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ねこタクシー [居候の生態]

 民放のテレビ番組などロクなものがないと私は決めつけているので普段見る事はない。 だからといって公共放送の内容が素晴らしいとも全然思わないが。

 今晩たまたま、居間で居眠りをして目が覚めるとつけっぱなしのテレビにはピーター・バラカンが何事か英語で語る番組が放送されていた。英語のヒアリング能力はからっきしなので見ていてもチンプンカンプンでさっぱり面白くない。それで適当にチャンネルを変えるとたまたま『ねこタクシー』なるドラマが放送されていた。

 ドラマそのものをたいして面白いとは思わなかったが登場するデブ猫を眺めているうちにここしばらく我が家のサンデッキには現れなくなった半野良猫の事を思い出した。

 

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 人相(猫相?)は良くなく、見た目も薄汚いがメタボ風の体型ともっさりした挙動は何だか似ていて、ついついあの野良公は今頃どの辺をうろついているのだろうかと考えた。

 

 

 携帯電話の上に座り、小便を垂れて壊すくだりだけは笑えた。

 私は3月に引っ越す事になるのでもうデブ猫と顔を突き合わせる事もないはずだ。デブ猫の寄生先である叔母の話によれば相変わらず飼い猫の餌を横取りしては軒先で居眠りを決め込み、夜になればその辺をほっつき歩いているらしい。私もデブ猫もそれぞれてきとうに食いつないで勝手に生き、いつかどこかで野垂れ死にするのだろう。それでいいのだ。

 ドラマについて特に思うところはないのだが、脇役で登場する高橋長英は私の好きな俳優だ。あと、前後で歌われるテーマソングの曲調が結構気に入ったのでどこかからダウンロード出来ないものかと探し始めている。


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デブ猫の近況 [居候の生態]

 最近、鳴りを潜めていた居候だがまたぞろ拙宅の周辺を徘徊するようになってきた。常時居着いているわけではないので居候という呼び方は適当ではなさそうだ。

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 円満に肥え太ったプロポーションのデブ猫だが、以前書いた通り餌の収集能力に優れた逞しい生活力の持ち主というわけではなく、ただ単に人家に居着いて飼い猫の餌を横取りし続けた結果として肥えたにすぎない。とにかく食っては寝続ける。

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 何度見ても愛嬌のない面構えだ。こういうところは野良の資質がよく現れている。図々しく人の家の周辺をねぐらにしている割には一向に人慣れする様子はうかがえない。私の気配を察するとのそのそと逃げて行く。

 この野良が私に与えた変化が少なくとも一つはある事に気がついた。カメラが単なる空シャッターのためのおもちゃではなく写真を撮るという本来的な目的のために使われるようになった事だ。どうせ写真の練習をするのならもっとキュートな猫にしたい気もするがあいにく叔父貴の家の飼い猫は居心地の良い家屋内からはなかなか外に出ず、拙宅の軒先に出没するのはこの無愛想なデブだけだ。撮影者相応の被写体とも言える。


タグ:野良猫 居候
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久しぶりの登場 [居候の生態]

 本日は晴天なり。雪がやんだ後は大抵天気は晴れで、冷たい風が吹くのがご当地のお約束だ。

しばらく鳴りを潜めていたと思ったらサンデッキの方から耳障りな音が聞こえてきた。

IMGP1254.jpgいつも通り覇気がない。

見るからにデブだ。だからといって愛嬌がある訳でもない。

IMGP1256.jpgすぐに寝る。怠慢そのもの。

見れば見る程マンガ的な体型だ。 寝ている最中のところでそろそろとサンデッキの扉を開けて居候めがけて紙つぶてを投げつけてみる。

IMGP1258.jpgやおら身構える居候の図。

面構えは性悪そうだが メタボなせいで毅然とした雰囲気は全然ない。そういう体型の方には大変申し訳ないのだがやっぱりメタボというのはどこか緊張感に欠ける雰囲気を漂わせる存在に私には見えてしまうのだが・・居候からの姿からはまるで自分の既得権益を侵された者の立腹のような風情が漂う。大変けしからん事にこの野良はサンデッキの周辺に小便をたれて自分の縄張りである事を主張しているようだ。私はそれを最近知った。

風貌のせいかことさら態度がでかく見える。一度追い払うと当分現れる事はないようだ。


タグ:野良猫 居候
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インディアン・サマー [居候の生態]

 Indian summerは日本語で言うところの小春日和だったと覚えている。私の生息地は現在そういう季節で晴天が続く一方、日に日に寒さが増していく。にわか畑いじりもおしまいか・・・とサンデッキから庭というか畑を眺めながら一服していると居候を発見した。

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 定宿である叔父貴宅の家人が曰く、この居候は正式な飼い猫ではないのだが相当に厚かましい存在らしい。2匹いる飼い猫の餌を横取りする、軒先にしつらえられた飼い猫のねぐらから宿主を追い出して不法占拠する等。飼い猫2匹分の餌を独り占めして食べているのだからデブにもなるはずだと妙に納得する。

 肥満体の方には申し訳ないが、メタボな外見というのはどこかユーモラスなものに感じられるはずなのに、さすがに野良だけあって幾らデブになっても人相(猫相?)は良くない。更に、これだけ肥えているのならばさぞかし皮下脂肪も蓄え込んでいるだろうから寒さにも強いのかと思うのだがそうでもなさそうで丸まっている。

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丸い。居候がサンデッキに出没するようになってから幾らか注意して他の猫と見比べるようになったがどう見てもデブ猫だ。 見るからに鈍重で覇気のないこのデブ猫が実は案外好戦的で近所の飼い猫たちにしばしば突っかけることがあって苦情の種になっているらしい。「猫っかぶり」とはそういうことなのかと今更ながら一つ利口になった気がする。

 


タグ:野良猫 デブ
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居候の居所が判明するの巻 [居候の生態]

使い回しの画像を再度掲載する。

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 私の写真の腕前が論外なのはともかく、ここしばらくこの被写体を眺め続けているうちにこれはこれでまた、何かしら味のある風貌ではないかと思い始めるようになってきた。この居候は、怠慢とかグータラとか脱力系とか云った言葉のニュアンスを如実に体現する存在であるかのような思いが強まりつつある。何度見てもこの個体は猫という生き物が一般に与える狡智に長けたイメージと結びつかず、加えて挙動は緩慢にして覇気がなく気品らしきものもない。達観的であるようにも超然としているようにも見えず、ただ単にひたすらかったるそうにしている。物の本によれは野良猫の寿命はだいたい平均3年程度なのだそうで、私などは野良にとって決して包摂性に富んでいるとは云えないこの界隈に生息しながらよくまあこんな調子でこれまで生き延びてデクデクと肥え続けてきたものだと妙に感心していたのだった。
 
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 背景の壁は私の住居の南隣にある叔父の家である。最近になって居候が実は叔父の家に居着いた野良猫のうちの一匹である事が判明した。よって現在、この個体の身分は純然たる野良ではなく飼い猫見習い程度のものあるであるらしく、我が家のサンデッキはこの個体の行動圏内にある一種の立寄場所という事のようだ。
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 余談だが叔父貴ご夫婦には子供がいない。だからなのだろうが、いつの間にか家に居着くようになった野良猫も半ば家族としての扱いを受けるようだ。さぞかし餌をたらふく食べ続けたのだろうと想像するとメタボリックな体型にも合点がいった。叔父貴夫婦からは固有の名前まで与えられているが私にとっては所詮単なる居候であって宿主である方の慣習に合わせるつもりはない。だいたいこの個体はこれほどデブになるくらい人間様の世話になってはいるものの今のところ私に懐こうとする様子は見られない。私の気配を察すると跳ね起きてこちらを凝視するが居候にとっては生活時間のうちそれが最も緊張する時間のように見える。
 
 居間にいる私がサンデッキで何かの動く気配に感づいて眺めてみるとき目にする居候の様子はほとんどこのような状態であってとにかく猛烈に眠る。
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私がこの居候の名付け親にでもなるのだとしたら鈍重そうな太鼓腹に引っ掛けて「メタ坊」とでもするのだろうか。
 寝付きの良い事この上なしというかよくまあこれだけ寝続けていられるものだと改めて変に感心するが案外居候は肥満体質で体調を崩して余命幾ばくもない健康状態なのかもしれない。
 
 
 
 
 

 


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居候のプロポーションについて [居候の生態]

 不定期に現れる居候の姿をガラス戸越しに眺め続けているうちに私はあることに気付いた。使い回しの画像である。

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こ奴は野良猫にしては随分肥えているように私には見える。今まで意識したことがなかったがどうも今まで私が抱いていた野良猫の標準的なプロポーションからは外れている。はっきり言ってメタボ、デブだ。この、野放図にでかい腹を見よ。この居候は一体どこでこんなに肥え太るほど潤沢な餌にありついているのか。

猫を擬人化してあれこれ言うほどの想像力は私にはない。お断りするまでもなく写真の腕もからっきしである。しかし自分の取ったこの絵面をしげしげと眺めていると昼下がりにテレビの前に寝っ転がってセンベイでもかじりながらワイドショーに見入るどっかの肥えた母さんの生態を連想するのである。そういう想像をしていると本日は居候がサンデッキに上がり込んできた。

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主に尻を向けて餌を漁る。考えてみると居候は食い物に対して結構贅沢な嗜好があるようだ。私が気まぐれで置いておく鰯の煮干しなどには目もくれない。本日の餌はしばらく前と同じく昨日私が食べ残したフライドチキンだ。そのような嗜好だからしてメタボ風になるのだろうがしかし、何とも鈍重な印象の後ろ姿ではある。

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この居候の風貌は、「敏」という言葉に縁がない。俊敏、敏捷、敏速、等々。こういう佇まいから風格とか貫禄といったものを感じ取るのは大変な誤解であって野良猫にそのような思い入れを持つのは単なる錯覚や独りよがりな思いこみでしかない。 日頃の生態を観察するに、どう見てもこの個体は単なる大飯食いの怠慢な生き物というのが妥当だ。

 

 


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猫の生態について発見したこと [居候の生態]

 数日間見かけることのなかった野良猫が今日はサンデッキに居座っていた。昨晩、食い物になりそうな物体を置いておいたせいなのかどうかは不明。

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せっせと食らう。息遣いが荒い。

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食い散らかしたあとは脱力したように寝る。ただもう無心に寝る。

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食っちゃ寝食っちゃ寝とはまさにこういう生態のことを指すのだと眺めていてつくづく思う。考えてみれば猫などという動物はおよそ人類にとって何ら実益をもたらさないにもかかわらず一丁前の寵愛だけは抜け目なく授かるのである。

 それにしても実によく眠る。ものを食べているとき以外は殆ど寝ている。猫という動物はどれもこんなに寝てばかりいるものなのだろうか。聞き覚えではライオンなどは一日のうち20時間位は寝ているのだそうで、ネコ科の生き物というのは総じて寝てばかりいるものなのかもしれない。まるで眠るために生きているように見える。眠るために生きているような生き物の生き甲斐とは何だろうかとしょうもないことを思案する。 

 


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居候の食物嗜好を推し量る試み [居候の生態]

 猫という動物は動物性のものしか食べないと聞いたことがある。以前、サンデッキに私が食べた魚の骨を置いてみたことがあったが居候は一別もくれず、骨はそのまま真っ黒に風化して砕け、風に吹かれてどこかに飛んでいった。

 材料を買えて別の動物にしてみるとどう反応するのかを見てみたくなったので実験。灰皿に私の食べ終わったフライドチキンの骨を乗せてサンデッキに置いてみた。居候は悠然と登場し、骨の乗った灰皿を一瞥していったんは近寄り、匂いをかいでから少し離れた場所で寝る。

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考えてみると私がサンデッキで居候を見かけるときには寝ていることが多い。物音には敏感で寝ているときに私がドアを開くとすぐに目を覚ましてどこかに退散する。

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 目を覚ましてやおら灰皿に近づいてきて骨を漁る。私は悪食にして貧乏性なので食べられる部分は残っていない。自分の食べるものを買ってきたのであって特段居候のために何かをしてあげたくなったわけではない。正真正銘骨ばかりだ。骨しか入っていないのにとにかく一番大きい物体をくわえて取り出す。無意味な行動だ。

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 食べられる部分が全くない骨をしきりにかじる居候の図。あっちこっちと場所を変えて骨をかじり、どこにも肉が付いていないことを徐々に察すると挙動が段々荒々しくなってきた。うなり声を上げながら毛を逆立ててガリガリと骨をかじる。気のせいか段々禍々しい目つきに変わってきたように見える。骨が滑るとまた唸る。散々苛立ったあげく、居候は食べられもしない骨をくわえてどこかに失せた。

 私はこの居候を飼い慣らしたいとは考えていないし、猫に甘えてもらって孤独感を紛らわしたいとも思わない。腹が減ったのであれば自分の餌は自分で探せばよいのであって、世の中にそうそう頻繁においしい餌が落ちているわけではないことをこの野良猫は学んでよい。ヘマをやらかしたり誰かの奸計に引っかかって悔しがったりしながら自分の流儀で勝手に生きていく術をどこかで学ぶのが生き物の掟である、とかなんとか窓越しに居候の生態を眺めながら私はどこかでこの居候と自分を重ね合わせている。


タグ:居候 野良猫
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居候の存在 [居候の生態]

 いつの頃からか我が家のサンデッキには居候が出没するようになった。野良猫だ。

私のやもめ暮らしももう大分長い。 気付いてみれば人生の折り返しはとうに過ぎた。孤独でありながらもどこかで自由な、ひっそりと優雅な貧乏生活に慣れてくると家族というのは元々私には縁がなかったのではないだろうかと思えるようになってきた。孤独死結構、死んだ後のことまでなど考えません、私は。

 ペットを飼う、というのは元々余り好きではなく、それを継続できる自信もない。元々私はものぐさで自分自身の世話でさえロクに焼けないような奴なのだ。人間を含めて、他の生き物の世話など考えただけでも疲れてくる。子供の頃に昆虫などの小動物を飼ってみたことはあるがどれも長続きした試しがない。最初のうちは物珍しさで日がな一日眺めたり弄ったりしているがそのうち世話を忘れて死なせてしまう。何度やっても同じことだった。慰み者にされたあげく飽きられて死んでしまった小動物にしてみれば私はずいぶんと傲慢な奴だったことになる。そのことには子供心に多少の罪悪感が生まれた。以来、私はペットは飼わない。

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 居候がいつ頃からサンデッキに居着くようになったのかを正しく思い出せないが、随分態度のでかい奴ではある。居候は私と接触することを好まない。いたずら半分に食い物を置いておいたことがあったが見向きもされなかった。 写真にはサンデッキに出る開き戸が写っている。戸を開けて私の気配を察すると居候はどこかに去るのでガラス戸越しの撮影となった次第だが、この野良猫には一応、自分が無断で居着いている居候である自覚らしきものはあるようだ。


タグ:野良猫 居候
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