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Steal away/Charlie haden,Hank Jones(スピリチュアル/チャーリー・ヘイデン&ハンク・ジョーンズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 先日、真っ昼間にNHKで放送されている「スタジオパークからこんにちは」という番組を眺めていたら、ゲストは日本人の某ジャズ・ピアニストだった。
 私はリアルタイムでジャズと接することがなくなってからもう20年近く経ってしまった。長くなりすぎるので別の機会に書こうと思うのだが、ビールのCMソングにバド・パウエルが使われ出したあたりの時代で私個人にとってのジャズは殆ど終わった。

 どういう訳か、ここ10数年の間にデビューした「期待の新人」とか「驚異の新星」とかいうプレイヤーたちの演奏を聴いていて、それじゃ一丁、CD買ってこようかと思えたことがない。一度聴いたらもう結構。もっと嘆かわしいことに、音だけ聞いていたのでは一体誰の演奏なんだか皆目見当がつかない。
 それは第一に、私自身が以前のような真剣さで音楽と対峙できていないからだ。確かに、若い頃のような分析的な聴き方はしなくなった。人生のありようそのものが惰性モードで推移しているのだろう。しかしそればっかりというわけでもない。

 時折、若い頃を思い出し、神経を研ぎ澄ませてこれら驚異の新人たちのプレイに聞き耳を立ててみることはある。しかしどうにもついて行けない。途中で飽きる。何故か?
 つくづく思うのは、誰もが一様に上手だということだ。本当に、舌を巻くほど巧い。そりゃそうだ、巧いからこそ期待をかけられ、驚異でもあるのだろう。たいして興味もないが経歴の紹介を見たり聞いたりすると、名高い音楽学校の卒業生だったりする人が結構いる。 
 件の番組に出演していた某女史もそうだったような気がする。たった2.3日前に見た番組の出演者の名前も思い出せないのは私の記憶力が減退しているのと関心のなさの両方を表している。呆れるばかりの脱力ぶりだ。
 某女史は一曲、生演奏を披露してくださった。驚嘆すべき技巧、圧倒的な猛演だ。
きっと一番調子が良かったときのバド・パウエルだってこんなに目まぐるしいパッセージでは弾けなかったのではないだろうか?とにかく上手だ。音楽というよりも、まるで鍛えに鍛え抜かれたアスリートのプレイを見ているような気分を私は抱いた。
マイケル・シェンカーの早弾きプレイを聴いているような印象と共通する何か、この場合、画像が伴っているので事情は更に分かりやすい。彼女はいとも容易く、笑いさえ浮かべながら10本の指を疾駆させる。いや、大したものだ。
 ところが、テレビを眺めている私はその大した技巧に驚きながらどこかでうんざりしている。『あーわかったわかった、巧い巧い』
 弾き終えた某女史がホスト役に指の周辺の筋肉を誇示したあたりで私はテレビを消してお仕事に取りかかった。西洋かぶれとか女性蔑視だとか、そういう偏見がどれだけ私にあるのかは自覚できていないが、余り好きになれない種類の音楽であることは確かなようだ。無機的、即物的、計測可能な世界の追求、独りよがりな技巧のひけらかしといったような言葉の断片が頭に浮かんだ。

 午後の間中、その音楽に対する変な引っかかりを感じ、私は晩飯を食いながらこういうものを聴いていた。(やっとここでレビュー紛いとなる、長すぎる前置きだ) 

スピリチュアル

スピリチュアル

  • アーティスト: チャーリー・へイデン&ハンク・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD


 木訥な音楽だ。選曲対象はニグロ・チャーチ・ミュージックとフォーク・ソングに限られている。日常的に歌ったり、聴いたりしていたであろう素材を静かに演じる。テンポは全てミディアムからスローに設定されてはいるが、ムード音楽風ではない。
ハンク・ジョ−ンズのスタイルは元々技巧の冴えや楽想の雄大さ装飾の華やかさを誇るものではない。ある種わびさびというか、節度というか、語りすぎないところに美学があると思う。前の世代で言えばテディ・ウィルソンの持っていた美的資質をモダン・エイジ的に継承したと見るべきだろうか。
 
 ここでの音楽は、悠然として重い。ゆったりしたキータッチと長い余韻に無限の思いが込められているかのように聞こえる。そして私は、昼間テレビで見たものを思い出した。高度な技巧は、必ずしも深い表現を約束しない。今更ながら思い出すが、若い頃バド・パウエルに入れ上げて知り得たものはまさにそれではなかったか。音楽という表現手段が私達を惹きつけてやまない謎の一つはそういうところにあるのではないだろうか。
 私は、公の場でイデオロギーめいた話題を持ち出すのを全く好まないが、今回だけはお許し願いたい。ここで私が聞き取るのはアメリカン・ニグロたちの味わった苦難の歴史である。奴隷制度と人種差別に迫害され続けながら、一方でヨーロッパの文化に同化することを迫られ、従わざるを得なかった屈従の日々の累積である。更に言えばクリスチャンに帰依させられながらも白人と同じ教会に入ることは許されず、粗末な黒人専用教会で、潰れそうな心を支えるために日々歌い継がれてきたはずの歌である。
 そういう歌唱曲をハンク・ジョーンズは殊更怒りや悲しみを前面に押し出すわけでもなく淡々と、遠い過去の追想のように演じる。だが私達はこの一見抑制されたポーズの奥にこそ悲しい歴史を、報われない闇の時間を聴き取るべきだろう。そのとき心に浮かぶであろうものを、私は安易に言葉にはできない。

 最後にチャーリー・ヘイデンのことを書き留めておきたい。
Oops!のレビューでも書いたが、彼とデュエットするプレイヤーたちは、何故か一人の例外もなく情念の深層部分を吐露するような演奏を聴かせる。演奏がすなわちプレイヤーの精神の浄化であるかのような小さな奇跡を私は何度も聴き取ってきたように思う。どこか無骨なベースワークに、私はいつも屈することのない精神性を感じる。
ハンプトン・ホースがそうだったようにこの一枚もハンク・ジョーンズの最も感動的な演奏の記録とされるはずだという確信が私にはある。
 そういう意味では、演奏者のクレジットにヘイデンの名前が先にあるのはプロデューサーの見識を表していると考える。

 
 


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こぶし

shim47さんの筆力の高さにはいつも敬服いたします。
私にはこんな風に豊富な語彙を的確に用いた隙のない文章は書けませんから(もちろん、技巧のひけらかしのようだなんて思ってません)、比較すると私の文章は稚拙だなあと思います。
でもまあ、絵も文章も技巧はひど過ぎないレベルであれば、あとは味わいと心の込め方こそが大事だと思って、腐らずに書いて(描いて)行こうと思います。
音楽にしても何事にしても、やっぱり一に 『魂』、二に技術ですね。
by こぶし (2006-09-10 16:13) 

shim47

 こちらこそ、お褒め頂いて恐れ多い限り、恐縮至極です。読み返してみるとアラだらけで赤面ものですが、何とか他人様の読解には耐えるもののようなので安心いたしました。こぶし様に読んで頂けたことを大変うれしく思います。
作文については巧く言葉の整理が出来ずに長ったらしくなりがちな欠点が私にはあるので、かえってこぶし様の文体に憧れています。
 しかしまあ、時間と土地と言葉とを超えて魂に何かを訴え、触発して何かをさせるのはやはり音楽の魔法であり、素晴らしさだと思います。
 
by shim47 (2006-09-11 02:48) 

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