Shoganai-Happy with what you have to happy with/King Crimson(しょうがない~ハッピー・ウィズ・ホワット・ユー・ハブ・トゥ・ビー・ハッピー・ウィズ/キング・クリムゾン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
少し前に世間を賑わせた某大臣の「しょうがない」発言はさておいて、身辺のあちこちで「しょうがない」という言葉が飛び交っているのを上の空で聞き流しているうちに、買っただけで大して真面目に聞き込んでいなかったCDのことを思い出した。
しょうがない~ハッピー・ウィズ・ホワット・ユー・ハヴ・トゥ・ビー・ハッピー・ウィズ
- アーティスト: キング・クリムゾン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
- 発売日: 2002/10/21
- メディア: CD
人格形成期に私はこのバンドの音楽から実に多くの影響を受けたと思う。書いても書いても書ききれないくらい多大な影響だったと思う。
なんだかんだ言って30年以上、私はこのバンドの軌跡をフォローし続けてきたのかと思うとちょっと感慨深い。最初の出会いからは随分かけ離れたところに辿りついてしまったような気もするし、足場にブレはないような気もする。
本屋の立ち読みだったので良く思い出せないが、制作時のモチーフは
1:諦観の混じった現状肯定
2:現状から何かを始めようとする力、その姿勢
を一言で表せるような言葉として日本語の「しょうがない」を見つけたといったようなことが何かの雑誌に書かれていた。
日頃は何の気なしに使っている言葉なので、殊更深い意味やニュアンスを考えることはなかったが言われてみれば確かにそういう気分を表す言葉ではある。他者の視点というのは時に普段見落としているようなことを示唆してくれることがある。
英語には疎いが「しょうがない」のニュアンス(非常に曖昧なものだ)を一言で表す英語というのはないらしい。日本語に対するこのバンドの関心はドラマー、パット・マステロットがその中心らしく、彼のソロワークの中にも日本語がタイトルになっている曲が幾つかある。
で、どちらが主題なのか副題なのかは分からないが
Happy with what you have to be happy with (今の幸せを幸せと思わなければならない、でいいのでしょうかね?)を一言で表す日本語を探すと「しょうがない」が’適当に思えたのだそうだ。
そしてこの主題は自作、The Power to Believeへと繋がっていく。
考えてみるとクリムゾンはDisicpline以降、アルバムタイトルが自作への暗示になるようなつなげ方に凝るようになってきたのではなかろうか。
ダブルトリオからギター二本の4人編成に戻り、改めて分かることはエイドアン・ブリューの音楽的な資質がより一層前面に出てきていることだ。デビュー盤で言えばイアン・マクドナルドとピート・シンフィールドの役割を併せて受け持っている感じだろうか。
悲壮感全開でConfusion will be my Epitaphと歌い上げていた頃からは随分遠いところに来た。
製作の拠点は既に英国ではない。メンバーは4人中3人がアメリカ人。本作では何と、ブルースタッチの曲まである。しかしそれでも本作は紛れもなくクリムゾンの音楽だ。
聴き手の勝手な思い込み、固定観念を痛快に裏切り続け、過去の痕跡を幾らか残しながらも変質を続け、新作は常に時代の最も先鋭的な響きを持ち、侃々諤々の論争を巻き起こす。そういう、リスナーとの馴れ合いを峻拒するスタンスがこのバンドの骨髄みたいな部分に相当しているようだ。
たちの悪い抱き合わせ販売みたいなコレクターズボックスの購入に青息吐息の財布を嘆きながらもお布施を続けている私の心境はまさに「しょうがない」のだが、ロバート・フリップ氏にしても音楽活動はすなわち営業活動でもあるわけで商品のリリースも代価の要求も「『しょうがない』ではないか」、なんてね。ブートは断固許せないお方だし・・・・w(苦笑いですよ)
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