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SL 冬の湿原号追っかけ(3) [身辺雑記]

 「冬の湿原号」は3月11日までの運行だそうです。運賃は1840円。

 市内での撮影を終えて郊外へとロケーションを移します。
当日は改正で絶好の撮影日和。線路沿いにはカメラを構えた鉄ちゃんが沢山いました。毎日毎日撮影できる釧路在住の鉄ちゃんは幸せ者ですな。

 市街地を出るあたりでちょっとした渋滞があり、撮影のタイミングを逃す可能性が出てきました。何しろ列車はダイヤに則って運行しているのであって、鉄ちゃんの都合で減速してくれたり止まってくれたりはしません。大いに焦る先輩の目に何やら物騒な光が宿り始め、押し黙って先輩の顔色をうかがう小生。
 やがて走行車数が段々減ってくると、次のロケーションに向かって遅れを取り戻すべく先輩が矢のように走る走る。野獣の如きドライビングである。横目でタコメーターをちらっと見ると5000回転をオーバーしていたので大体・・・

 線路を走るC-11と併走しながらの流し取りは大失敗でした。考えてみれば流し取りというのは今までやったことがない。

 自動車の中にSLの煙が流れ込んでくる。先輩は石炭の燃える匂いが大好きで気持ちが落ち着くのだそうです。数カ所目のロケーション後、機関車が走り去ったあとに残る煙の匂いに「いやあ、いい匂いだなあ!」と上機嫌。聞かされるまで意識したことはありませんでしたが、何だか分かる気がします。北国生まれの北国育ちにとって石炭の燃える匂いというのはつまり、冬の生活の匂いなのですねえ。

 釧路湿原を通過して終着の標茶駅に向かうC-11。汽笛の音、クランクの音、煙とその匂い、どこか生き物のような挙動はノスタルジーを喚起するような感傷的な気分にさせるような存在感があります。


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SL 冬の湿原号追っかけ(2) [身辺雑記]

 この際、紹介しておこうと思いますが「冬の湿原号」はJR北海道の企画による期間限定企画です。

http://www.marimo.or.jp/JR_Kushiro/sl18/sl07top.html

 釧路、標茶間の片道大体90分、冬の釧路湿原に点在する丹頂鶴を眺めながらの汽車旅です。
文章をどうつないでいいかに詰まったので、ここで恥ずかしながらC-11号の画像をアップしておきます。

 「蒸気の力」みたいなものを幾らかでも感じて貰えるような写真が撮れればいいのですがいかんせん私の腕ではその境地にはほど遠い。


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SL 冬の湿原号追っかけ(1) [身辺雑記]

 数年ぶりに再会した学生時代の先輩とSL追っかけ撮影の行脚です。
筋金入りの鉄ちゃんであるO先輩は列車ダイヤも撮影ポイントも融通無碍な強者で、私はにわか鉄ちゃんであるにわか弟子として同行させて頂きました。

 実はここしばらく身辺がごたついて、先週参加するはずだった撮影会を欠席することになってしまい、下手の横好きのカメラも長らく休んでいたので、これはチャンスだとばかりに釧路へ向かったのでした。

 実のところ、普段は静止しているものばかりしか撮影していないので動体には全く自信がありませんでした。日頃は偉そうな含蓄を垂れてAFカメラを小馬鹿にしていた私ですが、本日ばかりは神様、仏様、AFカメラ様の心境で臨んだのです。

 出発前の釧路駅にて
先輩の親切なご配慮で、まずは静止している車両の撮影となりました。
根室本線新富士駅に停車中のディーゼル機関車を練習用の被写体として撮る。
軽快に跨線橋を駆け上がっていく先輩の後をドタドタと無様に追う私は日頃の不摂生が祟り、プラットホームについたときには早くも息が荒く、過度の喫煙をこの時は後悔しました。
こんな体たらくでは先が思いやられる。足手まといが関の山で先輩のお叱りを受けそうだと不安に駆られながらまずは一枚。

 にわか鉄ちゃんながら、格好いいと素直に思う。撮影の腕は論外。


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テレビのない生活(2) [身辺雑記]

テレビのない生活が続いている。

元来ものぐさな性質なので、何を買おうかとあれこれ考えるのが面倒臭いせいもある。
こうしてしばらくの間テレビなしの生活を続けてみると、実はあれが生活必需品ではないことに気づく。

 先週末は家電量販店を覗き、我が家に置けそうなテレビは一体いかほどかと物色してみた。物色とは言ってもさほど購買意欲が高まっているわけでもなく、ただ単になければ来客に変人扱いされそうなので仕方がなくといった程度の気分でしかなかった。少なくともロールスクリーンの邪魔になるサイズはまずい。私にとって、スクリーンを下ろして映画を見ることは地上波テレビ放送の受信などよりも遙かにプライオリティは高い。こういう見方や考え方は既に変人扱いされて然るべきものなのかもしれないが。
 とにかく、32インチサイズくらいが妥当な大きさで、大体15万くらいの値段でそれなりのものが購入できることを知った。

 15万円という金額を把握すると、今度はまた予算計画が脱線しかかる。
テレビのようなものに15万円も出費するのなら、そのお金は何か別の物欲のために向けるべきではなかろうかと屈折した志向が湧き出してくる。
 だって実際のところ、私にとってはパソコンをネットにつないでおくこととラジオ放送を聴くことでテレビの機能は満たされてしまうのだ。

 しかしそれはやはり、変人の生活なのかもしれないが。


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テレビのない生活 [身辺雑記]

 目下、テレビを見られない生活である。理由は簡単でテレビが故障したからだ。ついでに言えば新たにテレビを買うことをさぼり続けている。
 私は貧乏だが幾ら何でもテレビが買えないほどではないし、カードローンで不良債権をこしらえたことも今のところないのだが、テレビが壊れたのをきっかけに「テレビのない生活」を試みてみたくなった次第だ。

 ハンチクな文明論を一席ぶたせて貰うと、私は利便性を追求する余り現代人を堕落させた幾つかのものを思いつく。

(1)自動車、特に自家用車
(2)携帯電話
(3)24時間営業のコンビニエンスストア
(4)テレビ

 こんなところが代表選手だと思っている。いずれも生活上必須のものではあるのだろうが、依存の度合いが高すぎたり無謬性に凝り固まったりすると人の心や体を堕落させていくのではなかろうか。

 テレビの沈黙した我が家の顕著な変化として、居間が静かになった。
考えてみると、元来私はテレビ電波受信機としてのテレビをさほど活用していなかった。報道メディアとしてのテレビなど私はなっから信用していない人種である。だからテレビの活用法は専ら

(1)朝の時計代わり。
(2)ロクでもないビデオを見る。
(3)映画などを見る。
(4)テレビゲーム。  といったところだが

 考えてみれば今日日、時計など身の回りの至る所にある。ロクでもないビデオはそう何度も繰り返し見るものではない。また、ロクでもない映像は既にこのパソコンで見る状況に移行している。まともな映画等々の映像ソフトはプロジェクターを持ち出してきてロールスクリーンを下ろすことになる。ゲームは手を引いてから久しい。
 いつの間にかテレビなどは「居間になければ来客に変人扱いされそうなので一応置いておく」程度のものになり果てていたのだった。

 大体この、旧態依然とした21型テレビは真っ当な手順で入手したものではない。仕事で出入りしているある病院の病室にあったものを、職員の了解を得て失敬してきたものなのだ。
 今でこそ病室は、各自ベッドサイドにカードやカートリッジを差し込む式の小型テレビがしつらえられているが、それ以前は相部屋の病室には硬化を放り込んで4時間くらい見られるテレビが一台あるだけだった。患者各自の嗜好もあり、入院生活のサービス環境向上のためそれらはある時期から粗大ゴミとして放り出されて備蓄倉庫という一室に山積みされていたのだが、ゴミの廃却にさえ請求書が上がってくるご時世なので、廃却経費低減のため、私は義侠心を発揮して一台失敬してきたのだ。だから私は特に身銭を切って手に入れたわけでもないこの物体には何の思い入れも愛着もない。

 それで現在、居間で音を発する物体はというと、サブシステムのステレオに繋がったFMチューナーである。ニュースも聞けるしBGMも聴ける。朝、寝ぼけ眼をこすりながらNHK-FMの「音楽の泉」を聞き流しながら朝飯を食べる生活はなかなか悪くないと一人勝手に悦に入っている。思ったほどの不都合が実はない。

 ならばいっそ、ぶっ壊れたテレビなど放り出してNHKに足を運び、自宅ではもうテレビがないので受信料の引き落としを止めてくれと切り出してみようかと空想した。職員の当惑する様子を想像すると笑い出したくなったが、そういつまでもテレビなしの生活ができるものかどうかも疑問なのでいずれどこかでテレビは買うが、少しの間この生活を続けてみることにする。

 


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元旦と修正会 [身辺雑記]

 例年、大晦日の夜にはお寺の修正会(しゅうしょうえ、と読む)に出かける。私の実家は浄土真宗大谷派の門徒なので、ある種の宗教儀礼である。除夜の鐘を突かせて頂き、年越しそばをいただいて、読経に加わって輪番の法話を拝聴してくるわけだ。

 会の段取りは有志の檀家が集まり、手弁当で行う。修正会は元旦に行うのだが、時間帯として何時という規定は特にない。朝の7時頃から行うお寺もあるが私の住む土地では除夜の鐘を門徒衆について貰うイベント(?)を兼ねて深夜0時30分に開講するのがここしばらくの慣例である。
 お寺に集う門徒衆ということになるとやはり高齢者が中心であり、深夜の勤行なので身体的には厳しい面がある。一緒に出かけた私の母などは法話の最中にうつらうつらと居眠りを始めた。息子としては少々切ない気分になったりもするのだが、それとなしに本堂を見渡してみると同様の門徒は結構いる。何しろ時間は午前2時頃なのだし、やむを得ない。

 顔見知りの檀家同士で挨拶を交わしていると、自分があるコミュニティに所属していることの安堵感を自覚する。日頃は利害の絡んだ人間関係の処理に明け暮れる身の上としては心のしわを伸ばしてアイロンをかけるような感覚である。ある時期からは漫然と年を越すことを止めた。

 今年の法話は勤行集の中にある「五濁悪世」(恐らく間違っていると思うのだが)についてであった。道義からはずれた世界と向かい合った際に抱く嫌悪感を示す言葉であるらしい。五濁についての詳しい説明をせっかく受けたのに深夜で普段以上に切れ味の低下している私の記憶力は全くあやふやにしか覚えていない。勿体ない話だ。
 
 但し、その感覚について思い当たる節はある。
残念ながら若い人に多いのだが、毎年必ず、こういう一団がいる。どういう人達かというと、連れだって徒党を組み、遊園地に遊びに行くようなイベント感覚で修正会の会場に現れて傍若無人に振る舞う輩である。行状を列記する。

(1)除夜の鐘を突く回数は当然108回であって、つく人数にも制限がある。鐘を突くときには僧侶から要領について簡単な説明があるが、これをロクに聞きもしないで変な音を出し、うまくいかなかったからもう一回打たせろとごねる。後ろには順番待ちの門徒衆が列を作っているのである。年配の門徒衆を威圧するように睨み付けながら割り込んでくる集団も多い。

(2)年越しそばは門徒であるなしにかかわらず、来場者には無料で振る舞われるが浄財の賽銭もせずに押しかけてきて何杯もお代わりをした挙げ句、「俺は何杯食った!」と声高に自慢しあう。勿論、勤行に参加などせず箸や器は本堂に投げ散らかしたまま意気揚々と引き上げていく。「天ぷらはねえのかよ」とか「全然うまくねえな」などと聞こえよがしに不平をぶちまける者もいる。

 他にも色々あるが、こういう連中を目の当たりにするとつくづく末法という言葉が心の中で重みを増す。学校教育だけで解決などつくはずのない根深い問題だと思うし、本当にイヤな世の中になったものだと慨嘆せざるを得ない。極端な話、いっそのことこの世は一度根絶やしに滅んでしまった方がよいのではないかとさえ思えたりもするのだ。

 法話を聞きながら自分の信仰なり生活習慣を侮辱されたような不快感を反芻していたら、輪番はそんな私の思案ごとを見透かしてでもいるかのようにこんなことを仰った。
 「しかし、時と場所を変えれば私達それぞれも意図せず他人に不快感を与えるような振る舞いに及んでることは大いにあり得る話であって、決して他人を軽んじない心を持ち続けることは、信仰の大きな目的のうちの一つでございます」

 その時私はお寺の駐車場に煙草の吸い殻を投げ捨てていたことを思い出し、大いに気が咎めたのだった。当然ながら法話が終わってから私は自家用車の周りを見渡し、決まりの悪さを覚えながら自分の投げ捨てた煙草の吸い殻を拾って持ち帰った。

 まだまだ人格未熟な2007年元旦である。


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元旦の試み [身辺雑記]

 身辺が何かとごたついてロクに更新もできなかったが、2007年1月1日はあることをせずに一日を過ごしてみたいと考えている。

(1)自動車の運転をしない
(2)携帯電話を使わない
(3)テレビを見ない
(4)買い物のための外出はしない

 別に深い理由はなく、ただ何となくではあるがなるべく静かな一日を過ごしてみたいと思う。


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So-netブログは最近変ではないのか?という疑問 (2) [身辺雑記]

変だと思っていたが案の定だ。

11/18-11/19の障害について
いつもSo-net blogをご利用いただき、誠にありがとうございます。

So-net blogへの記事投稿およびコメント投稿時にエラーページが出力される
場合がある障害が発生しておりましたが、現在は解消しておりますことを
ご報告させていただきます。

お客様には大変ご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

[障害発生日時] 11月18日(土)16:30頃 - 11月19日(日)14:30頃[症状]記事投稿およびコメント投稿時にエラーページが出力される場合がある[原因]データベースサーバー障害

また、上記の障害に伴いまして、以下の症状が見られるブログがございます。

○記事投稿で技術的エラー/自分のブログに記事が反映されない
○実際のコメント数と表示されているコメント数が異なる
○サイドバーが表示されない

 ※投稿した記事が自分のブログのトップページなどに表示されない場合に
は、投稿記事の内容を一部修正(投稿日時変更、改行の追加など)し、再度
保存をしていただけますようお願いいたします。

※コメント数/サイドバー内容が正しく反映されていない場合つきましても、
同様にその部分に何らかの更新が発生いたしますと、正常に表示可能となります。

こちらの障害につきましては、事務局側で正しい表示をさせる対応を
いたします。お手数ですが、以下のフォームよりご連絡をお願いいたします。
   So-net blog:お問い合わせフォーム


よく言うわい全く。いい加減にせえよ!とか何とか喚き散らしたくなるのである。
以前私が勤務していた会社にはロクでもないサーバーがあった。コンピューターには詳しくないので正しい呼称が分からないが本社のサーバーと私の勤務先のクライアントの仲立ちをするような位置づけだった。
 それは私の勤務先である営業所のプリントサーバーも兼ねていたのだがこれが実にまあ良く落ちた。最低でも一日2回はリスタートさせなければならない大馬鹿野郎だった。エラーが出ると訳の分からん印字のされた紙を呆れるほど大量に吐き出して私や事務員を激怒させた。職場は私と事務員の2名しかいなかったのでそのサーバーにぶら下がっていた端末もたったの2台しかないのにそういうザマだったのだ。そういう経験上、私はWindows NTというOSを全く評価していない。

 近日のSo-netブログのサーバーのデタラメぶりはそれに比肩するひどさだ。
笑えることが一つある。こういうていたらくの告知に対して何と20名以上もの方々がNice!コメントを献上しているのだ。知らぬ顔の半兵衛を決め込むよりはましだが、それがNice!だとでも言うのだろうか。もしかするとこの20名の方々というのは全員ソニーの関係者だったりして。


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So-netブログは最近変ではないのか?という疑問 [身辺雑記]

 ブログページの不具合が最近目立ち始めている。しばらく前から私のパソコンからは自動ログインができなくなった。ブラウザについているパスワードマネージャーによる自動ログインは無効になり、都度都度タイプすることになった。これはSo-netブログの仕様変更であってそのこと自体に異議はない。

 仕様変更後からはパスワード認証のエラーが多い。認証にはべらぼうに時間を食うようになり、タイムアウトしてエラー表示が出ることが物凄く多くなった。
 
 何度もログインしてやっと新規作成ページに入ってからも油断ができなくなった。出来上がったテキストを保存しようとするとこれまたアップロードにはべらぼうな時間を費やすようになった。これもタイムアウトしてエラーが出る。アップロードできずに消失したテキストも幾つかある。

 そもそも、ブックマークを打っている自分のブログページのURLにさえまともにアクセスできないことが日に何度も発生するようになった。おかげで私はここ数日、本文テキストはネット上で保存する前に自分のデスクトップにバックアップコピーする習慣を身につけた。実に迷惑な話だ。

 因果関係は分からないが、時系列で考えるとどうもこれら不具合はログインの形式をSo-netが変えた時期と奇妙に符合する。

 このテキストも果たしてまともに一回でアップロードできるかどうか怪しいもんだ。当然ながらこのテキストは私のデスクトップにバックアップコピーされているのですが。


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モデル撮影会(修行が足らない!) [身辺雑記]

 お恥ずかしい限りですが、たまには少し色気を出してみます。

恥を忍んでアップロードしてみましたが、うーん、ひどい出来だ!

カメラ:PENTAX ist Ds レンズ:PENTAX M50mm F1.7

(2006/9/25  AM00.05の追記)
 就寝前、何気なく管理ページを開いてみたらこのエントリーの閲覧数はアップしてからの2時間30分でなんと12もあった。
 たかが12くらいで何を驚いているのかとお嗤いの諸兄は大勢おられるでしょうが、ロクでもないエントリーばかりで閑古鳥の鳴く拙ブログに於いて、これは前代未聞の数字なのです。


面妖なる踊りと糞飯(敢えて誤字)モノのパフォーマンス(3) [身辺雑記]

 前回で終わらせるつもりでいたが、心理的に踏ん切りの悪いところがあり(糞切り?)また続ける。

 中学3年次の修学旅行で書き残したことがあったので三度K君にご登場願う。
修学旅行のスケジュールは特に大過なく過ぎた。何日目だったかの昼近くに私達一行は小樽の近くにある雷電海岸というところで休憩時間を設けた。
http://www10.plala.or.jp/nacano/shakotan/raiden.html
 
 この日、朝からK君は著しい便意を訴え続けていた。移動するバスの中でK君は腹が張ると言っては野放図に放屁しまくり、バスの中じゅうの耳目を集め続けた。(鼻目?)
 移動中の退屈しのぎに、めいめいが順番に歌を歌おうと担任の教師が提案し、それはそれなりにマイクがリレーされ続けていたのだが、マイクはひとたびK君の手に渡るやいなや彼の占有物となった。
 以前からK君はあらゆる機会に於いてエンターテイナーとしての資質を遺憾なく発揮していたのだが、その日の彼はこみ上げる便意を振り払うかの如く、特筆すべき熱演を披露した。

 ぴんからトリオから始まるメドレーはいつ終わるともなく続き、自作の珍妙な演歌である「かっぱらいブルース」でバスの中の聴衆は一段とヒートアップした。
 本来であれば、この手の退屈しのぎはそこそこで切り上げられて、観光名所にさしかかったあたりでバスガイドさんが口上を述べるのがお約束だが、何しろ一旦火がついたK君のワンマンショーがとどまるところを知らない。そこには最早ガイドさんが割って入る余地がないままショーは際限なく盛り上がっていった。憮然とするガイドさんには目もくれず、度重なるアンコールに気をよくしたK君がマイクを尻に近づけて豪快な放屁のサウンドをバスの中じゅうに轟かせたところで熱狂はピークに達した。
 
 騒乱状態にたまりかねた担任教師の「いい加減にしなさい!」というマイクを用いた怒声でクラスの一同は水をぶっかけられたように静まりかえり、当時の私はこの時の怒鳴り声でスピーカーから出る音が歪むとはどういうことなのかを学習した。
 
 前置きが長くなりすぎたが、そんな経過を経てバスは雷電海岸に到着し、昼食の弁当が用意されはじめた。
 朝から長いことバスに乗っていたので昼食の前にトイレに行きたい生徒が何人かはおり、当然ながら腹の張りに苦しみながらバスの中でガス抜きに余念のなかったK君もそのうちの一人である。私も小便がしたかったのでバスを降り、K君等々と連れだって公衆トイレに向かった。
 
 ところで、よく漫画に出てくる雲古の形、とぐろを巻いた蛇のような、またはソフトクリームのような形をした「あれ」を現実のモノとして見たことはあるだろうか?漫画に登場するあれらはあたかもそれが雲古の代表的形状であるかのような紋切り型で描かれているが、実際にあの形を目撃することはそうざらにないと私は踏んでいる。強いて言えば牛糞の、排泄された直後の形が似ていると言えなくもないが牛糞の場合は水分が非常に多いのであの形は短時間しか保たれない。
 肛門からせり出してくる雲古の形状はその人の消化器系が健全であれば棒状の長円形である。但し全くの固形ではなく、程度の差こそあれ可塑性を持つ。だから多くの場合、落下した雲古は直線的形状はとどめていない。
 だとすると、漫画によく出てくるあの形状というのは排泄するその人の消化器系の状態もさることながら、排泄する人の臀部の旋回運動によってなし得たフォルムであると推察するのである。
 しかしながらいくら何でも人間、尻に目が付いているわけではないので排泄時に尻の旋回運動を行いさえすればあの形状が得られるとは限らないのは当然で、結論として「あの形状」とは、多分に偶発的要因に依存した余り発生確率の高くないモノだというのが私なりの結論だ。

 何故こんな、文字通りクソの役にも立たない能書きを並べるかというと、私はこの時、生まれて初めて漫画に描かれるあの形状の雲古を現実のモノとして意識したからである。
 トイレに駆け込んだK君はなかなか出てこなかった。トイレは総タイル貼りなのでドアの中からK君の息む様子が低く響き渡った。しばらく経ってK君は爽快そのものの面立ちで学生ズボンを引き上げながら悠然とトイレから出てきた。

 「どうだ、見れや!」彼が指さす先にはこれまで見たこともないほどのボリュームで雲古の山がそびえ立っていた。
 和式の水洗トイレから溢れんばかりの雲古は、それまで私が漫画でよく見かけた、まさにその通りの形をしていた。今まで想像上でしかなかったもの、紙の上でカリカチュアライズされた形でしか見られなかったものを幾分の臭気を伴う実体として目の当たりにしていることに私は少々興奮した。
 これはすげえと思わず私が叫ぶと、野次馬気分の同級生が数人寄ってきて誇らしげにそびえ立つ雲古をしげしげと眺めた。
 何より私達野次馬を圧倒したのはその恐るべき量だった。どうしてこれが一人の人体からひり出されたのかと誰もが首をかしげたくなるくらいの量だったのだ。トイレの水を流さずに4人くらいが入れ替わり立ち替わり雲古をたれたとしても、とてもこうまで大量ではあるまいと確信できるくらいの物量だったのだ。
 それは真上から見ると和式便所の落下許容面積(そんなタームがほんとにあるのか?というご指摘はこの際ご勘弁を)の、どう見ても75%以上を占めており、先端部分はというと和式便器のすり切りよりも更に数センチ高いところにあったのだ。
 更に私達野次馬はここで貴重な学習をした。そびえ立つ雲古を子細に観察すると、いくつか色の異なる層を成していることを発見したのだった。勿論それを画像として現すわけにはいかないので擬似的に書くとこうなる

                 濃い茶色
               濃い茶色 濃い茶色
            濃い茶色 濃い茶色 濃い茶色
           灰色っぽい茶色 灰色っぽい茶色
         灰色っぽい茶色灰色っぽい茶色灰色っぽい茶色
       黄土色 黄土色黄土色黄土色黄土色黄土色黄土色黄土色

 K君が果たして何食分の排泄物をため込んでいたか、今となっては知るよしもないが、この、色分けされた層が数度の食事の形跡を反映していることは容易に想像できた。何を食するとどういう色の雲古が形成されるのかはさておき、私達はここで、人体の生理とは実に律儀な働き方をしていることを知った。何となれば、これは下から上に向かって3回食物摂取があったことと、咀嚼、分解、吸収、排泄の課程は先に摂取したものから後へと順番に行われており、順番が入れ替わったり、前後が混合したりするものではないことをこの時の雲古の形状と色が何よりも雄弁に(雄便?)物語っているではないか。

 私達はこの偉大な物体にしばらく見とれていたが、昼飯を食わなければならないのでバスに戻ることにした。名残惜しい気はしたが、常識ある人間のエチケットとしてこの物体は文字通り水に流してしまわなければばらないことは心得ていた。
 ところがである、いざフラッシュバルブをぐいと捻って水を流してみると物体は微動だにしないのである。その物体は質量、粘度、ともに厳然としていてまるでダムの如き頑健さでもって水の流れに抗うのだった。
 そうしているうちにパニックが起きた。雲古にせき止められて行き場を失った水が便器から溢れてきてトイレの床に広がり始めたのだ。
 私達は慌てて回れ右をし、公衆トイレから走り去ってバスに戻った。
バスの中では既に多くの同級生たちが弁当を食べていた。トイレにたむろしていて大幅に遅れた私達は、団体行動を乱したかどにより担任の教師に皆一発ずつ、公平に頭を殴りつけられた。  

 弁当を食べるK君はさっきまでの誇らしげな様子とはうって変わって神妙だった。
昼の休憩時間が終わってバスが走り出すまでの間、気が気でない風に私には見えた。
心配の種がどこら辺にあったかというと、先に昼食を終えた同級生たちがトイレに行ったとき、水浸しになった床を見て騒ぎになり、自分がトイレを壊したのではないかと告げ口をする奴が現れるのではないか、それが心配だったらしい。 
 私は、人為的に壊したものならともかく、生理現象の結果不可避的に発生したことなのだからお咎めはないはずだというような意味のことを言うと大いに安心した様子だった。

 そして数時間も経たないうちにK君は普段のK君へと戻っていった。私はあの時、人を沢山集めてK君の雲古が流れるか流れないかの賭場でも開帳しておくべきだったと反省したが、現在に至るまでその思いつきは口にしないでいたのだ。
こうして私は現在に至るまで、大金は勿論、小金を儲けるチャンスさえ常に逸し続けている貧乏人なわけだ。(終わり)
         
追記;この30年来、私はこれら一連の出来事を単に記憶にとどめておくばかりではなく、どこかで、何らかの形で対象化しておきたかったのだということに今気づいた。こうして一区切りつけたつもりになっている私はどこか、30年来の便秘を克服したかのような爽快感を味わっている、と、どこまでもお下劣なテキストなのでした。


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面妖なる踊りと糞飯(敢えて誤字)モノのパフォーマンス(2)   [身辺雑記]

とりとめもなく書きたい放題のことを書く。

(その2)私が中学三年生の頃、どこの中三もそうであるように修学旅行という行事があった。修学旅行には幾らかの小遣いを持って参加する。と、ここでK君に再び登場していただく件となる。

 K君は焦っていた。理由は不明だが、手元にお金が欲しかったのだろう。修学旅行で持参する小遣いには、額の上限が定められていた。K君の家は特に貧乏でも何でもないごく普通の家であり、小遣い銭に不足するとはどうしても考えられなかったのだが、なにせK君はなるべく沢山のお金を修学旅行の前にかき集めておきたかったようだ。

 ある日、K君には妙案が閃いた。
当時、私の通っていた中学校には結構近代的な体育館があった。そして、体育館のトイレは構内で唯一、水洗便所だった。(和便だが)
K君は、日頃イジリにイジリまくっている某子分各をトイレの入り口に立たせて見張り役とした。そして数人集まったギャラリーからぬかりなく百円ずつを徴収した。当然、私もその中に混じっていた。
 息を呑むギャラリーをK君は悠然と睨め付けてから大便を済ます方のパーティションに向かい、ギャラリーたちは後に続いた。ドアを閉めずにK君は和式便器をまたいだ。
ギャラリーたちは開け放たれたドアからめいめい頭を突き出し、K君の挙動を凝視する。
K君はベルトを緩めて学生ズボンをずり下ろしてしゃがんだ。
それから、顔面を紅潮させて下っ腹に力を込めると、衆目の見守る中、
もりもりと野太い雲古をひりだしたのであった。

このパフォーマンスは、その日のうちにとてつもないセンセーションを学校中に巻き起こした。
 味をしめたK君は、翌日、再び同じ場所で同じことをした。
しかし、その日の稼ぎを終えたK君は少々浮かない面持ちだった。
聞くところによれば、たった一日で、ギャラリーは倍増していたのだそうだ。
しかし、トイレのドアからのぞき込める頭の数には限度がある。様子がよく見えないということで、一部ギャラリーからはブーイングが出たらしかった。
K君は真剣に悩んでいた。
人間、一日にそう何度も景気よく雲古ができるわけではない。
一度のパフォーマンスで懐に入ってくるギャラはせいぜい800円である。
これでは効率が悪くはないか?
修学旅行の日取りは段々迫ってくる。時間がない、もっと稼ぐ方法はないか?

こういうとき、というよりもこういうシチュエーションにおいてのみ、私の頭脳は冴えに冴えまくることになっている。バーゲンセールをやってもいいくらい次から次へとアイデアが湧き出してきたのである。

 翌日、K君は例のパフォーマンスの準備を始めた。
トイレには10人以上のギャラリーが詰めかけていた。前回のおよそ2倍の人員である。K君は当然のようにギャラリー全員から100円ずつを召し上げた。
その場面を見られずに不満を述べる者は結局、現れなかった。
K君はその日、誰もが満足できるパフォーマンスを披露してさらなるセンセーションを巻き起こした。
ギャラリーは倍増、ギャラも倍増。ひりだした雲古は昨日と同じく一回。
これはマジックでも何でもない。私の提案による成果である。
すなわち私は、K君の尻からひり出された雲古の落下目標を、便器ではなく便所の床、ど真ん中あたりにと変更すべくK君に進言したのであった。
かくして雲古をたれるK君の周囲360度をギャラリーが取り囲むようにしてパフォーマンスはなされた、その成果である。

K君は収入倍増でほくほく顔だったが困った副産物もあった。
落下場所が床のど真ん中、ギャラリーはK君を取り巻くようにしてすし詰め状態。
パフォーマンスが終わって、便所からずらかろうとするその時、誰かが床に放置されたK君の雲古を踏んづけたらしい声を張り上げた。
便所にはパニックが発生した。ギャラリーは雪崩を打ってドアに殺到した。
ドアは室内に向かって開く形式だったのだ。
誰かが思いきりドアを開けた拍子に、我々はドミノ倒しの様に便所の奥に向かって一斉によろけた。それで本当に、雲古を踏んづけた奴がいたような気がする・・・

 その日の夕方のホームルームで、担任の女教師は暗澹たる面持ちで体育館のトイレの床に雲古をたれた不届き者がいる旨を告げた。
 私を含めて、関係した者たちは皆、下を向いて血管が切れそうになりながら笑いをこらえた。こういう反応は全く持って不届き千万だと今になってみて思うのだが、私は本当に土性骨が不届きの塊で出来上がっているのだろう、その日の放課後、私はK君にさらなる増収のための秘策を進言していた。

そのスペシャルな秘策とは、K君のひり出す雲古の色をあてるギャンブルを主催しようという提案だった。
K君は1も2もなく乗ってきた。金の力は偉大である。
しかしこの試み、大幅増収計画は見事に頓挫した。
大体どこのクラスにも、こういったセンセーションに眉をひそめる奴がいるものだ。
私達の計画は、同級生の女が担任に密告したことで潰えた。
現行犯だったのだ。しかもウンの悪いことに、担任はK君の脱糞直後に、現場を押さえたのだった。

現場にいた一同は、ペナルティとして床に残されたK君の雲古を始末する役を負わされた。掛け金は全てK君の懐に転がり込んだ、金のことはばれていなかったのだ。

 実は私には浅ましい皮算用があった。増収のためのアイデア提供者として幾ばくかのロイヤリティの請求を仄めかしたのである。
 しかしK君は度し難いほどの業突張りであった。彼は、金が欲しかったらおまえも雲古をたれてみろと言い放ち、ついにびた一文たりとも私にはお恵みを施してくれることがなかった。
 かくしてK君は潤沢すぎるほどの小遣いを懐に入れて修学旅行に臨んだ。

そして根性の曲がったこの私はというと彼の強欲ぶりを30年経った今でも深く根に持っているのである。 


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面妖なる踊りと糞飯(敢えて誤字)モノのパフォーマンス(1) [身辺雑記]

 日頃愛読するホームページに「モーレツパンチ」がある。
http://mo-retsu.jp/

 読みどころは満載だが、そのうちのひとつに「うんち君のこぼれ話」というのがあって、毎度ながら楽しく読ませて頂いている。
http://mo-retsu.jp/unchi/index.htm
 それに触発されたのかどうか自分でもよく説明できないのだが、尾籠な話や下ネタならば私にも心得がなくもないのである。私は毎度、このホームページを訪れるにつけどうしても思い出さずにはいられない人物が一人いるのだ。

 件の人物とは私が中学生だった頃の同級生だが、彼の名誉のためにここでは身元を明かさない。下のイニシャルだけを拝借してK君とここでは記述する。K君の人生模様はまさに波瀾万丈であり事実を追っていくとベストセラー間違いなしのノンフィクションが一冊できあがるのだが、長くなりすぎるため、ここでは子細をつまびらかにはせず、出来事を二つばかり。

(その1)私が中学生の頃、ステレオ再生装置がかなりのブームだった。音楽を聴くのが習慣である人たちが周辺にそう沢山いたとはどうしても思えないのだが、何しろ猫も杓子もがこぞってステレオを買い込んだ。大半は居間の調度品として沈黙を続けていた様子だったが、持ち主の接し方などはお構いなしで、ステレオ小僧だった当時の私は同級生の誰ぞの家でステレオを買い込んだという話を聞きつけるや自分のレコードを携えてその家に上がり込む厚かましい坊主だった。
 で、同じく同級生の某君の居間でのこと、そこには某君と、K君と私の3人がいた。居間には買ったばかりのステレオがあり、私はこういうレコードを抱えていた。

Freak Out!

Freak Out!

  • アーティスト: The Mothers of Invention
  • 出版社/メーカー: Video Arts
  • 発売日: 1995/05/02
  • メディア: CD

 某君自身は、自分の小遣いでレコードを買ってくるところにまでは至っていない。居間には父君の持ち物であるところの「炭坑節」とか、田端義男の「帰り舟」とか、そういう種類のドーナツ盤が幾らかあり、私達は父君のコレクションを聴き始めた。
 K君は幼少の頃より傑出したパフォーマーであり、ここでは「炭坑節」が興味をそそったようだった。彼はすぐさまソファから立ち上がり、サビのあたりを歌いながらけったいな踊りを始めた。私と某君はそれを見て腹を抱えて笑った。「炭坑節」はレコードで聴いているよりもそちらの方がおもしろかった。

 「炭坑節」でひとしきり盛り上がると、次に聴くものはというと私が携えてきたフランク・ザッパしか残っていなかった。某君とK君の二人は聞いたこともないミュージシャンの名前に怪訝な顔をした。「ザッパ!」奇声を上げた二人はジャケットをのぞき込んだが、書かれていることは全部英語なので私同様、内容はさっぱり分からない。
 とにかく聞こうやということでTrouble every dayから聴き始めた。最初のうち、お二人はせっかく持ってきたレコードなんだから真面目に聞いてやるふりでもしようかとでも配慮してくれていたのだろうが、英語の歌を聴く習慣のない彼らはものの数分と経たないうちに退屈してもうレコード聞くのはやめようぜと言い出した。
 ステレオの音量を下げずに大声で雑談しているうちに、次の曲、Help I'm a rockが始まった。「何だこりゃあ」雑談を中断した二人は再度怪訝そうな顔つきになった。
そのうち段々、K君の目は異様な光を帯び始めた。「おまえ、なんだこれ」K君は私を肘でつついた。いいだろ、と私が言うとK君は「よくねえっ!いいわけねえべやっ!」(北海道弁です)と喚いた。
 音楽がK君の何かを喚起したようだった。K君は鼻の穴を膨らまし、弾かれたように立ち上がると猫背の上半身をくねくねと蠢かし、奇声を張り上げながら何とも面妖な踊りを踊り始めたのだった。
 「う、うぁは、うぁはははははは!」
 私と某君の二人は腹筋がちぎれそうなくらい笑った。後にも先にも踊りを見てあれほど笑ったことはない。笑いすぎて窒息しそうなくらい笑った。
 「どら!」と、K君の発するオーラに呼び込まれるようにして某君が踊りに加わる。どこかぶっ壊れた空気が一気にヒートアップして、こともあろうにこの私までもが加わり、三人三様のデタラメな踊りが繰り広げられた。
 そうして片面が終わり、調子づいた私はレコードをひっくり返した。
一時の沈黙でさめかけた熱気が再び盛り上がった。某君は煎餅の空き缶を取り出してきて棒で打ち鳴らして調子をとる。K君は曲の間合いを見計らって思い切り大きなアクションででっかい放屁をかます。

 狂乱が最高潮に達したあたりで壁を激しく叩く音がして私達は我に返った。居間の入り口には学校が終わって帰ってきた某君の姉君が憤怒の形相物凄く仁王立ちしていた。
「あんたたちっ!何なの!何なのさ、このキチガイみたいな・・・・・!!!」姉君は激怒の余り言葉に詰まって後が続かない。後になって知ったことだが、家の前10メートルくらいから、モンスター・マグネットのばかげた騒乱節がはっきり聞き取れたのだそうだ。何事かと思って姉君が駆け足で家に飛び込んで目にしたのは居間で浮かれた痴呆ダンスを踊る弟とその同級生の姿だったわけだ。
 それで姉君は一瞬、居間のステレオが鳴らしている音楽に注意を傾けるやいなや、
「やめなさいっ!こんなキチガイみたいな音楽は!」と一喝するやどすどすとステレオに歩み寄っていきなりアンプの電源を乱暴に切った。(実に情けない終わり方をするので機会があれば試してみて頂きたい)
 某君を含めて私達3人はそのようにして某君宅から叩き出された。

 泡を食って飛び出してきたので私はレコードを持ってくるのを忘れていた。数日経ってから某君宅にレコードを取りに行くと、居間のステレオの脇に、姉君のものとおぼしきレコードを見かけ、凝視してみるとサイモンとガーファンクルだった。確かにそういう種類の音楽を愛好する人にとってはザッパの音楽なぞ汚らわしい以外の何者でもないかもしれないと考えたりもしたのだった。(続く)


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爆睡の日々 [身辺雑記]

 私は生まれも育ちも北海道であり、若い頃に数ヶ月名古屋にいた以外には道外で生活したことがない。
 そのせいかどうかは知らないが、私は暑さに弱い。日中何かの活動をするのは特に構わないが、夜の暑いのにはほとほと弱る。

 会社勤めをしていた頃、勤務先は東京の新橋に本社があった。年に数度、本社出張があるのは大変イヤだった。私に言わせれば東京などというのは商売をするにはいいのだろうが生活する場所ではない。ああいう土地ではとても生きていく自信がない。
 例えば毎年4月頃の出張だと、羽田空港で降りて浜松町までモノレールに乗る。他の乗客に比べて私は特に厚着をしているわけでもないのに、滝のようにダラダラと大汗をかいている。顔やら首やらをハンカチでぬぐいながら辺りを見回してみるが同じような仕草をしている人はついぞ見かけた記憶がない。いつも私一人だけが暑さにへばっていたのだった。
 春でさえこうなのだから夏の出張ともなると尚更ひどいことになる。空気が普段呼吸しているものとまるで異質であって粘度や重さが明らかに自覚できる。暑苦しいやら息苦しいやらで、まるでオーブンの中に放り込まれたようで寝苦しいことこの上ない。出張の期間中は毎晩毎晩寝不足で田舎に戻る日を指折り数えていたもので、結局そういう体質は会社勤めの最後まで変わらなかった。

 私の住んでいる田舎町は、年間気温較差が六十度以上もあるとんでもない土地で、冬はとんでもなく寒いが夏にもとんでもなく暑い日が何日かある。
 今年、所謂真夏日は15日を数えた。過去最高の日数らしい。真夏日は年々増えているような気がする。寝付きの悪い夜もそれだけ増えていくわけだ。地球温暖化というのはこういう風に表面化してくる事象なのだろうか。

 だが今は既に九月である。ひとまず寝苦しい夜からは解放された。
今年になるまで余り意識したことがなかったが、実に快適な睡眠を満喫する日々だ。
夏が終わると寝不足の反動がくるのだろうか、我ながら呆れるほどよく眠れる。一体自分はどうなってしまったのかと心配になるほどよく眠れる。これは何か、健康上の問題でも発生したのではないかと知人に打ち明けてみると、実際はその逆らしい。

 医学は全くの素人以下だが、長時間睡眠できるというのは体力がいるらしい。体力という言い回しはなんか変ではないかと思うのだがそうでもないようだ。
 尾籠な話で恐縮だが、人間歳をとるに従って寝小便をしなくなるのはだんだん体力がついてくるかららしい。また、老齢になって眠りが浅くなるのは、睡眠中に尿意を覚えるかららしい。つまり、小便を我慢しつつ睡眠を継続するには体力が必要らしいのだ。
 目覚めると同時に尿意を覚えてトイレに行くのは確かに思い当たる節がある。とは言えなんだが納得できるような出来ないような話でもある。

 何しろ、思う存分眠れるようになったことは喜ばしく、私もまだ体力らしきものが幾らかは健全さを保っているようでもある。生きていくうちで本当に解放されるのは眠っているときだけのような気もするし。

 そういうわけでこのテキストを保存してから十分後の私は大イビキをかいている。
地球温暖化の懸念は来年まで先延べだ。睡眠の欲望はそれら心配事に勝る。とにかく過ごしやすい季節になった。

おやすみなさい。


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Duke Jordan死去 [身辺雑記]

 8月8日に亡くなられたのだそうです。享年84歳。天寿を全うした、といってよい年齢ではあります。
http://www.artsjournal.com/rifftides/archives/2006/08/duke_jordan_1.html

 記録された音楽はこれから色々なところでいろいろな方がいろいろなことを書かれるでしょう。
 私が思い出すことを二つほど書きます。(勿論、個人的に関わりがあったわけではありませんが)

(1)以前読んだ雑誌のインタビュー記事でファーストネームについて"Duke"というのはDuke Ellingtonにあやかったのかとインタビュアーに訊かれて「とんでもない、私はそんなに不遜な男じゃないよ」と慌てて否定していたのを何故か覚えているのです。
 何しろ、傲岸さの塊の如きかのマイルス・デイビスでさえもエリントンの前では直立不動だったそうで、カテゴリーを問わず、黒人ミュージシャンのエリントンに対するリスペクトはそれはそれは深いものがあるようです。
 それで、Jordan氏のファーストネームの由来はといえば、本人曰く、ゲンコツの俗語を頂戴したらしい。若い頃は非常に短気で喧嘩に明け暮れていた日々があったのでDukeというあだ名がついたのだそうです。外見やプレイスタイルからは想像しづらいですが。

(2) Duke Jordanは若い頃の一時期、チャーリー・パーカーのバンドにいたことがあります。ここで再びマイルスですが、自伝によれば(この自伝はインサイド・ストーリーの宝庫、必読ですよ)同時期に在籍していたマイルスはバックのピアノがDuke Jordanというのが実に気に入らなかったらしく、親分のパーカーに何度も「あいつをクビにしてくれ」と申し立てたらしい。自伝は1990年代に作られたもので語り起こし形式で書かれていますが、この時点でさえ話を続けているうちに気が立ってきて罵倒の言葉を吐くほどで、余程何かあったのではないかと勘繰りたくなります。
 好き放題に想像をふくらませてみると、マイルスが後年ボクシングを習うようになった理由に幾らか関係があるのかもしれない、とか。
(我ながら、絵に描いたようなゲスの勘繰りです)

 裏話はさておいて、決して大向こうを唸らせるような巨匠ではなかったけれど、LP一枚を聴けば必ず最低一曲は、なんかホロッとくるような、何かの折りにふと思い出しては懐かしくなるような、小味の効いたチャーミングなテーマが入っている愛すべきピアニストでした。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 
 


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