Suger/Stanley Turrentine (シュガー/スタンリー・タレンタイン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2007-04-20
http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2007-04-21
長じてジャズにはまり込み、コールマン・ホーキンスを聴いた時、私が連想したのはやっぱりサム・テイラーだった。
その演奏スタイルを時系列で辿ればサム・テイラーはコールマン・ホーキンスの影響下にあるプレイヤーであって、日本に於いて、ジャズの(ということはコールマン・ホーキンスの)アクセントなりイントネーションで様々な日本の土着音楽を演じたところに彼のこの国にでの商業的成功はもたらされた。言い換えればその演奏スタイルというのはジャズ以外のカテゴリーでも色々なプレイヤーによって結構色々演ぜられている流儀のようで、よく対比されるレスター・ヤング風からバップ以降に連なる演奏スタイルの系譜は、テナーサックスという楽器の演奏スタイルとしてはむしろ亜流の歴史と見るべきなのかもしれないとあるときから考えるようになった。
順序が逆ならもう少し違った見方が身に付いたのかもしれないが、私の場合はこの楽器の刷り込みはサム・テイラーの演歌テナーによってなされたので楽器の印象はなにかしらオヤジ的な佇まいと強く結びついていてこれは今も変わらずに意識の底にこびりついている。
オヤジ風ではないテナーサックスの演奏スタイルに目覚めたのは中学生の時に聴いたソニー・ロリンズによってであった。
- アーティスト: ソニー・ロリンズ,ウィルバー・ウェア,エルヴィン・ジョーンズ,ドナルド・ベイリー,ピート・ラロカ
- 出版社/メーカー: EMIミュージックジャパン
- 発売日: 2009/06/10
- メディア: CD
単細胞風な私の頭は自分でジャズのレコードを買い始めるようになって以来ある時期まで、コールマン・ホーキンス風の演奏スタイルをどこかで避け続けていたように覚えている。
理由を深く考えたことはないが何かしらオヤジ的なニュアンスのある音楽を遠ざけたい気持ちがあったのではないかと今になって思う。しかしこれは単なる偏見であって、現に正真正銘のオヤジとなった現在、コールマン・ホーキンスやその影響下にある色々なプレイヤーの音楽を聴いていると格別否定的に捉えているわけでもない。それは加齢臭が自分では気づかないという類いの話なのかもしれないが。
毎度前置きが長くなるのは私の悪い癖だ。
矛盾するようだが実際のところ、音楽がオヤジ風であるかどうかなど大した問題ではないことも私は少年期のどこかで刷り込まれているはずなのだ。思い出すにそれは学生の頃、よく入り浸った喫茶店で行われていたジャム.セッションで聴いたある曲に由来している。
その曲を聴いた場所はこのブログで私が何度か取り上げた釧路市の喫茶店「ジス・イズ」で、何年かしてからこのレコードに収録されていることを知った。
- アーティスト: スタンリー・タレンタイン,フレディ・ハバード,ジョージ・ベンソン,ロニー・リストン・スミス,ブッチ・コーネル,ロン・カーター,ビリー・ケイ,リチャード・パブロ・ランドラム
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2006/11/08
- メディア: CD
30数年前に私はこのレコードのタイトル曲を聴いて以来、随分長い間記憶に染み付いていたことになる。
スタンリー・タレンタインもまたコールマン・ホーキンスの影響下にあるプレイヤーで、しかも第一線に登場してきたのはモダン以降の時期だったのでその足場が革新的だったり先鋭的だったりしたことは一度もない。しかも1970年代後期にはいわゆるフュージョン風の装いで新作を連発したりもして私などは結構敬遠気味の御仁ではあった。
加えて若い頃の私にはCTIというレコードレーベルに対するこれまた一種の抵抗感があって、その後あちこちで何度か耳にしながらもやせ我慢のように本作のリリースを見送り続けていた。
何といっても若い頃の私に猛烈な拒否反応を引き起こしたのは本作のB面いっぱいを占める長尺なImpressionsのユルユル具合だった。それは同じく子供の頃にテレビのプロレス番組で見た、ジャイアント馬場のコブラツイストが発散した脱力感にも通じるものがある。これまた先に聴いたのが本家本元であり、表現の限界に挑戦するかのようなストイシズムに若い頃の私が入れ揚げていたせいだろう。
- アーティスト: ジョン・コルトレーン,エリック・ドルフィー,ジミー・ギャリソン,マッコイ・タイナー,エルヴィン・ジョーンズ,ロイ・ヘインズ,レジー・ワークマン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2004/06/30
- メディア: CD
バップ以降の演奏スタイルが放擲したか喪失してしまったかした『何か』がスタンリー・タレンタインのブローには確かに連綿とあり続けている。それを強いて言葉として拾い集めれば悠然たる風情とか朴訥とした野太さとかいったムードを醸し出す『何か』だと思う。それはあるいは演歌調のニュアンスをも含んでいるのかもしれない。幾つかのレコードジャケットで見られるこの人の服装の趣味といい、こう言っては失礼だが濃いめの顔つきといい、何だか若い頃から演歌調な、オヤジ然とした色合いを体現する存在だと今になってあらためて思う。
しかしそのオヤジ然とした佇まいは色々な場面やパッケージングで結構サマになるではないかとここしばらくの私は妙に見直している。自分がオヤジであることに自覚的になったのでそれまで否定的だったり遠ざけたりしていたものに寛容になったのだ。
ぬるい展開のImpressionsも、ジャズの録音にしては少々派手目な録音のCTIサウンドも今になってみると変に馴染みが良い。タイトルチューンは勿論過去の記憶を巻き戻しながら何度も聴く。あらためて、コールマン・ホーキンスの創出した流儀には普遍性を感じてちょっとしたリスペクトを抱いたりもするのである。
しかし何故、今になってこうもストレートにこういったオヤジテナーの吹奏スタイルを心地よく受け入れて肯定的になれているかというと私はそこに、肝の座った親父が小理屈をこねる若造を一喝のもとに叱り飛ばすような構図を連想しているからだと思う。視点を変えれば若い頃の抵抗感は叱り飛ばされる側だったからということだ。
それで私は本作を聴く度にオヤジであることの気持ち良さを実感している。但し、スタイリッシュに撮影されてはいるがジャケット写真のようなことに愉悦を覚えるオヤジにはなっていない。そのような趣味を持ったオヤジにはなれずに至っている。まあ。どんな嗜好を持とうがそれぞれ勝手だが。
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