Eastward/Gary Peacock(イーストワード/ゲイリー・ピーコック) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
自分の判断能力が低下しているからなのか、それとも大真面目に聴かなくなったせいなのかよく考えたことはないのだが、ここ20年ほどの間に出てきたジャズの楽器プレイヤーについて、演奏だけを聴いて誰なのかの区別がつかなくなっていることに我ながら少し驚いた。関心が薄くなってくるとどこまでも感覚は鈍磨していくものなのだろうか。まるで全くの門外漢だった30年以上も前のように、誰を聴いても同じに聞こえるのだ。ある時何の気なしに長い知り合いである某ジャズバーのオーナーと雑談していたらその方もご同様らしかった。技術の水準としてはすっかり煮詰まった状態であり、誰もが同じ学校に行って同じ教官から教わると昨今のような金太郎飴状態になるものらしいと勝手に納得している。
かのウィントン・マルサリスが登場した時点で薄々感づいてはいたのだが、登場するプレイヤーの誰もが”学校でみっちり勉強してきました”風の、しかも揃いも揃って高水準の演奏技術の持ち主ばかりになってくると偶発性のスリルとかドキュメントとしての面白さが薄らぐように感じられるのは私だけだろうか。ジャズというカテゴリーは今や世界中の誰と誰が初顔合わせをしてもあっさり整合感が生まれてくる表現形態のようだ。人種や言語を超えて共通の約束事の元に統一感が生まれるのはもちろん素晴らしいと思うが、今のところ私はむしろ相互理解に未知数の部分を残したまま手探り風に展開される音楽が時折放つ危なっかしい瞬間のほうに関心をそそられる。
レコーディングされた1970年という時代背景を考えると、本作には日米のプレイヤー同士がレコーディングする際の新鮮さとか緊張感が感じられる。
本作は1970年2月4日と5日の二日間で録音された。麻薬などによって体調を崩し、婦人とも離婚したゲイリー・ピーコックは静養の目的を兼ねて単身来日し、この後1年強滞在することになる。本作は来日後初めてのレコーディングであり、彼自身初のリーダーアルバムでもある。滞在期間中の1970年11月にはかつての共演仲間であるアルバート・アイラーがハドソン川にて水死体となって浮かぶことになるが勿論この録音時点でそんな悲劇が予見できるわけもない。
多くの場合、初リーダーセッションというのは共演歴のある人たちを交えて行われるが本作はピアノに菊池雅章、ドラムに村上寛という日本人プレイヤーと対峙するような形でのトリオ編成だ。来日以降、録音以前にどこかでお手合わせをしてはいたのだろうが 期せずして本作には70年代版west meets east的な双方にとっての発見が瑞々しく記録されている。
好むと好まざるに関わらず、スコット・ラファロの衣鉢を継ぐ演奏スタイルが出発点だったゲイリー・ピーコックがオフ・ビートの奏法を発展させていけば当時、ジャズの世界にあってもっとも先鋭的なフリー・フォームの領域に足を踏み入れることになるのは必然だったし、実際、彼はその領域の中で実にめざましい多くの好演を記録し続け急成長の途上にあった。だから本作の録音時点では、すっかりプレイスタイルが固まって功成り名遂げた巨匠としてではなく、新進気鋭のフロントランナーとして日本のローカルミュージシャン達と接したことになる。
サイドメンである日本人二名も当時にあっては気鋭の若手と言える人選だ。但しこちらはもう少し保守的な演奏スタイルを守り通す。身も蓋もない言い方をすればここでの菊池雅章はポール・ブレイ風味のハービー・ハンコックであり村上寛はときたまエルビン風のアンソニー・ウィリアムスと私は聴いた。要するに4ビートジャズ末期のマイルス・デヴィス・バンドの演奏スタイルをお手本として自己形成してきたプレイヤー達と括って良いのではないかと思う。
演奏自体はハイ・テンションな力演で全体に相当の聴き応えがある。病み上がりという体調が眉唾に思えるほどゲーリー・ピーコックのベースワークはまさに変幻自在にして強靱そのもので緊張と弛緩を自在にコントロールする力業は真の意味でリーダーにふさわしい。これに鼓舞される日本人プレイヤー2名もそれぞれ最高度の集中力を発揮して渡り合おうとする様子がうかがえる。が、しかし、彼らサイドメン達とゲイリー・ピーコックとの間を隔てる何か薄い膜のようなものの存在がここには常に存在し続けている。
それは一曲目から顕著に現れている。定型ビートで演奏の骨格を伝え終わったゲイリー・ピーコックは次第に小節内でビートのアクセントをずらし、小節と小節の境界を曖昧にぼかし始めてフリーリズムの展開に誘い込もうとするがサイドメン二人は頑なにコードと規則的なリズムパターンを固守し続ける。同様な展開は全編にわたって随所に散見されるのだが、このような局面では殆ど全てゲイリー・ピーコックがオンビートの定型リズムに軌道修正することでバンドの整合性が収束していく。 用いるイディオムにはところどころ齟齬を来しており、ユニットとしての一体感にはやや欠けるが音楽を生み出す情動の高まりには波長の一致がある。最終的に本作の質はここによって担保されたのである。
編集上そのようになったのだろうが、最終曲に於いてようやく日本人二人はゲーリー・ピーコックの提示するアトーナルなオフ・ビート空間に手探り風の同調をし始める。三位一体の統一感こそないが私はその局面に何かちょっとしたドラマを発見したつもりになっているのだ。
マイルス・デヴィスのバンドは確かに多くの優れたプレイヤーを擁していたし、その音楽スタイルは沢山の演奏家にとってお手本たり得る完成度があった。しかしそれはあくまで、オーセンテイックな枠組みの中で許される限りの自由であり、緊張であり、スリルなのだ。誰かに与えられた枠内での「最大限の自由」が到達点だと思いこんでいた者達が、枠の外から現れた見知らぬ別の誰かに「完全に自由」な世界の啓示を受けて次第に意識が転換し始めていく、事前に意図されたもののわけはないが、本作からはそんな物語性がにじみ出ているように私には聞こえる。独りよがりな思いこみでしかないのかもしれないが未知の者同士が向かい合う緊張や表現手法の微妙なずれや不整合がここにはあったからこそ、私の中にはそんな錯覚めいた想像が生まれたのではないかと思うのだ。
そしてここでの相手を探り合うようなメンバーそれぞれの時間軸は次第に融和的に展開して約一年後、日本という風土に根ざした秀作に結実していく。
繊細にして病んだベースマンの「異邦への旅の終わり」というか一つのチャプターの締めくくり。 本作についてはいずれ何か書きたくなりそうです。
はじめまして
いや、ピーコックはこのとき再婚した画家の奥さん(のちにECMのピーコックの諸作でジャケットのデザインをやってた人)と一緒に滞在してたんで、そうそう病人ということでもなかったと思います。帰米後は大学に入ってなぜか物理学を専攻。卒業後にポール・ブレイと来日(合歓ジャズイン/Japan Suite)して本格カムバックと。
滞日時の菊池雅章とのコンビネーションでは「銀界」が最高作じゃないでしょうか(リーダーの山本邦山の尺八が邪魔くさいキライがありますが)。
by 麻袋 (2009-02-19 06:42)
麻袋様 コメント有り難うございます。
ずいぶんお詳しいようで参考になりました。
by shim47 (2009-02-21 02:50)