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Joe Newman Quintet at Count Basie's/Joe Newman(ジョー・ニューマン・クインテット・アット・カウント・ベイシーズ/ジョー・ニューマン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 1940年代の中期まで、カウント・ベイシー・オーケストラに於けるファースト・トランペッターはハリー・エディソンが不動の座を占め続けたが同時期に在団したトランペッターとしては、私個人はバック・クレイトンのほうにより強い思い入れがあったので後者のソロが聴ける機会が少ないことは常々ちょっとした不満でもあった。

 客観的に言えば、サッチモの影響が濃厚なバック・クレイトンよりもハリー・エディソンのほうが感覚的には新しいプレイスタイルであり、より輝かしいトーンの持ち主でもあるので一番ラッパの位置づけは順当ではあるのだろうが、私の性分として報われない実力者的存在に肩入れしたい心情があって未だに妙なバイアスをかけることをやめずにいる。

 殊にトランペッターに向けた賛辞として「いぶし銀のプレイスタイル」というフレーズがしばしば用いられるが、多少意地の悪い見方をすれば、地味なトーンの持ち主であり華やかさは今ひとつと形容できなくもない。トランペットという楽器には第一義的に華々しさが求められていて、大概それは発するトーンにその根拠がある。そしてこの、トーンというのはどうもプレイヤー本人の先天的資質によってある程度限定されてしまうもののようだ。考えてみると「いぶし銀」なる枕詞はもっぱらトランペッターに向けて多用されているようで、いぶし銀のドラムだとかいぶし銀のサックスなどという形容は余り聞かれない。

 先天的な資質によって座るスツールの位置がある程度限定されているという意味で、トランペットという楽器にはちょっとした残酷さを感じる。もう一つ思いつくに、色々いる楽器プレイヤーのうちで頭にエースという言葉を戴くのもトランペッターだけではないだろうか。ハリー・エディソンという押しも押されもしない偉大なエース・トランペッターの次席以下を務めることは相対的に例の「いぶし銀」という形容を頂戴する運命にあったようだが、それが何かしら彼らの自尊心を埋め合わせるだけの効能であったかどうかについては想像の域を出ない。

 バック・クレイトンの退団後、セカンド・トランペッターの椅子に座ったのがジョー・ニューマンである。1961年まで在団しており、途中でハリー・エディソンは退団しているが、空席になったエースの座にはサド・ジョーンズと席を分け合うような格好になったと見るべきだろうか。ジョー・ニューマンの資質はハリー・エディソンに近いものがあり、華麗さを感じさせるが線の太さとかスケール感ではサド・ジョーンズに分があって、客観視すれば後者がより目立っていたように思える。

 先にトランペッターの先天的資質はトーンに表れるなどと私は訳知り顔で書いてみたのだが、カウント・ベイシー・オーケストラを去来したトランペッター達のことをあれこれ考えるにつけ、そこにはもう一つ、スケール感というこれまた何とも定義のしようのない要因が絡んでくるらしいことをこうして駄文を垂れ流しながら気付いた。とどのつまり、私は常々、ちょっと地味めだったり、ちょっとこぢんまりした感じのトランペッターに対する食指が蠢き続けているらしい。だからジョー・ニューマンのリーダアルバムにはに出くわしたときには躊躇なく手が伸びた。

アット・カウント・ベイシーズ(紙)

アット・カウント・ベイシーズ(紙)

  • アーティスト: ジョー・ニューマン,オリヴァー・ネルソン,ロイド・メイヤーズ,アート・デイヴィス,エド・ショーネシー
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2002/12/18
  • メディア: CD

 

 ベイシー楽団の退団後、初のリーダーセッションである。2ホーンの本作は最初から最後までどの曲にも必ずジョー・ニューマンのソロが聴ける(当然だが)。録音場所は以前のボスであったベイシーが当時経営していたクラブで、フロントラインには少々意外な気もするがオリバー・ネルソンが陣取る。ときたまコルトレーンの語法を交えるこのサックスと対峙するせいなのか、或いはライブレコーディングであるためなのか、主役の活躍ぶりには目を見張るものがある。コーラスの枠に束縛されることなく思う存分吹きまくることの開放感を満喫しているようなプレイで聴いている方も妙に嬉しくなってくる。

 オープンホーンでの吹奏はやはり少々小づくり感があって、ビッグバンドでの位置づけの理由はこういう点にあったのかとも聴けるがスモールコンボに於いては特段マイナスに作用していない。それを補って余りあるのが半分以上の曲で聴かせるミュートプレイでどの曲を聴いても私などは毎度唸りっぱなしである。ジョー・ニューマンのリーダーセッションは数が少なく、起用何とか的に参加した他人名義のやたら数多いレコーディングで散発的なソロを聴くことしかできないので本作は私にとって大いに貴重なソースである。ただ気のせいか、たとえソロスペースがなかったにせよ、ジョー・ニューマン参加した録音で聴けるトランペット・セクションはどれも例外なく豪華な響きを生み出す、この点に於いて私の期待は未だに一度も裏切られたことがない。そしていくつになってもレコード(CD)漁りをやめられない理由は、一つにこういった立ち位置のプレイヤーの存在なのだろうと改めて思う。 


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