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At Fargo 1940L/Duke Ellington (アット・ファーゴ1940L/デューク・エリントン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 さほど意識もしていないうちに、ブログを始めて以来何と300本目の記事を書き始めている。元来、根気も持続性もない私がよくもまあこれだけあれこれと書き続けてこられたものだと我ながら妙に感心する事しきり。

 300という数字は何かの節目たり得るのではないかと考えていて、しばらく前から何について書いてみようかと独りよがりな思案を続けていたところ、貧乏学生の頃に買いそびれて以来30年近く、探し続けていたレコードを最近やっと中古盤で手に入れる事が出来たので、取り上げてみたくなった次第。

アット・ファーゴ 1940 L

アット・ファーゴ 1940 L

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1995/02/22
  • メディア: CD

 

 長いキャリアを誇るエリントンだけに、バンドは幾つかのピークを有している訳だが極めつけの最盛期と言えば1939年から1941年にかけてというあたりが 衆目の一致するところだと思う。「百万ドルのリードセクション」が健在で、ベースにはこの楽器最大のイノベーターであるジミー・ブラントンが存命の頃である。

 本作の録音は1940年11月7日、ノース・ダコタ州ファーゴのクリスタル・ボールルームで行われた。当日の開演は午後8時で、途中休憩を何度か挟みながら翌日午前一時頃まで演奏は続いた。今でこそビッグ・バンド・ジャズは鑑賞目的の音楽として扱われているが当時はダンスの伴奏音楽の域を出ていない頃で、本作もそのような環境下で録音されている。猫に小判と言うか豚になんとかと言うか、これほどの音楽がそのような扱いでしかなかったというのは全くもって信じ難いが揺らぐ事のない事実である。

 当時のエリントン・オーケストラはRCAと専属契約を結んでいたため、当然ながら本作はオフィシャルレコーディングではない。であるにもかかわらず本作の音質は当時の時代背景を考慮するとホール自体の音響の良さも相まって桁外れに良い。当時、現地の熱烈なファンだったTom Towers と Dick Burrisの2名が商業目的ではない旨を再三強調の上マネージャーと粘り強く交渉した結果、当日のライブレコーディングは特別に許可された。録音機材はバッテリードライブのカッティングマシーンで、当然ながら磁気テープもミキサーもない時代なので一発取りのダイレクトカットである。しかも持ち込みの台数は一台のみであるため演奏される曲の頭やエンドが切れていたり、ボーカルがオフ気味になっていたりといった不具合が散見されるのは致し方ないが、最盛期に於けるライブがオープニングからエンドまで殆どそっくりレコーディングされたケースというのは極めて珍しく、上記2名の功績は幾ら賞賛されてもされ過ぎという事はない。まさに歴史の1ページを彩る至宝とも言うべきOne Night Standを私はおよそ70年後の今日、自宅で何度も好きなだけ繰り返して聞ける事の有り難さをつくづく実感せずにはいられない。

 構成メンバーについては多くを語るまでもないが、唯一惜しまれるのは一番ラッパのクーティ・ウィリアムスが本作録音の五日前にベニー・グッドマンに引き抜かれてバンドを去っている事だ。昇格人事(?)となったレックス・スチュワートは前任者と比べて突進力に於いては一歩譲るがよりメロディアスで明るいプレイスタイルで、立派に重責を果たしている。クーティ・ウィリアムスに関しては、奇しくもこの日、1940年11月7日は彼を迎えたベニー・グッドマン・セクステットが初の録音を行った日でもあって、何やら因縁めいた物語を想像させるに十分な背景とは言えまいか。

  音楽そのものについてはこれまた何も言うべき事がない。最初から最後まで徹頭徹尾、終始一貫してただただ素晴らしいとしか言いようがない。Aトレインやサテン・ドールが収録されていないからといって購入を見送った当時の私は全くもって眼力のない大馬鹿者だったことを30年ぶりに思い知った。聞き所は満載で全てについて語り尽くすだけの筆力が私にはないのだが 強いて一つを上げるとすればやはりジミー・ブラントンについて触れずにはいられない。わずか一年強という公式な録音歴がそのまま在団期間でもあるこの不世出の天才は、姿を現した1939年に於いて既に神懸かり的だった。

JimmyBlanton.jpg 

 エレキギターに於けるジミ・ヘンドリックス、エレキベースに於けるジャコ・パストリアスに並ぶ存在をウッドベースに求めるならばどこからどう考えてもジミー・ブラントン以外には思い当たらない。 スコット・ラファロの前にはミンガスやオスカー・ペティフォードもいたしレイ・ブラウンもいた。そして彼らの前にはブラントンがいたわけだがその前にはというと誰もいなかったのだ。あったのはただ単に、一小節に4つのビートを刻むだけの裏方楽器でしかなかった。ベースのソロはおろか、一小節のブレイクさえもブラントン以前には存在しなかった。リスナーはジミー・ブラントンを通じて初めてベースの音のみを聴いた事になるのであって、例えばKo Koのブリッジにおいてジミー・ブラントンのブレイクを聴くという事はそのままウッドベースの概念が覆る歴史的瞬間を追体験する事をも意味しているのだ。

 本作でのブラントンは、録音の良さも相まって公式に録音されたRCA盤での演奏よりも更に克明なトーンを聞かせ、ライブステージであるせいもあってかパッセージはよりエネルギッシュだ。推移から行って比較対象を逆に探すしかないのだがレイ・ブラウンを更に硬質にした感じとでもいうか、図太く硬質なビッグトーン、アクセントやタイミングを自在にコントロールする多彩なフレージング、いかなるテンポにおいてもドラマー以上にバンドの背骨としての推進力を発揮する性格無比のタイム感覚とピッチ感覚など、当時21歳の若者がたった一人でここまでの事をやり遂げていたのかと思うと感嘆抜きには聴けない。全てのベースマンにとっての永遠の指標たる根拠はその演奏で十分以上に示されている。

 私は目下、LP2枚組の本作を毎日毎日飽きもせずに繰り返して聞き続けているのだが、およそ80分がこれほど短く感じられる事はそうそう滅多にあるものではない。同時に優れた音楽の前で言葉というものがどれほど限界だらけでもどかしいものなのかも改めて意識する。本作を中古LPで手に入れるまでの30年弱はなんだか人生に於ける機会損失でさえあったのではないかと結構大まじめに反省していたりもする。

 そんなわけで、LP制作時には編集から漏れたアウトテイクを含んだ全曲が収まったCDを購入する事に決めた。今年はしばらくぶりにデューク・エリントンの音源収集熱が再燃しそうな気配だ。 

 

 


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