PCMについて思い出したこと [再生音楽の聴取環境など]
個人史みたいな話だが、今から考えれば音楽の記録専用媒体として最終的な形態はLPレコードだったわけだ。
(1)27年前、東芝の柳町工場を見学に行ったとき、銀色に光る12インチの円盤を見せられた。試作段階だったその円盤にはブリタニカという百科事典数セット分の文字データが記録できるということでたいそう驚いたことがある。
(2)LPレコードは30年以上前からPCMレコーディングというのが売り文句だった。針を降ろして音を出してみるとそれまで聴き馴染んだレコードよりも明らかに鋭い立ち上がりが感じられた。
結局、それらテクノロジーの断片はCDという音楽記録媒体に結実してプレイヤーと一緒に販売されるようになった。プレイヤーはどこのメーカーも大体20万円、ソースとしてのCDは3800円位した。私は貧乏学生だったので何もわざわざそんな高価なものを買う必要はないと決め込んで黙々とLpレコードを買い漁った。中古盤市場には活気があったし当時私の住んでいた田舎町にまで輸入盤を取り扱うレコード店が数件あったので買いたいものを探すのには一向に困ることがなかった。困ることと言えば聴きたいものがありすぎていつも金がないことで、これは今も変わらない。
PCMの理屈は興味深いものがあった。当時の私は電気について学ぶ学生だったので自分の卒論はA/Dコンバーターの設計と製作に決めた。もうすっかり忘れたが学問上はフーリエ変換何とかかんとかといったことになるらしい。
マイクを通じて入力された音声信号をバンドパスフィルターにかけてから標本化と量子化とを済ませ、信号のスペクトルをコンピューター上にグラフとして表示する。要するにスペクトラムアナライザーもどきの動作をコンピューターにさせる。あてがわれたコンピューターは今となっては懐かしいシャープのMZ-80だった。
いや懐かしい、本当に。
流れ込んでくるPCMデータをディスプレイ上に表示させる等々の作業には難儀した。アプリケーションプログラムなどという用語さえ知らなかった頃だ。それどころかOSなどというものが汎用機やミニコンにしかなかった頃だ。プログラム言語はBASICでせっせと自分で書いた。今となっては何をどうやったのか、どんなコマンドがあったのかもさっぱり思い出せない。
コンピューターに能力がなかったのでサンプリングと量子化のレートはダウンに次ぐダウンでひどいことになった。結局、サンプリングレートは128Hz,量子化は8bitが限度だった。何せコンピューターそのものが8Bitなのだ。ない袖は振れない。
結果は私を大いにぬか喜びさせた。音声データを入力されたMZ-80はしばし黙考した後、おずおずと階段状の棒グラフをディスプレイに示した。最初に入力したのは「あー」という私の声である。自分の声がグラフィックとして表示されたときの興奮だけが今でもはっきり記憶に残っている。
続いて私は「いー」とか「うー」とかマイクに向かって唸ってみた。表示はその都度様相を変えて私は小躍りしたが嬉しいのもそこまでだった。「かー」とか「はー」とかマイクに向かって声を出しても表示が変わらない。音声スペクトルの分布がア行でみんな一緒になってしまう。
サンプリングレート128Hz、量子化8Bitでは子音はギザギザの階段表示のどこかに埋もれてしまって表示できないらしい、というのがそのときの憶測だった。それ以上のデータサイズはMZ-80の能力では扱いきれないという結論で私は自分の卒論を終えた。
学校を卒業してからの私はコンピューターとも弱電とも全く関係のない仕事に就いて現在に至っている。こんな拙劣な実験ではあったが少なくとも一つ、ここから得た教訓はある。それは音声信号を時間軸に沿ってぶつ切りにしてまた戻すというのは何とも乱暴なお仕事だということだ。サンプルレートやビットレートを幾ら上げようがそれは元々アナログであったものを近似させる作業でしかないのであってそのものズバリに復元できているかどうかなど確かめようもない。
以来私はディジタルデータというものに対するわだかまりが今に至るまで抜けきらない。音楽ソースについて言えばLPがなくなって背に腹は代えられない格好でCDを買うようにはなった。扱いは楽だし、S/Nは文句なしにLPを凌駕している。しかしCDという記録媒体にはどこか一貫して冷めていたように覚えている。先に列記した二つばかりのメリット以外にはどうも積極的に関わる意義を見出せないで今に至っている。
今から学生に戻って卒論の続きをなどという想像などナンセンスきわまりないのだが、それでもときたまちょっとした空想を思い浮かべる。それは私が開校以来のボンクラ学生ではなく、もう少しましな頭脳の持ち主であったとしての仮定である。
(1)BASICなんてものは馬鹿でも打てるようにできてるもんだ、というのが当時私の教わった情報処理の教官の口癖だった。楽な分だけオーバーヘッドが大きく、処理能力は落ちる。もしも私が当時、アッセンブラーでばりばりプログラミングができるくらいの脳味噌の持ち主だったらもう少しましな実験結果を得ていたのだろうか。そしてディジタルデータというものにもう少し肯定的になれていたのだろうか?
(2)守備範囲をもう少し広げて、D/Aコンバーターまでをも試作できてMZ-80で生成したPCMデータを今度はアナログ化したとして、一体それはどんな音になったのだろうか。そのとき私の発した「あー」という声はどんな空気振動となっていたのだろうか。
いずれにしてもし残しというのは後々尾を引くものですな。考えても仕方のないことだけれど。
(1)27年前、東芝の柳町工場を見学に行ったとき、銀色に光る12インチの円盤を見せられた。試作段階だったその円盤にはブリタニカという百科事典数セット分の文字データが記録できるということでたいそう驚いたことがある。
(2)LPレコードは30年以上前からPCMレコーディングというのが売り文句だった。針を降ろして音を出してみるとそれまで聴き馴染んだレコードよりも明らかに鋭い立ち上がりが感じられた。
結局、それらテクノロジーの断片はCDという音楽記録媒体に結実してプレイヤーと一緒に販売されるようになった。プレイヤーはどこのメーカーも大体20万円、ソースとしてのCDは3800円位した。私は貧乏学生だったので何もわざわざそんな高価なものを買う必要はないと決め込んで黙々とLpレコードを買い漁った。中古盤市場には活気があったし当時私の住んでいた田舎町にまで輸入盤を取り扱うレコード店が数件あったので買いたいものを探すのには一向に困ることがなかった。困ることと言えば聴きたいものがありすぎていつも金がないことで、これは今も変わらない。
PCMの理屈は興味深いものがあった。当時の私は電気について学ぶ学生だったので自分の卒論はA/Dコンバーターの設計と製作に決めた。もうすっかり忘れたが学問上はフーリエ変換何とかかんとかといったことになるらしい。
マイクを通じて入力された音声信号をバンドパスフィルターにかけてから標本化と量子化とを済ませ、信号のスペクトルをコンピューター上にグラフとして表示する。要するにスペクトラムアナライザーもどきの動作をコンピューターにさせる。あてがわれたコンピューターは今となっては懐かしいシャープのMZ-80だった。
いや懐かしい、本当に。
流れ込んでくるPCMデータをディスプレイ上に表示させる等々の作業には難儀した。アプリケーションプログラムなどという用語さえ知らなかった頃だ。それどころかOSなどというものが汎用機やミニコンにしかなかった頃だ。プログラム言語はBASICでせっせと自分で書いた。今となっては何をどうやったのか、どんなコマンドがあったのかもさっぱり思い出せない。
コンピューターに能力がなかったのでサンプリングと量子化のレートはダウンに次ぐダウンでひどいことになった。結局、サンプリングレートは128Hz,量子化は8bitが限度だった。何せコンピューターそのものが8Bitなのだ。ない袖は振れない。
結果は私を大いにぬか喜びさせた。音声データを入力されたMZ-80はしばし黙考した後、おずおずと階段状の棒グラフをディスプレイに示した。最初に入力したのは「あー」という私の声である。自分の声がグラフィックとして表示されたときの興奮だけが今でもはっきり記憶に残っている。
続いて私は「いー」とか「うー」とかマイクに向かって唸ってみた。表示はその都度様相を変えて私は小躍りしたが嬉しいのもそこまでだった。「かー」とか「はー」とかマイクに向かって声を出しても表示が変わらない。音声スペクトルの分布がア行でみんな一緒になってしまう。
サンプリングレート128Hz、量子化8Bitでは子音はギザギザの階段表示のどこかに埋もれてしまって表示できないらしい、というのがそのときの憶測だった。それ以上のデータサイズはMZ-80の能力では扱いきれないという結論で私は自分の卒論を終えた。
学校を卒業してからの私はコンピューターとも弱電とも全く関係のない仕事に就いて現在に至っている。こんな拙劣な実験ではあったが少なくとも一つ、ここから得た教訓はある。それは音声信号を時間軸に沿ってぶつ切りにしてまた戻すというのは何とも乱暴なお仕事だということだ。サンプルレートやビットレートを幾ら上げようがそれは元々アナログであったものを近似させる作業でしかないのであってそのものズバリに復元できているかどうかなど確かめようもない。
以来私はディジタルデータというものに対するわだかまりが今に至るまで抜けきらない。音楽ソースについて言えばLPがなくなって背に腹は代えられない格好でCDを買うようにはなった。扱いは楽だし、S/Nは文句なしにLPを凌駕している。しかしCDという記録媒体にはどこか一貫して冷めていたように覚えている。先に列記した二つばかりのメリット以外にはどうも積極的に関わる意義を見出せないで今に至っている。
今から学生に戻って卒論の続きをなどという想像などナンセンスきわまりないのだが、それでもときたまちょっとした空想を思い浮かべる。それは私が開校以来のボンクラ学生ではなく、もう少しましな頭脳の持ち主であったとしての仮定である。
(1)BASICなんてものは馬鹿でも打てるようにできてるもんだ、というのが当時私の教わった情報処理の教官の口癖だった。楽な分だけオーバーヘッドが大きく、処理能力は落ちる。もしも私が当時、アッセンブラーでばりばりプログラミングができるくらいの脳味噌の持ち主だったらもう少しましな実験結果を得ていたのだろうか。そしてディジタルデータというものにもう少し肯定的になれていたのだろうか?
(2)守備範囲をもう少し広げて、D/Aコンバーターまでをも試作できてMZ-80で生成したPCMデータを今度はアナログ化したとして、一体それはどんな音になったのだろうか。そのとき私の発した「あー」という声はどんな空気振動となっていたのだろうか。
いずれにしてもし残しというのは後々尾を引くものですな。考えても仕方のないことだけれど。
今更ですが、偶然この記事を見つけましたのでコメントさせて頂きます。
私もMZ-80Cで同様の実験をしました。ただ、サンプリングは機械語ルーチンを使用しました。
録音時間とのバランスで、8Bitの6kHzサンプリングとしましたが、実際はもっと上を狙えました。
A/DとD/Aに、ナショナルセミコンダクタ製のちゃんとしたものを使ったせいか、音質も固定電話程度でした。
MZも、そう捨てた物ではなかった様です。
by Kirk (2009-11-30 15:10)
Kirk様、コメント有り難うございます。
その頃以来、時たまぼんやり考えていた憶測がその通りだった事に今はちょっとした感慨があります。
それは私が出来の悪い学生であった事の証左でもあるわけですがw
by shim47 (2009-12-05 15:10)