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テレビのない生活 [身辺雑記]

 目下、テレビを見られない生活である。理由は簡単でテレビが故障したからだ。ついでに言えば新たにテレビを買うことをさぼり続けている。
 私は貧乏だが幾ら何でもテレビが買えないほどではないし、カードローンで不良債権をこしらえたことも今のところないのだが、テレビが壊れたのをきっかけに「テレビのない生活」を試みてみたくなった次第だ。

 ハンチクな文明論を一席ぶたせて貰うと、私は利便性を追求する余り現代人を堕落させた幾つかのものを思いつく。

(1)自動車、特に自家用車
(2)携帯電話
(3)24時間営業のコンビニエンスストア
(4)テレビ

 こんなところが代表選手だと思っている。いずれも生活上必須のものではあるのだろうが、依存の度合いが高すぎたり無謬性に凝り固まったりすると人の心や体を堕落させていくのではなかろうか。

 テレビの沈黙した我が家の顕著な変化として、居間が静かになった。
考えてみると、元来私はテレビ電波受信機としてのテレビをさほど活用していなかった。報道メディアとしてのテレビなど私はなっから信用していない人種である。だからテレビの活用法は専ら

(1)朝の時計代わり。
(2)ロクでもないビデオを見る。
(3)映画などを見る。
(4)テレビゲーム。  といったところだが

 考えてみれば今日日、時計など身の回りの至る所にある。ロクでもないビデオはそう何度も繰り返し見るものではない。また、ロクでもない映像は既にこのパソコンで見る状況に移行している。まともな映画等々の映像ソフトはプロジェクターを持ち出してきてロールスクリーンを下ろすことになる。ゲームは手を引いてから久しい。
 いつの間にかテレビなどは「居間になければ来客に変人扱いされそうなので一応置いておく」程度のものになり果てていたのだった。

 大体この、旧態依然とした21型テレビは真っ当な手順で入手したものではない。仕事で出入りしているある病院の病室にあったものを、職員の了解を得て失敬してきたものなのだ。
 今でこそ病室は、各自ベッドサイドにカードやカートリッジを差し込む式の小型テレビがしつらえられているが、それ以前は相部屋の病室には硬化を放り込んで4時間くらい見られるテレビが一台あるだけだった。患者各自の嗜好もあり、入院生活のサービス環境向上のためそれらはある時期から粗大ゴミとして放り出されて備蓄倉庫という一室に山積みされていたのだが、ゴミの廃却にさえ請求書が上がってくるご時世なので、廃却経費低減のため、私は義侠心を発揮して一台失敬してきたのだ。だから私は特に身銭を切って手に入れたわけでもないこの物体には何の思い入れも愛着もない。

 それで現在、居間で音を発する物体はというと、サブシステムのステレオに繋がったFMチューナーである。ニュースも聞けるしBGMも聴ける。朝、寝ぼけ眼をこすりながらNHK-FMの「音楽の泉」を聞き流しながら朝飯を食べる生活はなかなか悪くないと一人勝手に悦に入っている。思ったほどの不都合が実はない。

 ならばいっそ、ぶっ壊れたテレビなど放り出してNHKに足を運び、自宅ではもうテレビがないので受信料の引き落としを止めてくれと切り出してみようかと空想した。職員の当惑する様子を想像すると笑い出したくなったが、そういつまでもテレビなしの生活ができるものかどうかも疑問なのでいずれどこかでテレビは買うが、少しの間この生活を続けてみることにする。

 


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