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プラナー 85mm F1.4 [カメラのこと]

 近々小金が入りそうで何かお買い物をと考えてはいるが、きっと色々な支払いやら何やらでいつもの貧乏生活からさほど大きな飛躍は出来ないだろうと諦めてもいる。

 ヤフーのオークションページをあれこれ見ていると、CONTAXの一眼レフ用レンズで伝説のポートレートレンズ、プラナー85mm F1.4が結構こなれた値段で出品されていることにちょっと色めき立った。

 85mm F1.4は私も一つだけ持っている。ペンタックスのAレンズ、マニュアルフォーカスである。自分では結構気に入っていたがどこのメーカーもこのスペックは大体ラインナップ上では50mm F1.4に次ぐ看板レンズのはずであって各社力作揃いである。正直なところ、ペンタの85mmは日陰の徒花っぽい立ち位置だったと思う。大体、ペンタックスというメーカーは大口径の望遠レンズを使いたくてチョイスされるメーカーではないように思う。ここは、余り大袈裟でなく小ぶりで使いやすいボディが良くて選ばれるメーカーだと私は見ている。

 それとは逆に信頼性は今ひとつと言われたCONTAXのボディが選ばれるのもひとえにカール・ツァイスのレンズを使いたいがためという評判は随分聞いた。そして最大公約数的に使いたいレンズの筆頭格が 85mm F1.4のツアィス・プラナーではなかろうか。私の周辺にはこれ一本を使いたいがためにわざわざコンタックスのボディを買った人までいるほどだ。

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 中古市場での値段のこなれ具合から考えるに、きっと各社の85mm F1.4のうち、一番沢山売れたのがコンタックス用のツァイスではないかと思う。伝説の銘玉が10万円そこそこで買えたのだからら飛びつく人が多かったのもうなずける話ではある。

 しかし、今日こうして中古品のプラナーがゴロゴロ出回っていると言うことは、意地の悪い見方をすればこのレンズに見切りを付けた人達がそれだけ多かったということでもあるのではないだろうか。こういう物言いには私に固有の、買えなかった貧乏人のひがみも入っていることを加味しても、だ。

 拝借して適当に殴り撮りをしてみると、相当に特異な個性を持ったクセ玉だ。まず、コンタックス用のツァイスは意外とカラーバランスの統一性がとれていないことを知った。85mm F1.4プラナーでいうと、全体に少々黄色味がかった色調で映る。解像度やコントラストにも際だったものは余り感じられないし、何より四苦八苦するのは絞り解放ではピントがこない。後で教えてもらったが一段絞るくらいが限度らしい。但し、巧く説明できる言葉が思い当たらないが、例えばニコンのレンズあたりがいかにも『写真』だとするとこちらは油絵のような写り方とでもいうのだろうか、上がったプリントを見ると「そりゃないだろう」という色合いなのだが、ヘンににサマになる写り具合で妙に印象に残る。

 何事によらず曲者に引っかかって振り回されることが私には多く、案外それをどこかで楽しんでもいるのだが、このレンズにもそんな雰囲気がある。但し、かなり毒気が強そうで覚悟が必要でもある。もっとも、どうせからシャッターばかりの私なのでどんなボディに付けたらかっこいいだろうか、やっぱりAXあたりがいいかなあ、ああ、俺もこうしてコンタックスの世界にはまっていくのだろうか、などとあてもない空想に耽っていると、「それも所詮は寄り道だ、最後に行き着くところはやっぱりライカだよ」と冷や水をぶっかけるようなコメントを残して拝借したAX+プラナーを取り上げて持ち主のI君は去っていった。

 『それなら何も、人を迷わすようなブツを貸さなければいいのに・・・ブツブツ』と、私は自分の持ち物でからシャッターを切りながら一人ごちるわけだが、I君はどうも、唸るほどある自分のコレクションから私に何かを貸し与えることで貧乏人がのぼせ上がったり金額を聞いて意気消沈したりする様子を眺めて楽しんでいるのではなかろうかと時たま思うことがある。


ベッサのカメラは終わりではなく始まり [カメラのこと]

 購入できるお金の当てもないのにライカ菌に感染した自分自身を観察しているうちに、あるやりとりを思い出したので書き留めておきたい。

 二年少々前のこと、ライカ菌の初期症状と考えられるレンジファインダーが気になって仕方のない時期があった。
デジカメは特にそうだが、一眼レフという形態に私はいつも疑問がある。あれは決して万能選手ではない。というか、万能選手である形式のカメラというのは実は存在しないと私はいつも考えている。
 普段の用途が適当な殴り撮りだとかスナップ写真ばかりの私にとって一眼レフは殆ど無用の長物に近い。あれが真価を発揮するのは一般的には望遠レンズを付けたときくらいしかないのではなかろうか。ミラーショックだとか画像の消失はやっぱり何の気なしに撮るスナップ撮影には向かない。

 とは言え、所有欲を満たしてくれるようなレンジファインダーの現役というのがこれまた殆ど皆無に近い。しつこいようだが貧乏人の私にとってライカは高嶺の花だ。最近ウェッツラー製のボディを拝借してからはっきりわかったが、私がカメラ欲しい病に罹ってから長く現役のライカだったM6などはあきらかに造作が安っぽく、長いローンを組んでまで欲しいと思えるような機体ではないのが残念なところ。機械いじりが本業である私はある時、店頭で触らせてもらったM6に大変疑問を持った。
 そりゃ、なんと言ってもライカである。腐っても鯛というか、そこら辺のレンジファインダーカメラなどよりはずっと精密感も高級感もある。しかしそのとき店頭でからシャッターを切った感想として、いろんな活字や口頭で絶賛されるほど国産機やその他メーカとの隔絶したタッチは感じられなかった。
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 多くのライカマニアの方々にとって、M6というのはかなり微妙な存在であるらしい。その操作感は古くからの愛好者にとっては零落したかつての貴公子を連想させるものらしい。「ここまで墜ちたか・・・・」と慨嘆させるほどらしいのだ。
 しかしだからといって見切りを付けたくなるほどにひどい出来かと言えばそうでもない。繰り返すが腐っても鯛なので、ロングセラーを続けてMシリーズの中では多分M3の次くらいに沢山売れた事実はライカの名前が伊達ではないことを物語っている。
 
 90年代にいくつかリリースされたレンジファインダーカメラのうち、私に買えそうでなおかつ長く愛用できそうなものは一つもなかった。そういうときに私は貧乏であるだけに慎重になる。色々あら探しをしてはけちを付けたくなる性分らしい。
 はたと気がついたのはフォクトレンダーというブランド名で販売されている一連のモデルだった。店頭でいじってみると結構悪くない。
COSINA フォクトレンダー BESSA R3A マットブラック 340633

COSINA フォクトレンダー BESSA R3A マットブラック 340633

  • 出版社/メーカー: COSINA
  • メディア: エレクトロニクス


 
 
 
「これでいいじゃん」と私は少しばかりうれしくなった。何も苦しい財布のやりくり算段に悩みながらライカ菌にうなされることはない、どうせ大した写真が撮れる腕前があるわけでもないのだし。

 そのうち小金を貯めて、ボディを買い込み、一緒に40mmくらいのレンズを一個だけ手に入れて・・・・というところが私の落ち着き先だろう、それで私にとってのフィルムカメラは終わりだろう、と一人で納得し、妄想を暖め続けていたわけだが、今回ライカを貸し出してくれたI君にいつぞやこの妄想を打ち明けたところ、厳しい答えが返ってきた。
 彼曰く、「それはねえ、終わりではなくて始まりなんだよ」と切り出した。「所詮ベッサじゃないか」と冷めた口調でI君が続けた。ベッサで納得できるわけがない、どうせ必ずライカが欲しくなる、レンジファインダーのカメラというのは最後にはどうしてもライカに行き着くようになっているのだ。所詮はベッサだ。所詮はコシナだ。造りなんかしれている。そのうち故障だらけになるに決まってる。満足なんかできっこない。結局はサブ機を買い込んだことにしかならない、長く使いたいのならライカだ。どうせライカが欲しくなる。それは時間の問題だ。所詮ベッサは気休めだ、妥協だ、誤魔化しだ。その先ライカが欲しくなったときには下取りに出すことになる、そういう道筋を辿るであろう。無駄遣いで終わるかもしれないぞ、ライカのMレンズを手に入れてこんなボディに付けてみろ、絶対今度はライカのボディが欲しくなるぞ、なるに決まっている。

 今思い出し見ると、このときのI君の口舌はその後も私を呪縛し続けている。2年前にはM6の疑問と貧乏を盾にこの恐るべき誘惑を私はかろうじて振り切ったのだが、近日拝借したウェッツラー製を触らせていただくと、買い込むお金もないくせに「確かにそうかもな」などと思い始めている。大体、買えもしないカメラのことで一体全体どうして私はこんなに心が落ち着かないで大騒ぎしているのか。馬鹿丸出しとはこのことだ。馬鹿丸出しなのにこのことを書いておきたかった。結局、どうやってオチを付けていいかもわからない支離滅裂状態のままこのテキストはおしまいです。

 (追記)ベッサをご愛用の方々、私の脳みそは現在タチの悪いライカ菌に冒されています。本件を読んでもどうか気を悪くなさらないでください。ライカ病患者のうわごとくらいに受け止めていただければ幸いです。

 

 

ライカ拝借 その4 [カメラのこと]

 
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使い回しの画像であるが、左のM2-Rについてるレンズはズミクロン35mmの8枚玉、右側のM5についているレンズはコシナ(フォクトレンダー)のノクトン35mm F1.2である。左奥に置いてあるのがノクチルックス50mm F1.0(!)超希少なお宝レンズである。

 ライカのボディにはライカのレンズをおごってみたい。しかし私は以前に書いたとおり、ライカのレンズで撮った写真をプリントとして見たことがない。
見たことがあるのは印刷物に掲載された作例だけなのだ。
 人から聞いた話の受け売りだが、ボケは見事だが色はひどいというのがライカレンズの通り相場なのだそうだ。だとすればモノクロ撮影専用と捉えるべきか。

 ボケとなるとやはりF値が気になる。
腕前はさっぱりなのに一端に含蓄だけは垂れてみたい背伸び気分を押さえきれない私は今のところ、ライカ菌の発症が確認された段階と見て良さそうだ。
私の手持ちレンズの中で、唯一お宝(とは言ってもノクチルックスに比べれば横綱と幕下くらいの格差があるのだが)と言えそうなのがペンタックスの
Aレンズ、85mm F1.4というやつだ。
 被写体になってくれる相手もいないのにポートレイトをものにしたくて20年近く前に買った。絞り解放で撮ると意図とは全然関係のないところにばっかりピントがいっていて私は自分の素質のなさに大いに気落ちした。ニッコールの105mm F1.8でも同様のていたらくで結局、腕のなさを再確認することにしかなっていない。せっかく明るいレンズを買ってもそれを活かすだけの技量がさっぱりない。しかし、腕もないのに明るいレンズがむやみと欲しい。これも一種、病原菌の発症例とは言えないだろうか。そういう人って、結構いませんか?

 伝説のノクチルックスをしげしげと眺めているうちに色々妄想がふくらんできた。
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所有者曰く、ノクチルックスはカナダ製のほうが出来はいいらしい。
写りはさておき、何ともセクシーな容姿である。
 非球面レンズを使わずにF値1.0を達成した唯一の標準レンズなのだそうだ。私の手持ちの50mmレンズはSMC,ニッコール共にF1.4で、どちらを使っても絞り解放撮影では結構な確率でピントを外している。
 1.4でそういう有様なのだから私にノクチルックスを使いこなせるはずなどない。従って私がこのお宝レンズに物欲をかき立てられることはなさそうだ、というのはまるっきり上辺だけの事情で、実のところこの物体はあまりにも高価で私が幾ら妄想を逞しくしても物欲がわいてこない、というのが真相である。

 50mm F1.0といえば、以前はキャノンのEFレンズにもそういうのがあった。
やはりとんでもなく高価だったが、当時私はEOSを使っていて一瞬、物欲が沸々と湧いてきた。しかし、この辺はもううろ覚えで記憶が定かではないのだが、そのレンズは最高級機のEOS-1でしかまともに動作しないらしいという説明を受けた。ピント合わせにはかなり精密な合焦の制御プログラムを働かせなければならないそうでそれはEOS-1にのみ内蔵されていて下位機種だとピントが合わずにいつまでたってもシャッターが切れない恐れがあるとのことだった。

 少し頭を冷やしてみれば、手持ちボディの6倍も7倍もするほど高価な、しかも標準レンズである。猫に小判なのは買う前から明白で、あっさり諦めがついた。
 しかし、ここからがキャノン商売の本領発揮である。
そのカメラ屋さんでは手持ちボディからEOS-1へのグレードアップを勧められた。その手があったか!と、私は呆れたり感心したりした。売り込みというのはこうでなくては。

 買えない負け惜しみで言うわけではないが、光学メーカーにとってF1.0の標準レンズをリリースするというのは技術力の宣伝くらいの意図しかないのではなかろうかと私は考えている。EOSのファインダーから覗いたF1.0の世界は夢幻のごときモヤモヤ具合で、ピントリングをちょっとでも触ると、とんでもなく浅い焦点がたちどころに消し飛んだ。一体こんなレンズで撮影したいものって何だろうかと考えたが一つも思い浮かばなかった。

 だからここ最近の私はこの、「明るいレンズ菌」に対しては結構な免疫を身につけたのだと勝手に思いこんでいる。但し、35mm F1.2となると心証はちょっと変わってくる。35mmは私の画角なのだ。
 ノクトンのくっついたM5はなかなか渋い。程度のいいM5とセットでも36回払いくらいのローンなら貧乏生活の私にも何とかなりそうだと危険な発作が起こりかける。しかし、ライカのボディにコシナのレンズではいかにもボディを買うのが精一杯でレンズにまではお金が回りませんでしたと白状しているみたいで格好悪い。
 だから今は我慢、我慢・・・・と、躍起になって発作を押さえにかかる。

 物欲を押さえるのに、それは自分にとっては過ぎたるものであって、買ってもどうせ真価を発揮させることがないからという見識上の理由からではなく、お金がないからとか見栄を張りづらいからという下世話な根拠が実際のブレーキとして働くところは私の俗物ぶりをよく表している。



ライカ拝借 その3 [カメラのこと]

 借り出したライカを知人に返却した後で、これから後のことあれこれと考えた。

 お買い物としてのライカ、これを想像するのはなかなか楽しいものだ。どうせ私の腕前だからろくな写真が撮れるわけはないし、甲斐性なしの私にとっては早々お手軽に買える値段でもないので実現するとすればうんとうんと先のことだろうが。
 ただ、お買い物妄想というのはおしなべて、なかなか実現しないから楽しいのだと負け惜しみ半分で納得することにしている。

 手元にある何冊かのライカ本を改めて読み直すと、もっと色々知りたくなってきた。ネット上にも参考になるサイトは結構あることを知った。
ライカを扱うことの醍醐味については既に沢山の方々が色々なことを書かれているので今更私がにわか仕込みの含蓄など垂れるまでもない。ただ、もしも自分で何か一台、ライカのカメラを買うとするとなかなか悩ましい選択肢の連続であるらしいことは私の出来の悪い頭でも理解できつつある。

 バルナック型のライカは思案の枠から外すとして、
M3はファインダーの画角が50mmを基準としているところが私の刷り込みとかみ合わない。
M2は要件を満たしてくれそうだがコンディションの良さそうな個体を探すのは難しそう。
M4はフィルムの巻き上げ用クランクの形が気に入らない。斜めはやっぱりかっこわるいと思う。
M5が目下、大変気になる機種ではあるが出回り数が少なそう。
M6は想定外。M7も同様。

知人曰く、何か一台といわれたらM5なのだそうだ。M型ライカというと通り相場としてやはりM3のボディサイズを基準に考える癖が私には染みついていて、その線でいけばM5は何とも大作りな感じがして今まで関心を向けたことはなかった。
 しかし拝借してみて実際にとり回してみると許容できなくもなさそうな大きさだし、そこそこの重量があるせいでかえってホールディングが安定する。私の手持ちでいうと、ニコンのF3あたりを扱う感覚に近い。
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 今では人前で取り出すのが少々恥ずかしい。実に仰々しいというか大げさというか・・・

 M5の操作感や質感はさすがにウェッツラーと唸らされる。全ての形状、全ての配置に意味がある。ファインダーの出来はM2に及ばない、ということはM3には更に及ばないということでもある。M3を触ったことはないけど。とは言ってもコンタックスのGシリーズやコニカヘキサーなどよりは格段に見やすいが。
 大柄なボディは太めのレンズがよく似合う。
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 これまた拝借したお宝レンズ、ノクチルックスを取り付けてみたところ。50mmレンズなので私には縁がないが。
そもそも今時の実勢価格は一体幾らなのか、ボディと合わせると100万円コースは間違いなさそう。

 お買い物妄想はとりとめがない。改めて肝に銘じておかなければならないのはライカに掘り出し物はない、ということだろう。状態のよいボディには必ず相応のプライスタグが付いている。例外は皆無といって良さそうだ。物欲ばかりが先走る貧乏人には辛いところだ。クー。


驚異のマクロ機能(Optio W30のこと) [カメラのこと]

 購入以来大した撮影目的もなく、てきとうにOptio W30を弄り回して遊んでいる。何度見てもダサイ外観だが機能は凄い。

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス


 もっと大々的に宣伝しても良いはずなのにカタログには殆ど見落としそうなくらい控え目にしか記載されていないのがなんと1cmという驚異的な近接撮影機能だ。
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 私の着ていた作業着である。オートフラッシュを働かせて4倍くらいのデジタルズームで拡大したもの。iphoto上での処理だがもっと拡大して糸の一本一本までもが確認できる。マクロ撮影というよりも殆ど顕微鏡並みの解像度ではなかろうか。

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 パソコン上でのデジタルズームはかけずに調光なしで撮った私の指紋。光学ズームだけでもここまで寄せてフォーカシングが機能するのは私が知っている限りそうザラにはない。

 たった3万かそこらのコンパクトデジカメでここまでできてしまうのはかなり凄いと思う。一眼レフで同程度の撮影システムを構成したら一体幾らかかるのだろうか。
 しかもOptio W30は極めてレスポンスがよい。マクロ撮影にしても良くあるカメラのように通常撮影とのモード切替があるわけではなく、無段階でマクロモードにはいる。
 マクロ撮影だけのために一台持っていても損はしないと思う。他にもあれこれ、オカズ機能を試しながらのイタズラが続く。しつこいようだがこのデジカメはもっと売れて良い。

ライカ拝借 その2 [カメラのこと]

 拝借したライカを恐る恐るいじる。
自分がカメラをいじりだした頃にはライカがどういうものかを知らなかったし、その値を知ってからでもまさか後々自分がそれを触るようになるとは思えなかった。

 私が最初に手にした一眼レフがペンタックスのMXだった。一張羅のレンズが50mm F1.7のMレンズで、これは今でも愛用している。
 レンジファインダーという形式は一眼レフよりも格下の安手なカメラのことだという刷り込みが私にはあった。それは日本のカメラメーカーの販売戦略であって、一眼レフのボディを中心としたシステムを市場に定着させたい考えの現れなのだと気づいたのはかなり後になってからだ。
 今になってウェッツラーで製造されていた頃のライカボディを手に取ってみると日本のカメラメーカーが何故そのような方向性で市場形成を計っていったのかがよく分かる。
 モノの出来に於いて国産機はライカの足元にも及ばない。材質といい工作精度といい桁違いの差である。はっきり言ってレンジファインダーという同じ土俵では勝負にならないから別のカテゴリーである一眼レフを発展させざるを得なかったのだ。

 ある時期から私の常用レンズは35mmである機会が増えだした。どうも私の画角、私の間合いは40mm近辺であるらしい。これは子供のことからイタズラし始めたカメラがコンパクトカメラばかりだったせいでなされた刷り込みだろう。
 広角系のレンズを常用し始めると一眼レフというボディ形式には段々懐疑的になってくる。重いし動作音はうるさいしシャッター動作時に画像は消えるしでスナップショットにはとても向いていると思えない。
 しかしだからといって気の利いたレンジファインダーが一体どれだけあるかと言えば大変心許ない。一生もののボディを探すとなればライカに行き着くのが必然と言えば確かにそうだと今は思う。
IMGP1165.jpgM2-RとM5の揃い踏みの図である。

 持ち主様がつくづく羨ましい。私の心中には物欲が沸々とわき上がってくるのだった。またしても私はものの見事に焚きつけられたようだ。問題は私の懐具合で当然ながらライカは決して安くない。自分のお寒い経済状態を鑑みて何とか暴走にブレーキをかける程度には、まだ私の理性は働いている。まあ、こうしてあれこれ思案している時間が楽しくもあるわけで。


 

ライカ拝借 その1 [カメラのこと]

友人を拝み倒して拙宅にてライカ拝謁の運びとなった。

珍品、M2-Rは抜群のコンディションで、触るのが恐れ多いほどである。

しかし、いかにもライカというこの外見、気軽に外に持ち出してバシバシ使いまくるには少々勿体ないような気がするのは私だけだろうか。


ペンタックスに愛の手を・・・(Optio W30のこと、その1) [カメラのこと]

 かねがねコンパクトデジカメが一台欲しいと思っていた。
これまで使っていたContax Tvs Digitalは京セラのやる気のなさが如実に表れた凡作で進化の目覚ましいデジカメの世界にあっては完全に時代遅れの代物でしかなく、そのうち何とかしなければと思いながらズルズル時間が経っていた。

 過日、カメラ仲間の同級生がペンタックスのOptio W30一台を携えて拙宅に現れた。
彼はべらぼうな数のカメラを所有する好事家で、カメラ談義の際には大体ひっくり返りそうなくらい多くのボディを持参してくるがこの時は一台きりだった。
 
 随分長いお付き合いをさせて貰っている同級生で、共通の趣味も幾つかあるが殆ど全ての分野に於いてその掘り下げ方は私のようなハンチク者とは画然たる差があることを度々実感させられるのだが、この方が何か一つだけを所持して登場するときには大体ある思惑が込められていることを私はこれまでのお付き合いの中から経験的に心得ている。
 その思惑とは大体の場合、「焚きつけモード」と私は勝手に名付けている。
多くの場合深夜のご訪問となる彼は所持品について微に入り細にわたる説明を明け方近くまで熱烈に展開する。多くの場合、決めのセリフは「俺とお揃いで、どうだい?」となる。

 私は結構我の強い方だと自覚していて何事に依らず他人の真似をするのはどうにも面白くないタチなのだが、何故か毎度、彼の「焚きつけモード」にはまんまと乗せられる傾向がある。

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ライトブルー OPTIOW30RB

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ライトブルー OPTIOW30RB

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス


 防水デジカメである。正直言って余りスタイリッシュな造形ではない。
最初は大して気乗りもせず、説明されるままにあれこれ弄くり回していたのだが、私のようなぼんくら頭の持ち主にも段々この物体の凄さが分かってきた。

 これは何が何でも買わなければ・・・!

 経緯は端折るとして、小金の手に入った私はすっかり「焚きつけモード」に乗せられてお揃いを決め込んでいた。但し、色まで同じでは面白くない。シルバーボディは無難だが何せこの外見だ。今更格好を付けても始まらないと思い、柄にもなく50近いオヤジの私が買い込んだのはよりによってピンク色のボディカラーだった。

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス

 ペンタックスはこれまで水中使用可能なデジカメをリリースし続けてきたが運営体制の変更があって今後の新製品は期待出来ない。カメラの自社開発そのものが途絶しそうな状態にあるのだ。微力だけれど何らかの形で貢献したい気持ちがやはり私にはあった。
 判官贔屓で言うわけではないがこの、何ともドン臭い外見のデジカメの出来がびっくりするほどいい。撮像素子まで1cmのマクロ撮影が可能なのは私が知る限りこの一見陳腐なOptio W30だけではないだろうか。しかも通常の撮影距離とマクロモードでの切り替えなどという煩わしい操作がない。無限遠から10ミリまでのズーミングがシームレスに行える。
 デジカメと一緒に4GBのSDカードを買い込んだ私はここ数日、手当たり次第に身近なものを接写しまくって遊んでいる。下の画像は3センチの撮影距離で接写したものです。トリミングは一切していない。

 遅まきながら他社とのスペックを色々比較してみると、細部を知れば知るほど良い出来だと思う。こんな商品を実売2万円強で売っていたのでは確かに会社もやばくなるよなあ、と、少々気の毒な気がする。


ビリー・コブハムのカメラ趣味 [カメラのこと]

休みが続き、お仕事もヒマなので普段は聞く頻度の高くないレコードもたまには聴き直すことにした。

ライヴ

ライヴ

  • アーティスト: ジョージ・デューク・バンド ビリー・コブハム
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2007/06/27
  • メディア: CD

 


 音楽そのものについては別の機会に何かテキストを上げることになるのかも知れないが、何分、私のことなので毎度ながらまとまりのつかない垂れ流しの駄文でしかないだろう。

 ジャケット裏を眺めていると、メンバーそれぞれのスナップショットが掲載されていた。撮影したのはビリー・コブハム本人とクレジットされている。
 本人が撮影したからという刷り込みがあって眺めているせいなのかも知れないが結構味がある。

 思い出したのは若い頃に雑誌を眺めていたときに行き当たった記事で、ビリー・コブハムはツアーに出かけるときには必ずカメラを携行していくのだそうだ。報道関係の方々の撮影機材にもコブハム氏は随分な関心を示すらしい。
 20数年前の来日時にはツアー中に愛機が故障して随分気を揉んだこともあったのだそうだ。

 私のおぼろげな記憶だと、修理が終わって手元に戻ってきた愛機を構えてニンマリするコブハム氏のスナップがその雑誌には掲載されていた。ハッセルである。
 ブランドミーハーの気が抜けない私なので、ハッセル使いともなると何故か一定の敬意をもってしまう。

 しかし、件のレコードのジャケット裏だが、ハッセルブラッドを使いこなすほどの方にしてはなんか、結構適当に撮ったものに見えなくもない。そのスナップショットが果たしてハッセルで撮られたものなのかどうかは別として、ご立派なカメラを操る人はやはり立派な写真を撮って欲しいものだなどと自分にできてもいないことを他人に求めるのはきっと、一生ハッセルには無縁な私のひがみ根性が幾らか混じっているのだろうか。

 


写真は現在お休み中 [カメラのこと]

 何度もしつこいようだが五十肩に関してまだまだ書きたいことがある。(我ながら酷い粘着ぶり)

 五十肩の弊害は至る所にある。細々あげつらっていくときりがない。なんだかんだ言って、人は目が覚めている間中実に色々な形で肩を使っているのだと改めて知る。
 例の一つとしては長電話が辛い。2,3分も話しているとどんどん肩に鈍痛が増してくる。受話器を持っているのが拷問に思えるほどだ。

 今でこそ一時よりは状態が良くなったがそれでもまだまだ通常の生活動作には支障がある。6月頃から悩まされ続けている五十肩の痛みだが、やらなくなったことは結構ある。カメラいじりもそのうちの一つで構える動作は現在もきつい。撮影会の参加もずっと見合わせている状態だ。
 よってカメラは目下、からシャッターさえも切られることがなく単なるオブジェとして机の上に転がっている。

 ため息が出てくる。
まあこうして、ブログをまめに更新できる程度には肩の状態が回復しつつあるわけで、そのこと自体はよしとしなければならないがそれにしても悩ましい。
 
 


デジカメ故障の顛末(放蕩息子の帰還) [カメラのこと]

 デジカメの修理が済んだ。修理代金は¥29840なりであった。修理作業の内訳書は目にするだけでもクソ面白くないので店長の目の前でビリビリと引き裂いてゴミ箱に叩き込んだ。我ながら幼稚というか、大人げないというか、全く持ってバカ丸出しの振る舞いだ。少々時間が経ってみると手ひどい自己嫌悪に駆られるが時間は戻らず、行いは記憶にとどまるのである。
そのようにして、問題のデジカメはこうして戻ってきた。

 先週、町内の慰安会があって持ち出してみたが、このどうしようもないデジカメはフォーカスロックしてもいないのにどんどんシャッターが切れる。全く出来が悪い。こんな馬鹿げた仕様があるものか。
これまで数度、無料カメラ点検に持ち物を出してみて、更に今回こうして修理に出し見て、うすうす勘づくことがある。修理見積もりが3万円くらいの時、それは暗に「もう使わないでくれ」という意図が示されているのではなかろうか。
 
 私は泣き寝入りはしないぞ、と、心中唸る。このロクデナシを使い倒すまでことあるたんびに出来の悪さをこうして喚き散らしてやる。最も幾ら悪口雑言を吐き散らしても京セラはもうカメラから撤退しているので特段痛くも痒くもないのだろうが、えい、腹立たしい。


ニコンボディの増殖(ニコンEM買っちゃいました) [カメラのこと]

 故障したデジカメの修理代金を工面するのもそっちのけでくだらない衝動買いに走ってしまいました。
 
 常々不思議に思うこととして、中古品というのはそれ一点しかないので見つけたときが即買いが基本ですが、何故か懐が寒い(これは慢性的ですが)時に限って次から次と出物が現れて頭痛の度合いが激しさを増します。
 これが時折小金のあるときだとタマはさっぱり現れず、見つかったと思えばやる気があるのかと頭を小突いてやりたいような強気のプライスがついているのは一体何故でしょうかね。

 昨年あたりから恐る恐る足を踏み入れたニコン一眼レフの世界ですが、かねがね50mm F1.4を物色していましたがなかなか出物に当たらない。望遠系は2本ばかりそろえてトレーニング中ですがやはり50mmははずせない。そういえば広角レンズも一本持っておきたい・・・等々、金はないのに物欲だけはとどまるところを知らないのですが、先日地元にあるキタムラに FM2ボディとAI-S24mm F2.8というセットが4万5千円で売られていたのでした。
 24mmという焦点距離に魅力はあるものの、ロクにレンズラインナップもそろっていないうちにボディばかり増えるのもどうかと逡巡してみる。そんな予算があるのならレンズ購入の足しにするべきか、ですとかね。
 しかし私の物欲というのは余程始末が悪くできているらしく、現在所有のF3,疑問の余地なく頑健なあのボディがあってなおかつ、フルメカニカルでちょっと小ぶりなFM2のボディにもついつい惹かれるものがあります。
 『どうせ後から欲しくなってバタバタするのだから、見つけたときが買い時だあっ!いけーっ!」と、ない金をはたいて翌日キタムラに駆け込むと、既にショーウィンドウにFM2の姿はありませんでした。6月にフィルムカメラの生産機種を2機種に絞ってしまい、FM-3Aの販売も打ち切られてからというものFMシリーズの中古相場はすっかり高値安定で、中古品はべらぼうに足が速くなり、陳列した翌日には売れてしまうことも珍しくないようで、出物が見つかりにくくなりました。

 まあ、ないならないで当初の計画に戻ってじっくり50mmを探すだけなので、あれこれとオークションページを眺めていると、ついついニコンEM 50mmセットというのに出くわしてしまいました。出品価格は安かったのでレンズは暗めでもダメ元で落札し、現物が届いてみたら何と希望通りのF1.4。おまけに出品者の方は殆ど使っていなかったらしく、中古品にありがちな露出計の故障もなく完動品でほんとにラッキーでした。

 レンズ一本分の落札価格で、望外に入手できたEMですが、現物を手に取ってみると何ともキュートでさすがにジウジアーロのデザインセンスには感服しますです。

 問題は50mm F1.4はF3用に回してしまうことになるので、ここでまたまたレンズ探しをしなければならなさそうなこと。マウントは共通なので勿論使う分には問題ないですが、EMのコンパクトボディにニコンのくそ真面目さの象徴みたいな大艦巨砲主義的な50mmはどうにもたたずまいの調和がとれないのです。

 考え事は後にして、本日はひとしきりからシャッターを切って床につきますが、またまたレンズ探しは続くし、胸くその悪いデジカメの修理代は工面しなければならないしで悩みは尽きません。めくるめく耐乏生活がエンドレスで続きます。


ライカの謎(1) [カメラのこと]

 レンズを一本購入するつもりでいたが、CONTAX Tvs digitalの修理代という予想外の出費で計画は延期された。実のところ、昨日から今日にかけて私は少々くさり加減である。

 というところで昨夜、30年来の知人から電話があった。カメラ仲間と私は勝手に思いこんでいるが、腕前、造詣、コレクションの質と量、いずれも私のような半端者とは雲泥の差以上のところにいる。彼本人の言い回しでいくと、『まるで飯を食うようにカメラを買ってくる』。
 私はともかく、彼は多忙な人物で、なかなか会う機会もないので電話のやりとりが最近は多い。近況を聞くと最近はEOS-1vに50mm F1.4のレンズをつけて色々やっているのだそうだ。
 フィルムカメラ・・・・萎んでいく一方のこの分野ではあるが、これはこれでいいところだって勿論ある。故障の原因がわかりやすいというのはそのうちの一つではあるまいか。
 世の中、機械と名の付くものは全てそうだが、電気仕掛けの縄張りが広いものであればあるほどいかれたときの見通しが悪い。フルメカニカルのカメラは結構あちこちで修繕してくれるのだろうが、電気仕掛けの、ましてやデジカメともなれば哀れなモルモットである今の私がそうであるように、メーカーの言いなりになって修理代を支払うか、さもなければ機体に見切りをつけで廃棄しか選択肢がない。

 私は、いささか理不尽とも思える今回の請求のことをぼやいた。これはどこからどう考えてもそうとしか思えないのだが、過去の記憶を遡っても京セラコンタックスのボディは明らかに故障が多い。ツァイスのレンズを使う誘惑に駆られて購入したものの、故障の多さに閉口して手放した知人は一人ならずいるのだ。
 案の定、知人も過去においてはT2の故障が2回ばかりあったそうだ。沈胴式のレンズ駆動機構が動かなくなったとのことだった。確かにあの機構は買った直後から今にもぶっ壊れそうな音を立てている。初期不良品を買ってしまったのではないかと不安を駆り立てるには十分以上の効果がある。
 それでも、カメラ市場全体が縮小傾向に入るまで一定のシェアを獲得できていたということは、ボディの出来などどうでもいいからとにかくツァイスのレンズを使いたい人たちが、世の中には一定の割合で存在している訳だ。

 それで知人の応答だが、待ってましたとばかりに「ライカを一台どうだい」と切り出してきた。末代ものだよ、と。
 ライカ・・・・
 
 この名前を聞くたびに、私は全身が竦む。
 私はカメラが好きだ。これは必ずしも写真を撮影することが好きであることを意味しない。カメラという道具をいじるのが好きなのであって、別に写真を撮ることが好きなわけではない。
 そういう私が小遣いでカメラを買うようになって、これには手を出すまいと決めていた分野が三つある。
(1)ニコンの一眼レフ
(2)中版のハッセル
(3)ライカのレンジファインダー
 
 ただ単にカメラを触るのが好きなだけの私にとって、これらはいかにもイメージが重すぎる。こういうものが他人に見つかるといかにも通人で、立派な写真を撮る人なんだろうなあ、と思われそうで何だか息苦しい。勿論これらは安いモノではなくて容易に購入できないという経済的要因もあるのだけれど、多くの趣味がそうであるように、カメラを買って写真を撮るという営みにはお金で解決できない事象が果てしなく広がっている。
 写真という表現手段がこれまで世に伝えてきた「歴史の目撃者」的な重みを持った世界がこれら三つには確かにあるように思う。私程度の者が道具だけを手に入れてそんなところに入り込んでいいものだろうかという、これは哀れな自己評価である。
 実際、20年以上も前に、別の知人のところにあったニコンF2を触らせてもらったときに、その圧倒的な精密感、剛性感に思わず唸りながらも、なんかこれは自分とは違うなあ、とも思った。立派すぎる、謹厳すぎる、律儀すぎる、そんな感じ。
 その後、紆余曲折があり、上の三つのうちニコンの一眼レフには手をつけるようになった。その程度には自分も成長したのだと今は思いたい。
 
 そこでライカである。元来スナップ写真程度のことしかカメラの出番がない私なので、ライカなんていかにも仰々しいではないかという遠慮を常に抱き続けている。画質どうのが気になることは時たまあるが、所詮はスナップだ。要するに、ライカの世界を理解するにはほど遠いレベルでしかない地点に私はいるのだ。
 しかし、芸術的、美学的見地からはちょっと離れて、生ものであるプリント基盤によってあらかじめ寿命が限定されている今日日のカメラのありようだとか、たまの撮影途中でいきなりバッテリー切れを起こして憤慨やら落胆やらに捕らわれる心象風景を思い返すと、一種、写真の撮影における保険としてのライカは疑いようもなく燦然たる存在として揺るぎない。

 但し、ここからが私の助平根性なのだが、当然ライカは安くない。安くないからにはそれなりの質が伴われているはずだ。画質はどうでもいいと言いながらここで画質が気になるなどというのは自己矛盾も甚だしいのだが,ライカともなればやっぱり気になるのである。
 それで、古今東西を通じて賞賛され尽くしてきた感のあるライカ、その写りとはどういうものだろうかと関心の向くときがある、雑誌を買ってきてページをめくり、作例を見ても、どこがどう素晴らしいのか、悲しいかな私にはさっぱり理解できないのである。
 それが印刷物であるからではないかと、極めて順当な推論が成立するまでかなりの時間を要した。これは私の浅い見識を如実に表している。どう考えても印刷物の細密さが現像されたプリントに敵うわけはないのだ。ではそのプリントはどこで拝めるのだろうか?私にとってライカ最大の謎とはここにある。

 あれだけ方々で賞賛され続け、オーナーは自分の子供にさえ向けないような慈愛の表情でヨダレを垂らさんばかりに撫でくり回すそのライカで撮影した写真そのものを、これまで私はただの一度も拝謁したことがないのだ。時たまどこかで触らせてもらうライカのボディには圧倒的な割合でフィルムが入っていない。からシャッターである。フィルムが入っているときも希にあるのでそのオーナーは日頃ライカで何かを撮影しているのだろうが、これがライカで撮った写真だというものを拝見したことはない。要するに、ライカで撮った写真を見ることはそのオーナー以外には許されていなさそうなのだ。

 何故だ?
  


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デジカメ故障で憤慨 [カメラのこと]

 修理のためメーカー送りとなっていたContax Tvs digitalの所見が判明した。本日、携帯に電話をかけてきたカメラ屋さんの店長は、先日にも増して気まずそうだった。
どうも、私の予感は冴えまくっているようだ。こういう冴え方は、例えば麻雀とか競馬の予想のような場面でこそ発揮されてほしいものだが、あいにくこれまで一度たりともそんなことはなかった。
 あらためて、マーフィーの法則を思い出す。出来事というのは、おしなべて都合の悪い方に向かっていくものらしい。
 用件の一つ目は、クレーム処理とはならず、有償であるとのことだった。いかに保証期限を経過しているとは言え、2年である。多少の便宜を図ってくれても良いではないかとブーをたれたが所詮はごまめの歯ぎしりだ。
 では修理代はどれくらいかかりそうなのかと問うたところが、店長様は電話の向こうで口ごもった。
 「・・・・・・円です。」
は?幾らですかあ?と、再度聞き直すと、なんかの基盤を交換して29400円也とのたもうた。
『******!!!!』聞いた瞬間、私の頭蓋骨の中には火花が飛び交った。怒髪天を突くとは、きっとこういう心理状態を指すのだろう、
標準価格が140000円なりを殆ど値引きらしい値引きもなく販売しておいて
カメラ事業の撤退開始と同時に40000円くらいで投げ売りし、
メンテモードに入ってからの修繕費用は大体30000円、こんな理不尽な商売があるか!
私は自分の人格が日頃押し殺している何かに変貌しつつあるのを自覚した。

 そりゃあ店長、ちょっとした新品が一台買える金額ではないかと私は唸った。店長は消え入るような声色で「へい、ごもっとも」を繰り返す。板挟みというのは結構辛いものだ。そういう憐憫が湧き出してくる程度には、私の冷静さは保たれていたわけだが、それにしても頭にくる。何とも腹立たしいがとりつく島もないこの構図は厳然として動かない。

 きっと京セラのバカタレは、故障品のサポートなんぞもうやりたくないのだ。カメラ事業などきれいさっぱりさっさと清算しまいたいのだ。だから修理代をふっかければ持ち主は諦めてくれるだろうとでも踏んでいるのではあるまいか?
 特大の疑念が意識を駆け巡った。

 いっそのこと修繕などしないで新品を一台買おうかとも思ったが、京セラの思惑にまんまと嵌って散財した自分が余りにも報われないではないかと思うと立腹は膨れ上がり、何が何でも一矢報いてやりたい気分になった。ロクでもない出来なのは骨身に染みているのに、一体何が悲しくて私は執着めいたものに捕らわれ続けているのかと店長と不毛なやりとりと続けながら自問した。
 どうもそれは手触りの良いチタンボディとか、世界に冠たるCarl ZeissのT*レンズの写りがとかいった高尚な理由ではない。恥を忍んで有り体に言えば、どうもこの困りものの元を取った気がしないのだ。たったの2年しか使っていないではないかという、ただそれだけなのだという着地点に思い至った私は自分がつくづくみみっちい野郎であることを唾棄しながら、修繕に取りかかる依頼をしていたのだった。

 笑いたい人は笑ってください。しかしである、大負けをこいた博打打ちが勝ち逃げされた相手の背中に石をぶつけてやりたいような気分というのは、全人類的に、やはり否定できないではないか!(と、今回は支離滅裂な八つ当たりです。いやはや我ながらみっともない・・・・)

 


デジカメ故障の続き [カメラのこと]

 昨日、デジカメの修理代は一体幾らかかるのだろうか、私以外にもこういう目にあったユーザーがいはしなだろうかとあちこちホームページを眺めていたらこういうものが目についた。

http://www.kyocera.co.jp/news/2005/ccd.html

 何だ、製品の不具合だったのか、と、私は幾らか救われた気分になった。製品不良だ、クレームだ、金の心配はしなくてもいいのだ。大威張りで修理に出してやるぞ。

 たまたま今日の午前中、NHKのテレビ番組を眺めていたら、今は会長だったか相談役だったかの稲森氏が特集されており、『ケッ、ちっとはまともな製品を作りやがれ!』
と内心毒づいてからお仕事に出かける私だった。

 それで本日、購入したカメラ屋さんへと足を運んだ。故障品を手にした店長に私は大得意でこの症状が製品不良であり、メーカーである京セラは保証期間を延長している旨を伝え、これでもかとばかりにURLを打ち込んでホームページを示して見せた。
 店長はふむふむと記述を熟読してからメーカーにお電話を始めた。やりとりの詳細は当然ながらよくわからない。デジカメのモードダイヤルを動かしながら不具合の報告をしている様子を眺めながら私にはイヤな予感がわき起こり始めてきたのだった。

 やがて会話を終えた店長様は幾分気まずそうに話を切り出してきた。何でも、症状そのものはメーカーの公表した不具合と合致するが、私の持ち物の場合は原因が京セラのアナウンスした原因ではない可能性があり、(CCDの不具合ではなく、LCDそれ自体の不具合)保証対象からははずれる可能性もあるとのことだった。

 「やっぱり」と「チキショー」というのが私の中で入り混じった。イヤな予感はもう、8割方的中である。何故か私は以前から、この手のロクでもない予感だけは結構的中するのだ。たかがカメラの修理代くらいで一体何を大騒ぎしているのかこの貧乏人が、と、笑いたい人は勝手に笑っておくれ。とにかく何だか私は頭にきた。
 と、ここまで書いて気づいた。昨日のエントリーで、確か私は、これからまだ腹立ちの種が出てきそうだと書いたような気がする。そうだやっぱり、こういうロクでもない予感は結構的中するんだなあ、私は。


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