Reaching Fourth/McCoy Tyner(リーチング・フォース/マッコイ・タイナー) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
私の見る限り、マッコイ・タイナーは余り人気がない。私自身のことを振り返っても、ジャズを聴き始めの頃は滅法格好いいプレイスタイルに思えて一時期熱中したのだが、あるときどのアルバムを聴いても大して変わり映えのしないプレイスタイルに気づいて飽きが来たので新譜を買い控えるようになって久しい。
好き嫌いを抜きに考えれば、1960年代に頭角を現したピアニストとして、マッコイ・タイナーはビル・エバンスにも比肩するスタイリストだと私は評価している。多少乱暴な言い方をすれば、モード系の奏法をこなすピアニストには例外なくマッコイ・タイナーとビル・エバンスそれぞれの影響が比率を違えて混在している。
後進への影響の大きさには遜色がない(と私は考えている)にもかかわらず、人気という点に於いてかなり開きがある理由を私なりに考えてみると、いささか俗っぽい見方ではあるけれど、リスナーのセンチメントに訴えかけるようなアルバムを残せていないからなのではなかろうか。それは例えばビル・エバンスがスコット・ラファロをベースに加えたトリオ編成の諸作に相当するようなものをここでは指す。
言葉の包含するニュアンスは結構広い。
ここで、リリシズム、というフレーズを引っ張り出してみる。ビル・エバンスというピアニストを形容する言葉としてお約束のように用いられるこのフレーズだが、別段彼の専売特許というわけでもなく、マッコイの初期にだってニュアンスは違えどリリシズムは感じられる。
ニュアンスを言葉として対象化するのは私のような者にとって実に難儀だが、それは他にも、例えばアル・ヘイグであったり、渡欧後のケニー・ドリューであったり、他にも色々あるのだが、マッコイ・タイナーだってその初期に於いては極めてリリカルな側面を持つプレイヤーだったと思っている。例えばこれなどは格好の証左とは言えないだろうか。
- アーティスト: ジョン・コルトレーン,マッコイ・タイナー,スティーヴ・デイヴィス,エルヴィン・ジョーンズ
- 出版社/メーカー: Warner Music Japan =music=
- 発売日: 2008/02/20
- メディア: CD
マッコイ・タイナーの音楽性と言えば何を置いてもコルトレーンからの影響を抜きにしては語れないのだがサハラ以降の作風は良くも悪くもコルトレーンの音楽に内在していた一徹なひたむきさが前面に打ち出されてきて、強面の巨匠然としたプレイスタイルに硬直化してしまったように聞こえた。
それは、余りにも偉大な父を持ち、偉大な父の有り様をなるべく忠実になぞることがすなわち偉大さの継承であると錯覚する過度に律儀な息子の姿になぞらえることができるかも知れない。
何か一作だけを取り上げて単体で聞いていればそれはそれで聴き応えのある音楽的内容だったが、リリースされる諸作が毎度毎度同じような作風、同じようなテンションではさすがに少々飽きが来る。かつての偉大なリーダーが達した高みと同じ地点に同化しようという姿勢に真摯さや律儀さは覚えるがしかし、『それは本当に、あなたの目指す「あなたの音楽」の姿なのですか?』という疑問がどこかで音楽と向かい合う私のエモーションに少々水を差す・・・
モダンジャズのリスナー一般に、ビル・エバンスとのスタイル比較に於いてマッコイ・タイナーの印象度や思い入れの温度感が下がる点があるとすれば、こんな点ではなかろうか。
コルトレーンの音楽性を忠実に継承するスタイルが根元的なシンパシーによるものなのか、ある種の義務感によるものなのかを知る術が私にはないが、コルトレーン的な属性をちょっと脇に置いてみた演奏がかえって好ましいときもある。
コルトレーン・コンボ在団時の諸作中でも比較的軽い仕上がりだと思う。時にファナティックな、求道的リーダーの元から少しの間エスケープして肩の力を抜き。さらりとまとめてみました的一枚。
肩の力を抜いたとは言えマッコイはマッコイで、やっぱりコルトレーンのサイドメンなんだよなあと思わせる側面は端々に散見されるが、後年の手抜かりなくみっちりやりました的緊張感一辺倒ではなく、適度なリラクゼイションもここにはあってほどよいバランスに私にはきこえる。
ドラマー、ロイ・ヘインズの存在がやはり効いている。しばしばリーダーを凌駕せんばかりに挑発的なエルビン・ジョーンズの爆発力はないが、予想外のスリルと予定調和を趣味良くまとめる手腕は別の意味で凄い。最高度の職人芸と言うべきだろうか。結果として、日頃は眦を決して真摯な議論に明け暮れる青年の表情が時に緩み、雑談に興じるような情景がここではかいま見られる。スタンダード・ナンバーでのテーマの入り方などは何とも素直で、チャーミングでさえある。運指能力の限界に挑むような高速アルペジオを駆使して疾走し、弦も切れよとばかりの強打を連発する強面ピアニストにも若かりし頃にはこうして世慣れたおじさんと少々世俗的な時間を共有することもあった。
マッコイ・タイナーの新作から遠ざかって久しい私だが、本作で聞かれるように力みを加減して適度にスインギーな境地に立ち返っていてくれたら何だか少々嬉しい。マッコイだってもう結構なお歳だろう。一生涯、徹頭徹尾剛直真摯一直線では私も少々近寄りがたいので。
tridentというアルバムを偶然手にしました。
コルトレーンの呪縛から逃れ肩の力の抜けた感じながら「豪腕」は健在で「こんなのもアリかなー?」って思いました。
ただし・・・1回聴いたら充分な気もします w
by だーだ (2007-06-16 13:11)
だーだ様 お久しぶりです。
それ、実は私が最初に買ったマッコイ・タイナーのレコードなんです。
いや懐かしいです。
色々なプロダクトが試みられた70年中期以降ですが、結局一番手の合うドラマーはエルビン・ジョーンズのようですね。
by shim47 (2007-06-16 17:43)