Inner Urge/Joe Henderson(インナー・アージ/ジョー・ヘンダーソン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
1970年代後半からは迷走を続けて煮え切らない演奏内容のリリースを繰り返しおおかたの聴き手からは大いに失望を買ったジョー・ヘンダーソンだが晩年は原点回帰のような姿勢に立ち返って名誉を回復したことは喜ばしい。
80年代後半からの復活劇には当初、『名のあるテナーマンはどんどん物故していくし、言ってみれば繰り上げ当選みたいな評価のされ方なんじゃないのか』と、高をくくっていた私だが往時の感触を取り戻したのは本当だったようで、実はこれからまた手を付けてみたくなっている。
Blue Noteには1960年代中期から後期にかけて結構多くのレコーディングが残されていて、オーナーからはかなりの期待がかけられていたことを物語っている。私が初めて聴いたのはLee Morgan/Sidewinderだったが主役と同じかそれ以上に格好いいなあと思ったものだ。
当時、新進気鋭のテナーマンといえばウェイン・ショーターと並んで双璧だったわけだが掴み所のない摩訶不思議なメロディーをひねり出すショーターに対してジョーヘンは疾走感のあるフレージングや昔のホンカーみたいなひび割れたトーンに特徴があって、いわば柔と剛のようなコントラストをなしていた。
ある時期まではちょっとしたライバルみたいに見えていたが、一流バンドでミュージカルディレクターを歴任して着実にステップアップしていくショーターに対してジョーヘンはというとケニー・ドーハムとかホレス・シルバーのような資質的にちょっと演奏スタイルのずれたリーダーの元で過ごす時間が長すぎたようでイメージ的に少々割を食った感は否めない。
同じブルーノートに残したリーダ作を比較してもウェイン・ショーターは作を重ねるごとに斬新さを打ち出してきて優れたリーダーシップの輝きが段々増してきたのに比べてジョーヘンのほうはプレイヤーとしては頑張っているけれど共演者に対するちょっとした遠慮(それは特にケニー・ドーハムと共演したときに顕著な気がする)が働いていて僅かに歯がゆさを感じさせるものだった。
但しサイドメンとして参加しているワン・ホーンのレコーディングは掛け値なしにはずれがない。いずれもリーダーを立てるところでは立てて自分は与えられたソロスペースの中で申し分のない主張を行うといった感じだ。
「これでワン・ホーンのリーダー作があれば・・・」と少年期にブルーノートのリストを眺め回した私だったが一枚だけそれがあることを発見したのが本作である。
レコード屋(今や死語である)では何度となくジャケットを手に取り、買おうかどうしようか迷ったものだが、ついつい買いそびれているうちにLPは無くなってしまってCDの時代となり、私はあんまりジャズを聴かなくなっていったのだが、ここ数年、廉価なLPをぼちぼち買うようになってきて改めて再発盤のLPを先日買った。
単なるノスタルジーだけではなしに、本作はLPが再発されるまで我慢していて良かったと思う。シュリンクを破りながら私は自分の表情が緩んでいるのをはっきり自覚した。
何と言ってもジャケットが格好いい。不器用でダークな情熱が伝わってくるようだ。20年以上前にレコード屋に通っていた頃もこのジャケットデザインには随分惹かれたことを思い出す。
独りよがりでたわけたはしゃぎようだとは思うがこうして大きな絵で見てもやっぱり格好いい。渋い!まるでブローイングの後の荒い息遣いが聞こえてくるようではありませぬか。
内容はジャケットのイメージそのままに熱い。オープニングの展開からして決まっている。大蛇がのたうち回るような起伏だらけのテーマから意表をついたベースソロに続く切羽詰まったような歌い出し、と、いきなり勝負をかけてくるような印象を受けるのはやはり本作がワン・ホーンだからだろう。コルトレーン・コンボのリズム隊二人もジョーヘンのポテンシャルを見込んでか遠慮なしにガンガン押しまくる。
最初から最後まで捨て曲はない。特にラストのNight and Dayはこの微笑ましいメロディを敢えて投げやりな感じで扱うところに何か屈折したダンディズムを感じる。
私としては『女にジャズが分かってたまるかよ』という気分の時に引っ張り出したい、見てくれといい中身といい何とも男臭い一枚である。
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