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Eternal Rhythm/Don Cherry(邦題:永遠のリズム/ドン・チェリー) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 ドン・チェリーについて意識的になったのは実はそれほど以前の話ではない。

 4年前に現在の稼業を始めてから余暇が増えた。それでレコードの棚をマメにほじくり返すようになって、以前、半ば義務感のようにしてだとか何かのついでに買っていたドン・チェリーのレコードを見つけたのが始まりだろうか。

 オーネット・コールマンのサイドメンだった頃などはいかにも納まりの良い共演者風で今ひとつ強い印象を受けることはなかったが自己名義でレコーディングされたものをつぶさに聴いていくとこの人はこの人でまた独自のスタンスを持った個性あるミュージシャンであることを改めて知った。

 私事になってしまうが、自営業者として暮らし始めて実感する開放感と、その裏返しである心許なさとこの人の音楽は何故かどこかで奇妙に通底し合っている。 齢50近くにもなっての音楽的嗜好と言えばスイング・ミュージックあたりなのだろうと勝手に決め込んでいたが案外そうでもなく、こういう方向性もあるのかと我ながら少々意外に思う。

 今年の夏は随分ターンテーブルに乗っかることが多かったのがEternal Rhythmだ。

Eternal Rhythm 永遠のリズム

Eternal Rhythm 永遠のリズム

  • アーティスト: ドン・チェリー
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2003/11/21
  • メディア: CD

 贔屓の引き倒して言うわけではないが、オーネット・コールマン同様、ドン・チェリーの音楽も別段難解ではない。フリー・ジャズという括り方があるが今の私にとっては何ともけったいというかせせこましい枠組みであってこれだけ自由な発想で組み立てられた成果に対してはむしろフリーミュージックとでも名付けるのが妥当なのかもしれない。本作を聴いていると「フリー」という言葉の意味ずるところについてついついあれこれと考え込む瞬間があったが、そんな思案ごとをすることにも大した意義はなく、ただただ提示された世界を受け入れてそこに飛び込んでいくことに愉悦があることをしばらく以前に知った。 学理学典上の四角張った理屈だとか歴史的な意義だとかではなく、ただ単に未知の面白そうな風景に素直に入り込んでいける身軽さとかフットワークの軽さこそがここで言う「フリー」の意義なのだろうと未だに未熟なこの頭で勝手に解釈している。

 所謂フリーフォームにも色々傾向はあるようで、漠然とした言い方だが例えばジョン・コルトレーンの音楽などはリスナーに同化を迫る種類のもので求心的であり、ストイックであり、排他的なものに今は思える。技術至上主義的な時間をくぐり抜けてきたことが明らかに感じ取れるその音楽性は一種アカデミズムの追求劇でもあって、純潔性とか正当性とかいった記号を殊更大事にしたがる我々大和民族にはある種宗教的な価値観の元に崇めたてられていた一時期があった。これは以前、私自身がまさにそのようなリスナーだったことに対する多少の皮肉が混じっていることをご承知いただきたい。オーネットもそうだが、ドン・チェリーの音楽もまたそのような価値観とは対極の所にあって、ストイシズムや技巧の優劣に根ざした価値基準の物差しを笑い飛ばしているような所がある。今、私がドン・チェリーの音楽に接して抱く何か肯定的な印象はそういった姿勢に感応してのものなのかもしれない。

 まあ、善し悪しはさておいて、コルトレーンの音楽が何事かを突き詰めるタイプの垂直方向に進行する類のものであるとして、こちらはアメリカ、ジャズ、といった枠を抜け出して今日はあちらへ明日はこちらへと楽天的な風来坊を決め込むような風情があって水平拡張型とも見るべきだろうか。雑種であることの新鮮さ、亜流であることの身軽さ、先に私はコルトレーンの音楽はリスナーに同化を迫ると書いたが、ドン・チェリーの音楽はリスナーに参加を呼びかけるとでも受け止めておくのが適当ではないかと思っている。

 本作にはジャジーな局面も勿論あって確かにそれは聴き所ではあるのだが手を替え品を替え持ち出す民族楽器やらガムラン音楽風の展開やらが自由さを感じさせる大きな要因になっている。断片的な印象としてはソニー・シャーロックの無頼風なプレイが冒頭部分のみにとどめられているのがちょっと残念でもっと全編にわたって大暴れしてもらいたかったのだが全体の構成としてはあれくらいの比重がちょうどいいのだと聞き終わってから思う。また、ヨアヒム・キューンはやはりいいぜ、などと再認識した。全編ワールド・ミュージック的な本作の中で真性ヨーロッパ人であるこの人のプレイが一番ジャズっぽいというのも何だか面白い話ではある。

 また、フリージャズとかフリーミュージックとかいう括られ方をされてはいるがここには垂れ流しの即興演奏が意外に少なく実は本作はまるで映画のように律儀にシークエンスが規定されていてがっちりと起承転結が構成されている。エンディングを聞き終わったあと私はこんな映画のことを連想していた。

8 1/2 愛蔵版

8 1/2 愛蔵版

  • 出版社/メーカー: IMAGICA TV
  • メディア: DVD
どちらも最後はお祭り風のハッピーエンドである。マルチェロ・マストロヤンニの最後の台詞はこうだった。
「人生は祭りだ、共に生きよう」
 ここでの音楽もまたそれと同じメッセージを放っているように私には聞こえる。絵のない映画に見入っているとか、風来坊の思い出話に聞き入っているとかこの音楽に接しているときの私はきっとそういう心境なのだろう。

 

 

 


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