SSブログ

オレオレ詐欺に遭いそうになる [身辺雑記]

 オレオレ詐欺とか振り込め詐欺とか呼ばれている悪事については斜め読みのお好きな一部の方々がなかなか興味深い陰謀論を展開していた。

 つまりそれは警察権益拡大のための深遠謀慮であるというものだ。警察官の増員、警備会社の業務拡大など警察にとってはいい事ずくめという訳だ。しかしこの、陰謀論を唱える某氏の身辺にはそのような目に遭った人が一人もいないという。だから振り込め詐欺などというのは有名無実の作り話であるとの事だった。

 その記事を読んだのは少し前の事で、確かに私の周辺でもそのような話を聞いた事はなかったので記事を結構真に受けた。いくら何でも電話の声を肉親と聞き間違える事などあるものか、と鼻先でせせら笑っていたのだった。

 しかしそれは絵空事でも陰謀論でもなく、現実に起こっている悪事である事を今日知った。引っかかりそうになったのは他ならぬ私の母だ。

 孫を名乗る男から電話がかかってきたのだそうだ。男の孫は一人いるだけで、しかも現在中学生なのですぐに怪しいと気付いたらしい。 どの孫なのか名前を教えてくれと切り返したら電話の男は「孫の名前も覚えていないのか」と声を荒らげた。もう、この反応でいかがわしさ全開だ。とにかく名前を名乗れと母が問いつめるとむこうから電話を切ったという。

 余録のような後付けの話がある。既に怪しい輩である事が判明しているのにその男は数分を待たずに再度電話をかけてよこしてきた。 馬鹿の一つ覚えのように再び孫だを繰り返す。母は同じように応じて男は同じように怒鳴り散らし、捨て台詞を吐いて同じように電話は切れた。その後は特に何もないらしい。

 振り込め詐欺も結構身近に起こっている出来事らしい。その後の母の話では近所で被害者が出た事はあるそうだ。それにしても困ったのは更にその後の事で、母は私が未だやもめ暮らしを決め込んで夫にも父にもなれずにいる事をあれこれと言い募る。孫の数が少ないのが不満らしい。しかし薮蛇とはこういう事で、今更私のような者にいい加減に身を固めろだの何だのと言われても何ともしようがない。少なくとも今のところ、孫を名乗る振り込め詐欺の心配はない、その一点だけについては安心の種なのだろうが。どうも年寄りにとっては孫というのは色々強い思いをかき立てるキーワードのようだ。


新聞の購読 [身辺雑記]

 ここ数年、新聞購読はしていなかった。テレビはどこの局も概ねつまらないが新聞もほぼ同様だと思っている。物事を規定化したがる性分なので法則性のようなものを思案してみると、情報なり報道は安価なものほどロクなものがないと見ている。勿論、高価であればいいとは言わないが。

 直接的に支払う代価とそれによって与えられる情報という関係でいくと最低はいうまでもなく民放テレビ局だ。何しろタダなのだから内容など期待する方がお門違いだと考えている。あれは報道ではない。広告である。次がNHK,公共放送に対して受信料を払うことに私は異存はない。内容については多いに注文があるが、年間2300万円以上の収入を享受しておきながら勤務中にのうのうと居眠りを決め込む不届きな国家公務員の生態を全国に中継放送する姿勢は屈折して遠慮がちではあるがある種諫言として幾らかは評価してあげたい。

 実体のあるメディアとしての新聞には今までも価値や魅力を感じたことはない。新聞に書かれている内容はかなりの部分、ネット上でも得られる話だと思っている。私は未だにお人好しの部分が抜けきらないらしく、時折勧誘員と遊んであげる代価として断続的に新聞購読をすることがある。丸刈りにひげ面の凄味を効かせた父さんが「俺も暖かい飯が食いたいからよう、頼むわ、なあ」とか、いかにも折り目正しいビジネスマン風とかいろんな人種や流儀があるものだと毎度思う。

 以前は産経新聞を購読していたことがある。今回は一年契約で朝日新聞である。購読開始のノベルティは二ヶ月間無料購読と洗剤セットを二つ。ゆうパックの何か食品ギフトと結構太っ腹である。どういう見地に立ってのオピニオンであるかなどというのは私にとって実はどうでも良いことで、口八丁手八丁の勧誘演技の鑑賞と加入時のおまけを比較するのがちょっとしたイベントみたいなものだと考えている。紙面の内容はともかく、前述したように朝日新聞は結構気前が良い。読売や毎日よりも確実に良い。産経や日経は何にもくれなかったので論外。記事の内容は私にとって各紙どれも同列に価値がない。但し、こうしてブログなどを書き殴っている者からすると作文の技術そのものはさすがにプロだけあって見事だと思う。これも各紙同列だが読売、朝日、毎日が頭一つリードの先頭集団だろうか。

 このように、私は新聞読者としてはかなり不真面目でいい加減な奴だ。目下、新聞を購読する積極的な理由はたった一つで、地方版のお悔やみ欄に目を通すことくらいしかない。さすがにこれはネット上では見つからないのである。

 新聞購読を初めて2ヶ月ほど経って気付いたのだが、読み終わった新聞を畳んで積み上げていくと結構なボリュームになる。毎度ながら古新聞をひもで縛って物置に放り込み、資源ゴミに出すのがやや億劫だ。そこで一つ、新聞業界の矛盾に私は気付いたのだが、ああもくだらない内容の情報を印刷するために日々大量の紙を消費し続ける新聞そのものが紙上でエコロジーの尊重を呼びかけるのは何か腑に落ちない。現在発行される色々な新聞は地球環境にとって好ましからざる存在ではないのか。この辺は愚にもつかない内容の電波を日々送信しまくって多大な電力消費を続ける放送関係も同様か。


柄にもなく家庭菜園に挑戦してみる [身辺雑記]

 毎度連休は家の中にこもって何かをしている。余り健康的とは言えないので何か外へ出る口実を作ろうとはかねがね考えていた。口実の一つはカメラを持ち出して近所の様子をスナップ撮りすることで、もう一つ思いついたのが庭の一角に野菜を植えてみることだ。昨年、トマトを植えてみて大変いい出来だったので今年は昨年の2倍の苗を植えてみることにした。

 自分で栽培するから言うわけではないが、やはり屋外で日光を沢山浴びて育ったトマトは旨かった。促成栽培されてスーパーに並んでいるどんなトマトよりも旨かった。一年のうち夏から秋にかけての数週間しか収穫できないのが大変残念なところ。

 本日の日中はもっぱら畑起こしの野良仕事で過ごした。仕事の合間に一服するタバコも当然ながらきれいな屋外の空気の中での方が旨い。 連休でご近所様達はどこか行楽にでも出かけているのだろうが静まりかえった日中に住宅地の一角で畑仕事というのもなんだか少し妙な感覚にはなる。普段の日曜日であれば家にこもってレコードを聴いている時間帯だ。汗をかきかきせっせと体を動かす。雑草の根っこがちぎれる音と自分の息遣いだけが聞こえる時間というのは結構悪くない気分だ。考えてみれば私は明治のはじめにここの土地に入植した開拓農家の4代目なのだから野良仕事が結構好きな因子を引き継いでいるのかもしれない。

 雑草取りと畑起こしの済んだ一角にはアスパラガスの苗を植えてみた。食べられる程度にまで成長するには数年かかるが気長に手入れをする。というわけで肉体労働に明け暮れた本日の私は疲労困憊のためいつもの夜更かしどころではなく風呂に入った後に爆睡することになる。本来、人間の生活とはこういうものなのだろうな、と、欠伸をしながらふと考えた次第。


留年がもたらす心の傷について [身辺雑記]

 前のエントリーで学生時分のことを書き殴ったのだが自分の過去をまとめておきたくて補足。

 私は元々学校の勉強が好きでなく、大学に行けるほど上等な頭の持ち主でないことは中学生の頃から分かり切っていた。 加えて私は自分の住んでいる土地が嫌いで家族とも折り合いが悪かったので義務教育が済んだらさっさと家を出てどこか遠くへ行きたかった。

 進学したのは高専という変な学校だった。今考えても変だったと思う。文系、理系を問わず勉強はどれも嫌いだったので志望の動機は実に希薄だった。ただ単に合格できるかもしれないというだけの理由で受験し、合格の内定をもらってからは普通科の公立高校を受験するのが面倒臭くなったのでそのまま入学を決めただけに過ぎなかった。志望は電気工学科ということにしていたがこれにも特に理由がない。何故そういう学科を志望したのか今となってはさっぱり思い出せない。

 入学の内定をもらってから形ばかりの面接があった。日程は公立高校の受験日一日目にぶつけてくる。両天秤をかけられるのを嫌っているのだということは中学生の私にも理解できた。面接時に教官から何故本校を志望したかと尋ねられ、馬鹿正直に今から公立高校を受験するのが面倒臭いからですと答えると教官の目つきは鋭くなってそういう心構えでは君は後々苦労することになるかもしれないと言われた。

 今から考えればあの程度の学校にさえ合格できたのが何かの間違いだったのだろう、元々も出来の悪い頭の持ち主なのでたちどころにボロが出た。目先の小金欲しさにバイトにばかり精を出して学校には寝に行くか遊園地に遊びに行くような腹づもりになっていたので試験は毎度惨憺たる出来で留年した。しかも2回だ。一回ならば不運とかもう一頑張りとか言えなくもないのだろうが2回もやらかすようでは本当に入学できたのが間違いだったとしか言いようがない。

  文部省(当時)の定めるところによれば高専という学校の在学期間には最長7年であり、同一学年は3回以上できないという決まりがある。ついでに進級は単位制ではなく学年制で一つでも基準に満たない単位があれば即留年というものだ。進級できなければ留年した年度に取得した単位は全て無効になる。留年してもう一度同じ学年の履修を始めることを学校の中では誰が言うともなく「裏」と呼んだ。「裏」の学年では単位の取得は最初からやり直しである。いいんだか悪いんだかわからないがあまり寛容さのない制度だ。弁解するわけではないが実際私のほかにも中途退学したり留年する学生は多かった。

 私は「裏」を2回やらかしたので、ある学年から先は文字通りのカド番を続けた。5年制の学校を7年かかって卒業できたので文部省の定める許容範囲を目一杯使い果たしたことになる。だからこのブログで私はしばしば以前の自分を開校以来のボンクラ学生と自称しているがあれは謙遜でもなんでもなく真実である。

 今でもときたま思うことだが、一体何故私のような低脳児が卒業できたのだろうか。卒業間際の最終学年にあって私は再試に引っかかり暗い気分で過ごした。5年にプラス2年の猶予期間を使い果たし、バカはバカなりに就職先が内定しての再試である。既に住んでいた寮からは荷物を引き払い、実家に戻って就職先で働くための段取りをしながら再試の勉強をするのはなんだか凄く奇妙な気分だったしやる気も起きなかった。

 再試でこけたら就職もパーになるのだろうとか、その先どこかの学校に入学し直す気にもなれなかったので一生中退者として過ごしていくのだろうかとか陰気な妄想にとりつかれて数日を過ごした。

 結局、再試のために一日学校に赴き、何とか単位は取れて卒業とは相成ったが今考えてもなんだか後味が良くない。きっと担当教官はボンクラはボンクラなりにある日向学心に目覚めて努力はしたのだし、就職先も何とか内定できたので、ここで人生を台無しにするような判定を下して後々恨みを買うようなことはすまい、という温情をかけてくださったのではないかと今でも思う。

 経緯がどうあれ卒業してしまえばこっちのものだ、と割り切れればよいのだがあの時間、毎年毎年学年末の再試の時期に果たして進級できるのだろうかとか荷物をまとめて退学して田舎に帰らなければならないのだろうかとかこんなことなら普段もっと勉強しておけば良かったという不安やら緊張やら後悔やらが充満したビリビリするような時間は確実にその後の私に暗い影を落としている。

 白状してしまうと、卒業後の私は不定期的にある悪い夢に悩まされている。特に3月に多い。どういう夢かというと、同級生が皆、めでたく進級を決めて嬉々として帰省して誰もいなくなった学生寮で今度進級をしくじったら退学しなければならない私がさっぱり理解できない再試のことで途方に暮れている夢だ。毎度のことだがこの夢を見ていると私は弾かれたように目が覚める、心拍が普段の倍ぐらいに激しくなっていて体中汗びっしょりになっている。

 「夢だったか・・・・」と一人ごちて安堵の溜息をつくのが毎度のお約束だ、もう20年以上も経ったというのに未だにこのロクでもない悪夢は忘れた頃に安眠中の私に襲いかかってくるのである。つくづく思うがもっと真面目に勉強しておくべきだった。疑問の余地のない形で進級なり卒業を決めておくべきだった。留年というのは恐ろしいものだ。後々こんな風に禍根を残すとは当時思いもよらなかった。今更反省したってもう手遅れで、きっとこの先も死ぬまで悩まされ続けるのだろうが「それも人生」と割り切らざるを得ない私の屈折ぶりの一因がこんなところにもある。

 

 

 


確か200回目くらいの記事 [身辺雑記]

 気づいてみると200回目くらいの記事になっている。
何をやっても三日坊主で長続きしたためしのない私がよくもまあ、これだけ続いたものだと我ながら感心している。
生まれてこの方、物心が付いたときからあっちへふらふらこっちへふらふらとテキトーなことばかりやっていて無芸大食を絵に描いたようなこの私が何故か不惑の半ばを過ぎてから始めたこの雑文がこんなボリュームになるとは当初思ってもみなかった。

 自意識の掃きだめのようなこのブログに読み返すような値は全くないがそれにしてもこんなに書きたいことがあったのだろうか。

マイ・ロマンス

マイ・ロマンス

  • アーティスト: カーリー・サイモン
  • 出版社/メーカー: 株式会社BMG JAPAN
  • 発売日: 1990/05/21
  • メディア: CD

テキトーに聞き流す本日の一枚。どうも現在は廃盤のようだ。

冬の北海道は家の中にこもりがちなせいか、人の声を聞きたくなることが多い。


2008年の正修会 [身辺雑記]

 例年の習慣に倣い、大晦日の深夜は正修会に出かけた。今年で喜寿となる母と二人での参加となる。
帯広市の東別院は、市内では現存する最古の建築物である。檀家の数といい、本堂の立派さといい、同じ浄土真宗の分派である西別院には及ばないがこちらはこちらで何というか、経過してきた時間の重みを感じる造作である。

 除夜の鐘を突く鐘つき堂は私の曾祖父が施主として土台の部分にその名前を刻まれている。大正5年に寄贈したものだ。今年も例年通り、百八つのために大勢が列をなしている。
 私はと言えば例年、その様子を遠巻きに眺めるに留めている。果たして自分は後年に何を残せるのだろうかと甲斐性のなさを顧みて情けなくなる時間でもあって結構辛い。

 本堂の入り口では例年通り年越しそばが配られている。檀家の方々が手弁当で段取りをしてくれているわけだが本来、私なども家族総出でこの中に加わるべき立場であるはずで、そうはなっていない今の身の上にはやはり忸怩たるものがある。

 今年の正修会は参加者が多かった。本堂に集まった檀家衆は昨年の4割り増しくらいだろうか。鐘をついてそばだけを食べて帰る人達を含めてだが全般にお行儀が昨年よりはよい。複数人でつるんで別院に来て鐘つき堂の前で騒ぐあんちゃん達だとか無料で振る舞われる年越しそばにああでもないこうでもないと身勝手な注文を付けるバカババアどもを今年は見かけなかった。世の中は幾らか、まともな方向に向かいつつあるということなのだろうか。

 勤行を唱和して輪番の法話を拝聴すると大体午前2時近くで、母はさすがに老齢だけあって居眠りを始めるがこれは致し方ない。
 法話の中で輪番は、例年清水寺で年末に行われる「今年の一文字」のことを取り上げた。清水寺の宗派が何であるのかを恥ずかしいことに私は未だに知らないのだが毎年大きく取り上げられるイベントだからなのか、同じ仏教徒としてわかりやすい話題として関心はあるらしい。

 諸兄ご存じの通り、昨年の一文字は「偽」であった。
このような文字が一年を現すような世相は全くもって恥ずかしく、情けないことだというコメントが報道されていたことを覚えている。
 この報道の前に私は雑談の最中にしょっちゅう「今年の一文字はやっぱし”偽”だよな」などと軽口を叩いていたが図らずもその通りであったわけで、内心、『偉い坊さんもお為ごかしみたいな話ばっかりじゃなく、それなりに世間を見ているじゃねえか』などと内心どこか自分の視点の正しさを得意がっていたところはある。

 法話の中で輪番は誰もが評論家になったような気分で他人を批判して溜飲を下げたがる様子に幾らかの苦言を呈された。’偽”は身の回りに無数にあるわけだが、それらは全て人の営為であって、”偽”を批判する多くの人々も無自覚なまま”偽”に荷担している場面は必ずあるはずであって、どこかで自分を省みるべきではないのかとのお話だったが全くその通りで、たわけた政治家達がバナナの叩き売りみたいに安っぽく連発する「身の引き締まる思い」を今夜はさせられましたです。


テレビの復活で気づいたこと [身辺雑記]

 ひょんなことから中古のテレビを手に入れた。私の仕事先からタダで譲り受けたもので、旧態依然とした29インチである。10年ほど前に製造されたものだが設置場所が競馬場だったので週に土日の二日間しか使用しておらず、映りそのものはすこぶる良い。

 半年ほど前にテレビが壊れ、テレビのない生活を試みてみようと思い立ってからもう半年以上が過ぎた。
確かに私は貧乏だが幾ら何でもテレビが買えないほどでもない。私にとってテレビ放送というのはさほど重要なものではないし、他人と昨日見たテレビ番組の内容で世間話をする機会もない。映画を見たくなればプロジェクターを引っ張り出してきてスクリーンを下ろしていたし、BGMでFM放送を聞き流していることも多かった。かなり以前に買ったテレビゲームをプレイしてみようかと思い立ったこともあったが肝心の本体が既にいかれていてこれはちょっと残念だったがそれにしても、テレビが無いなら無いで特段困ったこともなかった。

 世間一般の人々から見れば、私のようにテレビ放送など見なくても特段不自由を感じない奴というのはきっと変人じみているのだろうが、私に言わせれば一日何時間もテレビを見続けていられることのほうが凄いことに思える。
 あんなに内容のない時間の過ごし方もないのではと思う。本を読んだり、音楽を聴いたり、ネットにアクセスしているほうが時間の過ごし方として私には向いているようだ。
 たかだかテレビを手に入れたくらいで何もわざわざ駄文を連ねる必要も無かろうとは思うが、まああればあったでそれなりに活用はすることになる。
 相変わらずテレビ放送には大して興味が向かない。本日は手持ちのDVDを引っ張り出して見直していた。プロジェクターを持ち出してきてスクリーンを下ろしてというのも何だか物々しいし面倒臭いしというときにテレビは幾分横着ができて楽だ。本日の演目は
 

ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX

ボウリング・フォー・コロンバイン マイケル・ムーア アポなしBOX

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • 発売日: 2003/08/27
  • メディア: DVD


 放送電波の受信機としてのテレビは私にとっては余り大きな意味を持たなさそうだ。NHKに受信料を払う必然性も余り感じないのだが、「テレビ放送の受信機としてテレビを使っているわけではないから」というのは言い分として通るのだろうかとつまらない想像をしてみた。
 テレビが壊れて半年受信はしていなかったのだから半年分の受信料を返してくれ、とか。

こんなへそ曲がりで馬鹿げた想像をするからきっと私はどこかで変人扱いされているのだろうな、と、思い至って苦笑する。


田能城寿男さんのライブ(予告編) [身辺雑記]

 9月に見に行った田能城寿男さんのライブhttp://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/archive/20070907ですが、
今月26日に帯広市内で催されるとのことでチケットを申し込んでおきましたです。

 次回の会場はBar Noise
http://www.mytokachi.jp/shop/barnoise/
実は私がちょくちょくのぞきに行く古書店の2階とのことでちょっと意外でしたね。
もう屋号は忘れましたが、以前はレゲエの良くかかるバーでした。オーナーが代わったんでしょうか。

 今回はベースを加えたトリオ編成とのことで、演奏内容の変化にもちょっと関心があります。

 寂れてしまって久しい帯広駅周辺の商圏活性化のためのささやかな応援と言えば大袈裟ですが、ともあれライブは楽しみです。


町内慰安会のもたらす福音 [身辺雑記]

 本日は町内の慰安会があり、幕別町の某温泉で日帰り宴会の一日でありました。

慰安会自体は年に一度の恒例行事で、少子高齢化の進む私の町内会は殆ど老人会に近いものがあるのだが、それはそれなりに楽しい。

 ところで、かれこれ3ヶ月近く四十肩に悩まされている私だが状態は一向に良くならない。
http://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/2007-09-24

 これまで医者から山のように与えられた湿布を貼り続けてきたが一向に回復の兆しが見えす、いい加減うんざり来ていた。
 今日の慰安会なども、痛い左肩をさすりながらの参加だったのだが具合の悪そうな様子は他人の目から見ても察しがつくらしく、同じ町内に住む鍛冶屋のOさん70歳(だったかな)の目に私の変な様子が幾らか気になったらしい。宿屋についてから四十肩の治療法についてのご高説を賜ることとなった。

 午前10時頃に目的の温泉宿に到着して風呂に入り、宴会場の座敷に戻ってから鍛冶屋のOさんのご指導の元、肩のストレッチを行ってみたが私の挙動が余程けったいに見えるらしく、慰安会にご参加の諸兄は口々に「もっとちゃんと腕を伸ばせ」とか「いい若いもんが情けない」とか口々に仰る。
 特段威張って言えたことではないが私だってもうあと数年すれば50の大台なんである。いい若いもんもないもんだ。まあそれくらい私の町内会の高齢化は進んでいるということなのだが。
改めて思うが、痛さというのは当人だけのものであって他人とは分かちようがない。そして四十肩を痛がる様子というのは何か余り深刻なものには見えないようだ。慰安会にご参加の方々には私が歯を食いしばってしかめっ面をしている様子が面白いもののように見えるらしい。

 一体何が悲しくて町内の慰安会でこんなことをしなくてはならんのかと思いながら言われるままにストレッチを続けていた私だが、鍛冶屋のOさんのご指導はご熱心を極めた。普段は結構コミカルなお方だが今日はやけにシリアスな接し方である。「四十肩なんていうのは動かしていれば治るんだよ」と仰るがやっぱり痛いものは痛いのであって、痛い箇所は動かしたくなくなるのが道理ではなかろうかと思う私はきっと幾らか憮然たる表情をしていたのだと思う。鍛冶屋のOさんは釈然としない様子で私のそばから離れて席に着き、宴会が始まった。

 ところで鍛冶屋のOさんは下戸の私とは大違いで仲々楽しい酒癖の持ち主である。決して悪い意味でなく、Oさんの参加する酒席は毎度大いに盛り上がる。
 宴もたけなわの頃、鍛冶屋のOさんは鼻の頭を赤くして私の隣へとにじり寄ってきた。
「いいか、四十肩なんていうのはな、動かしてりゃあいいんだ。怠けていたらいつまで経っても直らねえんだぞっ!」
目が据わっている。

 私は適当に相槌を打ちながらちびちびやっていたのだが、鍛冶屋のOさんの御説は私の肩口を小突きながらしばらく続いた。
 傍らで鍛冶屋のOさんの鼻息が荒くなり始めた、と、胡座をかいてちびちびやっていた私は腕を決められて引き倒されていたのだった。
 何が理由かは知らないが、業を煮やしたらしいOさんは70過ぎとは思えない敏捷さで私に飛びかかり、三角締めのような体勢で私の腕を決めていたのだった。
 「うぎゃーっ!」と私は本能的に叫ぶ。脳天から煙が上がりそうに痛かった。昨日今日のおつきあいではないが、鍛冶屋のOさんには柔道の心得でもあるのだろうか、今日の今日までOさんのこんな資質を私は知らずにいた。三角締めはがっちりと決まり、私は足をバタバタさせて悲鳴を上げること以外に抗いようがない。
 「痛いーっ!いたたたたたた!」
 「我慢しろ!我慢だっ!伸ばせば治るんだっ!」
 「ウーッ!いてえよう!」左の肩がメキメキと音をたてそうに痛んだ。あんまり痛すぎて涙が出てきた。いつの間にか三角締めを決められた私を取り巻くように町内会のおばさん達がギャラリーとなっている。
「我慢しなさい!我慢我慢!」とか何とか口々に喚きながら涙を流して痛がる私を指さして笑っている。結構面白そうじゃないか。それにしても一体何故、町内の慰安会でこんな痛い目に遭わなければならないかと少々切ない気分になった。

 三角締めから解放された私が涙を拭っていると鍛冶屋のOさんが「良く動かせよ、動かせばすぐ治るんだっ!」と私の背中を威勢良くばーんと叩いた。「いい若いもんが情けない声出すな!」(若くねえよ!)と、その後のOさんは宴会の間中悠然と酒を飲んでいたのだった。
 
 そして帰りの支度を初めてバスに乗り込むとき、私は持参していったナップザックを荷台に放り上げ・・・・




 あーら不思議、私の肩は朝よりもずっと高いところにまで上がるようになっていたのだった。数時間前に比べると、痛みもずっと少なくなっている。これは一体どうしたわけか。
後ろの席には鍛冶屋のOさんが陣取っていた。「ほら、さっきよりずっと良く動くだろうが!俺のおかげだ!嬉しいべ」と私の頭をベシベシと叩く。

 何だか奇妙な気分だが三角締めが効いたらしいことは事実のようだ。ひとまず鍛冶屋のOさんには感謝。

 
 

 


四十肩は辛いよ [身辺雑記]

 ここしばらくブログの更新が滞っているのは、私自身が本来的っている怠け癖のせいばかりではない。

 目下、四十肩の真っ最中である。私の実年齢からすれば五十肩といったほうが近いだろうか。
これまで数度、同じ目にあったが今回はとびきり痛い。左の肩が満足に上がらなくなってしばらくしてから右側まで同じになってきた。正直なところ、キーボードもまともに打てないほどだ。5分か10分キーボードを叩いていると首や肩の筋がバンバンに張ってくる。

 7月初頭から通院しているが、現在のところ全くの無駄足である。毎度山のように大量の湿布を処方されるが効き目はさっぱりない。
 
 私はどうも元々、筋とか腱がおかしくなることの多い体質らしく子供の頃からこの手のことで何度も病院にかかるうちにステロイドの注射が格別珍しくなくなった。
 今回なども恐らく、そうするくらいしか対処法はないのではなかろうかと思うが、私の担当医は一体何が勿体ないのか毎度大量の湿布が与えられるのみである。
 四十肩の緩解はひどく気の長い時間を要する。一節によれば一年くらいかかるとの話を誰かから聞いた。
私自身の四十肩は、これで2回目だったか3回目だが、これまでは医者にかからずに放置しているうちに何となく収まっていた。どれくらいの期間で痛みが取れたのかはさっぱり思い出せない。
 痛いのが当然のようになってしまい、そういう感覚で日常を過ごしているうちに何となく治っているものらしい。

 四十肩というのも何だかふざけたネーミングだが、実際なってみると結構辛いのです、これが。
やたらと肩が凝る、首の周りが重い。肩胛骨を動かすとゴリゴリと嫌な音がする。服を着たり脱いだりするときには飛び上がりそうになるし、就寝後は寝返りを打つ度に痛くて目が覚める。結局、寝不足気味の夜を過ごして昼間が眠い。

 痛さとつきあうのも生活のありようなのだろうが肉体労働が生活の実相である私のような者にとっては身体の挙動に障害が出るというのは死活問題だからして、かつての宮仕えの頃ならいざ知らず、自営業者となった今日では気長に緩解を待つという悠長なことは言っていられない。
 この3連休はそのようなわけで明けても暮れても痛さの付きまとう、体を動かすのが何とも億劫な三日間であって実にむなしい時間でした。明日以降は、早速病院にかかってこなければ。

 この三日間で何故か良く聴いたレコード

ストリクトリー・パウエル(紙ジャケット仕様)

ストリクトリー・パウエル(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: バド・パウエル・トリオ
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2004/11/24
  • メディア: CD


 体にしても心にしても、「ぶっ壊れた」時には何故かこの頃のバド・パウエルが頭の中で鳴るのは何故でしょうかね?


BOOK OFFで漫画を買う [身辺雑記]

 私は特段、読書家と言えるほどの知性はないし、興味の湧いた本を次から次へと買ってこれるほど懐具合が暖かいわけでもない。
 漫画については愛好家というほどでもないが以前から手塚治虫の漫画は何となくではあるが買うことがある。
人間観とか世界観について幾らか影響されたところはあるかも知れない。
昨日、お仕事が早めに切り上がったのでBOOK OFFをぶらぶらしていたら「アドルフに告ぐ」の文庫本が1巻と4巻を105円で売っていた。

アドルフに告ぐ (1)

アドルフに告ぐ (1)

  • 作者: 手塚 治虫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: コミック

 内容はさておき、レジカウンターで精算するとき、店員は中古本に挟まれていたしおりを抜き取って袋に入れ始めた。たかだかしおりくらいのことでガタガタ言いたくはないが何ともせこいというかケチ臭いというかついつい苦笑してしまう。
 抜き取ったしおりを一体どうするのだろうか、抜き取ったしおりは別の本に挟んでおくようにとでもいう業務マニュアルでもあるのだろうかと私の方もケチ臭い想像がつい働いてしまう。


パソコン退院 [身辺雑記]

 特にどうという事もない話ですがそういう事です。誰に向かって書いているのかはともかく我がeMacは外装とドライブ以外はまっさらになって退院してきました。(画面がまぶしい)
 2004年6月の購入であり、保証期間をあと一ヶ月残しての大破だったので、今回はApplecareに加入しておいてよかったとつくづく思う。

 デスクトップ画像や内蔵HDDにはろくでもないデータがたくさん入っていたがそれらも故障以前のままで戻ってきており、あれらを見られたのかと思うと何とも恥ずかしい気分で決まりが悪い。


GEOはどうしようもないなあというぼやき [身辺雑記]

 連休が続いている。ひとまず今日が最終日といったところだろうか。
私は自分の仕事の都合上、何日も家を空けることが出来ないので休みの日は概ね家でゴロゴロすることが多い。いきおいやることもインドアですることに限られがちだ。

 安物DVDプレイヤーを買ってきたのでレンタルソフトでも借りてこようかと近所のGEOに行った。
http://www.geogp.com/
 ここは以前、実に手狭な店舗が近所にあった。ついでに言えば置かれているソフトは実に内容がなく、私のような者にとっては何を借りたらいいのか大いに困惑するような品揃えだった。まるで腐り果てた残飯の山の中から食べられそうなものを探してあちこちをほじくり返すホームレスのような難儀さを毎度味わっている。

 思い出してみると、レンタルビデオ店があちこちに出店され始めた約20年前などは借りたいモノがありすぎて困るほどだったのだがいつの間にか状況は逆転している。
 モノがいっぱいある状況に慣れすぎて私が贅沢になっているのと、年齢のせいで嗜好がだんだん偏狭になっているというのが私の思い当たる内的な理由だがそればっかりでもあるまい。

 近日、近所のGEOがもっと広い店舗に移転したこともあり、暇つぶしかたがた立ち寄ってみたのだが実にまあ卒倒ものの変化を目の当たりにして大変驚いている。
 単純に考えて、店舗の面積が広がったのだからレンタルソフトはもっと増えてチョイスの幅が広がったものだとばかり私は予想していたが状況はそんな私の期待を遙かに超えていた。余りに物凄いのであれこれ列記してみたくなった次第。

1:VHS大躍進
棚の半分以上がVHSテープに占められている。私の住む土地は全国有数の貧困地域なのだがそれにしたってDVDプレイヤーくらいはそこそこの普及率を示していると思うんだけどなあ。レンタルの需要があるからVHSを残してあるのだろうかと多少好意的に考えてみたがどのケースもしっかり中身が入っていて借りだしの形跡がほとんどない。そりゃそうだ。私の家でもそうだが、ビデオデッキなど埃を被って納戸に放り込まれているぜ。DVDレコーダーまでが普及著しい昨今、場所ふさぎなビデオテープだって大概の家庭ではディジタルデータに変換されているか、さもなければ録画された映像は顧みられることもなくテープはまとめて納戸に叩き込まれているかのどちらかではないだろうか。一体何が悲しくて今更あんな不便なものを活用しなくてはならないか。テープの本数は移転前の狭い店舗の頃よりも明らかに陳列点数が増えていて、まるで今まで倉庫かどこかに押し込んでいたものをやおら引っ張り出してきて並べたかのような勘ぐりが働く。しかもそれらVHSテープは愚にもつかないようなB級映画のオンパレードだ。借り手がつかないはずである。

2:ソフトがない!
幾つか例を挙げてみたい。

ベン・ハー 特別版

ベン・ハー 特別版

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2001/08/10
  • メディア: DVD

一家に一枚とまでは言わないがクラシックスとして疑問の余地はないと私は考えている。
レンタル状況はともあれ、店内にこういう作品を常時陳列しておくというのは映画という文化を保護する意味で一種、責務と考えても良いのではなかろうかと思うのだが、ビデオテープが一本あるだけでDVDソフトは見あたらなかった。

お次。

プリティ・ウーマン 特別版

プリティ・ウーマン 特別版

  • 出版社/メーカー: ブエナビスタ・ホームエンターテイメント
  • 発売日: 2002/08/21
  • メディア: DVD


 本作はDVDだけではなしにVHSテープさえ置かれていない。私は見ていないので評価出来る立場にもないのだが、言い換えれば私程度のものでもタイトルくらいは知っているということでもある。記憶にとどまっている限り、これの置かれていなかったレンタルショップを私はここ10年くらい覚えていない。
 こういう物さえ置かれていないのだ。

その他、例を挙げればきりがないので2点にとどめる。

3:なっていない商品管理
数本借り出したソフトの中にはこういうものがあった。

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション

ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション

  • 出版社/メーカー: 日活
  • 発売日: 2006/11/10
  • メディア: DVD


 劇場公開版は155分だったがカット数を増やして170分強のバージョンがリリースされていたのでちょっと興味をそそったのである。
 精算のカウンターで対応してくれたおにーちゃんはケースをバーコードリーダーで読み取ってから以下のようなことを宣った。
 「これには新作のステッカーが貼ってありませんけど新作扱いになるのでレンタル料も新作料金になりますけどどうされます?」

 ちなみに一週間レンタルの場合、旧作は100円、新作は400円というのがゲオの料金体系だ。
なにも300円程度の差額でガタガタ喚き散らすつもりはないが、新作と旧作を仕分けする商品管理さえロクに出来ていないということは実によくわかった。
 とってつけたように慇懃な言葉遣いを仕込むだけがスタッフトレーニングではないと思うよ私は。こんなざまでは私の住む町のゲオは100億年かかってもTUTAYAの背中を捉えることは出来ないだろうと書いておく。

しかしまあ、今日日これだけ安価にソフトが入手できるご時世になってくると、そもそもレンタルショップの存在意義自体が薄らいでくるのは仕方がないかな、という気も確かにする。三日前のお買い物にはこういうものもあったし。

欲望という名の電車

欲望という名の電車

  • 出版社/メーカー: ファーストトレーディング
  • 発売日: 2006/12/14
  • メディア: DVD


500円でした。


春はまだ遠い [身辺雑記]

 毎年のことなので、殊更文章を書くまでもないのだが画像をブログに掲載するのは初めてのはずだ。
私が生息する土地は2007年4月17日現在こういう風景である。

日本という国は狭いようで結構広いのかもしれない。春はまだ遠い。花見の宴会が待ち遠しいです。


SL 冬の湿原号追っかけ(4) [身辺雑記]

JR標茶駅である。

 実は標茶町は先輩が少年期を過ごした土地です。なごみというかノスタルジックというか、先輩は少々感傷に浸っているのかもしれないと気遣いつつ標茶町の駅周辺を一回り案内して貰いました。何と言っても故郷というのは無条件にいいものです。

片道分を走り終えたC-11の勇姿。お疲れ様でしたという言葉がついつい口をついて出そうになります。

 C-11一服の図、とでもなるのでしょうかね。追っかけの緊張感が抜けていつものように殴り撮りのスナップショット。

 線路沿いにはカメラを構えた鉄ちゃんが出迎えの行列をなしている。駅構内に入ってきて停止したC-11めがけて殺到する鉄ちゃん達を見ているとまるでアイドルのコンサートみたいですな。
 恐らく毎年恒例なのでしょうが、このとき、「危険なので構内に入らないでください
!写真撮影する方!危険ですから構内から出てください!」という職員の怒声がアナウンスされます。

 帰りは先輩と別行動となり、私はC-11の乗客として釧路に向かうことにしました。せっかく遠路はるばるやってきたのだから乗らない手はない。

 客車の中には各車両にだるまストーブが据え付けられていて近くはカンカンに熱い。ストーブ近くの熱気はいかにも石炭というもので子供の頃を思い出す。

 ストーブの上でスルメやら氷下魚やらを焼いて一杯やるおじさん達多数。社内がかなり匂うので、つられてこっちも一杯やりたくなる(下戸だけど)。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。