町内慰安会のもたらす福音 [身辺雑記]
本日は町内の慰安会があり、幕別町の某温泉で日帰り宴会の一日でありました。
慰安会自体は年に一度の恒例行事で、少子高齢化の進む私の町内会は殆ど老人会に近いものがあるのだが、それはそれなりに楽しい。
ところで、かれこれ3ヶ月近く四十肩に悩まされている私だが状態は一向に良くならない。
http://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/2007-09-24
これまで医者から山のように与えられた湿布を貼り続けてきたが一向に回復の兆しが見えす、いい加減うんざり来ていた。
今日の慰安会なども、痛い左肩をさすりながらの参加だったのだが具合の悪そうな様子は他人の目から見ても察しがつくらしく、同じ町内に住む鍛冶屋のOさん70歳(だったかな)の目に私の変な様子が幾らか気になったらしい。宿屋についてから四十肩の治療法についてのご高説を賜ることとなった。
午前10時頃に目的の温泉宿に到着して風呂に入り、宴会場の座敷に戻ってから鍛冶屋のOさんのご指導の元、肩のストレッチを行ってみたが私の挙動が余程けったいに見えるらしく、慰安会にご参加の諸兄は口々に「もっとちゃんと腕を伸ばせ」とか「いい若いもんが情けない」とか口々に仰る。
特段威張って言えたことではないが私だってもうあと数年すれば50の大台なんである。いい若いもんもないもんだ。まあそれくらい私の町内会の高齢化は進んでいるということなのだが。
改めて思うが、痛さというのは当人だけのものであって他人とは分かちようがない。そして四十肩を痛がる様子というのは何か余り深刻なものには見えないようだ。慰安会にご参加の方々には私が歯を食いしばってしかめっ面をしている様子が面白いもののように見えるらしい。
一体何が悲しくて町内の慰安会でこんなことをしなくてはならんのかと思いながら言われるままにストレッチを続けていた私だが、鍛冶屋のOさんのご指導はご熱心を極めた。普段は結構コミカルなお方だが今日はやけにシリアスな接し方である。「四十肩なんていうのは動かしていれば治るんだよ」と仰るがやっぱり痛いものは痛いのであって、痛い箇所は動かしたくなくなるのが道理ではなかろうかと思う私はきっと幾らか憮然たる表情をしていたのだと思う。鍛冶屋のOさんは釈然としない様子で私のそばから離れて席に着き、宴会が始まった。
ところで鍛冶屋のOさんは下戸の私とは大違いで仲々楽しい酒癖の持ち主である。決して悪い意味でなく、Oさんの参加する酒席は毎度大いに盛り上がる。
宴もたけなわの頃、鍛冶屋のOさんは鼻の頭を赤くして私の隣へとにじり寄ってきた。
「いいか、四十肩なんていうのはな、動かしてりゃあいいんだ。怠けていたらいつまで経っても直らねえんだぞっ!」
目が据わっている。
私は適当に相槌を打ちながらちびちびやっていたのだが、鍛冶屋のOさんの御説は私の肩口を小突きながらしばらく続いた。
傍らで鍛冶屋のOさんの鼻息が荒くなり始めた、と、胡座をかいてちびちびやっていた私は腕を決められて引き倒されていたのだった。
何が理由かは知らないが、業を煮やしたらしいOさんは70過ぎとは思えない敏捷さで私に飛びかかり、三角締めのような体勢で私の腕を決めていたのだった。
「うぎゃーっ!」と私は本能的に叫ぶ。脳天から煙が上がりそうに痛かった。昨日今日のおつきあいではないが、鍛冶屋のOさんには柔道の心得でもあるのだろうか、今日の今日までOさんのこんな資質を私は知らずにいた。三角締めはがっちりと決まり、私は足をバタバタさせて悲鳴を上げること以外に抗いようがない。
「痛いーっ!いたたたたたた!」
「我慢しろ!我慢だっ!伸ばせば治るんだっ!」
「ウーッ!いてえよう!」左の肩がメキメキと音をたてそうに痛んだ。あんまり痛すぎて涙が出てきた。いつの間にか三角締めを決められた私を取り巻くように町内会のおばさん達がギャラリーとなっている。
「我慢しなさい!我慢我慢!」とか何とか口々に喚きながら涙を流して痛がる私を指さして笑っている。結構面白そうじゃないか。それにしても一体何故、町内の慰安会でこんな痛い目に遭わなければならないかと少々切ない気分になった。
三角締めから解放された私が涙を拭っていると鍛冶屋のOさんが「良く動かせよ、動かせばすぐ治るんだっ!」と私の背中を威勢良くばーんと叩いた。「いい若いもんが情けない声出すな!」(若くねえよ!)と、その後のOさんは宴会の間中悠然と酒を飲んでいたのだった。
そして帰りの支度を初めてバスに乗り込むとき、私は持参していったナップザックを荷台に放り上げ・・・・
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?
?
あーら不思議、私の肩は朝よりもずっと高いところにまで上がるようになっていたのだった。数時間前に比べると、痛みもずっと少なくなっている。これは一体どうしたわけか。
後ろの席には鍛冶屋のOさんが陣取っていた。「ほら、さっきよりずっと良く動くだろうが!俺のおかげだ!嬉しいべ」と私の頭をベシベシと叩く。
何だか奇妙な気分だが三角締めが効いたらしいことは事実のようだ。ひとまず鍛冶屋のOさんには感謝。
若さのなし得る達成についてちょっと考える [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
うろ覚えではあるが、1970年代中期、プレイボーイ誌のインタビューにジョン・レノンが登場したことがあった。
ビートルズ解散後の色々な騒動やらめいめいソロワークが軌道に乗り始めたメンバー同士の鞘当てが収まりきらない時期でもあったのだが、インタビュアーは執拗にビートルズ再結成の可能性について前向きなコメントを引き出そうとしていたのに対して、ジョン・レノンはあくまで「もう過ぎた時間のことなんだから、そういう時間は終わったのだから」と、どこまでも否定的だった。
ファンであった私は当時、そのインタビューを少々寂しい気分で読んだが人には確かに時間と共に変化していく部分があるのだし、ソロワークを立ち上げたばかりのミュージシャンが「何で今更バンドの1/4に戻らなきゃならないんだよ?」と思うのも無理はないと今は納得できる。
レコードというのは言葉本来の意味からすれば記録であって、そのミュージシャンなりバンドなりのある時点での姿を捉えていもいるのだが、必然偶然を問わず何か物凄い達成がなされているというのはやっぱりある。
但しそういう風にして記録され、リリースされた歴史的傑作が当の本人にとっても好ましい追憶であるかというと必ずしもそうでない場合も結構あるようだ。
昨日エントリーしたhttp://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/2007-09-27
ソニー・ロリンズにとって意外なことに余り強い記憶としては残っていないかも知れない。
これもうろ覚えだが、20年以上前のスイング・ジャーナル誌のインタビューで本作の別テイクはどれくらい録ったのかと聞かれて「あったかなかったかももう覚えていないね、だいぶ以前のことだからねえ」と、素っ気ない回答をして本作に多大な思い入れを持つであろうファン達に見事な肩すかしを食わせてくれた。
それどころかインタビューされるたびに本作のことを持ち出されて結構うんざり来ていたらしいフシがある。ある時などは、マイルス・デヴィスと一緒にビリー・ホリディのバックを付けたある夜のステージが素晴らしいセッションだったがそれはレコーディングされていない事例を出して、レコードに残されているものが全てというわけじゃないでしょう、日本のファンはレコードに頼りすぎる、と、水を差す発言もあった。
フィールドを替えてみる。これまた問答無用の歴史的傑作であることに異議はないはずだが
クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様)
- アーティスト: キング・クリムゾン
- 出版社/メーカー: WHDエンタテインメント
- 発売日: 2006/02/22
- メディア: CD
1975年2月、ニューヨーク ミュージシャン・クラシファイド誌に掲載されたイアン・マクドナルドIan McDnaldのインタビューは痛烈だ。
「何故キング・クリムゾンを抜けたかって?ハッ、またその質問か!
理由は沢山あったよ。要するにバカだったのさ。どんなに凄いことをやっていたのか気づかなかったんだ。
でも自分が曲の殆どを書いていたにも拘わらず、あのバンドでは自分がやりたいことを全てできないって感じたんだ。
いずれにしても、いいことは絶対にやめたらいけないって事を教えてくれたよ」
(紅伝説 The Essenntial King Crimson Flame by Flame のライナーから転記)
いろんな分野について言えることだが、神懸かり的な飛躍とか奇跡的な達成というのは20代になされることが凄く多そうに思っている。しかしながらこと音楽については当事者が余り自覚的でないケースもかなりありそうで、20代という年代はそういう年代なのかも知れない。
ちょっと変わったサキソフォン・コロッサスのジャケット [気づいたモノ]
ヤフーのオークションページを漫然と眺めていたら見慣れたサキコロのちょっと変わったジャケット版が出品されていた。
格別オリジナル盤の蒐集に関心はないし、そもそも出品価格が高価で手が出ない。話の種にはいいかも知れないと思って画像は取り込んだ。
背景が緑色というのは初めて見た。プレスティッジというレーベルは再発のたんびに結構ジャケットの装丁がガラガラ変わる傾向があったようでこれもそういったうちの一つなのかも知れないが珍品の部類ではなかろうか。
20年くらい前、知り合いの某コレクター氏がオークションで落札されたオリジナル版を拝見させて頂いたとき、人物像はかなり極端なアンダーではあるがれっきとした写真で顔やサックスや衣類がちゃんと映っていることに驚いた記憶がある。
私の手元にある国内再発盤では真っ黒に塗りつぶされたシルエットで、本物を見るまでは元々そういうデザインなのだと思いこんでいた。
音楽そのものについては今更私ごときが能書きを垂れるまでもないのだろうが、歳をとるにつれて段々聴くのが億劫になりつつあるような。
四十肩は辛いよ [身辺雑記]
ここしばらくブログの更新が滞っているのは、私自身が本来的っている怠け癖のせいばかりではない。
目下、四十肩の真っ最中である。私の実年齢からすれば五十肩といったほうが近いだろうか。
これまで数度、同じ目にあったが今回はとびきり痛い。左の肩が満足に上がらなくなってしばらくしてから右側まで同じになってきた。正直なところ、キーボードもまともに打てないほどだ。5分か10分キーボードを叩いていると首や肩の筋がバンバンに張ってくる。
7月初頭から通院しているが、現在のところ全くの無駄足である。毎度山のように大量の湿布を処方されるが効き目はさっぱりない。
私はどうも元々、筋とか腱がおかしくなることの多い体質らしく子供の頃からこの手のことで何度も病院にかかるうちにステロイドの注射が格別珍しくなくなった。
今回なども恐らく、そうするくらいしか対処法はないのではなかろうかと思うが、私の担当医は一体何が勿体ないのか毎度大量の湿布が与えられるのみである。
四十肩の緩解はひどく気の長い時間を要する。一節によれば一年くらいかかるとの話を誰かから聞いた。
私自身の四十肩は、これで2回目だったか3回目だが、これまでは医者にかからずに放置しているうちに何となく収まっていた。どれくらいの期間で痛みが取れたのかはさっぱり思い出せない。
痛いのが当然のようになってしまい、そういう感覚で日常を過ごしているうちに何となく治っているものらしい。
四十肩というのも何だかふざけたネーミングだが、実際なってみると結構辛いのです、これが。
やたらと肩が凝る、首の周りが重い。肩胛骨を動かすとゴリゴリと嫌な音がする。服を着たり脱いだりするときには飛び上がりそうになるし、就寝後は寝返りを打つ度に痛くて目が覚める。結局、寝不足気味の夜を過ごして昼間が眠い。
痛さとつきあうのも生活のありようなのだろうが肉体労働が生活の実相である私のような者にとっては身体の挙動に障害が出るというのは死活問題だからして、かつての宮仕えの頃ならいざ知らず、自営業者となった今日では気長に緩解を待つという悠長なことは言っていられない。
この3連休はそのようなわけで明けても暮れても痛さの付きまとう、体を動かすのが何とも億劫な三日間であって実にむなしい時間でした。明日以降は、早速病院にかかってこなければ。
この三日間で何故か良く聴いたレコード
体にしても心にしても、「ぶっ壊れた」時には何故かこの頃のバド・パウエルが頭の中で鳴るのは何故でしょうかね?
今更だけどブラウザを幾つか試しては見るのだけれど・・・ [気づいたモノ]
インターネットブラウザの不便な環境はまだ解決されていない。
Firefox 2.x.x の変な挙動が解決されるのはもっと後のマイナーバージョンアップまで待たなければならないのかも知れない。Flash Playerで機能する、あれは何というのか、知識がないので分からないけれど、このブログの左上にあるウルトラマンの時計が?マークなったままである。
一端ブラウザを終了してFlash Playerをインストールし直すとウルトラマン時計は表示されるようになるが、ブラウザを一度終了させてしまうと次の起動時にはまたまた?マークに変わっている。
画像の取り込みができなくなったのか私がその方法を知らないでいるかはさておき、これも不自由なままであるのは相変わらず。
マウスカーソルを画像に重ねてマウスボタンを長押しするのは初めて使ったNetscape以来、体に染みついた操作でもあるし、Firefoxのヘルプページを見ても私の頭では理解できないので結局この努力は放棄した。
苦し紛れにだいぶ以前、非力なiMacを使っていた頃には結構重宝していた iCab http://www.icab.de/dl.phpをダウンロードして使ってみた。マック専用ブラウザとはまた何とも勇気があるというか奇特というか、製品として明るい展望は望めないものだったが当時の予想通りバージョンアップは止まって古風な操作感が何だか少し懐かしい。
今まで覚えたとおりのやり方で画像のダウンロードができるところは有り難いがパスワードマネージャーの機能くらいは持っていて欲しいものだ。読み込みが遅く、今日日のホームページに対しては表示の不具合も結構多い。
半ばヤケッパチ気味にOpereをダウンロードしてみる。http://jp.opera.com/
表示の綺麗さに思わず息を呑む。今まで試した幾つかのブラウザの中では出色だ。タブブラウジングの考えが徹底しているらしく、操作にはちょっと慣れを要するが、頭に入れば非常に使いやすい。今後はこれを常用ブラウザに、と考えたが画像の取り込み方が分からない。当初の問題は全然解決していないで寄り道ばかりである。
Josef Zawinul(ジョー・ザビヌル)氏の訃報に接して [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
記事を書きかけのところでAmazon.comのリンクを貼ろうとしていたらアプリが落ちてしまって書きかけのテキストを放棄して書き直さなければならなくなった。
Firefoxのバージョンアップは目下、私のネット環境にロクな事をもたらさない。元々値など皆無のテキストではあるが、費やした時間のことを考えるとやっぱり落胆してしまう。
気を取り直して書き直しだが、失せたテキストがどういう内容だったかもう正確には思い出せない。
訃報に接して今日、聴き漁ったレコードを並べてみたい。いずれ個別にエントリーを起こしてみたいと思う。それぞれ、経歴中の節目になっただろうと思われる。
- アーティスト: キャノンボール・アダレイ, ナット・アダレイ, ジョー・ザビヌル, ヴィクター・ガスキン, ロイ・マッカーディ
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2006/06/14
- メディア: CD
渡米後の出世作がこれあたりだろうか。ピアニストとして、というよりもタイトルチューンの作曲者として認識されたあたりがこの人の一種独特な立ち位置を象徴していると思う。
お次は
- アーティスト: マイルス・デイビス, ウェイン・ショーター, ジョー・ザビヌル, チック・コリア, ハービー・ハンコック, ジョン・マクラフリン, デイヴ・ホランド, トニー・ウイリアムス
- 出版社/メーカー: ソニーミュージックエンタテインメント
- 発売日: 2005/10/19
- メディア: CD
以前書いたものhttp://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/2006-09-23-1を読み返してみると自分の筆力のなさに失望してしまうが、歳と共にじわじわと手の伸びる回数が増えつつある妙な存在だ。
構想の恐らく半分くらいはジョー・ザビヌルに依拠していると思う。と言うか、彼の加入がなかったらこの音楽が成立することはなかったのではないだろうかとさえある時期からは捉えるようになった。
それから
発足当初は中心メンバー3人がアイディアを出し合って運営されていたがバンドの重心は徐々にジョー・ザビヌルに移動し、本作あたりからはほぼ完全に彼の楽想を反映させるためのバンドに様変わりした。
楽想自体、それまでの点描的に浮遊するもやのような低い温度感のものからリズミックでどこか土着的な民族音楽のテイストが混じり始め、祝祭的な響きを持つようになりつつある。
プレイヤーというよりはディレクターとかオーガナイザーの色合いが強かった方という受け止め方をしている。ここではないどこか別のプリミティブで肯定的な世界を提示してくれる、地域やカテゴリーを飛び越えた本当の意味でのミュージシャンでしたね。
合掌
Firefoxのバージョンアップで悩むの巻 [パソコンのこと(主にMac)]
パソコンの中に入れてあるアプリの中で何が最も重要かというと私の場合はwebブラウザということになる。
初めてパソコンを買ったのはもう8年ほども前になってしまうが私は一貫してNetscapeを愛用し続けてきた。
現在、インストールしてあるブラウザは実に4つもあった。
Safari,iCab,Netscape,Firefoxとなる。
半年ほど前からNetscapeは画面が真っ白になってNot Foundの表示しか出なくなった。
手探りであれこれ試してみたが結局解決法が分からず使用を諦め、半ばやけ気味に常用ブラウザをFirefoxに切り替えたところ仲々使い勝手が良く、以後愛用することにしていた。
落とし穴というのは一体どこにあるのか分からないものだ。
迂闊なバージョンアップというのもそのうちの一つではなかろうか。それまで1.5.何かのFirefoxを使い続けていたところに2.3日前に、ひょっこり現れたポップアップウィンドウにはメジャーバージョンアップを果たした旨が書かれていた。
深い考えもなしにインストールした現在のバージョンは2.0.0.6とある。
御利益のあるようなないような、さして変わり映えのしない使用感にまあこんなものだろうとここ数日を過ごしてきたが、画像のダウンロードができなくなっていることに大変動揺している次第なのでございます。
NetscapeからFirefox1.5.x.xの習慣として、画像にマウスポインタを重ねて長押しでクリックすると開いたウィンドウがバージョンアップ後は現れないことに私は大いに焦った。
あーでもないこーでもないと試行錯誤を続けているが未だに解決しない、困ったものだ。
こんなことならいっそ、元もバージョンに戻してしまった方がいいのではなかろうかと思いついたがどうも後戻りはできないもののようで更に困った。
おとなしくApple純正のSafariに切り替えようかと思いついたがこちらはブックマークのインポートをしてくれないのが困りもの。ううむ・・・・
結局この手の悩みは、パソコンを使い続ける限りどこまでもついて回るものなのかも知れない。辿り着いた快適な環境が迂闊なバージョンアップで脆くも崩れ去る場面がそういえばこれまでにも随分あった。
しばらくぶりにコンサートに行く [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
9月3日に実に久しぶりにコンサートに行ってきました。
場所は北海道芽室町の中華レストラン「桃酔」
http://gourmet.hokkaido-np.co.jp/cont/gourmetdata/5221.php
http://www.tokachi.com/presswork/kininaru/0204.html
私のお仕事上の得意先でもあります。オーナーは横浜市は山下町の菜香にて勤務歴10年、広東料理を修めた焼き物のエキスパートであります。お店は以前造り酒屋の倉だった建物を改修したもので、今回気づきましたが意外に音響がよい。
店舗ホールを利用してのミニ・コンサートですがタイトルはQuiet Night Quiet Starsとなっており、ギターとサックスのデュオというちょっと変わった編成でした。
出演は 田野城寿男(ss,ts) 西村嘉洋(g)
田野城寿男さんのHPはこちら
http://www.tanoshiro.com/2007/08/saxguitar_duo.html
HPによれば芽室町は西村氏の故郷でもあるらしい。田野城氏は中札内村在住とのこと(だったかな)。
芽室町というのはゲートボール発祥の地でもありますが、地元の産業や地元出身者を大事にする良き習慣がある暖かみのある町です。
ここからコンサートレビュー紛いのテキスト
開演19:30頃、店内は聴衆でびっしり満員。日頃ジャズは余り聴かなさそうに見える年配の方々も予想より多く、地元で行われるイベントを盛り上げたいという集団意志のようなものを感じた。芽室町はやはり何というか、人情味を感じさせる町だ。
オープニングはアントニオ・カルロス・ジョビンのWaveだった。田野城氏は奇抜な髪型で登場し、最前列に座っていた私などは少々引いたが、演奏前のMCではボサノバの成り立ちと作曲者の経歴を実に理路整然とわかりやすく紹介してくれて外見に似合わず(失礼!)オーディエンスに対する配慮の感じられる方だと思った。
今回のレパートリーはオープニングナンバーをはじめとしてボサノバの選曲が多めだったが、テーマのわかりやすさと終わりつつある夏の夜のコンサートということもあってこの日のオーディエンスの許容範囲や時節の気分に配慮してくれていたらしいと私は勝手に想像している。
2曲目はBlue in Greenで、初演は言わずと知れたこれからのチョイスである。
”マイルス・デヴィスの・・・”としてMCでは紹介されていたが、私のようなひねくれ者は内心、『実はビル・エバンスの作曲したものをマイルスが取り上げて自分名義にしちまったんだー!と言ってくれ!』と思ったりもしたが、ジャズは初めて、とか、内幕話には大して関心がなさそうな当日の聴衆でもあったので余計な含蓄を垂れても仕方がないとの勘案はあったと思う。
本当の作曲者によるピアノトリオ演奏も負けず劣らずの名演。
田野城氏は色々と公的なお仕事をもって居られるだけあってMCが大変親切で誰にでもわかりやすい。
プレイスタイルについてはアドリブフレーズを良く聞き込んでいくとプロフィールの紹介にあるとおり、Devid Liebmanに師事していたことがあるらしい痕跡を窺わせる場面が時折あってニヤッとした。但し、コルトレーンの流れを汲む一連のプレイヤー達とは出音の肌合いが異なり、厚みや柔らかさを感じさせるところに個性を感じた。
ギターの西村氏はフィンガー・ピッキングの名手で、ファーストセット終盤の曲では曲調が段々ブルースタッチのものに変化していき、それからまた16ビート風に変わっていくに従い親指の挙動がチョッパー風になっていくところにアドリブの面白さが見えた。セカンドセットの最終曲、マスカレードではハワイアンギター風の構えからボトルネックっぽい挙動を見せてくれたりもしてサービス精神てんこ盛りの熱演だった。
一見野人風の田野城氏が節度を重んじるかのようなプレイを聴かせてくれたのに対し、外見上は長身白皙で繊細さを窺わせる西村氏の演奏スタイルがソフトトーンでありながらもかなり奔放だったのは意外で、最初のMCにおいて「大変エキサイティングなギタリスト」として紹介されていた理由を私なりに理解したつもりになっている。
ドラムやベースを除いた編成なので、ビート感を強調するような展開は希薄だったが箱のサイズやオーディエンスの状況をうまく読み取って、ポピュラリティに結びつく部分をわかりやすく紹介してくれる親切な選曲であり、進行であり、演奏だったと思う。
予備知識の全くなかった私は最初ポスターの編成を見てカリカリのフリーフォームみたいな展開を予想して心の準備をしていたのだが、終始リラックスして楽しめるプログラムであり、私は大いに堪能しました。
最後に一つ、苦言を呈したい。
ご本人達が了解してのことなのかどうかは分からないが、演奏中にフラッシュをたいてプレイヤーを撮影するのは明らかに聴衆としてのエチケットに欠ける行為であることを知って欲しい。普通一般のホールコンサートであれば機材はその場で没収される行為である。箱の大小に拘わらず、コンサートは音楽を聴く時間であり場所であって撮影会場ではない事くらい一般常識としてわきまえるべきではないのか。
演奏中に店内がフラッシュの光でしばしば真っ白けになる瞬間を私は聴く気をそがれるようで大変邪魔くさく感じたし、出演者のお二方が譜面を読みづらそうに目を細める場面も見てしまい、お節介ながら気の毒に思えた。聴衆が多いこと自体は良かったと思うがマナーを心得ている人達ばかりとは言えなかったのが残念な点で、主催者の方々は念のため、というか録音や撮影は控える旨のアナウンスを予めしておくべきだったと思う。
Jazz Party/Duke Ellington(ジャズ・パーティ/ヂューク・エリントン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]
前回のテキストhttp://blog.so-net.ne.jp/r-shim47/archive/20070831で、Jazz Party in Stereo/Duke Ellingtonを取り上げた。
前回の文中、ジャケットデザイン云々とハンチクな文言を書いてしまったが、少々補足しておきます。
本作は同一内容のものを二つのタイトルで発売している。
(1)モノラル録音されたもの タイトルがJazz Party
(2)ステレオ録音されたもの タイトルがJazz Party in Stereo
私が持っているのは(2)の中古国内盤だった。購入したときにライナーは紛失していた。英語力もないのでジャケット裏の英文ライナーの内容は把握できておらず詳細が頭に入っていないが、録音時期は1950年代後半なので、ステレオ、モノラルそれぞれを併売していたということなのだろう。
併売するに当たってモノラル盤でありながら ●●Stereoと題するわけにはいかなかっただろうから単にJazz Partyとしたのだろうと思う。
私にはオリジナル盤の蒐集という趣味はないので、こういった録音形式によるタイトルの違いみたいな事には何の興味もなかったが、録音企画の意図はステレオイメージの提示にあると考えているのでモノラルプレスのオリジナル盤に多少の骨董品的価値があったにしても音楽としてはステレオ盤で聴かれるべきだと思っている。
また、貼り付けたリンクは当然CDである事を表しているが、CDは元々左右両チャンネルが2条記録されているものであって、ここでは敢えてわざわざモノラルとしてリリースする必然性は皆無と思われるためタイトル末尾の ”in Stereo”を省略する必要はないことになる。
録音時期がステレオレコーディングの初期だったためにこのように二つのタイトルが生まれたのだが、今日の視点から考えればやはり理解に苦しむ装丁の変更だと再確認した。