Kansas City 6/Lester Young(カンサス・シティ6/レスター・ヤング) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
変な言い回しになるが、レスター・ヤングはジャズの歴史に於ける「最も偉大なるルーザー」のように思われる。更に言えばその音楽はいつもはぐれ者の音楽であり斜に構えた傍観者の音楽でもあったと思っている。私自身の心象に照らし合わせるならば、身辺や周辺が喧噪じみてきたり殺気立ってきたりすると、私はいつもそういった空気の中から弾き出されている自分の足元を見ていることに気づくので、そういう場面でしばしば意識のどこかにレスター・ヤングの音楽がこびりついていることにも気づくのである。
- アーティスト: レスター・ヤング, ジョー・ジョーンズ, バック・クレイトン, エディ・ダーハム, フレディ・グリーン, ウォルター・ペイジ
- 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
- 発売日: 1998/02/21
- メディア: CD
本作は1944年と1938年の二つのセッションから成っている。38年の方は当時のカウント・ベイシー・オーケストラからのピックアップメンバーによるボス抜きセッションで、仲間内での隠し芸大会みたいな楽しさが横溢している。子細に書くと長くなってしまうのでそれはいつかの機会にでも譲るとして、テナーサックスと持ち替えて吹くレスターのクラリネットが冗談抜きに素晴らしい。殆どテナーのフレーズそのままで楽器を替えただけの吹奏だがユニークというか何とも軽妙な味わいがあってウキウキしてくる。
晩期のクラリネット演奏はそもそも音が出なかったりする場面もあって無惨というしかなく音楽的には聴くに堪えない内容だったので、霊感が漲っていたこの頃にまとまった量のクラリネット演奏を記録しておいたというだけでもコモドアというレーベルの業績は讃えられて良い。
クラリネットといえば当時はベニー・グッドマンという大スターが一世を風靡していたわけだが、もしもその存在がなければ、この個性、このスタイルはもっと注目されていたのではないだろうか。だとすればジャズの歴史の中に於けるレスターの位置づけはもう少し違ったものになっていたのかもしれないと私は本作を聴く度につくづく思う。
44年のセッションはテナー一本で臨んでいるが、気合いの入り方という点ではこちらが上だろうか。トーン自体も太く固いものに変化していて全体に活気があるし、曲によってはテーマの吹奏をすっ飛ばしていきなりソロから始まったりする。また、全編を通じて言えることだが当時のレスターはテイクを重ねてもその都度新しいアイディアが湧き起こってくるらしく、別テイクであっても色々と曲のニュアンスが変化するのでテイクごとの変化を観察するという楽しみ方も用意されている。
言うまでもなくレスター・ヤングはスイングとモダンジャズの橋渡しとなった偉大なプレイヤーだ。彼なくしてはスタン・ゲッツもソニー・ロリンズも、それどころかチャーリー・パーカーさえも自身のスタイルをつかみ取ることはできなかった。
穿ち過ぎな見解だとは思うが時折、実はレスター・ヤングこそがビ・バップの開祖ではないのかという意見をどこかで目にすることがある。本作44年の演奏を聴いているとそれも一理あるな、とも思う。
しかしそれはレスター個人のメロディーラインが当時の通念からすると新鮮だったということであって、彼個人は枠組みそのものの変革者ではなかった。そもそも当時既に勃興しつつあったバップ・イディオムがすぐ傍にあったにも拘わらず、レスターはこれを横目で眺めながらスイングビートの中に浸り続け、遂に新しい流れに踏み込むことはないまま楽歴を終えてしまったのだ。
その絶頂期にあっては特異なプレイスタイルを受け入れられず、この後の徴兵でひどいイジメに逢ったおかげでその楽想は二度と再び以前の輝きを取り戻すことはできず、結局レスター・ヤングの試みは次の時代に通じるドアのノブに手をかけて開けかけたところで潰えてしまった。仮に兵役につくことなく演奏活動を続けていたとしても、格別音楽全体に対する定見や優れたリーダーシップを持っていたとも思えないので、いずれにせよ彼が変革者としての賞賛を後年得られることはなかったと思う。
そのキャリアに於ける僥倖といえばせいぜい後年、モダン・エイジに入ってからクール・ジャズと呼ばれたスタイルの模倣者達が次々と、自分のアイドルとしその名を挙げたという程度でしかない。あらゆる意味でついていない人生だ。
個人史的なところにまで踏み込んでレスター・ヤングのプレイを聴いていていつも思うことがある。強いもの、逞しいものばかりが肯定されるべきなのだろうか。弱さは良くないことなのだろうか?悪いことなのだろうか?
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