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My Favorite Instrument/Oscar Peterson(ソロ/オスカー・ピーターソン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 あるミュージシャンの訃報に接して何かのエントリーをしたためるのはこれで何度目だろうか。音楽をリアルタイムで聴かなくなってからもうだいぶ長くなってしまったので、そのうち訃報に接しても誰のことなのだか分からなくなるのもそう遠い先ではなさそうだ。

 オスカー・ピーターソンが亡くなったことを私は昨年の暮れに知った。
正直なところ、私はオスカー・ピーターソンの音楽に対してさほど深い思い入れがなかった。格別読み返すにも値しないような駄文を以前一度アップロードしたことがあり、見方は今でも変わっていない。
http://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/2006-11-18-1

 この人の音楽を私は何故か手放しで賞賛することができない。これはその音楽に対する批判では決してない。批判されるべきはむしろ、この人の音楽を全面的には肯定できない私自身の感覚のねじれ具合の方にある。
 以前書いたとおり、なんだかんだ言いながら私はピーターソンのレコードをそれなりにちょくちょく買い込み、また、ちょくちょくそのレコードは私のターンテーブルに乗っかる。聴けば楽しいし充実感もある。一度だけだがコンサートに出かけてライブを聴いたし、ミーハー根性丸出しで楽屋近くで待ち伏せして握手をねだったことだってあった。(おっそろしくでかくて力強い手でしたよ!)

 一体何故、私がオスカー・ピーターソンの音楽には全面的な感情移入ができないのかを煎じ詰めて言えば「音楽がリスナーにもたらす非日常的なスリルの欠如」というあたりに落ち着きそうに思う。
 オスカー・ピーターソンには失敗作とか凡演といった記録が殆ど全くといってよいほど見あたらない。何を聴いてもハズレはない。掛け値なしに一定以上の水準をマークする好演が目白押しである。
 しかし反面、私にとっては魂を鷲掴みにして揺さぶるような決定打がないというのも残念ながら事実だ。前のエントリーで私はオスカー・ピーターソンの音楽を「帝大を卒業した公益企業の総務部長みたいだ」などといささか揶揄混じりに書いたがこれは良くも悪くも偽らざる見え方だ。似たような喩えは幾らかひねり出せる。その音楽は90点以下は絶対にとらないが100点を超えるほどの答案も書かない予定調和的秀才の姿になぞらえることもできるだろうし賛否両論、侃々諤々の論争を巻き起こすことは絶対にない超一流の大衆作家の手つきでもある。大袈裟な話、仮に私が死んだときには何か一枚、棺桶にバド・パウエルのレコードを放り込んで欲しいと思うがオスカー・ピーターソンはそういった類のミュージシャンではない。

 ここまで書いて今更ながら気づいたのだが、バド・パウエルとオスカー・ピーターソンの生年には僅か一年の違いしかなく、その人生模様や音楽の有り様はまるでコインの裏表のように対照的である。そしてこの二人のどちらにより深い感情移入ができるかによってリスナーの音楽観や人間観はかなりの程度炙り出されてきそうに思える。
 もっと図式的に言うなら、このお二方というのはアート・テイタムというジャズピアノの絶対基準が生み出したネガとポジみたいな存在のように私は位置づけている。この辺は先々折を見て頭の中を整理してみたい。

 色々な人に言い尽くされてきたことではあるが、オスカー・ピーターソンはアート・テイタムの衣鉢を継ぐ文句なしの嫡流で、そのプレイスタイルはまさにジャズ・ピアノの王道でもある。
 膨大なレコーディングキャリアの中にあって満を持してリリースされたかのような最初のソロ・ピアノは克明にして精緻なMPSの録音技術も相まって一ピアニストとしてのオスカー・ピーターソンの楽想や技巧が余すところなく捉えられている。プレイ自体もヴァーブ時代より更に『手抜かりなくみっちりやりました』感がある。個人的には少々やりすぎと思えなくもないが。
 

ソロ
ソロ

ソロ

  • アーティスト: オスカー・ピーターソン
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/08/06
  • メディア: CD


 嫌味抜きに、ジャズピアノのソロというのはこういうものなんだよというお手本みたいなレコードである。ピアノという楽器の表現の多彩さをこれほどわかりやすく、明快に伝えてくれる例はそう多くない。そしてここからは、というよりはオスカー・ピーターソンの音楽からは人間の持つ屈折や矛盾、葛藤や破滅と背中合わせの興奮といったダークサイドの情感は周到にオミットされている。
 それは、表現として無理矢理パーセンテージで表してみれば全体のうちの数パーセントにも満たないものなのかも知れないが、私のような者などはそこにこそ何か、魂の根元的なものを突き動かす何かを見いだしているのだろうと自覚している。
 だから反語的な意味で、王道的な人生を歩むことができなかった私自身の屈折した姿を炙り出すという意味で、オスカー・ピーターソンの音楽は実に大きな意味を持っている。何かを照らす光は強ければ強いほど、そこには克明な影が生み出されるものだ。


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