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大掃除をして埃と煙のことを考えてみる [再生音楽の聴取環境など]

何度も使い回す画像だが

 拙宅のメインスピーカーは静電型である。振動板はいつも9000ボルトの静電気を帯びており、これはある種の電気集塵機と考えられなくもない。
 
 およそ6年前、現在の自宅に引っ越す際に、スピーカーを分解してネットを軽くはたきをかけると盛大に埃が出た。引っ越し前はそれこそ絵に描いたような不精者だったので、これを反省してネットの掃除を思い立った。構造をあれこれ考えるに掃除機をかけても問題はなさそうだったので実行してみた。
 掃除の後から組み立てて音だしをしてみると、気のせいか少々すっきりした鳴り方に変化したように思われた。繊維の中に詰まった埃はミクロ的に考えれば音響抵抗たり得るのだろうが、変化を感じたのは住環境を変えた私の心理的なバイアスに依るものだけなのかもしれないし、さして感度が良いとも思われないこの私の聴覚が埃の有無による再生音の変化を正しく判別できていたのかどうかについては確信が持てない。
 ともあれ、定期的に掃除を行うことで気分をリフレッシュさせるという習慣を、何と人生の折り返しあたりでやっと私は身につけたつもりになっている。(遅すぎる)

 以来、時折掃除は行うが、振動板を放電させるときのアークは結構激しく、何度やっても余りいい感じがしない。以前うっかり引き抜いたリード線に触ったことがあるが感電のショックが激しく、これに懲りてそれからは扱いが慎重になった。何でもそうだが痛い目に遭わないと学習できないのは私の業なのだろう。
 こういう経験から、静電型のスピーカーには放電用のスイッチがついているべきだと考えるようになったが、最早絶滅指定品種とも言えるこの発音形式だからして、そういうアイデアが製品に反映されることはない。

 掃除をしてネットがきれいになったことで音質が元に戻ったことを実感できるまでには毎日鳴らしても数日を要する。一度放電させてから振動板が元通りに帯電されるまでには数日を要する。本当のところはさして変化などしておらず、私の感覚が慣れるまでの日数なのかもしれないが。

 ある時から、振動板は埃ばかりではなく、ヘビースモーカーである私の吐き出す煙草の煙をも吸着しているのではないかという懸念がまとわりつくようになった。煙は粒子であるからしてそういうことは確実に起こっているはずなのだ。当然だが、タールは掃除機で除去できるようなものではない。
 このスピーカーは、購入してから今年でちょうど20年を迎える。埃はいいとしても、過去20年分のタールの体積が音質にどのような弊害をもたらしているかを考えると、少々気が重い。タールの付着によって振動板の質量が増し、高い音域の応答性が落ちていることを私の聴覚は感知できているのだろうかと自問すると不安な気分にもなった。

 静電パネルのオーバーホールを行う業者がアメリカにあることを思い出したが、ホームページは消滅していた。メーカー自体も売却が繰り返されて今は中国の某企業に買収されて訳のわからん状態になっている。本当の意味で愛機がリフレッシュされることは、恐らくもうないと思うと気分には幾分影が差した。
 しかし顧みれば私自身も人生の折り返しをとうに過ぎた。聴覚は衰えているのだから劣化の感知だってできないではないかと思うと、都合のいい答えを見つけ出した安堵感と引き替えに理詰めの懸念は消えた。問題点をやり過ごしてダラダラ過ごしたがるのもまた私の業であり、このようにして私は年末年始の休みの間中、煙草をバンバン吸いながら音楽三昧を決め込むのである。
 


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