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書を捨てよ町へ出よう(2) [映画のこと(レビュー紛いの文章)]

今年の始めに書き始めてみたテキストだがいかにも尻切れとんぼ風でまだまだ書き残しておきたい事があるので再開。

http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2010-01-04(前回のテキスト)

『処女作に向かって前進する』という言い回しは時折聞くが、表現手段は色々あっても確かに処女作というのは表現するその人の過去の蓄積が詰め込まれているものである事が多そうなので生涯にわたるモチーフを感じ取られる事が結構あるように思う。

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 それまでは文筆だったり演劇だったりの世界で既に一定の評価を確立していた寺山修司だが映画監督としては処女作である。他分野で既に一家を成した人が映画製作に携わる時にはいきなり随分と手慣れた作風で処女作をリリースする事は結構あって、周囲の人たちはそれをさして『優れた表現者はどんなカテゴリーを手がけても一定の完成度をマークするものだ』という褒め方をする。

 しかし本作は全くそうではない。訴えたい事が多すぎてまとまりがつかなくてこういう造りになってしまったのか、あるいは意図して定型のストーリー展開を突き崩したような肌触りに仕上げたかったのか今の私には判断出来ないが、良くも悪くも不器用で荒々しい手つきの感じられる映画だ。敢えてここであらすじのようなものを整理しておくと格段入り組んだ内容ではないと思う。

 主人公は家族にそれぞれ問題を抱えた高卒浪人で、人力飛行機に乗って空を飛びたいという夢想を抱えながらどこか現実とは遊離した精神生活を送っている。 そのうち家族間での軋轢が強まったり主人公の精神的支柱となる人の一種裏切り的な行いにより否応無しに現実と対峙せざるを得ない心境へと押しやられていく。当初の夢想は自分は進学を諦めて鉄工所で働き、父には屋台を買い与える事で定収入を得る家族の仕組みを作るという地点にまで矮小化せざるを得なくなる。矮小化せざるを得なくなった現実を受け入れるべく気持ちの整理をつけた途端、購入した屋台が実は盗品だった咎で警察沙汰となり矮小化された夢は遂に粉砕されてしまう。

 表層的なストーリーを強いてまとめればこんな感じだろうか。

筋立て自体はこの映画と幾分通じ合うところもありそうに思えた。寺山修司が本作を製作するにあたって意識していたかどうかはもう確かめようもなく、この辺りは私のこじつけめいた思い込みではある。

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  全体のムードはかなり違うが、逼迫した生活者が生活手段を破壊されて更に逼迫するという一側面は共通しているように思えてならない。

ネット上の色々なレビューを読んでいると、いかにも時代がかっていて古臭いという否定的な感想が物凄く多いのだがこれは全く表層的な見方であって、例えば主人公は高校を卒業しただけで定職にも就けないフリーター、戦争犯罪人の負け犬とされている父は不景気で会社をクビになった失業者、ペットのウサギ以外には誰にも心を開かない妹はいじめにあって登校拒否となった引きこもり、万引きと虚言癖のある祖母は認知症、というふうに、本作での家族の佇まいはそのまま現在の私たちが抱え込んでいる病理やざらついた世間の空気に簡単に置換出来てしまう。 だからこの映画は決して時代の流れとともに風化してはいないのであって、むしろ今現在の私たちが呼吸する空気をこそ禍々しく投影しているのではないか。時代波形を感じさせるデコレーションが過剰気味なところは確かにあるが本質的には本作が扱っているテーマは物凄く普遍的だと私は考えている。

(調子に乗ってもっと書き続けてみたくなりました)


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ぼんぼちぼちぼち

「書を捨てよ---」確かに 映画第一作で 言いたいことを詰め込みすぎた・・・
という感は否めないように思えやす。
後年の作は かなりすっきりそぎ落とされてきやすしね。
あっし個人は、寺山は、「これが 最初で最後の映画になるかもしれない」という刹那感の強さのために 詰め込まざるを得ない己がいた・・・と見ておりやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2010-03-20 20:21) 

shim47

ぼんぼちぼちぼち様 コメントありがとうございます。
まず第一に自分自身を語りたかった、そして語りたいことは余りに多過ぎる、そんな迷いを私は読み取っています。しかしこのデビュー作は私にとっては寺山修司の系譜中で最も強烈な受けたのも事実です。

 「美は乱調にあり」と言いますが、迷ったり乱れたりする様子が大いに私を惹き付けるのは何故なのか、きっとそれは表現者としてのポテンシャルの高さと好意的に見ています。
 乱調や構築性のなさを差し引いても個々の構成要素があまりにも鮮烈なので私にとってのフェイバリットの座は揺るぎそうにありません。



by shim47 (2010-03-21 10:44) 

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