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Rejoice/Pharoah Sandaers(リジョイス/ファラオ・サンダース) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

若い頃に散々熱中したコルトレーンの音楽を私は今に至ってもうまく総括出来ずにいる。
その音楽世界に段々否定的な気分になって余り聞かなくなったのは恐らく今から20年くらい前ではなかったかと思う。時たま聴くのもマッコイやエルビン・ジョーンズが在団していた頃のもので、フリー・リズムが全開になってからのものはとんと受け付けなくなった。

 ファラオ・サンダースについて何か書こうと思っていたのにコルトレーンが出てくるというのは20代のある時期に、半ばもう信者のお布施のような気分で買い続けたコルトレーンの後期レコーディングには大体もう一人のテナーとしてこの人が参加していたことと大いに関係がある。
 信者のお布施と私は書いたがお布施の最たるものは来日公演のライブボックスセットだろう。これなどは知人が所有していたものを拝借して過剰な猛烈さにすっかり辟易し、とてもついて行けない音楽だと分かり切っているにも関わらず半ば義務感で買い込んだようなモノだ。
 年がいってからいつまでも棚の中で眠らせておくのも良くないと思い、時間が経てば何か聴き所が発見出来るのではないかと取り出してはみたものの途中で挫けてしまった顛末は以前に書いた。

http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2007-01-02

 これらコルトレーン後期のレコーディングで聴けるファラオ・サンダースというのはいわば騒音発生装置的な役どころを過剰に勤め上げる訳の分からないテナーマンであって、閉塞的な新興宗教の末期がかった空気が段々濃厚になっていったコルトレーンの音楽が一般のリスナーにはとても度し難い支離滅裂さを深めていった原因がこの人にあったのではないかと指弾する人も割といた。
 本来、もっとメロディアスなプレイヤーであるはずのコルトレーンがこの、訳のわからん騒音発生装置に触発されて本来的な有り様から脱線しているのだというのがその言い分だった。
 大体こういう事を言う人は、アトーナルな世界に突入してからのコルトレーンのレコード、それもファラオ・サンダースが加入してからのものを何か一枚、買ったかどこかで辛抱強く聴いたかで、要するにLPレコード片面の20分間以内に拒否感が醸成されてしまったことが多いようだ。
 
 考えてみれば、何でもかんでも善玉悪玉に仕立て上げて訳のわからん二項対立物語を空想するのはいい大人の発想ではないのではなかろうか。何と言ってもバンドの親方はコルトレーンなのであって、それも自分と同じ楽器のプレイヤーを雇っているのだからやはりコルトレーンはこういう音を出す相棒が欲しかったのだ。
 しかしこの、度はずれた狂乱状態の時間無制限一本勝負とも言える音楽性が日々変貌を続けるジョン・コルトレーンの新たな楽想によるものか、それとも新加入の若きフリーキー・トーンの持ち主であるファラオ・サンダースの資質によるものかについて真面目に論じた人は私の周りにはいなかったし勿論私もそれを真面目に考えてみようとは当時全く思わなかった。
 そんなことを考えているくらいならもっと聴いていて心地よい音楽は腐るほどあるのだから時間はそういうほうに使うべきだとその頃の私は考えた。

 そういう意味ではジャズにはまりこんだ1970年代の終わり頃、貧乏学生だった私にとってファラオ・サンダースのレコードを買うというのは2200円をドブに捨てることになるかも知れない少々勇気のいる行為だった。
 何となればそれは、後期コルトレーンの音楽学世界からアトーナルな騒乱状態だけを抽出拡大した、20分以内に放り出してそのままお蔵入りになるような無駄遣いに終わってしまう状況が容易に想像出来たからだ。

 現在に至るまで、私は決してファラオ・サンダースの熱心な聴き手とは言えないところがあるがそれでも幾らかは理解出来るようになってきたつもりではいる。きっかけは20代の始めに偶然喫茶店で聴いたこれである。
ジャーニー・トゥ・ザ・ワン(紙)
ジャーニー・トゥ・ザ・ワン(紙)

ジャーニー・トゥ・ザ・ワン(紙)

  • アーティスト: ファラオ・サンダース,ジョン・ヒックス,レイ・ドラモンド,アイドリス・ムハマッド
  • 出版社/メーカー: サブスタンス
  • 発売日: 2003/09/26
  • メディア: CD


 最初は誰が演奏しているのかも知らず、ただなんか、格好いいテナーだなあ!と感嘆していた。ジャケットを眺めてリーダーがファラオ・サンダースであることを知ってびっくりしたというか拍子抜けしたというか、それまで勝手に決めつけていた騒音発生装置への誤解が氷解した瞬間でもあった。こういう言い回しは私がいかに了見の狭いリスナーだったかを表している。
 それから後の私は当時 Theresaにレコーディングされたファラオ・サンダースの新譜には結構つきあった。勢いづいてESPにレコーディングされた最初のリーダーアルバムも中古屋で見つけて予想外に円満な演奏に肩すかしも食った。

 ここしばらく、Theresaの諸作の中で聴く機会が多いのはRejoiceというタイトルの2枚セットである。

 リジョイス(紙)
リジョイス(紙)

リジョイス(紙)

  • アーティスト: ファラオ・サンダース,ボビー・ハッチャーソン,アート・デイヴィス
  • 出版社/メーカー: サブスタンス
  • 発売日: 2003/09/26
  • メディア: CD


 在団期間は重複していないはずだが一曲だけエルビン・ジョーンズがドラムを叩いている。選曲はコルトレーンに因んだものが結構多い等々、トリビュート的な色合いも感じられるセッションである。
 ではあるがここでの音楽はコルトレーン・コンボの在団時とはうって変わって陽性だしとても開放的なものだ。まるで闇夜の泥沼の中でもがきながら絶叫していたような「あの頃」とはひどく離れた地点にこの人はたどり着いたのだろうか。
 ただ、この頃聴かれる程々に野蛮で激情的でもあるブローは「あの頃」を通過してきたからこそ得られた成果なのだろうな、と私は感じている。
 極度に否定的な世界からは最高度の肯定生を次に生み出して欲しいものだと私は思う。コルトレーンがそこに辿り着くことになったかどうかはその死によって永遠の謎である。しかし一時期同じステージに立ってその音楽世界を共に構築していたファラオ・サンダースは本作に聴かれるような肯定的で包容力に満ちた演奏を記録した。それは一種、コルトレーンと共有していた時間に対する彼なりの総括だったように思えてならない。
 アメリカ、南米、アフリカと大きなスケールでそれぞれのテイストを融合させる本作は今や私の愛聴盤なのだが、私はここで過去にきっちり落とし前をつける潔さみたいなものを感じている。

 ミュージシャンの見方や感じ方というのも時間が経てば随分変わってくるもので、私自身もこのテキストで何か落とし前を付けたつもりになっている。
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