一緒に撮りましょう」でした。
by いっぷく (2009-11-22 13:21) 

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