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Attack Force (邦題:沈黙の激突) [映画のこと(レビュー紛いの文章)]

 冬は日が短いのでプロジェクターを引っ張りだしてきて映画を見るには都合がいい季節だ。そのせいかどうでもいい三流映画を次から次と見続ける変な習慣がここ数年で身に付いた。

 私にとってここ数年の代表的三流映画と言えばやはりスティーブン・セガールの主演する一連のアクション映画になる。もっとも、ここ数年のセガール氏はすっかり肥え太ってジョージ秋山のマンガに出てきそうなおっさんに成り果て、アクションシーンと言ったって目まぐるしいカットバックによって一体何をやってケリがついたんだかわからないうちにとにかくセガールが無傷のまま労せずして敵役を打ち倒しているようなインチキ臭い編集ばっかりなのでもはやアクション映画というよりもSFチックとさえ言えそうな何かに変質してしまっている。

 死んだ子の歳を数えるような話だが、セガール氏のデビューは結構かっこいいものだった。初主演作の冒頭で、彼は自分が日本で初めて合気道の道場を開いた外国人である事を誇らしげに語っていたのだ。道場をたたんで帰国した後、ハリウッドでアクション演技の指導に携わっていた、その俺様が初主演する映画がこれから始まるのだ、というオープニングには少し驚いた。通常一般のアクターとは主体が転倒している。誰を演じるかではなく誰が演じているのかを見て欲しいわけでこれは物凄い自己顕示の発露とは言えまいか。

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 確かにスクリーンデビューしてから数作のスティーブン・セガールはいかにも本物の武道家らしい身のこなしが凄みを漂わせていた。しかし喩えは悪いがアクション映画専門の俳優というのはポルノ女優みたいなもので、物凄い刺激をそういつまでも発散し続けていられるものでもない。トウが立ってくればフェードアウトするかキワモノに転身するくらいしか選択肢がないのが殆どではないのか。セガール氏の場合は後者だった。デクデクに太りながらもセガール氏はひたすら厳つく、強面で、どんな強敵も一撃のもとに叩きのめす猛烈なオヤジでありつづけている。今や俳優としての株など暴落もいいところで製作陣といい共演者といい聞いた事もないような人たちばっかりの低予算映画の粗製濫造がもう何年も続いていてもはや興行価値などロクに見込めそうもないのに、セガール氏はとにかく、何が何でも、しゃにむに、断固としてそういう役柄で主演する事以外には俳優としての間口を広げるつもりが毛頭なさそうに見える。

 人物設定や筋立ての展開が荒唐無稽であほらしい、とか格闘シーンの立ち回りがあまりにも一方的な展開ばっかりで全然盛り上がらないといった至極ごもっともな批判が公然化した頃と例の「沈黙シリーズ」が乱発され始めた時期は大体一致している。原題自体はどれもバラバラなのだが日本で公開されるときにはまるでその言葉を枕に振らなければならない決りでもあるかのように「沈黙のなんとか」だ。ただでさえアクションスターとしては下り坂で、主演する映画そのものの質も底打ち状態の「沈黙のなんとか」シリーズは私の住む田舎町などでは数年前からは劇場公開さえされなくなった。きっと配給する側も色々タイトルを考えるのがもう面倒臭いからセガールが主演している映画なら何でも「沈黙のなんとか」にしておけばいいや、みたいな腹づもりでいるのではないか。

 私の悪癖でいつも前置きが長過ぎる。とにかくこれだ。先に私はセガールの近作はもはやアクション映画というよりもSFチックであると書いたがここで訂正しておきたい。セガールの近作はSFというよりも一種のギャグとして見るのが正しい作法ではなかろうか。

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 このタイトルにしてからが既に配給会社のてきとうな手さばきが如実に現れている。

この地表には空気という媒質が満ち溢れているのだから激突が起これば必ず音波が発生するのであって沈黙などあり得ない、とか、激突を衝突と言い換えるならばそれは固体同士の運動が起こす物理現象であって、果たして『沈黙』とはそのような実体を持っているのか、とか我ながら情けなくなるくらいバカ丸出しの突っ込みを入れてやりたくなる。

 映画の中身についてはもう、いい加減にしてくれと言いたくなるくらいの低劣さで呆れるしかない。セガール様の手抜きアクションは健在で、『一撃のもとに叩き伏せる』という境地さえ超越されたようだ。射撃の腕も含めて、もはやゴルゴ13だってセガール氏には敵わないのではないかと私は真剣に考えている程だ。

 セガール様の事はさておいて、この映画を見ていて大変鬱陶しいのは最初から最後まで画面が暗い事だ。最初から最後まで殆ど全てのカットが暗がりや物陰だったり夜間だったりのシーンばっかりが続く。銃撃戦や格闘シーンも全て暗がりの中で行われ、普段以上にわけがわからないうちにとにかくセガール氏麻薬のドーピングによって超人化した殺人マシーン共を涼しい顔でいつも通りちょっと触るだけで敵を呆気なく絶命させてしまうのである。手抜きアクションはいよいよもって際立っており、実はセガール様こそが真の超人であった事をこの映画は伝えている。何せ、製作手法として論外という他ないが、ここで私は明るい場所でのロケーションではセガール氏が太った自分の体型が明らかになるのを嫌ったからではないかと意地の悪い想像を働かせている。

 まあとにかく、それでもなんだかんだ言って私はスティーブン・セガールの主演する映画を折りに触れて身構えるでもなく緊張感もなくダラダラと見続けている。カップラーメンをすすりながら、とか、大して飲めもしない酒をチビチビやりながら、相変わらず下らねえ事をやってるな、とか、もう十分稼いだのだからいい加減やめちまえ、と内心毒づく事でなにかしら楽しんでいる事になるのかもしれない。映画を見ているというより水戸黄門だとか暴れん坊将軍のようなドラマシリーズに接している感覚に近そうな気がする。


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