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USBターンテーブルと戯れる [再生音楽の聴取環境など]

 半年以上も前に買ったきりで手つかずのUSBターンテーブルをいじり回してみることにした。

2万円でお釣りが来るほど安価でありながらフォノイコライザーはおろかUSBのコネクターまでついているのだから音質をとやかく言うのも野暮だ。とにかくメインのSP-15に繋いでみる。

 このターンテーブルにはphono出力がないのでライン入力となり、SP-15の内蔵イコライザーとの聴き比べとなる。高価であればいいとは言わないが音質の差を確認する以上の成果は特にない。
 改めて思うが、玩具程度ではあるがオフセットタイプのトーンアームは実に扱いやすい。オラクルに取り付けているLTA,SLA-3は盤の反りや埃、細かい傷には滅法弱い。針飛びを起こして手に負えない盤面の荒れた中古盤でもインサイドフォースが働くオフセットアームであれば無難にトレースされるものがかなり多そうだ。

 湿度が上がると如実にトレーシングが悪化する、日常の手入れが面倒臭い、カートリッジをお手軽にポンポン交換するなど望外、等々左右のステレオイメージと引き替えに難儀を強いられる場面がこれまでいかに多かったのかを改めて知った。

 もう一つ藪蛇のような不具合が発覚した。
USBターンテーブルはSP-15のテープ端子から入力してみたが変なポップノイズが出る。近々一度、点検のため入院させる必要がありそうだ。お金の工面を考えると少々気分が沈みます。

 元々考えていた使い方のために休眠状態だった機材を引っ張り出してきて適当に結線してみる。

 音質はともかくとして、豆粒のようなスピーカーを擬似ヘッドホンのようにして近距離で聴いているとミニチュアのステージを鳥瞰しているようだ。これはこれで結構楽しい。


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サブシステムのアンプ 2007年10月現在の話 [再生音楽の聴取環境など]

 現在、拙宅の居間にあるサブシステムJBL S-101は、製造元としては既に息絶えたといって良い山水電気製のアンプでドライブされている。AU-α907i MOS-Limitedという、うんざりするほど長ったらしい機種名だ。

 実は拙宅に何台かあるオーディオアンプのうち、唯一のFETアンプがこれである。
往年の名作、ヤマハB-1以来、FETアンプは一度使ってみたかったが20年以上その機会は訪れなかった。ネットオークションという有り難いものができたおかげで初めて手に入れたFETアンプが本機だったのでした。

 手前味噌ながら、一体型のアンプとしては仲々見応えのある立て付けで、つやつやした光沢の黒パネルが結構気に入っている。
 出音は結構気難しい。スピーカーの人見知りが結構激しい。FETアンプという増幅素子は高い音域の再生に特徴があると思っているのだが、幾つか試してみるとどれもエネルギーバランスが上ずり気味になってカンカンと喧しい。一時期オーディオファイルの定番的スピーカーだったヤマハのNS-1000Mと取り合わせてみたときにはちょっとびっくりするような音調でNGだった。

 ただ結線して音出しをしてみただけの話なので余り簡単に結論づけるべきではないのだろうがそれにしても、この先もっと掘り下げて調教してみたい気にはなれなかったのは覚えている。

 但し、JBLのスピーカーとは不思議とどれでも相性がよい。本機の製造時期には既に輸入代理店の契約も失効していたのだが、それでも長年、JBLを音決めの基準とし続けていたことの刷り込みが作用し続けていたのかも知れないと勝手に想像している。

 S-101のツィーターはfレンジがさほど伸びているわけではなく、ことに小音量では冴えない場面もあるが、
本機と繋がると俄然輝かしい響きを放つ。
 私はそれがFETアンプの恩恵だと勝手に想像している。真空管、バイポーラ、FETと増幅素子を並べてみると、それは勿論個人の嗜好もあるだろうが高い音域の再生ではFETがずば抜けている。
 殊に、ホーンやシンバルの鮮烈さにかけては出色というか、FETアンプとホーンツィーターの取り合わせというのは私にとってはセオリーのような認識を持っている。

 FETアンプとホーンツィーターのコンビネーションというと、拙ブログにコメントをくださるハワイ在住のだーだ様のシステムをどうしても連想する。私のところは数段格落ちのシステムで、小学生と大学生以上に開きがあるのは歴然だがきっと志向する音調には何か共通項がありそうな気がしているのですけど・・・

 本日のメニュー、(ジャケット写真くらいつけてくれよAmazon.com)

ヘヴィ・サウンズ

ヘヴィ・サウンズ

  • アーティスト: リチャード・デイビス エルビン・ジョーンズ, リチャード・デイビス, ビリー・グリーン, フランク・フォスター, エルビン・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: MCAビクター
  • 発売日: 1994/11/30
  • メディア: CD

 陳腐な修辞だが、野生の雄叫びみたいなフルショットが殊更男臭く格好いい。


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サブシステムのスピーカー JBL S-101(1) [再生音楽の聴取環境など]

 私の住む土地はそろそろ冬の気配が忍び寄る今日この頃、例年通りメインシステムはアンプを元に戻した。

ということは、メインシステムはこれから初夏までの間、プレヒート15分、クールダウン5分の七面倒臭いお約束に則って使用し続けることになる。加齢と共に七面倒くささの度合いも段々高まってきて、こんなややこしい手続きを続けながら音楽を聴きたいかと自問する場面も段々増えてきた。

 ここ1,2年、再生音楽のことをあれこれ考えるに、その良さの一つはいつでも思いついたときに気軽に聴ける点にあること改めて思うようになった。
 趣味のオーディオシステムとして、求道的なチューンナップは一つの取り組み方、楽しみ方であって別なアプローチもあって良いという志向は年々強まっている。

 そんなわけで拙宅のメインがアンプの衣替えを行ったということはサブシステムが活躍する季節がこれから始まることをも意味している。

 
 3年前に私が20数年続けた宮仕えを辞めて今の生業を始めたときに、いささかヤケッパチ気味な景気づけの意味で退職金の一部を取り崩して買ったスピーカーだ。一日暮らせるだけの日銭を稼いだら、あとは好きなだけ自宅で音楽を聴く生活を志向するつもりでいた。
 開業の時点で私の年齢は既に人生の折り返しを過ぎていたせいなのだろうが自身のことになると何かと懐古的な捉え方が現れるようになった。JBL S-101という選択は私自身のオーディオ趣味のとっかかりが原型のL-101 Lancerだったことと大いに関係がある。

 大口径ウーファー、ホーンツィーターという構成は一度卒業したつもりになってはいたが、三つ子の魂百までもというかやっぱり捨てがたい点もある。ソニー・ロリンズのブローをでっかい音で再生しているとこれは確かにツイタテスピーカーでは逆立ちしても得られない生理的快感をもたらしてくれていることを認めないわけにはいかない。
 考えてみると今年は奇しくも私がこれがゴールのつもりでしつらえたJBL 4344を現在のツイタテに入れ替えてからちょうど20年目なのだった。それは新たな世界に踏み込んでからの20年だが、年々募る喪失感を押さえ込んでやせ我慢を決め込む20年でもあった。
 あの大柄な4ウェイモニターを大して広くもない拙宅でESLと同居させるだけの甲斐性が私にはないし、今更ESLをお払い箱にしてそこに戻るつもりもないので、音の出る家具みたいな佇まいのS-101はそれなりに棲み分けが成立していると勝手に自負している。

クール・ストラッティン

クール・ストラッティン

  • アーティスト: ソニー・クラーク, アート・ファーマー, ジャッキー・マクリーン, ポール・チェンバース, フィリー・ジョー・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1998/07/23
  • メディア: CD

 居間の長椅子でごろ寝をしながらジャッキー・マクリーンのアルトをでっかい音で聴いているとこのスピーカーで一丁何かもっと突き詰めたことをやっても面白いのではないかと考えたりもするようになりつつある。
居間でしつらえるには余り似つかわしくないもののようにも思えたりして、目下物欲にブレーキをかけながらあれこれ空想する楽しみに時折浸る。
 こんな時間は宮仕えの頃には望むべくもなかった。改めて思うが人の持てる時間は何をどうやっても一日24時間なのですねえ。


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居間のターンテーブル Empire 698 [再生音楽の聴取環境など]

 居間のセカンドシステムはメインソースがLPで、このようなターンテーブルがお皿回しを司っている。

 いかにもアメリカの成金趣味丸出しなスタイリングが以前から好きだった。
 中古機で購入したときのコンディションは惨憺たるもので、トーンアーム周りの配線はあちこち断線しかかっていたものを自分で修繕してどうにか使えるようにして以来およそ4年ほどになると思う。
 
 S/Nは論外だが結構威勢のいい音がするところはサブシステムのスピーカーと共通の属性だと思う。トーンアームの実効長は約9インチ(目測)で針圧調整がダイナミックバランスである点とインサイドフォースキャンセラーの設定範囲が広いのとでレコードの反りや針飛びしやすい盤などには滅法強い。メインシステムのOracle Delphi+Southerがレーシングカーだとするとこちらはジープとかトラックみたいなものに喩えられるのかもしれない。

 トーレンス等の欧州系ターンテーブルと明らかに異なっているのはモーターのでかさで、うんと以前に短期間使っていたLinn LP-12と比較しても軽く二回りくらいはでかい。
 そのせいもあるのだろうがとにかく再生時はモーターゴロの大きさに閉口させられる。どうせセカンドシステムなのだから音質のことには拘らないつもりでいたがそうも言っていられなくなるくらいの酷さであることに最近気づいた。

 記憶を辿ると2年ほど前に元々付いていたベルトが切れたので代品に取り替えて以来ではなかろうかという気がする。プラッターを回して針を下ろすとモーターゴロが盛大にスピーカーから吐き出されてくるのでサブシャーシが共振していることになる。レゾナンスループが出来上がっているわけだ。

 件のモーターを子細に見てみるとお世辞にもセンターの精度が高いとは言えない造りだ。回転時の振動を緩衝するためのクッション(ゴム製)は経時変化でものの見事に硬化している。
 暇に任せて改善策に乗り出そうと思うがずぼらな私のことなのでいつになったら腰を上げるのかは未定。

 


夏の聴取環境について考えてみる(エアコンのこととか) [再生音楽の聴取環境など]


 当然ながら夏は暑い。我が家の主軸であるパワーアンプは暴力的な発熱のため夏期は休眠状態としていることはこれまでに何度か書いた。
 
 強制空冷のチューブアンプから自然空冷のバイポーラアンプへと夏の間は一時的にチェンジするわけだがそれでも尚暑い。特に夜が暑い。
 夜間に部屋が暑い理由は私の住居の建築構造による。バリバリ寒冷地仕様の高気密高断熱住宅は日中、外気温が高い時間帯にせっせと外壁が蓄熱しているので夜間は外気温が下がっても室内が暑い。
 夜間は外壁が放熱を行うので日中は意外と室内が涼しい。外気温と室温の変化にずれがあるわけだ。

 従って夏の間は音楽を大まじめに聴く時間帯は日中にシフトすることが多い。日中と夜間では聴きたくなる音楽の傾向も異なるので自分の守備範囲内での見落としを発見することもたまにはある。
 日中は比較的室内が涼しいと書いたが、文句なしに涼しいのはぜいぜい午前中一杯であって正午過ぎには外壁の蓄熱がそろそろ限度に達して室温が上がり始める。

 少年期の真夏、トリオのシステムコンポにかじりつくようにして汗だくになりながら窓を閉め切ってレコードを聴く習慣があった。西日のきつい部屋だったので夕方近くなどはそれはもう本当に暑かったが中年期の今はそういう聴き方を余りしたくない。
 窓を開けて音楽を聴いているとスピーカー背面からのリフレクションが変化するためサウンドステージの前後関係が少々乱れる。加えて住宅の外に音が聞こえることを意識すると聴くソースにはある程度の取捨を考慮せざるを得なくも成る。

 更に我が家のターンテーブルにはLTAが付いている。

 
実はこのトーンアームは夏に弱い。LTAは全てそうだが、強制駆動するものでないと日本の大体の地域では苦しい。湿度を大変苦手とする。
 我が家のサウザーLTA-3について言えば夏期には湿度が上昇するのでトラックレールの滑走性が低下する。したがって針飛びが起こりやすくなったり、トレーシング時のビリつきが出やすくなったりもする悪癖がある。開け放った窓から強い風が吹き込んできてミストレースを起こしたことも何度かあった。それで、聴取ソースとしてはCDが増えてくるのも夏の傾向である。

 これら不具合や制約を解決する方法として、試験的にエアコンを設置してみたことがあったが結果は不首尾に終わった。
 引っ越し以前の寒い家に住んでいた頃、冬期間にFFストーブを使っていた頃の不具合が引っ越し後は夏にエアコンを使うことで再現されることを知った。
 どういうことかというとつまり部屋の空気を強制対流させるため左右のステレオイメージが滲むのだ。
考えてみれば部屋で音楽を聴いている間中、空気はある粗密波を示してもいるわけで、ストーブなりエアコンなりの吐き出す空気がこの粗密のパターンを揺るがせていることにもなるので合点がいった。

 結局、この問題には今のところ良い打開策を思い付けないでいる。


USBターンテーブルを買ってみる [再生音楽の聴取環境など]

 以前から、LPレコードの音源をディジタルデータとして保管しておきたい考えがあった。
それで、CDレコーダーを購入して多少使ってはみたがいくらも経たないうちに故障してしまって現在はタダの箱になり果てた。

 修理すればそれで済む話なのだが、一度CDに焼いてそれから編集という作業はどうもデータのハンドリングがよろしくないような気がしていた。

 そんな折、USB端子を持つターンテーブルがあるとの話を聞きつけ一台購入してみました。
実売価格は大体2万円とのこと。

 接続先は当面、仕事に使っているiBookにしようかと考えているがなにぶん5年前の機種なのでUSB2.0がサポートされていない。1.1でも転送可能なのかも知れないが物は試し。
チープそのものだがこれは言いっこなし

 どうもこの先、ノートパソコンを買い換えることになりそうな気もしている。


恒例化しつつあるアンプの衣替え(?) [再生音楽の聴取環境など]

 本日は真夏日で大変暑い。
たった二ヶ月前には一面雪だったのだから、結構変な土地に住んでいることになるのではないだろうか。
例年の通り、パワーアンプCL-150は休眠期間に入る。

 夏場のピンチヒッターは若い頃に買ったB-2301である。
       
オレンジ色のバーグラフメーターは趣味がいいとはとても言えないがともあれ今までよく働いてくれたのである。もう22年になる。

 バーグラフの伸び方は若い頃にJBLのモニタースピーカーを一時期繋いでいた時の3倍くらいなのだが出てくる音量はずっと小さい。ESLというスピーカー形式は、何度も繰り返すが本当にアンプにとっては困りものだ。数百ワットなどという出力はヘッドマージンの確保以前こういう負荷を駆動するためにあるのだという考えは今も変わらない。
 CL-150から繋ぎ替えてみてB-2301のバーグラフの動きを見ていると、若い頃に肝をつぶしたときのことをいつも思い出す。

 音色の豊富さや厚みでは一歩譲るがステレオイメージに於いてはやはりOTLアンプに分がある。
年々、濃厚さや力感を強調するような傾向のトーンから少し距離を置きたくなっていることに気づく。年齢を重ねていくと、こんな風な嗜好の変化も現れてくるもののようだ。
 もっとも、何か別のアンプを探すにしても購入資金がない。この辺の事情も例年通り。かくして今年も、B-2301のバーグラフの跳ね上がり方に冷や汗をかきながらレコード三昧の私である。


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安物DVDプレイヤーの購入 [再生音楽の聴取環境など]

 実は、私用のパソコンが故障してしまい目下入院中である。
テレビが故障して見られない状況にあることはしばらく前に書きました。

https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/2007-01-12
https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/2007-01-31

 どうせ今日日のテレビ放送などろくなものがないので見なければ見ないで別段不都合もないのだが、以前書いたようにテレビには別の活用目的もあるのでいつかは買わなければならないなあ、と、漠然と考えていた。

 そうこうしているうちに今度はCyberstormという聞いたこともないようなメーカーのDVDプレイヤーが壊れた。映画を見ていると途中で画像や音声が止まってしまい、初期画面に戻るエラーが出るようになった。
 この安物は2年前に確か七千円くらいで買ったものだ。それもまだいい。他に映画を見る方法がないわけでもないし、CDを聴きたければLDプレーヤーだって使える。

 しかし、私用のパソコンがいかれたのには参った。また何ともついていないことにこういう出来事は暇を持て余しがちなこういう連休期間を狙いすましたように発生するのは何故だろうか。
 パソコンは修理の完了待ちで仕方がないとして、さすがに私は困ったので安物DVDプレイヤーを買ってくることにした。

Avoxという、これまた聞いたこともないメーカーの製品だ。私の住んでいる田舎町では実売価格は5481円だった。26年前にCDプレイヤーが発売されたとき、その実売価格は大体どこのメーカー製であっても20万円強はしたことを思うと隔世の感がある。ディジタルというのはつまりこういう事なのだ。一旦量産効果が出始めるとまるでバナナの叩き売りみたいに値段はバンバン下落していく。

 こういう値段なので贅沢は言うまいとは思うのだが、借りてきたDVDを観ると早速途中で画面が停止することが2回くらいあった。
 DVDプレイヤーについてはその発売当初から、私は安物買いの銭失いを繰り返している。最初は6年前にパイオニアのDV-535とかいう物を買った。4万円くらいしたと思う。これは3年強でディスクを読まなくなった。以後現在に至っているわけだが爾来私はDVDプレイヤーなどというものには奮発しないことにした。安物を買っていかれたら放り出して次を買えばいいのだと思うようになった。
 
 今回この安物は、小さいところが気に入って買ったのだった。おまけの機能としてはJPEG画像のファイルを扱えるそうだがまだ試していない。一万なにがしかの出費をするとmpeg4やらDivXやらの動画データも読めるものがあるのだそうで何とも物凄い話だ。
 耐久性などどうでもいいのでとにかく機能性を求めていくとここまでのものが手に入る時代に今の私はいるのかと思うと、この機材の出始めの頃に奮発などしなくてかえって良かったのかとも思えてくる。


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Point of No Return/Chemistry(ポイント・オブ・ノー・リターン/ケミストリー) [再生音楽の聴取環境など]

 流行歌である。とは言ってももう5年も前のリリースなのだが。日本語で歌われている。時間の審判に耐えてクラシックスとなるのか一過性の消費物で終わるのかはまだ分からない。
 家を建てて引っ越した当時、居間でゴロゴロしながらFM放送を聞き流していると良くオンエアーされていて何となく私の意識のアンテナに引っかかった曲なんである。
 こういう出会いかたは結構大事なものだ。私はメモを取ってそのCDを買ってきた。

Point of No Return

Point of No Return

  • アーティスト: CHEMISTRY, ASO TETSURO, FUJIMOTO KAZUNORI, KAWAGUCHI DAISUKE, DOI MANAO, ケツメイシ, YANAGIMAN
  • 出版社/メーカー: DefSTAR RECORDS
  • 発売日: 2001/06/06
  • メディア: CD


このテキストは私のブログでは音楽にカテゴライズされていないことに注意して頂きたい。必ずしも音楽として無価値だと言いたいわけではない。音楽として価値のないものをわざわざ金を払って買ってはこないのです。だからといって格別、記憶にとどめておくほどのものには聞こえなかったけど。

 私がこの一枚について書きたいのは音楽の内実についてではないのでこのようなカテゴライズになっている。では何について書きたかったかというと、このCDは記録されている信号レベルが高いのだ。平たく言えば音がでかい。
 私の常用しているアンプには6dBステップのアッテネーターが付いている。そして、私がCDを普段聞いているボリューム位置で本作をプレイバックするとびっくりするほどでかい音が出てくるのだ。
 -6dBアッテネートさせると大体普段の音量となるからCDPの出力電圧は2倍出ている計算となる。

 取るに足らない疑問なのだろうが、一体何故、このような記録レベルであるのかが私にはよく分からない。どういう再生装置を前提として製作されているのかが分からないということだ。この種の音楽は他にもこういう記録レベルで製作されているものが多いのだろうか。普段余り聞きつけない種類の音楽なので、私にはこのカテゴリーを愛好する方々がどういう聴取環境であるのかが分からなく、少々興味深くもあるというわけです。


玉光堂の閉店に思う [再生音楽の聴取環境など]

 20年来、LPやCDを買い続けていた玉光堂が一件閉店となった。
http://www.gyokkodo.co.jp/

 私の住む土地ではまだ2店舗残ってはいるが、それにしても何だか寂しい話だ。
それまで数カ所、転勤生活を続けていた私が田舎に戻ってきたのが22、3年前で、それから1,2年してから鳴り物入りでオープンした玉光堂はたちまち地元のレコード屋さんや楽器屋さんを蹴散らして地域に於ける覇権を確立したのであった。(と書くと何だか大袈裟なのだが)

 少し離れたところにあるWAVEに行ってみるとこれまた店内が閑散としていて何とも寒々しい。えさ箱はごっそり撤去されて店内がスカスカなのだ。

 20年前はLPレコード断末魔の時期だった。買い逃したくない一心で安月給からない金を振り絞ってまるでこちらの足元を見透かすかのようなしょうもないシリーズものをあれこれと買い込んだ。(そんな風にして大人買いしたレコードというのはまず、ロクに聞きもしないまま棚の中で眠り続けるものなのだが)
 最後の一滴でどこかに掘り出し物は売れ残っていないだろうかと、それまで行ってもいなかったレコード屋さんのえさ箱を次から次から漁って歩いたのは何だか懐かしい思い出だが、これから先はきっと、パッケージングされた音楽を店頭で手にとって購入する場所はどんどん減っていくのだろう。

 LPだCDだ、テープだディスクだといった記録形態の問題ではなく、音楽パッケージという実体そのものがどんどん手近でないところに遠のいていってそのうち実体は消滅してしまい、やがて全てはディジタルデータとしてネット配信による販売のみになるのはそんなに遠い日ではないような気がする。

 えさ箱からレコードをつまみ上げてジャケットを眺め、刻み込まれている音楽を想像しながらどれを買おうかと思案していたあの時間は戻ってこない。

 唐突だが、私の兄はWindows NTというパソコンのOSが登場した時点で今日のこの状況を言い当てていた。文字、画像、音声、ディジタルデータは次から次と実体を消し去っていく。そんな過程を目の当たりにしながら私は段々とオールドタイマーになっていくわけだ。
 

 
 


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居間のスピーカー BOSE 101MMGのこと [再生音楽の聴取環境など]

 家でゴロゴロしているうちにふと、天井に取り付けたスピーカーの掃除を思い立った。
     
 家の新築が6年前だったので、それ以来掃除らしいことはしていない。当然だがグリルなどには埃がたまっていた。

 居間のスピーカーはBOSE101MMGという。

BOSE 101MMG スピーカーシステム

BOSE 101MMG スピーカーシステム

  • 出版社/メーカー: BOSE
  • メディア: エレクトロニクス

 音質上のメリットなど皆無だがゴーグルグリルが格好いいと勝手に悦に入っている。上級機802のパロディみたいだ。自宅にあるスピーカーの中で最も稼働率の高いのは、実はこのBOSE101MMGだ。
 LP,CD,LD,DVD,FM,AM,ゲーム、ビデオ・・・要するに、テレビの音声以外は全てを受け持っている。本日のNHK-FM放送は一日一杯カントリーミュージックの特集だ。朝から晩まで居間のBGMとなっており、こういう用途には大変具合がよい。

 音質についてここで云々するのは適当でなさそうに思うが、一家に一台的な音質であり、価格だと思う。評価としてはそれで十分ではないだろうか。音楽を鑑賞するという行為での必要条件を満たす音質がこれなのだと私は考えている。
 言い換えれば、BOSE 101で満足できない方は財布の許す限り再生装置に投資すればよろしい、また、多少なりとも真面目に音楽を聴きたいのであればせめてこれくらいのスピーカーで聴いて欲しいという、趣味製品と実用品の境界線に位置している物体ではないかと考えている。

 ところで所謂オーディオファイルにとって、BOSEというのは鬼っ子というかどこか忌々しいというか、真面目に論ずるにも値しないような存在らしい。「ああ、ボーズね」と鼻白んだようにやり過ごすオーディオファイルを私は沢山知っている。
 たったの3万円強でそれなりの音質が手に入ってしまう呆気なさとあれこれ周辺条件を向上させても音質に大きな変化が現れない奥行きのなさがそういう意識をもたらしているのだろうと私は想像している。

 確かに「所有する喜び」をもたらしてくれるようなものではないがしかし、これ以前に出回っていた4万円弱のスピーカーが聴かせていた音質から比べれば誰がどう聴いても一大飛躍だったという事実は不動のものであって、101MMが再生装置のスタートであるとすれば、最初のシステムでスピーカーを選定するに当たって少なくともスカを掴むリスクが低減したという意味では発売以後の環境は間違いなく向上していると思うのだ。

 皮肉なことに、BOSE101の大ヒットと軌を一にしてホームオーディオ市場は冷え込みが始まり縮小していったという展開があった。逆風の中で生き残り、足場をキープし続けているということは結果として、良くも悪くもこの資本主義社会の中でBOSE101が優れた商品だったということの証明なのだ。ここに趣味性の入り込む余地がないことはいささか味気ないにせよ、だが。
 今時点での私は再生音楽に対する趣味性というのは、再生装置以前にまず、音楽ソースに向けられるのが健全な有り様ではないかと考えている。
 
 


雪の降る休日をのんべんだらりと過ごす [再生音楽の聴取環境など]

本日は日曜日で、雪が昨夜から降り続いている。
我が家のテレビは壊れたままで、奇矯なことに私はテレビなしの生活が結構気に入り始めている。そういうわけで一人暮らしの我が家は今日、実に静謐だ。

実際、テレビなしで暮らし始めてみると顕著な変化として
*読書量が増える
*ウィークデイ(お仕事のある日)の朝は仕事の取りかかりが早くなる
*夜は映画を見ることが多くなる(スクリーンとプロジェクターはバリバリ稼働中)
*音楽を良く聞くようになる
*ラジオ放送を良く聞くようになる

本日の日中は今で読書かたがた横着リスニングを決め込んでいた。

サブシステムに灯を入れるのはしばらくぶりだがS-101の大雑把というか野放図な鳴りっぷりも悪くない。メインのツイタテはどうしても探求的というか根を詰めるような聴き方になってしまうのでちょっとした気分転換みたいな効果はある。煙草、ブラックのコーヒー、JBLのスピーカー、これまで一体何回針を下ろしたかも見当のつかないこれ。

Night At The Village Vanguard

Night At The Village Vanguard

  • アーティスト: Sonny Rollins
  • 出版社/メーカー: Blue Note
  • 発売日: 1999/10/04
  • メディア: CD

学生の頃を何となく思い出す。

窓の外の雪景色を眺めながらこういう物を引っ張り出してきたりもする。

ゲッツ/ジルベルト

ゲッツ/ジルベルト

  • アーティスト: スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト, スタン・ゲッツ, ジョアン・ジルベルト
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 2004/09/29
  • メディア: CD


 雪景色を眺めながらボサノバを聞き流す習慣がどうして身に付いてしまったかというと、きっとこの映画のことが関係しているのだろう。

男と女 特別版

男と女 特別版

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • 発売日: 2006/10/06
  • メディア: DVD

 うとうとしながら一日をダラダラと過ごす。こういう時間の過ごし方は好きだ。


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スピーカーセッティングをくそ真面目にやり直す [再生音楽の聴取環境など]

 お仕事が暇なことに加えて冬はLP再生の条件が良好になってくる為、メインシステムで聴く時間が長くなってくるのが毎年のサイクルだ。
 4年くらい以前だったと思うが、CDプレーヤーを買ってからメインシステムには機材の更新も買い増しもない。理由の第一は何と言っても私に金がないからなのだが機材のグレードを上げる必然性を感じるほどの音楽ソースに巡り会えていないからという事由もある。

 やれ中古カメラだ、iPodだ、魚釣りだと寄り道と脱線を続けているうちに、音楽を聴く姿勢が段々不真面目になってきたのかもしれないと薄々自覚し始めるこの冬だったわけでございます。
 最近漫然と色々聞いているうちに、そういえばどうも、プレゼンスがおかしいのではないかと勘づいた。音量が左側に偏っているようだし、センター定位が滲む。前後関係も何か混濁して聞こえる、など。
 どうせ機材も中古になってきたのでそのせいだろうと幾分ヤケッパチ気味に聞き流していたが気になるものはやっぱり気になるのである。もしかしたらと分度器とスケールを持ち出し、設置位置を計り直してみた。
   
 左側のスピーカーが右側に比べて角度にして大体8度、外振りになっていた。設置に使っているスペーサーはアルミ合金製なので地震があるとずれやすい。思い出してみるとここ2年くらいは、ずれのチェックを怠っていたのだ。

 CDを鳴らしながらスピーカーの位置を少しずらしてはリスニングポイントに戻るを繰り返しているうちに、ぼやけた焦点が徐々に輪郭を鮮明にして結像するような変化を見せ始める。カメラのピントリングをいじっている感覚だ。
 記憶にあるステレオイメージには、それでもなお食い違いがあるのであれこれ聴きながら思案しているうちに、椅子の位置を測り直すことにした。
 案の定というか、部屋をセンター割りにすると右に5センチくらいずれていた。立ったり座ったりを繰り返しているうちに椅子が徐々にずれていたのだった。

 たったこれだけの修正でステレオイメージは更にキリキリと鋭いピントを示し始める。20年近く前にこのツイタテスピーカーを買い込んだときの驚きが蘇ってきた。
 センター定位確認のため、敢えてモノラル録音のソースに登場して貰う。

バイ・スペシャル・リクエスト

バイ・スペシャル・リクエスト

  • アーティスト: カーメン・マクレエ, ウェンデル・マーシャル, マンデル・ロウ, ビリー・ストレイホーン, マット・マシューズ, ハービー・マン, ケニー・クラーク, ディック・カッツ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルクラシック
  • 発売日: 1999/11/03
  • メディア: CD

 角度にして8度とか、位置にして5センチとか3センチとかの変化で拙宅のツイタテは露骨にへそを曲げることを改めて確認する。最初は間口いっぱいに漠然と広がっていたでっかい口が消えた。代わりにスピーカーのちょうど中間に幅が大体10センチ以下で見えない柱状の発音体が出現する。スピーカーの存在はかき消えて全ての音はその、見えない柱から発せられる感じである。
 ここで首を左右に傾けると大体3センチくらいでこの柱は消えて元通りの漠然と横に広がるでっかい口が現れる。前後では5センチくらいか。つまり、頭の固定位置から左右に6センチ、前後に10センチ以内に両耳が収まってなければならない。そこを外れるとステレオイメージは無惨にぼやけ始める。改めて思うが、本当に神経質なセッティングを要求するじゃじゃ馬である。ここ1年くらいの怠慢な接し方を難詰されているようである。数年前、歯医者の治療台の必然性を感じたことをここで思い出した。現実問題としてはヘッドレストのついた椅子が必要だな、と、一人ごちる。

 セッティング終了後の確認として登場するお約束ソースのうち、本日はこれにご登場願った。

 

狂気

狂気

  • アーティスト: ピンク・フロイド
  • 出版社/メーカー: 東芝EMI
  • 発売日: 2006/09/06
  • メディア: CD

 手前みそだが、久々に絶句ものだ。金縛りの40分を過ごして妙な自己満足に浸る小生だった。

 ここ数年、値段ばっかり高価な、まるで金持ちのひけらかし道具みたいな機材の氾濫でオーディオなどというのはさっぱり面白くない行為に思えていたことをここで白状してしまいます。お金で解決を計るしかないような営為は趣味とは言えねえよ、と、いうのが持論ですが、腕前勝負の余地はやはり幾らか残っていることを再確認できて少々嬉しい気分である。


大掃除をして埃と煙のことを考えてみる [再生音楽の聴取環境など]

何度も使い回す画像だが

 拙宅のメインスピーカーは静電型である。振動板はいつも9000ボルトの静電気を帯びており、これはある種の電気集塵機と考えられなくもない。
 
 およそ6年前、現在の自宅に引っ越す際に、スピーカーを分解してネットを軽くはたきをかけると盛大に埃が出た。引っ越し前はそれこそ絵に描いたような不精者だったので、これを反省してネットの掃除を思い立った。構造をあれこれ考えるに掃除機をかけても問題はなさそうだったので実行してみた。
 掃除の後から組み立てて音だしをしてみると、気のせいか少々すっきりした鳴り方に変化したように思われた。繊維の中に詰まった埃はミクロ的に考えれば音響抵抗たり得るのだろうが、変化を感じたのは住環境を変えた私の心理的なバイアスに依るものだけなのかもしれないし、さして感度が良いとも思われないこの私の聴覚が埃の有無による再生音の変化を正しく判別できていたのかどうかについては確信が持てない。
 ともあれ、定期的に掃除を行うことで気分をリフレッシュさせるという習慣を、何と人生の折り返しあたりでやっと私は身につけたつもりになっている。(遅すぎる)

 以来、時折掃除は行うが、振動板を放電させるときのアークは結構激しく、何度やっても余りいい感じがしない。以前うっかり引き抜いたリード線に触ったことがあるが感電のショックが激しく、これに懲りてそれからは扱いが慎重になった。何でもそうだが痛い目に遭わないと学習できないのは私の業なのだろう。
 こういう経験から、静電型のスピーカーには放電用のスイッチがついているべきだと考えるようになったが、最早絶滅指定品種とも言えるこの発音形式だからして、そういうアイデアが製品に反映されることはない。

 掃除をしてネットがきれいになったことで音質が元に戻ったことを実感できるまでには毎日鳴らしても数日を要する。一度放電させてから振動板が元通りに帯電されるまでには数日を要する。本当のところはさして変化などしておらず、私の感覚が慣れるまでの日数なのかもしれないが。

 ある時から、振動板は埃ばかりではなく、ヘビースモーカーである私の吐き出す煙草の煙をも吸着しているのではないかという懸念がまとわりつくようになった。煙は粒子であるからしてそういうことは確実に起こっているはずなのだ。当然だが、タールは掃除機で除去できるようなものではない。
 このスピーカーは、購入してから今年でちょうど20年を迎える。埃はいいとしても、過去20年分のタールの体積が音質にどのような弊害をもたらしているかを考えると、少々気が重い。タールの付着によって振動板の質量が増し、高い音域の応答性が落ちていることを私の聴覚は感知できているのだろうかと自問すると不安な気分にもなった。

 静電パネルのオーバーホールを行う業者がアメリカにあることを思い出したが、ホームページは消滅していた。メーカー自体も売却が繰り返されて今は中国の某企業に買収されて訳のわからん状態になっている。本当の意味で愛機がリフレッシュされることは、恐らくもうないと思うと気分には幾分影が差した。
 しかし顧みれば私自身も人生の折り返しをとうに過ぎた。聴覚は衰えているのだから劣化の感知だってできないではないかと思うと、都合のいい答えを見つけ出した安堵感と引き替えに理詰めの懸念は消えた。問題点をやり過ごしてダラダラ過ごしたがるのもまた私の業であり、このようにして私は年末年始の休みの間中、煙草をバンバン吸いながら音楽三昧を決め込むのである。
 


フォノカートリッジについて思案する(1) [再生音楽の聴取環境など]

 そろそろメインシステムの針交換時期が近い。
以前にもアップしたことのある画像だが、およそ20年前、私はおよそまともとは思えない風体をしたピックアップを購入した。

 駆動源を持たないリニアトラッキングアームというのは取り付けるフォノカートリッジを峻別する。ハイ・コンプライアンス・カートリッジはことごとくNGとなった。音の善し悪しではない。それ以前にまともなトレースをしてくれないのだ。有り体に言えば針飛びを起こす。一緒に買い込んだオラクルのターンテーブルは比較的初期のもののためサスペンションの特性がピーキーで、カートリッジの質量変化にまで反応してサブシャーシのレベルやサスペンションのストロークがガラガラ変化する気むずかし屋だった上にLTA(Linear Tracking Arm)である。幾ら手慣れてもカートリッジを交換して全てのセッティングを出すまでには2時間弱を要した。その挙げ句の針飛びである。針圧を変える、VTAを変える(これでトーンアームの調整はやり直しとなって1時間弱を要する)しかし針飛びは解消されない。当時の私はもう、何度となく泣き出したい気分になった。

 経過についてはいずれ改めて書くことはあるかもしれないがこの時期、山ほど試行錯誤を繰り返し、結局辿り着いた答えは意外にもシュアーで、この時のV15 TypeV MRは当時の私を驚喜させた。
 音色良好、ステレオイメージは広大、付属のダイナミックスタビライザーはレコードの反りに弱いLTAの欠点を巧い具合に補完する。更に有り難かったのは年間気温較差が激しい私の住む土地で通年で安定したトレーシング性能を示した点だった。
あんまりいい具合に収まってしまったので、以来私はシュアー以外のカートリッジに関心が向かなくなってしまったほどだ。
 数年して欲の出た私は奮発してUltra500を購入した。昇圧機器は不要なのだからまだ金銭的には頑張れた。こちらは高域がきりっとして、鬼に金棒というか最早拙宅ではMCカートリッジなど無用の長物となった。

 しかしあろう事か、後年自宅を新築して引っ越した私は、とんまなことにUltra500のカンチレバーを折ってしまった。頭の中で「がーん!」と音がしたのは良く覚えている。本当にがっかりした。
 しかもその時には既にUltra500が生産終了しているばかりでなく、交換針まで手に入らない状況となっていたのだった。V15TypeV MRは引っ越し前の自宅のどこかにあったはずなのだがそれも見失った。4.5年ほど前のことで確かもうバルコムでは扱いを終えた時期だったと思う。私は真剣に焦ったが、幸いその頃出入りさせて頂いていた掲示板の常連様から情報をいただいてV15 TypeVxMRを手に入れたのだった。こういう時のネットは本当に有り難い。

 音質についてはさすがにUltra500に一歩譲るが死んだ子の年を数えてみても始まらない。負け惜しみは抜きにしてもVxMRだって立派に高音質だ。少なくとも私が試行錯誤の時期にあれこれ試し続けたMCカートリッジ達に比べればずっと高性能なのだ。

 シュアーはその後、完実電機が扱うようになったがVxMRはラインナップから消えた。今では交換針の入手もできないと地元のお店からは聞いた。後に残っているのはこういう物らしい。

http://www.needlz.jp/page009.html

 スペック上の相違はスタイラス形状であって、xMRがマイクロリーチであるのに対してこちらは楕円針ということらしい。シュアーは以前からそうだがグレードの差とは結局スタイラスの違いであってボディはどれも一緒だ。

 しかし、変なマニアの心配として年期を重ねてグレードアップならまだしも、段々スペックダウンしていってUltra500の三分の一となると果たしてこれで満足できるのだろうか、無駄遣いになりはしないかという気もする。高ければいいんだとは言わないが。

 
 


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