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放送受信料の不払いを勘案し始める [身辺雑記]

 元々、ただで得られる情報になどロクなものはないというのが私の持論だった。今でもそう思う。
テレビの放送電波もまた例外ではないはずだ。現に私は数年前から民放各局の番組など見なくなった。嘘でもないがあんなものを一時間も見ていると何だか物凄く時間を損した気分になる。

 そういう意味では、こちらも大したことはないのだが公共放送はまだ幾らかましに思えていたのだが、ここしばらくはそうとも言えないような気がし始めている。
 前のエントリーで私はエルヴィスが唄いながら腰をクネクネさせる仕草が世間のひんしゅくを買ったといったようなことを書いたが、公共放送の某番組で高田文雄という芸人が気の抜けたベリーダンスみたいな仕草をしてみせて笑いを取っていたところを見て頭の中のスイッチが切り替わったのだった。何も高尚ぶるつもりはないが、ああいう下品というかくだらない一発芸は20年くらい前の民放バラエティ番組では結構受けていたような記憶はある。
 公共放送の節度は大体25年くらいかけて徐々に地盤沈下し始めてその域にさしかかりつつあるということなのだろうと思った。確かに私がだんだんテレビを見なくなっていったのは20数年前からだと思う。

 親父の小言みたいで我ながら嫌になるが、ああいう低劣な瞬間芸は公共放送が受信料を徴収して見せるものなのかと。

 翻って見ると公共放送は地上波打ち切りを数年後に控えて編成に手抜きが目立つ。再放送の番組がやたらと多いしバラエティ番組風に出てくるゲストは決まって放送中だったり新番組だったりの出演者なわけで、あれは一種のCMではないのか。それにちょっと興味を惹きそうな番組はというとこれも決まってBSハイビジョンである。目につくものについていちいちケチををつけ始めるときりがないのだが、とどのつまり番組の制作には金がかかるのだからもっとましな番組が見たかったらもっとお金を払えというのが公共放送の言い分なのだろうということは容易に察しがつくし、まあ確かに正論といえば正論だろう。

 しかし放送電波のために今様のハイビジョンテレビを買い込んでこれからデジタル放送を見たいのかといえば私は全然そう思わないのだ。
これは私がテレビも買えないほど貧乏なので負け惜しみをいっているわけではない。確かに貧乏ではあるが幾ら何でもテレビが買えないほどではないしローンの審査くらいは通りますよ。

 そもそももう20年以上も前から、テレビ受像機という物体は私にとっては放送電波の受信機としてよりもビデオテープの再生用に利用する時間の方がずっと長かったのだ。30歳を過ぎてオヤジゲーマーの道を歩むようになってからは受信の時間は更に激減した。40歳を過ぎてプロレス番組を見なくなってからは民放を全く見なくなり、そのうちゲームもやらなくなり、映画はプロジェクターで見るようになり、拙宅のテレビ受信機はもはや公共放送専用受信機と成り果てた。しかもそれは朝、時計代わりに漠然と眺めているのと夜間、家の中が静かすぎるので適当につけっぱなしにしておくとか土曜日のドラマを気が向いた時に見るくらいの利用度しかないのだ。 

 おまけにここ数年の番組のくだらなさである。ここまでくるともう、テレビ受信機などあってもなくてもいいような代物とさえ言えそうな気がしてくる。更に言えば放送受信料という名の代価を払う気さえも失せつつある。
 一時期、私はテレビのない生活を半年ばかり送った頃があり、今考えてみるとその頃格別何か不便をかこった覚えもなかったのだが、あの時NHKに『自分はもうテレビを見ないので受信料の引き落としをやめていただきたい』と問い合わせてみたら一体どんな反応がかえってきたのだろうかと想像してみたことがある。

 最近、公共放送の余りのくだらなさ故にそれを実行してみようかとふと考えるのである。
玄関先で集金人と押し問答をしながら屋根の上に立っているアンテナを指差して、あれはFMラジオ放送の受信用に立ててあるのだと説明した上で敢えて集金人を居間に通してテレビのないところをご確認いただく場面を想像すると少々愉快な気分にはなる。


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