ザ・ピーナッツの唄うEpitaph [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
人生のある局面を決定づけるような音楽というのはそんなに多くはないと思うが、私にとっては数少ないうちの一つにキング・クリムゾンがあった。小遣いを溜めてデビュー盤を買ってきたのがもう三十数年前の事、1973年、当時中学生だった私の精神生活は、今となっては一笑に付するしかないようなこのベストセラー本と
ノストラダムスの大予言―迫りくる1999年7の月、人類滅亡の日 (ノン・ブック 55)
- 作者: 五島 勉
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 1984/01
- メディア: 新書
ここに収録されているEpitaphという曲は、少年当時の私をそれはそれは空恐ろしい程の力で呪縛したのだった。LPレコードは現在のように雑誌のような感覚で買ってきては聴き飛ばせるようなものではなかったので、当時私が所有していた5枚か6枚くらいのレコードのうちの一枚がこれであり、他に何かを聞きたくてもすぐにネタ切れになるような環境だったせいもあって無闇矢鱈と聴きまくった。
ところで作品論めいた事を書くのはここでの趣旨ではない。恐らく多くの方々がこの、epitaphという曲からは何とも湿度の高い情緒性と物悲しい終末感を植え付けられた事と思う。それこそ冒頭挙げた「大予言」に出てくる恐怖の大王がどうとか言う文言にひっかけて、いつの日か訪れる壮烈な破滅のとき、その瞬間という妄想に駆られた御仁は決して私一人ではないと常々考えている。
しかし今になってみてあらためて思うが、時の終わりはそのようにドラマチックにしてダイナミックなものでは全然ない。 長い時間をかけてズルズルダラダラと停滞の度合いが増していって定常的な混沌がいつ終わるともなく連続するような情景の方に今はよりリアリティを感じている。そういう意味では私はこの曲で描かれているような世界観に大きく騙され続けていた事になる。
以前、それはもう30年近くも前になるが、渋谷陽一という雑誌編集者がキング・クリムゾンのデビュー盤についてその功績というのはConfusion will be my epitaph(『混乱』が私の墓碑銘となるだろう、と訳してよろしいか?)と唄ったこと以上に、そのようなメッセイージを織り込んだレコードをビートルズと競り合う程のヒット作とした事だ、と看破した。少年当時の私はそのテキストを素直に受け入れる事が出来ず、それは余りにも商業主義に重点を置き過ぎた物言いではないのかと懐疑的な立場だったが今は渋谷氏は慧眼の持ち主だったのだと見直すようになった。
クリムゾンは、その後段々情緒的なものや情動的なものを希薄化させて私を含めて信者めいたリスナーを規律や論理が幅を利かすような音楽世界へと誘導していったように感じている。直近にリリースされた諸作とこのデビュー盤とを聴き比べてみると、少なくとも表面的な共通性などあまりないのではないかと多くの方が感じられるのではなかろうか。それどころかデビュー盤にて唄われたConfusion will be my epitaphという一節は特段表現者からリスナーに向けて送られた深刻なメッセージだったわけはなくただ単に、当時座付き作詞家だったピート・シンフィールドの文学的修辞に過ぎなかったのではないかなどとまで今の私は考えている。
そうしてみると少年期のある時期、私が訳のわからん終末感に呪縛されていたあの時期は一体なんだったのかと一種あほらしい気分になったりもする。更に昨今、ネット上で動画をあれこれ眺めているうちにこの、情緒連綿たる終末感の曲が極東の島国においてカバーされていた事を知った。キング・クリムゾンがロックバンドとしての評価を確立してから物好きなアングラバンドがカバーしたものではない。彼らがまだ知る人ぞ知る存在だった頃、『シャボン玉ホリデー』のホステスを務めていたザ・ピーナッツがエピタフをカバーしていたというのは私が初めてこの曲を聴いたときと同じくらい衝撃的だった事を冗談抜きに白状しておきたい。
クリムゾン・キングの宮殿 デビュー40周年記念エディション完全限定盤 ボックス・セット
- アーティスト: キング・クリムゾン
- 出版社/メーカー: WHDエンタテインメント
- 発売日: 2009/12/30
- メディア: CD
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