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Fiesta/Charlie Parker(フィエスタ/チャーリー・パーカー) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 毎度ながら五十肩が痛いというところから話を始めさせて頂く。
五十肩でいいことなど勿論一つも有りはしないのだが、音楽愛好家としては音楽に意識が集中できないこともその一つだ。特に長い曲になると肩の痛みや違和感が気になってどうも関心が途切れがちになる。

 それにしても、頭痛、歯痛、腹痛等々、人間生きていれば色んな痛みとお付き合いをしなければならないわけだが一体全体何故に痛さというのは夜にエスカレートするのだろうか。周囲の知人達に訪ねてみると大体皆様ご同様らしい。言われてみればそうだよな、という方も結構いた。
 困ったことに気合いを入れて音楽を聴こうか、という時間帯は私の場合大方夜だ。肩の痛さで一日中しかめ面をしているようなここ数ヶ月の状態だと引っ張り出してくるレコードも楽天的な内容で一曲あたりの収録時間の短いものになりがちだということに最近気づいた。

 生活意識が変わると音楽の嗜好にも変化が現れるらしく、以前はちょっと聴いただけで長年棚の中で眠り続けていたレコードが結構頻繁にターンテーブルに乗っかる。ここしばらくはこれが多い。

フィエスタ

フィエスタ

  • アーティスト: チャーリー・パーカー,テディ・コティック,ウォルター・ビショップ,ロイ・ヘインズ,マックス・ローチ,ホセ・マンガル,ルイ・ミランダ
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1999/07/14
  • メディア: CD

 


 若い頃に半ば義務感で買ったようなレコードだ。
ストイックなもの、テンションの高い演奏こそがよい音楽だと信じ込んでいた頃に一度聴いてみて『パーカーもこんなくだらない企画に良くもまあ付き合ったもんだ』と少々しらけた気分になって以来、本作は20年近く棚の中で眠り続けていたのだった。

 今になってみると少々意外な気もするが、パーカーが全編ラテンビートで通したレコードというのはこれ一枚きりだ。CDとLPでは収録曲が少し異なっているようだが(CD持ってません)1948年から1952年にかけて合計4回のレコーディングで出来上がっている。
 同世代のディジー・ガレスピーはラテン・パーカッションをバックにつける編成がことのほかお気に入りのようで沢山のリリースがあるがパーカーは本作一枚きりである。
 もう少し言及すると、バックと一体化して祝祭性を発散するガレスピーの陽気な作風に対して本作は僅かに翳りや屈折を滲ませながらバックと対峙するパーカーという図式が見て取れて、そのコントラストに聴き所があると思う。この辺はそれぞれ、プレイヤーとしての個性であってどちらも疑問の余地なく偉大なプレイヤーであることには違いない。

 超一級の演奏家であると同時に超一級のエンターテイナーでもあったガレスピーに基準を置いてみると、パーカーはもう少し異なるバランスを持つ音楽家だった。その演奏は霊感や迫真性では上回り、より主観的で求心的な分だけ門外漢からの取っつきは良くない。そんな両者の資質の相違を踏まえて聴いているとガレスピーに対するパーカーの複雑な感情が窺えるようで、本作のような企画にどういう心情で臨んだのだろうかなどという私の想像も際限なく膨らんでいく。

 収録曲の大半は51、2年のものでさすがにパーカーも幾分よれ気味であるのは否めない。ソロは短いし、全盛時の突進力も薄らいでいる。しかしそれでも、どんなコンディションだろうがどんな枠に嵌めようがパーカーは常にパーカーなんである。聴き方によっては、これだけ肩の力を抜いてリラックスしたパーカーのプレイが聴けるという意味で本作はファーストチョイスではないにしてもいい音楽だと今は思う。
 収録曲のうち、今の私が特に気に入っているのは52年録音のMy Little Suede Shoseで、何十回でも聴き直したいくらいだ。まるで一杯引っかけて上機嫌のパーカーがユルユル状態で鼻歌を歌っているような吹奏を聴かせる。全盛時の胸ぐらを掴まれるような緊迫した演奏の数々は勿論歴史的な金字塔だが、こういう佇まいの記録を残しておいてくれたところに私は何か音楽という表現形態の奥行きを感じている。それは同時に一人の人間の多面性でもあって、いつ、どんな状態にあっても飽きることなく音楽と一緒にありたい私の今の心情とも重なり合っている。

 LPには収録されている1948、9年の録音3曲はマチート楽団のフルバンドをバックに付けたもので、霊感漲る当時のパーカーはこれがラテン・オーケストラとの初共演ということもあってか戸惑いと緊張感が表れているように私にはきこえる。しかし、「そんなの関係ねえ!俺の流儀でやらせて貰うぜ!」と言わんばかりにバックはお構いなしで高性能マシンガンの乱射みたいなソロを発動するパーカーの痛快さに今の私は多少元気づけられてもいるかも知れない。

ジャケットを手にとってパーカーの笑顔を見ていると、私事ながら五十肩の痛みも少しは和らいでくるような、錯覚みたいな実感みたいな妙な気分を味わうのだが、とにかくいつも身近に音楽があるのは幸福な生活だ。案外、パーカー自身もこの企画を結構楽しんだのではないかという根拠のない空想が膨らんできたりもする。


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