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書を捨てよ町へ出よう(1) [映画のこと(レビュー紛いの文章)]

 度々私のブログにご訪問いただいているぼんぼちぼちぼち様のブログ『冷たい廊下』をしばらく前から私も拝見させていただくようになった。

http://bon-bochi.blog.so-net.ne.jp/

 開設間もないが既に物凄い数のnice!がついている。 才能とはこういう事なのだと思います、お世辞は抜きにして。ブログ全体が目下進行中の一つの物語のようで唸らさせる。虚実の境界線を自由自在に行き来する様子とはこういう事なんだなあと感服する次第で、今日日、下手な小説を出版物として買ってきて読むよりもよほど刺激がある。

 それで、エントリーのうちの一つに寺山修司についてのテキストがあって、これに刺激を受けた私は年が明けてからたまたま持っていた初期の映画を一日一つずつ立て続けに見る事を決め込んだ次第。

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  処女作にして永遠の問題作というべきか、あらゆる意味で凄い。

 冒頭、津軽弁で滑舌のあまり良くないモノローグを語る主人公が、だんだんズームアップされてスクリーンに大写しになり、カメラに向かって(という事は入場料を払って映画を観ている観客に向かって) 『そうやって椅子に座ってスクリーンを眺めていたって何も変わりゃしねえんだ!作り話に入れ込んで舞い上がってんじゃねえよ!』といった内容の怒声を張り上げる。

 これからの二時間強は予定調和の娯楽としてではないのだぞ、と、初っ端から宣言するのだ。何とも挑発的なオープニングだ。きっと公開当初はここだけでも面食らった観客が相当いたのではないだろうか。そして、多少想像を逞しくしてみると監督である寺山修司は映画という表現形態で一番やりたかった事を一番最初に持ってきたとも思える。「名刺代わりに一発」みたいで私にとっては痛快な出だしだ。


 所詮は作り話、と言ってしまえば身も蓋もないのだがそれでもその映画を見続けたおよそ二時間には何かしらの意味はあったではないの、と、観客の側である私が歩み寄っていく類いの映画にはもう一つ心当たりがある。

 

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 こちらは監督自身によってエンディングに、観客をせせら笑うようにして語られる。私にとってはショッキングな映画だったが寺山修司はこれより実に5年も早くこの禁じ手を発見していた事になる。いいんだか悪いんだかわからないが何しろ先駆的ではある。


 今日に至るまでこのデビュー作は観客を切り刻み続けていることはネット上の評価でも明らかだ。こちらのリンクなどを見ると世間一般の受け止め方が如実に現れている。

http://www.jtnews.jp/cgi-bin/review.cgi?TITLE_NO=5457

 まさに評価はまっぷたつに別れていて、大勢の罵倒と少数の熱狂的支持が入り乱れる。本作はある意味、寺山修司の自伝的な内容だが勿論映画の中でそのような注釈があるわけはない。虚と実、自分と他人、公と私、などなど、色々な対立概念がおよそ説明もなくごちゃ混ぜになって138分間絶え間なく観客に叩き付けられる。 先のリンクで語られるレヴュワーの不快感のうち公約数的なものとしては独りよがりな時間につきあわされる事のクソ面白くなさ、つきあった時間の空疎さというのが目立つ。

 ただここで、贔屓の引き倒しみたいな屁理屈をこねるわけではなく、私などはそれこそが寺山修司の狙った反応だったのではないかと考えている。きっとあの世で寺山氏は手を叩いているのではないか。

 他人の独りよがりな自分物語につきあわされる事のクソ面白くなさやかったるさ、自意識の排泄行為に利用されて時間を空費してしまった虚しさなど私たちの日常では至る所に転がっている。 例えばの話、他人の会話を立ち聞きするのは決して良い事ではないけれど、どこかのカフェみたいなところで群れて会話しているおばさん達(別におばさんに限った話でもないが)の様子を伺ってみるがいい。昨日何を食ったとか、あそこで滑ったとか転んだとか、誰に何を言われたとか何を言い返したとか、およそどうでもいいような日常生活の断片を脈絡もなく垂れ流し続けている。当の本人はある物語の中を生きており、何かしらのドラマツルギーを実感しているだろうが他人の目から見ればそれらは殆ど全てその人には何の関係もない話題ばっかりで垂れ流しているその人にしたところで時間があと百年くらい経ったらこの世に存在していた事が地球上の誰の意識の中にもないような小市民でしかないのだ。そして更にちょっと注意してみると実のところ、こういう会話は実は全然会話として成立していない事もわかる。めいめいがそれぞれの垂れ流す言葉の隙を狙って自意識の垂れ流し合いをやっているだけで相手の話など殆ど聞いていないではないか。

 やたらめったら言葉が飛び交いながら実は全然コミュニケーションなど出来ていない人間関係の空疎さを描いた映画というと連想するのが

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 そういえば寺山修司の映画は映像のディティールに於いてフェリーニと通じる肌合いがあるようにも思う。


  映画の後半で、主人公の祖母が街頭で身の上話を語り始める。自分には身寄りがなく、面倒を見てくれる人がいなくて困っているが実は大金を持っていると言った内容だ。それでばあちゃんの周辺にはざわざわと通りすがりの人が群がり始めて色めき立った目つきが集中する。しかしそれはでまかせの嘘八百であり、他人の関心を買いたいがための思いつきでしかない。たまたまその場に来た隣人の金さんが祖母の虚言をなじると途端にそれまで群がっていた人たちの雰囲気が険悪になる下りがある。

 嘘をついて他人の関心を買おうとするあり方への道徳的な非難はそこに込められているのだろうがそれ以上に、群がった群衆の関心は祖母の語る身の上などではなく、実は所持していると彼女が嘯く金に対するものに過ぎないのだという人間観がここには示されている。長らく往来のなかった知人がある日出し抜けに現れて身の上話を延々と語った挙げ句、それで用事は何なのかと問うと借金の無心だった事には何度か身に覚えがある。

 翻ってこの映画の監督である寺山修司は、この、一見支離滅裂な138分間にはまり込んでしまった事で憤慨したり後悔したりする観客に向かってこういう事を伝えたいのではないか。無意味に錯綜した独りよがりで陳腐で個人的な物語に他人を無理矢理つき合わせるその厚かましさや独善性を、あなた達もどこかで無自覚にやらかしているのではないのか、あなた自身が思っているほど他人はあなたの人生模様になど関心は持ってくれちゃあいないものだぜ、と。(この項続く)


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ぼんぼちぼちぼち

記事中に こんなひねくれ者のあっしのことを書いていただけるとは
驚きと喜びで涙が止まりやせん・・・・・

また、「虚実の境界線を行き来する」 という 
あっしの表現原理をも 読み取っていただけて
誰にも解かってもらえないかも知れないと思いつつ
突き動かされるように始めたブログなだけに
shim47さんのようなかたに出逢えて感激でやす。

そう・・・あっしがやろうとしていることは、かつて寺山氏が
「書を捨てよー--」等で挑戦したそれでやす。

今夜もまた、擦り切れた四畳半の真ん中で
ワンカップとスルメを脇に 
新たな記事の下書きに励みやす。




by ぼんぼちぼちぼち (2010-01-06 11:33) 

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