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Lee Konitz with Warne Marsh/Lee Konitz(リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 歳をとってくるにつれて段々聴く頻度が上がってきたミュージシャンの一人にリー・コニッツがいる。

 書店に足を運んでみるとジャズのレコードにはバイヤーズガイドのような書籍が物凄く多いことに驚く。数だけは沢山あるがピックアップされているソースも、説明内容も大体似たり寄ったりで正直なところ、何冊も購入して読むほどの意味はないし深い含蓄に富んだ名解説に出会うことも今はない。以前、一冊はあったと思うが今は恐らく絶版だし内容が大変古いのでここ20年ばかりの間にリリースされたものに関心のある方にはガイドとしての用をなさないことになる。

 そんなこんなで今の私は現在購入できるこの手の書籍には全く無関心なリスナーなのだが、若い頃には2,3冊位はあれこれ買って読んでもいたことがある。網羅されているプレイヤーの中には滅多に聴く機会がなく、名前だけしか知らないような人がかなりの割合でいたがリー・コニッツもそんなうちの一人だった。いわゆる歴史的名盤のようなものは半ば義務感のようにして買ってはみたもののいざ聴いてみると大して面白くも感じられず一度針を降ろしたきりであとは棚の中に埋もれ続けるものも結構あった。リー・コニッツという人はここにも該当している。

 30歳位までの間に最もよく聴いた、というよりも唯一聴きまくったのはMotionだった。

モーション+3

モーション+3

  • アーティスト: リー・コニッツ,ソニー・ダラス,エルビン・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2003/05/21
  • メディア: CD

 今考えてみると、その頃私がポイントを置いていたのはリー・コニッツ当人よりもエルビン・ジョーンズにあったのだとある時期から何となくわかった。

 辺りを見回してみると、リー・コニッツの熱烈なファンという方には全くお目にかかったことがない。同じアルト・サックスならば、例えばマリオン・ブラウンみたいな傾向のプレイヤーのほうがまだ関心を寄せるリスナーは多そうに思う。月刊なり季刊なりの雑誌にしてもリー・コニッツの特集などおよそ記憶にない。であるにもかかわらずリー・コニッツはサックスプレイヤーとしてある一定以上のステイタスを与えられており、そのレコードはバイヤーズガイドには必ず一定数取り上げられてもいる。若い頃の私にはその根拠が今ひとつ理解できなかった。一体この、掴み所のないメロディラインで魅力に乏しいトーンの持ち主の何がそんなに凄いのか?

 もうURLは忘れてしまったが、食わず嫌いならぬ「聴かず嫌い」のリスナーが無理矢理何かの音楽を聴いて短評を述べるという実に楽しいブログがあって、あるときキング・クリムゾンを取り上げたことがあった。そのブログ主によればクリムゾンの音楽は「理系の音楽」なのだそうだ。『これから研究発表をするから皆さん、お静かに』といったムードがクリムゾンの音楽からは醸し出されているようにその方には聞こえるらしい。確かにそういう側面はあるかもしれないとそのテキストを読みながら私はリー・コニッツのことを連想した。

 アルト・サックスの絶対基準を強いて一人挙げよ、という問いかけが多数のリスナーになされたとして、恐らく最大公約数的に返ってくる答えはやはりチャーリー・パーカではなかろうかと私は考えている。そしてパーカーの持つ属性を殆ど全て裏返しにしたような存在がリー・コニッツなのだろうとある時からは位置づけるようになった。一つ一つアナロジーとして論っていけばきりがないのだが、いささか乱暴に喩えてみると、パーカーの語法はあくまで話し言葉なのだがリー・コニッツという人は、例えば数式を口に出して諳んじているような語り口に思える。

 それは単なる亜流のスタイルであって果たしてそんな音楽を聴いていて楽しいのかと聞かれれば確かに最初のうちは特段心を動かされるような類のものではない。ただ私の場合、馬齢を重ねながらもその間に色々な人と会って色々な語り口と接しているうちに、直截な物言いをしない人、遠回しで暗示的な、含みを持たせた語り口に妙に惹かれたり気になったりした覚えは確かにあって、リー・コニッツのプレイスタイルというのはそんな佇まいのものではなかろうかとある頃から意識するようになってきた。やや明快さにかけるトーンや、ヘンに歯切れの悪い屈折したフレージング、スタンダード・ナンバーなどを演じてもなかなか素直にテーマを吹かないでいきなりアドリブから始めてみる流儀など、偏屈にして理屈っぽい事この上ないのだが、ゲテモノ好きというかいかもの食いというか、何度も聴いているうちに段々その偏屈な吹奏スタイルの奥にあるものが気になり始めてくるようになった。パーカーとかエリック・ドルフィーのような人達の作法とは違って『あんた、一体それどういう事なのよ?」と、突っ込みを入れたくなる瞬間がリー・コニッツの音楽には至る所散在していてそれは一つ、音楽の楽しみ方でもあると今になってわかりかけてきたようなつもりになっている。

 ここまで私は偏屈とか屈折とかいう言葉でリー・コニッツの演奏スタイルを評していることに今気付いた。何というかこの人の音楽は「屈」という文字に象徴されるところが多いのではないか。他人の屈折した佇まいを眺めて面白がる今の私もまた屈折したオヤジなのだろうが。

 パーカー・スタイル一辺倒のジャズ・シーンにあって「そうではないスタイルであってもモダン・ジャズの語法は成立するのだよ」というメソッドを打ち出したリー・コニッツは確かに一つの特異点ではあったのだろうが、結構ストレートに楽しめる録音も残している。

リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ(完全生産限定盤)

リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ(完全生産限定盤)

  • アーティスト: リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ,ビリー・バウアー,ケニー・クラーク,オスカー・ペティフォード,サル・モスカ,ロニー・ポール
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/11/09
  • メディア: CD

 2ホーンで相棒はかつてトリスターノ・スクールで同窓だったウォーン・マーシュである。バックはオスカー・ペティフォードにケニー・クラークとバリバリのバッパーが配されているのでリズムには弾力性があり、スマートながら全編結構躍動感がある。選曲はテーマをストレートに吹奏するバップ・チューンがあったりブルースナンバーがあったりで割と「普通の」ジャズっぽいが、リスナーに肩すかしを食わせてほくそ笑んでいるようなムードが全編に感じられるのは決して私の独りよがりな思いこみではないはずだ。

 本作は「実は俺にだってバップやブルース位こなせるのさ」風な趣があってそれは確かに聴き所なのだがもう一つ、2本のホーンの絡みが何とも見事な印象を残す。時に精緻なユニゾン、時に複雑に交叉する二つのメロディーラインを自在に織り込んでいくこのレコーディングはどこまでがアレンジでどこからがアドリブなのかを想像しながら聴いていると妙なスリルがかき立てられる。熱気やエモーションの爆発みたいな局面だけが音楽のスリルではないのだよ、と、言いたげな音楽で、インテリチックな楽しみ方はさせてくれる。

 というわけで本作はリー・コニッツの系譜中にあって結構リラックスした演奏記録なのだがこのセッションを企画したのは制作サイドなのかそれとも本人なのかという関心を私は抱いている。どちらであってもその背後には何かしら、ある種の物語性が潜んでいるように思えるのだ。前者についてはこの、希代のスタイリストをもっと通俗的で商業性のあるミュージシャンとしてリスナーに再認識してもらいたかったという憶測は成り立つと思うし、後者については頑なにバップに背を向け続けたかつてのボスであるレニー・トリスターノの引力圏から抜け出した地点で一度肩の力を抜いた同窓会的なセッションをやってみたかった、という希望が或いはあったのかもしれない。ジャケット写真に見られる本人の破顔一笑する姿から、私はついついそんな風に想像を膨らます。音楽そのものは『理系っぽい』が更にそのアウトラインには逆になんとも文学的な香りが感じ取れる。色々な意味で大人の音楽だと改めて思う。

 

 

 


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