Louis Armstrong plays W.C.Handy(ルイ・アームストロング・プレイズ・W.C・ハンディ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
年明けの最初にはこういう音楽を聴くということを格別決めているわけではないが、自分に気合いを入れてみたくなったので引っぱり出してきた。
サッチモが真の意味で偉大なプレイヤーだったのが大体この辺りまでではないかと思っている。一曲目の「セントルイス・ブルース」だけで腹一杯になってしまうくらいのハイテンションだ。生涯何度かこの曲をレコーディングしているが、1925年の演奏と双璧だろう。しかも録音は1954年で9分にわたる長尺演奏に加えてハイ・ファイ・レコーディングなのでトランペットが張り裂けそうなビッグトーンはげっぷが出るほど堪能出来る。
こうして全曲ブルースナンバーという企画盤を通して聴いてみると、ジャズヴォーカル(この呼び名が私はどうも気に入らないが)というカテゴリーは多くの部分をブルース・シンギングに負っているのだとあらためて気づかされる。 歌の部分だけを切り取ってみればここでのサッチモは正真正銘のブルースシンガーと言って良いほどだ。その唄いっぷりは時に荒々しく豪快、時に哀愁を覗かせると言った具合でやけに印象深い。
私は普段、所謂ジャズヴォーカルというものをあまり熱心に聴かない。というか、そういうカテゴリーをどこかで認めていない。そもそもディキシーの時代にまで遡ればジャズにはヴォーカルナンバーなどなかったのだ、と、決めつけていて未だにその考えが変わらない。 だからフランク・シナトラだったりある時期以降のナット・キング・コールだったりは私にとって『ある種のポピュラー・ミュージック』ではあるがジャズではない。ジャズであろうがなかろうがいい音楽でさえあればそれで良い。ただ、例外のような存在としてサッチモとビリー・ホリデイの歌には何かしら特別なものを感じる。どう違うのかは未だに頭の中で整理出来ていないのだが。
本作は全員、何かが取り憑いたようなハイテンションで中にはオーバードライブがかかっていて演奏が破綻気味な御仁もいる。具体的にはトラミー・ヤングがその人で、そのブローイングは豪放さと単調さがないまぜであり、時にコーラス割りを間違えるミスもここでは記録されている。 しかしこういう暴走気味の吹奏をさえサッチモはねじ伏せるようにしてそれぞれの曲をまとめあげていく様子が大変頼もしい。
繰り返しになるがここでのサッチモのブローは全く持って圧倒的の一語に尽きる。囁きかけるようなオブリガードから分厚い壁をぶち抜くようなフルトーンまで硬軟自在、トランペットという楽器はこうやって演奏するものなんだよ、というショウケースみたいな吹奏が全編これでもかと言わんばかりに押し出さされてくる。ホーンセクションのうちでは御大の豪速球と対比をなすかのように軽いフットワークで縦横無尽に細かいパッセージを繰り出すバーニー・ビガードが秀逸で最高の突っ込み役。エリントンのバンドにいた頃よりも更に鮮やかな印象を残すのは私にとってはまあなんというかちょっとばかり皮肉な気はする。
しみじみ歌い上げられるIt's a wonderful worldも良いが、老境期の枯れ具合だけで評価していただきたくはない、と常々私は考えている。出音一発の迫力でサッチモを超えるトランぺッターはその後一人も現れていないとさえ言い切っても良いのではないか、と、全部を聴き通してみてあらためて感じた。
(いずれ追記を書きます)
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