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自販機での受難 [嗜好品(喫煙関係)]

 1.2年に一度は遭遇する出来事のことを書く。
私の住んでいる町では「横町の角のたばこ屋さん」も今や消滅して久しい。お店の店員さんと顔をつきあわせて煙草を買う場面はコンビニくらいしかないのではなかろうか。

 代わりに街の至る所に煙草の自販機が点在する。深夜の11時以降は販売が中止されるのは夜鷹の私にとっては余り愉快ではないがまあそれはいい。

 何度も書くとおり、私は一日にホープを大体40本灰にする。ヘビースモーカーのお仲間に入れてもらえそうな人種なのだが、世間一般に、ニコチン、タール、ともに大盛りのこの銘柄は大して人気がない。煙草を切らすというのは私にとっては生命維持に関わる死活問題であっていつも手元に二箱くらいは持っていないと精神の安寧が得られない。強迫観念とも言える必然性を常々抱いている。

 先に書いたようにホープという銘柄は余り人気がなく、周辺の人々でこれを嗜む人は決して多くない。加えて他人の持ち物を貰うというのもきまりが悪い。そもそも、煙草は嗜好品なのだから自分で買うのが筋というものだ。

 生活習慣上、精神の集中を要する場面に於いて私の喫煙量は俄然増える。一箱くらいはたちまち灰となる。煙草を切らしたときの私は我ながら呆れるほど機嫌が悪くなり、落ち着きを失うのでいつ、どこにいても私は最低でもホープ二箱を必ず携行する。
 家の中で過ごしているうちは良いが、外出時に煙草が切れそうになると不安が増し、その辺を見回して煙草の自販機に向かうことになる。
 現在、ホープは一箱150円也だが、自販機でこれが一箱単位で販売されていることはない。私の知る限り、これは必ず二箱で販売される。そこで時折、出くわすのはお金を入れ、スイッチを押すと、何とホープが一個だけ落っこちてきて無情にも売り切れランプが点灯するの図である。
 これはつまり、販売機の中に商品を納める人の手落ちであって、奇数個のホープを詰め込んでいったせいなのだが一箱分をぱくられた気分というのは実に苦々しい。
 世の中に癪の種は多いが私にとってはこめかみのあたりがドクドクと脈打つ瞬間である。何度か遭遇するうちに、落下音を聞いた瞬間「やばい、やられた!」と勘づくようになった。

 瞬間、私は毎度、そのふざけた無機物を叩き壊してやりたくなる衝動に駆られるがそんな蛮行に及ぶ勇気があるわけでもなく、機会に文句を言っても詮無い話でもあり、結局舌打ちをして「このバカタレが」とか何とか内心毒づいてその場を立ち去るのが常なのだが。
 まあ損失と言っても150円だし、20本入った銘柄であればこういう問題は最初からないわけで、早い話、銘柄を変えれば、という解決策はちゃんとあるのだが、煙草は嗜好品であり、今のところ私にはそういう考えは全くない。
 ということはつまりこれから先も、私は1,2年に一度はホープ一箱分のお金をぱくられる癪の種とともにホープを煙にしていくわけだが、突然、変なことを思いついた。

 時折聞く自販機荒らしの事件、あれは私のようにホープ一個分をぱくられた愛煙家の復讐であるケースも中にはあるのではあるまいか。そうだとすればことに及んだその気持ちは何となく分かるような気がするのである。


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ショートホープと永ちゃんにまつわる思い出など [嗜好品(喫煙関係)]

 以前も書いたことがあるかもしれないが私は絵に描いたようなヘビースモーカーである。現在、私は一日40本くらいの煙草を灰にする。学生の頃は一日20本くらいだったと記憶しているので20数年かけて喫煙量が倍増したことになる。歳をとるにつれて生きることへのストレスはだんだん増大しており、減少したことはない。
 ストレスと喫煙量にはある比例関係があると私は確信しているのだが、物事を余り深く考えるたちではないので、ムーアの法則喫煙版の厳格な検証はいつかまた暇なときにでもしてみたい。
 
 喫煙の習慣は15歳くらいで身につけたので、以来かれこれ30年近く、かなり年季が入ってきた。16歳の頃から、銘柄はほぼ一貫してホープである。時たま興味本位で他の銘柄を試してみるが長続きした試しがない。50歳がそう先ではない現在の年齢でこういう銘柄を続けているというのは、同年代の方々から見て一種、救いがたいニコチン中毒患者、乃至は殆どヤケッパチと言って良い蛮勇の発露に見えるらしい。

 ホープという銘柄に注目したのは中学校3年生の時だった。不良の鏡とも言うべき同級生から私はこの銘柄を教えてもらった。
 彼はその少し前にキャロルのコンサートに出かけた。30数年前のことだ。当時キャロルは時代の寵児だった。熱狂的なファンであるところの彼は開場前に帯広市民会館に忍び込み、楽屋をのぞきに行ったのだそうだ。
 うろ覚えだが、その時の彼の話を思い出すに、矢沢の永ちゃんはパンツ一丁で(真冬の帯広で、ましてやおんぼろの市民会館である)、まるで笑点の大喜利みたいに座布団を何枚も重ねた上に胡座をかいて煙草を吸っていたらしい。またそれが彼にはえらくかっこよく見えたらしいのだ。

 だからどうなんだといわれるとどうにも答えようがないのだが、とにかくそういう話を彼から聞いて以来、何となくホープを吸い続けている。しかしだからといって私が永ちゃんの音楽の愛好者かと言えばそうではない。永ちゃんが今でもホープを吸っているのかどうかにも関心はない。

 ここで煙草の話とは何の関係もなく、永ちゃん率いるキャロルの引き起こした当夜の出来事について書いておきたい。私はそのコンサートに行っていないが、帯広市民にとっては語り草であるご当地では有名な事件である。
 そのコンサートは盛況を極めた。大いに盛り上がった。客は沸きに沸いた。メンバーもノリにノった。そして終盤、メンバーの一人、たしかジョニー大倉ではないもう一人のギタリストが演奏中に忽然とステージから消えたのである。

 「消えた」というのは舞台演出でも何でもなく、とどのつまり帯広市民会館のステージはおんぼろで普請が悪かったのだ。その上ではね回ったせいでステージの床が抜けて、彼は哀れにもピットに転落したというのが真相なのだが。
 そうでなくとも不良のアイドルみたいなバンドのキャロルである。市の施設を破壊するに及んだ蛮行に対して、その後の市当局の対応は苛烈であった。
 結局バンド解散後、永ちゃん以外のメンバーは殆ど鳴かず飛ばずみたいになってしまったがとにかく、元キャロルのメンバーに対しては帯広市は施設の使用を厳禁した。その後長く、永ちゃんのコンサートツアーのスケジュールに帯広市が加わることはなくなってしまったのである。この厳しいペナルティは何と15年以上にも及んだ。
 かくして帯広市民が、次に永ちゃんを現地のステージで見られるようになったとき、彼は既にリーゼントヘアーも決められないくらい頭髪の薄くなりかかった親父になっていたのである。

 


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HALF and HALF(1) [嗜好品(喫煙関係)]

 ピザハットの話題ではなく、私の嗜好品である。

 欧米に比べればまだまだ規制は甘いとは言え、愛煙家にとっては受難の時代である。私の住んでいる町に2件ばかりあった所謂スモークショップはここ3年ばかりの間に店をたたんでしまい、大変寂しい気分を噛みしめたものだ。

 日頃吸っている銘柄は特に不便もなく手に入るが、時たまパイプでもいじってみようかと思うと最早私の住んでいる田舎町では店頭に売っていない。注文して取り寄せてもらうことになるのだそうだ。何とも不便きわまりない話で、加えて生来のものぐさが祟って予め注文して手元に常備しておく習慣がまだ出来ていない。だからだんだん面倒臭くなってパイプに手が伸びる頻度が低下する結果となる。人生の楽しみのうちの一つをみすみす放棄していることになる。

 そもそもが嗜好品なのだから、それが欲しければ幾ら世間の仕組みが変化して手に入りにくくなろうが横着をせずに調達する努力をすれば良いではないかというご叱責がどこかから飛んでくるのだろうが、こと煙草に関する限り、私は自分にとって都合の悪いことは全部他人や世間のせいにするという鋼鉄の如き信念を堅持している。

 たまにパイプをいじるときの定番がHALF and HALFだった。シナモンフレーバーは結構私好みだ。パイプ煙草に関して、私はどうも英国系は苦手で米国産の軽めのやつか大陸系に食指が動く傾向がある。
 
 それまで贔屓にしていたスモークショップではいつも店頭にあった。比較的ポピュラーな銘柄なのだろう。そういうものさえ今では注文しないと手に入らないようで全くイヤな時代になった。

 この銘柄を私は今から30年近く前、未成年の小僧の頃に偶然知った。但し、パイプ煙草ではなく、紙に巻いたシガレットとしてである。封を切るとシナモンの強い匂いがして煙草というよりもお香のように思えた。葉の色が濃く、火をつけてみると何ともエキゾチックな気分に浸れた。俗ではあるけれど「大人の香り」とでも言おうか。
 どうも私は何事につけ、シナモンの香りに弱い性質があるらしい。日常接するあれやこれやもシナモンの匂いがすれば条件反射的に飛びつく性癖があり、マタタビに吸い寄せられる猫の心情は実によく分かる。尤も、そんな様子を目撃したことは今まで一度もないが。

 いっそそれまで吸っていた煙草の銘柄を買えようかと思うくらい私は気に入ったのだが、残念ながら当時、輸入煙草は高価だった。ホープ10本入りが二箱で120円だった頃、これら所謂洋モクは何と260円もしたのである。
 加えてこれら洋モクは、街中のデパートにテナントとして入っている、例えば専売公社直営店みたいなところでしか売っていなかったのでわざわざ買いに行くのも面倒臭く、万年金欠だったこともあり(ここは今でも一緒)そのうち何となく普段の銘柄に戻った。

 それからうんと時間が経って、国内製の煙草と輸入品の値段が変わらないくらいにまで接近してきたある時、私はパイプをいじり始めるようになっており、このHALF and HALF という銘柄が実は元々はパイプ用のものだったらしいことを知った。
 パイプ用に刻まれたHALF and HALFは、なるほどこちらが本家だと言うだけあってシナモンフレーバーはなお一層鮮烈だった。大して利きもしない鼻をクンクンと蠢かせては部屋の残り香を嗅ぎ、『うーん、これが本当の愛煙家というものだぜ』と、ひとりやに下がっていた(我ながらくだらない駄洒落だ)束の間の幸福だったが長くは続かなかったのであります。(以下続く)
 

 


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Drumのこと(1) [嗜好品(喫煙関係)]

 西部劇などでよく見かける光景に、手巻きの煙草をこしらえる様子がある。紙の上に煙草の葉っぱをひとつまみ置いて広げ、紙の縁にある糊の付いたところを舌の先てツツーッと舐める。それから紙をロール状にクルクルと巻いて一丁上がり。
 
 次にマッチを取り出す。当然ながら黄燐マッチだ。ブーツを履いた片脚を持ち上げて靴底を黄燐マッチで弾くようにして火をつける。それで、たばこに火をつけて一息吸うときには少々しかめつらしい面持ちで目を細め、頬をもごもごさせて一服。
 
 未だにこの仕草、この一連の動作には独りよがりながらかっこよさを感じている。僕にとっての西部劇はガンファイトやロデオや投げ縄よりも、薄汚れた納屋かなんかの軒先に腰掛けた登場人物であるオヤジがこうして煙草をこしらえて一服する仕草である。
 ある時期まで、この手の煙草が市販されているのを知らずにいた。10何年か前に、あるお客さんがこれをやっているのを偶然見かけてそれがオランダ製のドラムという煙草であることを教えて貰い、一袋頂いた。

 パイプの煙草やロール用は大体一袋が50gで販売されているが、貰ったのはDrum mildという銘柄で、半分サイズの25gであった。ご丁寧にロール用の紙が1パック付いてきた。
 ウキウキしながら作ってみようとしたが、端の方から葉っぱがはみ出てきたり出来上がったものを吸っている途中で巻いた紙がばらけたりでなかなかうまくいかず、結構コツを要する。頂いた一袋はたちまち失敗作の山となり、やけになって失敗作を次から次とふかしまくった挙げ句、文字通り煙となって消えた。
 うまく巻けないのが頭に来てドラムを何袋も買ってきた。性懲りもなく失敗作を作り続けて喫煙量は明らかに増えた。うまくできないのでムキになってまた作る、できた先から吸いまくり次の失敗作に取りかかるの繰り返しで絵に描いたような悪循環だった。
 しかしまあ、しつこくトライし続けているうちに何となくそれなりの格好のモノが出来上がり、途中で紙がばらけることもなくなってきた。やればできるじゃねえかとひとり悦に入り、満足の一服をしばらく楽しんだ。
 Drum mildは軽いチョコレート・フレイバーの、なかなか旨い煙草であった。それまで長年吸い続けたホープが少々無粋に思えもした。次に思ったのはこの成果を他人に見せびらかして得意がりたいという何とも次元の低い助平根性であった。

 益体もない願望はそれなりの成果を上げた。酒を飲みに行ってバーのカウンターでこれをやるとネーチャンと少なくとも一つは話の種ができた。仕事の場でこれをやると眉毛を剃ったあんちゃんが刹那的な関心を示したこともある。それらの反応は詰まるところ、「何をしょうもないことをやって得意がっているんだか・・・」という呆れた表情で大きく括られはしていたが、しょうもないはないなりに個性の表れとして受け止められてはいたように覚えている。
 
 僕は一人勝手にいい気になっていたのだが、ある日ある時Drum mildは煙草売り場からぷっつりと姿を消した。デパートの店員である女の子を相手にその時演じた狼狽ぶりは今思い出すと赤面ものだ。いや恥ずかしい。
 それで代用品というか、50g入りのDrumをその時は買って帰った。すっかり上達した手つきで一本巻いて吸ってみると、それまで慣れ親しんだDrum mildとは似ても似つかない不味さに幻滅した。ホープとホープライトの違いが1とすると千か万くらいもかけ離れている全くの別物である。赤貧洗うがごとき貧乏人でなかったら迷わずゴミ箱に叩き込んでやりたくなるくらい僕とは相性が悪かった。
 だが折角買ったものなのだし、そこそこ上達した煙草の巻き方が鈍るのも勿体ない気がしたので義務感に駆られて巻いては吸った。そんな気分で吸うものが旨かったり楽しかったりするわけは勿論なく、やはり煙草というのは嗜好品なのだと当たり前の定義をつくづく噛みしめて煙草を巻くことは止めてしまい、元のホープに戻った。

 その後パソコンを手に入れてネットの世界を徘徊するようになり、何の気なしに煙草のネット販売を眺めていると、何と、Drum mildは名前を変えて復活しているではないか。いや何とも嬉しい、そして懐かしい。僕は早速、調達してみるのだ。


タバコ値上げの影響に関して [嗜好品(喫煙関係)]

 私はヘビースモーカーと言って良いのではないかと思う。一日大体ホープを30本から40本は吸っている。
 ホープ一箱が140円だった頃、約7割を税金が占めているという話を何かで読んだ憶えがある。98円である。毎日私は400円弱を納税していたわけだ。
 去る7月1日からホープは一箱150円に値上げされた。私の一日あたり納税額はほぼ間違いなく400円を超えただろうと思う。
 単純計算すると、タバコの購入費用は月当たり1200円増えたことになる。貧乏生活を送りながらも、だからといって禁煙に踏み切る心境にはなれない負担増である。このあたりの読みの絶妙さは何とも言えないものがある。
 私は15歳からタバコを吸い始めた。当時ホープは一箱50円だった。あれから約30年強、値段は3倍になったわけだが何せ30年だ。いきなり3倍に値上げされるのならともかく、ずるずる30年もつきあい続けていると「高い」という感覚のアンテナにも引っかかってこない。
 禁煙を薦める知人に年間のタバコ銭を累計したら幾らになるか、如何に無駄遣いであるかを諭されたことがあるが、そもそも私はタバコを買うことを無駄遣いだとはさらさら思っていないのでその時は馬耳東風と聞き流した。
 ある病気で入院中に、看護師から禁煙を薦められたときには「人間誰もが長生きしたいと思っているわけじゃねーよ」とか「長生きが必ずしもいいことだとは限らない」とか「ガンで死ねれば本望さ」とか減らず口を叩いて怒られた。酒かタバコかどちらか一方を止めなさいと医者に言われたときには迷わず酒を止める方を選んだ。
 要するに、タバコを止める気は今のところない。全くない。
この先タバコがどんどん値上げされて生活に影響が出るような状況になればさすがに思案するのだろうが、当分そんな状況はないだろうとたかをくくっている。だって商売として考えてみると喫煙者というのは上客ではないか。これだけ好き放題に値上げしても格段文句が出てこない財源はそう簡単には思いつかない。税収不足に悩むこの日本国が売り上げを放棄するような場面はこの先しばらくなさそうに考えている。

         ~~~-y(^。^).o0○ プハァー


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