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ピクソールのレコードクリーナーを買い直す [再生音楽の聴取環境など]

 LPレコードの手入れについてはマメな方なのかそれともずぼらなのかと考えてみると間違いなく後者だろうと自覚している。

再生音楽の愛好家たる者であれば少しは気の利いた、例えばキースモンクスあたりのクリーニングマシン位持っていてもバチは当たらないのではと時たま考えるが何しろ私は貧乏人である。そういう機材に10数万円なりを支払うことよりももっと安上がりな方法で洗浄は済ませ、浮いたお金でまたレコードを買ってくるほうが賢明だ、と、ご都合主義的に考えている。

実際、あるとき某放送局に勤務しておられる方から伺ったには、LPレコードの洗浄はよくある中性洗剤を薄めたものに2,3分ほど浸しておいてからベルベット生地のレコードクリーナーで溝に沿って軽くこすり、その後は真水ですすいで別の(洗剤の成分が付着していない)レコードクリーナーで水分を拭き取っているだけとのことだった。 真水とはいっても上水道の水であれば塩素の残留などが有りはしないかと疑問に思ったが元々回転の鈍い頭なのでつい聞きそびれたのが少々残念。

 考えてみれば放送局ともなれば所蔵しているLPやEPレコードの量も莫大なはずだろうから趣味人相手に市販されている高価なトリートメント剤等の消耗品にはおいそれと手を出すわけにはいかないのかもしれない。プロの現場というのは何事によらず結構荒っぽいもので、私が伺ったようなメンテナンスも必要条件を確実に、安価に満たすというプロの考え方には確かに適っていると思う。

 何でも自分に都合の良い方へと拡大解釈する悪癖は、雀百までの諺通り私の意識には深く染みついている。安くて効果のありそうなレコードクリーナーはと若い頃にあれこれ思案し、結局たどり着いたのはピクソールだった。

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プレイバックのためのターンテーブル上で針圧の数百倍もの荷重をかけることはしない。レコードのクリーニングにはそれ用の台を用意する程度の心がけはある。これは私のせめてもの矜持である。 

 蠅取り紙のようなローラーで盤面をこするという所為は実にデリカシーに欠ける乱暴なものに思えたが、実際に使ってみると粘着材の成分が盤面に残ることはなくかなり具合が良かった。なにより静電気の発生や湿った盤面に埃が付着して固形化するといった悩ましい副作用のない点が有り難い。伝聞だが、かのテラークがラッカーマスターだったかメタルマザーだったかのクリーニングに使用していたのがこのピクソールだったのだそうだ。実際、新しい粘着面などは貼り付いた状態でLPレコードをぶら下げることができるほど強力で、ローラーをかけるとバリバリと音を立てていかにも盤面の汚れをはぎ取っているかのような実感がある。

 そんなわけで私はもう大分長いこと蠅取り紙のご厄介になり続けていたのだがピクソールはアクセサリーメーカーのミルティに吸収合併されてしまった。よって現在、ピクソールというのは社名ではなくミルティの有する商品名という位置づけに変わったことになる。蠅取り紙式のレコードクリーナー以外には商品のなかったピクソールなので、ミルティの措置は大変有り難い。ただしいつまでも旧製品を使い続けられることはミルティにとっては大して有り難いことではないのが明白で、モデルチェンジを断行し、旧タイプのローラーは細々と供給し続けていたが数年前に製造を打ち切ったので当時私は慌てて結構な数量の予備ローラーを買い込んだ。

 私の買い貯めたストックが底をついたので先日やっと買い換えたが現行のピクソールはロールのサイズが変更されている。本体は従来通り使い続けてロールだけは現行製品という虫のいい考えは当然ながら受け付けてくれない。 貧乏人にとっては恐らく最も安価で効果のある手法なので余り恨みがましいことを言えた柄でもないのだが。

 新タイプになってからはローラーが小さくなった。蠅取り紙の全長も旧タイプよりは短いのが目視でもはっきりわかるのでローラーの交換頻度も旧タイプよりは上がる。価格は旧タイプから据え置きなので私の出費も微増といったところ。もしも最初からこのサイズの交換用ローラーであったとしたら、あるいはピクソール社の命脈はもう少し長らえていたのかもしれないなどとせこい想像を働かすw 

 ミルティには他にも色々と興味深いマテリアルがラインナップされているが、この手のチープな楽しみ方を常に残しておいてくれるのは英国のオーディオシーンの美点だと私は常々思っている。輸入元の東志(株)は他にも色々、渋めの輸入商材があって貧乏オーディオファイルにとっては嬉しい存在である。

http://www.tosy-corp.com/ 

 

 


静電気除去ブラシの効能 [再生音楽の聴取環境など]

 今年の夏、私の住む土地は例年とは違って曇りがちの日が多い冷夏だった。秋になっても雨の降る日が多く、まるで雪が解けてからこっち、ずっと梅雨時が続いているような変な感じなのだ。

 Lpレコードを聴く機会が今でも多い私としては、通年だと大体今頃の季節から春にかけて静電気に悩まされることが多い。ポリエチレンの内袋からレコードを取り出した瞬間にパチパチパチッと音がして部屋の中の埃がLPの盤面に吸い付くあの現象は余り愉快なものではない。帯電したLPレコードは音質が劣化しているという話を何かの雑誌で読んだ記憶はあるが自分の聴覚として実感できたことはない。私が鈍感なのか雑誌の記述が針小棒大な誇張なのか定かではないが埃の付着がないにこしたことはないのは間違いないところだろう。

 以前、ピストル型の静電気除去ツールを使っていたことがあってそれはそれで結構納得のいく効果があったのだが引っ越しのどさくさに紛れてどこかに紛失しそれっきりになっていたが、なければないで帯電したLPレコードの始末が大変であれこれ物色しているうちに何年も経ってしまった。高価なレコードクリーニングマシンを所有している方々には無縁の悩みなのだろうがLPレコードに吸い付いた埃というのは全く始末に負えない厄介者で、ありきたりのレコードクリーナーで拭き取りきれることがない。必ず筋状に拭き残しが出てこれを拭き取ろうとしてクリーナーで盤面をむやみにこすると尚更帯電が酷くなってますます埃を吸い付ける悪循環に陥るのでやはり静電気はなにがしかの方法で始末しなければならない。

 信憑性には乏しいのだが、以前知り合いの誰かが私の使っていたピストル式は陰イオンの発生がインパルス状であるからして盤面に小さなPit(穴)が発生するとのご高説を垂れていたことがあった。勿論目視で確認できるようなものでもないしどうせ聴いたところで判別できるわけもないので聞き流していたがやはりどこかで気になっていたので静電ブラシを幾つか試してみた。安価な事務機器用を買ってみたことがあったがブラシそのものが粗く、LPレコードの盤面を撫でるには忍びないので別の用途に回して東志で輸入しているロングセラーのミルティを買ってきた。

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 さすがにがさつな事務機器用ブラシとは大違いでまるで水分を含んで濡れているようにねっとりした感触である。相当細い繊維が使われているようでこれなら心おきなく盤面をブラッシングできそうだ。ピストル型と比べての利点はブツ自体が安価で買いやすいのと陰イオンの射出によって電気的に中和させるのではなく人体に放電させる形式なので半永久的に使用できる点。 いい気になってうっかりブラシを手で触っていると手の脂が付着してしまうのでこれは御法度だろうと自戒しつつ愛聴盤のお手入れにいそしんだ。

Spiritual Unity

Spiritual Unity

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Get Back
  • 発売日: 2000/03/14
  • メディア: CD

 音質上の向上がいかほどのものかが私には判別できないが、あらためてサニー・マレイのシンバルレガートに聞き惚れた次第。もう何百回となく針を降ろした盤なのだが手入れ次第では音の鮮度みたいなものが十分保たれるのは何か安心をもたらす。保険のつもりでCDも買ったがやはり私はアイラーは最初の出会いという経緯もあるので可能な限りLPで聴き続けていきたい。

 ただ考えてみると、今年は前述の通り湿っぽい天気が続いているので今のところブラシの御利益を実感できるほどの強烈な帯電に出くわす場面がさほど多くない。活躍するのは来月以降あたりからだろうか。 

 


LTAのカートリッジ選定で思い出したこと [再生音楽の聴取環境など]

 後日書き留めておきたいが、ぼつぼつシュアーとはお別れが近そうだ。思えばシュアーとの関わりは既に20年を超えた。この間、他のメーカーに鞍替えしようと思ったことは一度たりともなかった。

 一昨年あたりからシュアーの供給体制に対しては危惧があった。http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2006-11-23

 危惧していながら無策のまま徒に時間を過ごしていたのは生まれ持った私の性分であってこれは一生直らない。何をやっても、いつもこのように問題点が顕在化してから泥縄的に焦り始める。

 大分長いこと使い続けてきたV15 TypeVxMRは既に交換針の供給が途絶えたようだ。いくら高音質だ、なんだと言ったところで所詮カートリッジは消耗品だ。スタイラスの摩耗した高級品など使用している意味がない。目下、シュアーのHi-Fi用カートリッジで最上位の機種はと言えばM-97xEということになる。http://www.needlz.jp/page009.html高価であればいいとは言わないが本当にこれで代替できるのだろうかという懸念はどうも払拭できない。

 こんな垂れ流しをグダグダと続けるのは理由がある。シュアーの製品がとんでもなくいい音がするからというわけではない。私の持ち物であるトーンアーム、動力源を持たないリニアトラッキングアームというのはカートリッジの選定が物凄く厳しいからだ。一般的なオフセットアームであればターンテーブルが回転してさえいれば針先には自ずと内周に向かって引き込まれる力が発生する。レコードの溝に対して針先は直角の接触をしていないので接線方向に対して90度、内向きの分力が微弱ながら発生することをインサイドフォースと呼ばれていることは諸兄も既にご存じと思う。もしも仮にターンテーブルが毎分1000回転位で回っていたらそこには遠心力が働いてトーンアームは外周に向かって弾き飛ばされるのだが100回転の1/3であるが故に内へ内へと引き込まれていくのである。

 経験上LTAというのは因果な存在で、レコード製造時のカッターヘッドと相似の軌跡を求めて導入するわけだがモーターで駆動する形式のLTAはどれも大なり小なり尺取り虫的な挙動でトレースされるのでより純粋性を求めると動力源を廃した形式に行き当たる。ヘッドシェルの付いたオフセットアームとは段違いにややこしい調整を済ませていざ音出しに取りかかり暗然とする。虎の子のカートリッジが針飛びを起こすのである。音質以前の問題だ。

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敢えて何度も貼り付けるがこの形式はカートリッジ交換とその後の調整でいくら手慣れても2時間弱を要する。ソリッドベースのターンテーブルにヘッドシェル付きのオフセットアームならいくら手間取っても10分かそこらだろうが 、桁外れにややこしい。トーンアームの調整箇所だけでも実に12カ所に及び、針先の接触位置を確認するための細々した治具をあれこれあてがいながら神経質な調整をネチネチと繰り返す。そうした末の針飛びが起きるともう本当に意気消沈してしまうのですよ。

 導入時の私は随分ひどい目にあった。他に使っている方もいないので誰にも教えてもらいようがなく、試行錯誤はさして厚みがあるわけでもない財布が空になるまで続いた。オフセットアームならしなくてもいい苦労を嫌と言うほど味あわされた。インサイドフォースが発生せず、針先の駆動源もないということは、カンチレバーが内周に一旦引き込まれたあとに生じる根元のダンパーが生み出す弾力、反作用によっでカートリッジボディを引きずるような挙動によってトレーシングしていく、というのがこの形式の実体だ。

 苦労話を一つ一つ取り上げていくときりがないのだが、針飛びに悩まされているうちにわかったことが一つあった。ミドルマスのボディでカンチレバーのコンプライアンスが高いもの、つまり高音質、高感度のカートリッジはあらかたトレーシングに問題が出た。いくらセッティングで精度を詰めても針飛びが起きるというのは結局、カンチレバーが復元する際に発生するモーメントが小さすぎてカートリッジボディを内側に引き込む力が足りなさそうなのだ。つまり現行の多くのモデルもそうだが、カンチレバーのコンプライアンスと本体自重にはある関係性があって、カンチレバーの動作感度を上げ、かつ、一定のトレーシング性能を確保するためにはインサイドフォースによってカートリッジ全体が内側に引き込まれることを見込んでカンチレバーの動作をグニャグニャ気味にするような設計が高感度MCカートリッジの設計セオリーのように思えるのだ。反面、SPUのようなローコンプライアンスのカートリッジではどうかというと針飛びこそ起きないものの今度は反対にカンチレバーの振幅が十分に稼げない。結果として音質そのものが本来的なSPUの出音からするとヘンに神妙なタッチになってしまう。本来的であってもなくても聞いて良ければそれでいいのだろうがやはり納得できなかった。どうせGシェルからほじくり出して無理矢理取り付けたSPUなのだからこの際大改造してやろうとテンションワイヤーをいじっていいるうちにうっかりしてこれを切って完全におシャカにした。絵に描いたような愚行である。最初、構想していた虎の子のMC30をはじめとして、短期間のうちにない金をはたいてあれこれ試した「高音質、高感度」のカートリッジはどれもこれも針飛びが起きて使えないものばかりで、何より頭に来たのは当時サウザーの輸入元だったサエクのカートリッジ自体がどれもこれも使い物にならないことだった。(これは後に予想外の回答をサエクコマースから引き出す結果となったので後述)自社製のカートリッジで動作に問題が出るような製品を輸入するのはどう考えてもおかしいと思う。

 落胆したあげく、出音に大して面白みがないので長らく使っていなかったDL-103を単なる思いつきで取り付けてみるとトレーシングはそれまで試したうちでは最も良好だった。但し融通の利かない役人的な出音は相変わらずでもあった。

DENON DL-103 MC型カートリッジ

DENON DL-103 MC型カートリッジ

  • 出版社/メーカー: デノン
  • メディア: エレクトロニクス

 

しかしその安定感はさすがと言うべきか、業務用の必要条件は音質よりも堅実な動作であることをこのとき改めて確認した次第。 

この辺まで試行錯誤を繰り返した私はあるとんでもない相関関係に気付いた。LTA-3は取り付けるカートリッジが安物になればなるほど調整は楽になってトレーシングが安定していくのである。金欠ついでのヤケッパチで試してみたのが確かこれだった。

audio-technica カートリッジMC [AT-F3/2]

audio-technica カートリッジMC [AT-F3/2]

  • 出版社/メーカー: オーディオテクニカ
  • メディア: エレクトロニクス

 

発売当初は実に一万円そこそこの実売価格ではなかっただろうか。 調整もレールの手入れも実に楽になった。しかし音質は値段なりというかどうにも気にくわないもので以後私がオーディオテクニカというメーカーの製品に対して幾分冷めた視線を持つようになったのもこの製品に関係がある。

 

 

 ここで私は新たな一つの相関関係に気付いた。トレーシングが安定するような選定になればなるほど出音は退屈なものになっていってしまう・・・ 

 ターンテーブルとトーンアーム、加えて当時オラクルの輸入元だったシイノ通商が唯一推奨していたフォノケーブルであるPetersonとサウザー用の改造キットまでを含めると、雑誌で紹介されるような金満オーディオファイルならいざ知らず、貧乏人の私には決して安くはないセットだったのだ。それがたかだか針飛びを起こさないためだけに一体全体何でこんなに無茶苦茶な試行錯誤を強いられるのか。しかも安定動作の処方箋が当時八千円かそこらのカートリッジでその音はいかにも値段相応に安手な質感である。

 『こんな結末でいいのかよ!』と、腹立たしい気分でサエクの作ったSLA-3のカタログ写真を睨みつけているうちに私はあることに気付いた。付いているカートリッジがどうもシュアーに似ている。 どう見てもシュアーなのである。拙い英語力でロクに読解も出来ない当時の雑誌、Absolute Soundで製品レビューを拾い読みするとMMカートリッジと相性がいいらしいと書いてあった。

 今にして思えばつまらない思いこみだが、それまで私はカートリッジと言えば何が何でもMCで、MMなどというのは普及品専用だ、みたいな刷り込みがあった。当時の雑誌を読み返してみても大体トレーシングのことはほめるが音質については評価が辛く、どこか歯切れが悪い論評ばっかりだ。しかし本当にそうなのか?どうせここまで落ちたのだからと思い、試しにサエクにカタログでSLA-3に取り付けられていたカートリッジは何なのかと問い合わせてみると言葉を濁して答えてくれない。シュアーに見えるけど違うのかと聞くとやはり言葉を濁す。頭に来たのでもういいわいと電話を切り、数日してからV15 TypeV MRを買ってきて再び七面倒くさい取り付けと調整を済ませ、出てきた音に驚喜した。ここにいたって私はようやく音質とトレーシングの安定性が両立する条件を探り当てたように思えたのだった。

 その後MMカートリッジに回帰した私は面倒臭いながらも幾つか同様の製品を試してみて遊んだ。AKGやADCなど幾つかあったと思う。それぞれに聞き所はあった。中でも B&O MMC-1のキュートな音調は今でも鮮明に覚えている。しかし時代の推移と共にそれらの製品は次々と姿を消した。総合的にはやはりシュアーが最も安心できる製品で、最後まで手元に残る結果ともなったがそれもそろそろ終わりである。これから先はまた、試行錯誤による無駄遣いを覚悟しつつ次の候補探しに思案することにします。

 

 

 


トーンアームのこと(SME SeriesV) [再生音楽の聴取環境など]

 トーンアームのことやらターンテーブルのことやらでああでもないこうでもないと考え事をしているうちに長らく眠っていたブツのことを思い出した。我が家に眠るダイナミックバランスのトーンアームのことだ。

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もう大分長いこと、行き場がないまま眠り続けている。 オラクルのタンテにはよく似合いそうなのだがそういうことにはなっておらず、結局はサウザーのLTAがターンテーブルを常にまたぎ続けている。

 大分以前、ステレオサウンドという雑誌にオラクル・デルフィの特別バージョンであるオールブラック仕上げに本機SME SeriesVがマウントされた写真が掲載されていてそれはそれはぞくぞくするほど格好良かったのだ。事実、ある時期までSMEとトランスオーディオ(創業時のオラクルの社名)は相互のトーンアームとターンテーブルを自社試聴時の標準セットとしていたと聞いている。

 しかしながらブラック仕上げのオラクル・デルフィは途轍もなく高価だった。何しろ私の常用であるデルフィ2の倍以上の値段だった。勿論Seriesも高嶺の花である。

 高嶺の花ではあるがある事情でこのアームは私の手元にある。いきさつは長くなるのでひとまずここでは省略させていただく。何か気の利いたターンテーブルを手に入れて取り付けてみたいと思いながら出来ないままもう何年も経ってしまった。最大の理由は私が貧乏人で気の利いたターンテーブルを簡単には購えない懐具合だからだ。 しかしその気になって60回払いくらいのローンを組めば何か買えなくもないがあいにくそうはなっていない。このアームは試験的に我が家でオラクルに取り付けられた数日を除いて全くの休眠状態が何年も続いているのである。

 忌憚のない意見をここで述べさせてもらうと、トーンアームの王道的存在のSMEと私は余り相性がよろしくないようなのだ。色々セッティングを変えてみたが結果がはかばかしくなかった。SeriesVはデビューと同時に大絶賛を持って迎えられた。世界初のマグネシウムボディ、シェル一体型のストレートアームという今日的潮流の開祖とも言うべき歴史的製品、のはずなのだが・・・スタイリングといい質感といい惚れ惚れするほど美しいSeriesVだが、いざ使ってみるとスラスト方向の感度が高すぎてローマス、軽針圧以外のカートリッジボディでは使い物にならない。ミドルマス以上だとカンチレバーが十分にスイングせずにアームごと振られてしまうので非常に貧相な出音になってしまう。フルイドダンパーを調整したりオイルの種類を変えたり色々やってみたがどれもイマイチだった。何より落胆させられるのはこれほどソリッドな造作でありながら、というよりもソリッドでありすぎる構造のためか私の大嫌いなダイナミックバランス特有のバネの共振がアームパイプに露骨に乗っかってくる。

 数年前に都内の某所で聴く機会のあったGraham Engineeringのトーンアームにはものの見事にノックアウトされた。現行品のPhantom(かっこいいネーミングですよね)の一つ前の機種だった。取り付けられていたターンテーブルは確かイメディアだったと思う。SeriesVと値段は大体一緒だがもしもどちらか一つを選べと言われたら断然グラハムを取る。音質の差は桁違い、歴然以上の開きだ。

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現行モデルのファントム、かっこいいですねえ。

ある掲示板でグラハムのオーナーと仲良くなり、助平根性やら下心やらで SMEと少しの間取り替えっこしてみませんかと持ちかけたら「ご冗談でしょw」とあしらわれた。そのお方は購入前に両方聞き比べてみて毛ほどの迷いもなくグラハムに決めたのだそうだ。SeriesVとの相性が良くなかったのは私一人ではなかったようだ。

 その後わかったことだが現行品のファントムは、例えば私が常用しているオラクルのようなフローティングベースのターンテーブルには取り付けられないとのことだ。理由は本体部分の重量が大変重いのでどう調整してもサブシャーシのレベルが出ないからというコメントをいつか輸入元のスキャンテックからもらった。ソリッドベースのターンテーブル専用のアームである。「 現行のスパイラルグルーブはいかがですか?オラクルもいいですけど原設計は25年前ですからねえ、アナログも進化していますよ。目下世界一のアームのファントムに最適化されたターンテーブルで云々・・・」全く痛いところを突いてくる。そりゃ確かに物欲はかき立てられるがコンビニ強盗を30回位たて続けに成功させてやっと買えるか買えないかのプライスタグには意気消沈させられる。

 SeriesVに話を戻すと、上首尾が得られないのは私の腕の問題かと思って3009S3使いである私の兄が面倒臭がるのを無理矢理押しつけて使用感を聞いたところやっぱり余り色よい返事ではなかった。大体私がやってみたのと同じようなことを兄も試みて同じような結論に至ったらしい。他にも数人、SMEオーナー、3009S2を使っておられる方に試してみていただいた。誰もがSMEのフラッグシップを見て色めき立つが数日経つと浮かない顔で取り外したSeriesVを持参してやってくる。

 思うに、SMEのアームは結局、3009S2か3009S3が一番良い選択肢なのではないだろうか。洒落たスタイリング、ほどほどのお値段でセッティングを詰める楽しみもあるしハイパフォーマンスも得られる。極限的なハイスペックを狙わなければこんなに賢いお買い物はないように思う。現在のターンテーブルにする前、短期間だがLiNN LP12とSME 3010Rを使っていたときのことを思い出すと、正直言ってもっと安いサエクのWE-407アームのほうが私にとってはピンと来る音だったので悔しかった。SMEのネームバリューに釣られた自分がその時は愚かに思えた。

 翻って現在、こうしてまたもや手元にSME SeriesVを置いて弄んでいると、夏専用とか粗悪な盤質専用とかいった用途にしか活かしようがない私の腕のなさに暗い気分になる。同時にまた、印刷物でしばしば絶賛されるこのトーンアームの評価の根拠が未だに私にはわからないでいる。「おまえのような未熟者には所詮猫に小判なのさ、これがSeriesVの真価だ、さあ聴け、どうだっ!」という方がどこかにおられないだろうか。もしもそういう方がおられたら是非ともご指導ご鞭撻を願いたい。どうも私はSMEとは幸福な関係が持てないようだ。


トーンアームのことを思案してみる [再生音楽の聴取環境など]

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 毎年のことだが、夏場はLTAにとって厳しい季節だ。昨年あたりも同じ時期に同じようなことをぼやいていたような気がする。何ら対策らしい対策もしないままずるずると時間をやり過ごしては同じようなぼやきを繰り返すのは私が向上心もお金もない人物であることを表している。

 オークションで安価な中古LPを買うようになってからは特に目立つが盤のコンディションが良くないことは多い。スクラッチノイズが多いのは百歩譲るとしても針飛びを起こす盤にあたるケースがある。色々なことについて言えそうだが中古品であるということは誰かが見切りを付けたものだからして、以前の持ち主がそのものにさほど愛着を持つこともなくぞんざいな扱いだったことは大いにあり得る。LPレコードであれば音溝に指紋がベタベタと付いているようなケースも何度かあった。

 常用トーンアームのSLA-3は動力源を持たないリニアトラッキングアームでダンパーの弾力だけを頼りに内周に向かって移動していく。従って荒れた盤面にはひどく敏感で簡単に針飛びを起こすので盤のクリーニングには結構神経質にならざるを得ない。埃や唾の飛沫、フケ(と思しき異物)などは洗えばきれいになって問題は解消するが、傷による針飛びは何とも手の打ちようがない。夏には移動用のレールが湿気を帯びやすいため滑走性が低下しがちでトレーシング性能が低下し、尚更針飛びを起こしやすいこともこれまで何度か書いたとおりでこれは何ともしようがない。元々湿度の低い米国西海岸で考案されたものであって多湿な東洋の某国での使用など最初から勘案されていないようだ。

 針飛びと同じく、この手のトーンアームは盤の反りにも滅法弱い。オフセットアームであれば9インチや10インチの実効長はあるので反った盤の上下変位量で発生する動作角などしれたものだが写真のLTAなどは実効長は1インチそこそこしかないので盤の反った箇所でてきめんに音が揺らぐ。酷いときにはカートリッジがバウンドして音が飛ぶ。これまた悔しいことにオークションで買い込む中古盤には荒れた盤面同様、反った盤も結構多い。

 オフセットアームであればトレースできてもリニアトラッキングではダメというケースは結構多い。ある時期から私はその辺を識別できるようにリニアトラッキングアームで針飛びを起こすLPレコードにはタグを貼るようになった。 LPレコードで明確なステレオイメージを得たいがために随分と七面倒臭い習慣を余儀なくされていると我ながら思う。反りに強いと言えばオフセットアームの中でもダイナミックバランスのほうに強みがある。深く考えたことはないがヤジロベエの錘をずらして針圧を印可するのとバネの力(Force)で下方向に押しつけるのでは過渡応答が異なってくるはずなのだ。だからなのだろうが業務用のターンテーブルにはダイナミックバランスのトーンアームが使われるケースは確かに多い。典型的なのがこれだろうか。

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スタイリングも音も私は自宅で使いたいとは思わなかったが、放送用ともなると安定したトレーシングが最優先事項という事情を考えれば当然の形式だろう。針飛びも音揺れもオンエアー中には御法度なわけで。

 自宅で使っているターンテーブルで唯一ダイナミックバランスのトーンアームを有しているのは毎度のこれである。

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自宅で何台か使っているうちでは確かに最も盤の反りに強い。しかし些末な話だが、私の知っているダイナミックバランスのトーンアームというのはどうも音質的にしっくりこないのである。大体どれも針圧印加用のバネの音が乗っかる。結局縁のなかったEMTも例外ではない、エンパイア698では歴然だ。この形式というのは何か微細なディティールが抜け落ちた大雑把な音になりがちなように思っている。聴く音楽の種類によってはそれでも良いのだろうが。 

 ダイナミックバランスのトーンアームのことをあれこれ思案しているうちに以前使っていたターンテーブルのことを思い出した。学生の頃、兄から譲り受けたマイクロ精機のDD-8だ。後にリジッドな重量級プラッターが売り物になるマイクロだが、この頃のスマートで使いやすい製品作りのほうに私は好感を持っている。

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 付属のトーンアームは単売されていたMA-505相当だったと思う。ダイナミックバランスにしては細かいディティールを良く拾い上げる優れものだった。バネの共振による付帯音は必要以上に力感を強調するような音質上の癖を生みやすいが本機はその辺が余り感じられない素直な音がした。

b-1.jpgプレイバック最中、針圧を任意に可変出来るという独自の機構も有り難かった。 当時3万円程度で販売されていたオーディオテクニカのトーンアームAT-1503は現在15万円だかの価格なのでもしもMA-505を復刻すれば20万円近い価格になってしまうのではないだろうか。DD-8は後に私がヤマハのGT-2000を買うための元手として知人に譲ってしまった。今となっては惜しいことをした、音といい使い勝手といい、メインシステムでもう一台のターンテーブルにはもってこいの存在だ。探せば中古で見つからなくもないのだろうがこんなことなら安易に知人に譲るのではなかったと後悔するが後の祭り。現在は知人宅の物置の片隅に押し込まれているようだ。いっそ幾ばくかのお金を持って取り返しに見参したい心境である。しつこく繰り返すが本当に惜しいことをした。

 

 


C56 Dorian 用のスタンド(JBL S-101のこと) [再生音楽の聴取環境など]

 私の住む土地はついこの間まで、連日日中気温が一桁程度にしか上がらず例年にまして寒い春だった。ここ数日でだんだん春の陽気らしくなってきたと思ったらもう5月も末だ。 暖かくなってくるとレコードを聴くのは居間のサブシステムである機会が増えるのも例年通り。

4274391.jpg毎度の使い回し画像です。

 メインのツイタテスピーカーにしたところで今日の感覚で言えばきっともう最先端の再生音ではないのだろうがそれにしても冬の間ずっとESLの音に馴染んだ状態でJBL S-101を聴くと凄く旧い音に感じられる。旧い音には旧いなりの美学めいたものもあるので善し悪しは別として、このスピーカーのオリジンであるL-101 LancerだったりそのキャビネットだったC56 Dorianというのはいろんな意味で、良くも悪くも成金趣味黄金時代のアメリカを体現していたと思う。

 C-56はJBLが用意していたうちでは最も小型のフロアースピーカーキャビネットだった。組込用に想定されていたウーファーサイズは12インチと14インチの2種類で前者の場合は123A,後者の場合はプラスターコーンのLE-14となり、キャビネットの外寸や仕様は一緒だがウーファー取り付け用の穴が12インチ用と14インチ用の2種類のうち購入時にどちらかを選択することになっていた。

 購入前にどういうユニット構成にするかで3種類くらいのバリエーションがあったはずだが後年JBLがキャビネットの単売をやめてからはそのうちの一種類であるC-56にLE-14と高音ユニットのLE-175DLH,ネットワークはN-1200の004システムを組み込んだもののみが完成品スピーカーL-101  Lancerとしてカタログに残された。

 ドリアンキャビネットには昔も今も変わらないかっこよさを私は感じている。手の込んだ格子グリルは音的にいいことなど一つもないし、マーブルトップにも装飾的な意味合い以上のものはない。今日的な感覚で言えばスピーカーの箱をこうも装飾的な外見に仕上げる必然性などどこにもない。加えてこの箱は、特にLE-14をマウントした状態だといい音がしない。

 JBLは必要以上に大きなウーファーを押し込んだ失敗作を時折リリースする悪癖が今も直らない。箱の中の空気容量が足りずにオーバーダンピングや分割振動が起こりやすいものが中にはある。C-56について言えばウーファーはフロントバッフルの下端にマウントされているので床に直置きすると低音がかぶって尚更ひどい音がする。人によっては上手に使いこなすのだろうが私は今まで数カ所で聴いた限り、L-101に聞き惚れた記憶がない。こんなにかっこいい箱なのにと思うと少々残念だが箱のかっこよさに入れ上げて何とかいい音を引き出したいと努力するオーディオファイルの心情には共感するところがある。容姿端麗ながらヒステリー持ちの女性みたいな困ったスピーカーだと思っている。

 拙宅のS-101はレプリカモデルで、ウーファーサイズは12インチに落とされているためオリジンのL-101よりも取り回しは幾らか楽だが欠点の根本的な改善がされているわけではない。ドリアンキャビネットについてはしばしば言われることだが床から30センチ以上かさ上げして置けば低音域のレスポンスはかなり改善されるのがはっきりしている。にわか作りの置き台で試したことがあって確かに音質は良くなったが見てくれが良くない。元来音の出るオブジェとか調度品風の佇まいが欲しかったので音質は二の次で元に戻した。ここしばらくの私は、何が何でも万策を尽くしてスピーカーのポテンシャルを全て引き出すのが必ずしもいいことだとは限らないと思うようになってきている。何事によらず、突き詰められたシステムというのは良くも悪くも敏感なもので、使用する人にもある種の覚悟を求めるように思える。いい加減人生に疲労感を覚えるようになってきたここ数年の私はシリアス一辺倒だけが音楽との関わり方ではないことにそろそろ気付き始めている。突き詰め方は七合目程度だが出音がどうあれ眺めていて楽しいのだからそれでいいんだと割り切っている。

 だが見てくれと出音が両立すればそれに越したことはないのだがという少々虫のいい願望がいつもどこかに微かにある。そのうち小金を貯めて建具屋に格子柄のグリルをはめ込んだ置き台を作ってもらおうかなどという戯けた想像に浸ったことが実はある。なんだかんだ言ってこの趣味はその手の妄想に浸っている時間が一番楽しいのだ。そんな折、Yahoo!!オークションで専用置き台というのを見つけた。

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ドリアンキャビネットの優美さを十分に尊重したとは思えないが、とりあえず美観を損なわないように配慮したらしい意図は伺える。なにより音質に配慮した製品であるらしい。「バックロードスタンド」と銘打っている。ここで私はその名称にどうしても疑問を抱かざるを得ない。パラゴンの後期モデルは例外として、LEシリーズのウーファーはホーンロードをかけて使う想定はされていないはずなのだ。一体どんな仕掛けなのかと訝りながら断面図を眺めて私は脱力した。これはちょっと、冗談がきつい。

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 ドリアンキャビネットの底板をどう処理するのかが疑問だったのだが何のことはない、単に台に乗っかっているだけなのである。強いてこじつければ底板のレゾナンスが震動源で、これをバックロード板と名付けたスロープで前面に導くというアイデアらしい。同時期の他メーカーに比べてJBLの箱はかなり剛性の高い作りだったと思うのでここに提示されている案はほぼ間違いなく大した効果を生まない。

 このスタンドはそれなりの金額提示がされている。私には悪い冗談だとしか思えないが取り組んでみたくなるオーナー氏があるいは幾らかいるのかもしれない。しかしバックロードの効果が実に胡散臭いことを抜きにしてもやはりこの佇まいは無粋ではあるまいか。屈折した満足感ではあるのだが、ドリアンキャビネットは居間や応接間にオブジェとして鎮座していて時たま訪れる来客の目にとまったときに「いやあ、かっこいいスピーカーですねえ、JBLですか」とお世辞を言ってもらい、続いて思わせぶりに格子グリルを外してこのサイズのスピーカーにしてはやけに金のかかったスピーカーユニットをひけらかす(S-101はオリジンのL-101に’比べるとちょっと寂しいが)。最後に持ち主が「床に直起きするとあんまりいい音がしないんだけど、台に乗せると見栄えがねえ・・」と、謙遜ともぼやきともつかないような蘊蓄を披露するところが真骨頂である存在だと私は浅知恵で決めつけている。

 


PCMについて思い出したこと [再生音楽の聴取環境など]

 個人史みたいな話だが、今から考えれば音楽の記録専用媒体として最終的な形態はLPレコードだったわけだ。

 (1)27年前、東芝の柳町工場を見学に行ったとき、銀色に光る12インチの円盤を見せられた。試作段階だったその円盤にはブリタニカという百科事典数セット分の文字データが記録できるということでたいそう驚いたことがある。
 (2)LPレコードは30年以上前からPCMレコーディングというのが売り文句だった。針を降ろして音を出してみるとそれまで聴き馴染んだレコードよりも明らかに鋭い立ち上がりが感じられた。
 
 結局、それらテクノロジーの断片はCDという音楽記録媒体に結実してプレイヤーと一緒に販売されるようになった。プレイヤーはどこのメーカーも大体20万円、ソースとしてのCDは3800円位した。私は貧乏学生だったので何もわざわざそんな高価なものを買う必要はないと決め込んで黙々とLpレコードを買い漁った。中古盤市場には活気があったし当時私の住んでいた田舎町にまで輸入盤を取り扱うレコード店が数件あったので買いたいものを探すのには一向に困ることがなかった。困ることと言えば聴きたいものがありすぎていつも金がないことで、これは今も変わらない。

 PCMの理屈は興味深いものがあった。当時の私は電気について学ぶ学生だったので自分の卒論はA/Dコンバーターの設計と製作に決めた。もうすっかり忘れたが学問上はフーリエ変換何とかかんとかといったことになるらしい。
 マイクを通じて入力された音声信号をバンドパスフィルターにかけてから標本化と量子化とを済ませ、信号のスペクトルをコンピューター上にグラフとして表示する。要するにスペクトラムアナライザーもどきの動作をコンピューターにさせる。あてがわれたコンピューターは今となっては懐かしいシャープのMZ-80だった。
mz80.jpgいや懐かしい、本当に。
 流れ込んでくるPCMデータをディスプレイ上に表示させる等々の作業には難儀した。アプリケーションプログラムなどという用語さえ知らなかった頃だ。それどころかOSなどというものが汎用機やミニコンにしかなかった頃だ。プログラム言語はBASICでせっせと自分で書いた。今となっては何をどうやったのか、どんなコマンドがあったのかもさっぱり思い出せない。

 コンピューターに能力がなかったのでサンプリングと量子化のレートはダウンに次ぐダウンでひどいことになった。結局、サンプリングレートは128Hz,量子化は8bitが限度だった。何せコンピューターそのものが8Bitなのだ。ない袖は振れない。
 結果は私を大いにぬか喜びさせた。音声データを入力されたMZ-80はしばし黙考した後、おずおずと階段状の棒グラフをディスプレイに示した。最初に入力したのは「あー」という私の声である。自分の声がグラフィックとして表示されたときの興奮だけが今でもはっきり記憶に残っている。
 続いて私は「いー」とか「うー」とかマイクに向かって唸ってみた。表示はその都度様相を変えて私は小躍りしたが嬉しいのもそこまでだった。「かー」とか「はー」とかマイクに向かって声を出しても表示が変わらない。音声スペクトルの分布がア行でみんな一緒になってしまう。
 サンプリングレート128Hz、量子化8Bitでは子音はギザギザの階段表示のどこかに埋もれてしまって表示できないらしい、というのがそのときの憶測だった。それ以上のデータサイズはMZ-80の能力では扱いきれないという結論で私は自分の卒論を終えた。

 学校を卒業してからの私はコンピューターとも弱電とも全く関係のない仕事に就いて現在に至っている。こんな拙劣な実験ではあったが少なくとも一つ、ここから得た教訓はある。それは音声信号を時間軸に沿ってぶつ切りにしてまた戻すというのは何とも乱暴なお仕事だということだ。サンプルレートやビットレートを幾ら上げようがそれは元々アナログであったものを近似させる作業でしかないのであってそのものズバリに復元できているかどうかなど確かめようもない。

 以来私はディジタルデータというものに対するわだかまりが今に至るまで抜けきらない。音楽ソースについて言えばLPがなくなって背に腹は代えられない格好でCDを買うようにはなった。扱いは楽だし、S/Nは文句なしにLPを凌駕している。しかしCDという記録媒体にはどこか一貫して冷めていたように覚えている。先に列記した二つばかりのメリット以外にはどうも積極的に関わる意義を見出せないで今に至っている。

 今から学生に戻って卒論の続きをなどという想像などナンセンスきわまりないのだが、それでもときたまちょっとした空想を思い浮かべる。それは私が開校以来のボンクラ学生ではなく、もう少しましな頭脳の持ち主であったとしての仮定である。
(1)BASICなんてものは馬鹿でも打てるようにできてるもんだ、というのが当時私の教わった情報処理の教官の口癖だった。楽な分だけオーバーヘッドが大きく、処理能力は落ちる。もしも私が当時、アッセンブラーでばりばりプログラミングができるくらいの脳味噌の持ち主だったらもう少しましな実験結果を得ていたのだろうか。そしてディジタルデータというものにもう少し肯定的になれていたのだろうか?
(2)守備範囲をもう少し広げて、D/Aコンバーターまでをも試作できてMZ-80で生成したPCMデータを今度はアナログ化したとして、一体それはどんな音になったのだろうか。そのとき私の発した「あー」という声はどんな空気振動となっていたのだろうか。

 いずれにしてもし残しというのは後々尾を引くものですな。考えても仕方のないことだけれど。

 
 
 
タグ:MZ-80 PCM CD LP

iTunes Store の落とし穴を忘れていた件 [再生音楽の聴取環境など]

 常用パソコンのハードディスクをフォーマットしてiTunesのファイルもついでに全部削除してしまったうっかり者の私であるが、めげずにその後は手持ちのCDをネチネチと読み込ませ続けるここ数日である。

 数日前に、そういえばiTunes Storeからダウンロードした曲が五つくらいはあったことを思い出した。しかしそれらが再びタダで私のファイルに収まることはない。
 アップルがしばしばコメントしているように、150円也を払って購入するのは一回ダウンロードする権利であって音楽そのものではないという大原則を忘れていた私が迂闊だった。こんなことならダウンロードしたデータはバックアップをとっておくべきだったと後悔するが後の祭り。

 幸い、これまで購入した曲の多くは私の手持ちLPに収まっているので、そこからのリッピングで解決できそうだ。
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あらためてSpindoctorの活躍となる。それにしても、私自身の注意不足のせいでもあるが、物理的な実態を持たないディジタルデータの性質というか性格になじみ切れていない自分にはオールドタイマーの翳りを感じてしまう。

とりとめのない近況(iTunesへのデータ入れ直し) [再生音楽の聴取環境など]

 私のパソコンで標準的に使っていたウェブブラウザであるFirefoxが不調で、ある時からOperaに切り替えた。
Operaは非常に使い勝手がよく、重宝していたが、ろくでもないデータのダウンロードをむやみと繰り返しているうちにだんだん性悪ぶりを発揮してくるようになった。
 使用中にしばしばカーネルパニックを起こし、ホームフォルダまでを巻き添えにしてシステムフォルダがグッチャグチャになってしまう。パソコンの電源プラグを引っこ抜いての再起動という荒技を繰り返さざるを得ない日々で実のところかなり閉口していたのだった。マックとOperaというのは相性の問題でもあるのだろうか。それとも使用者である私の歪んだ嗜好にバチが当たったのだろうか。

 先日の日曜日、意を決して一旦ハードディスクはフォーマットして全部インストールし直した。忌まわしいOperaには退役願ってブラウザはFirefoxを復活させた。どういう訳か以前のバージョンはFlashplayerの機能が毎度毎度無効になってしまい、それが使用を諦めた原因だったのだがマイナーバージョンアップ版からは問題が解消された。

 ブラウザの件はそれとして、私はついうっかりしてiPodの中のデータを全部消してしまった。インストールし直したiTunesにデータを移行させるのを忘れて何かの操作を行ったからだ。
 これまであれやこれやと5GBほどの音楽データがiPodには入っていたがそれらは瞬時にあっけなく消滅して、もう取り返しがつかない。ディジタルデータとは儚いものだと改めて思う。

 空っぽになったiTunesにこれから何を放り込もうかと思案しながら漫然とテレビを見ていると、今日のNHKで放送された夜の歌番組に出演していたのがさだまさしだった。
 理由を深く考えてみたことはないが、私はこのシンガーがどうしても好きになれない。私が中学生の頃、確かグレープというデュオで活動していた頃からこの人の唄う歌はどうにもいけ好かなかった。下品な話で恐縮だが、現在まるでどっかのちょっとした会社の経理部長みたいな風貌であるさだまさし氏の唄う世界からはセックスの匂いが全くしない。どこからどう切り取っても清潔そのもの、影がない、屈折がない、腐臭はないが妖しい香気もない。それも一つの持ち味なのだろうが私はそういう個性との接点を今のところ見出せずにいる。

 そういう気分の反動なのだろうが、再構築したホームフォルダに最初に読み込ませたCDはこれである。

アー・ユー・エクスペリエンスト?

アー・ユー・エクスペリエンスト?

  • アーティスト: ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2006/06/21
  • メディア: CD


あらゆる意味でさだまさしの反対側にある世界だと思うが、音楽の神様というのはこういう人の方をより深く愛でるに決まっていると私は確信している。ミュージックバンクであるiTunes再構築の第一歩としてもなんかしっくりくるなあ、と、私は独りよがりな自己満足に浸る。パソコンであるeMacは再生装置として高品質なものでなどあるわけはないのだが、ディストーションのかかったギターの音とは奇妙なマッチングを聴かせる。
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フォノカートリッジを拡大してみる。(Shure M-44G) [再生音楽の聴取環境など]

 デジカメ Pentax Optio W30によるお手軽マクロ撮影

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

PENTAX 防水デジタルカメラ Optio (オプティオ) W30 ピンク OPTIOW30P

  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: エレクトロニクス


 ただでさえ大した腕前でもないのに手持ちのマクロとは我ながら無謀だと思うが色々撮してみると結構面白いので自己満足的に再度掲載。
今回は居間のサブシステムで使っているターンテーブルEmpire 698
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取り付けてあるカートリッジはシュアーのM-44Gで、これまで何個か買っては手放しを繰り返しているが手持ちがゼロになったことはない。
甘めの低域、微細なニュアンスの表現は今ひとつ等々やや大掴みだがポップ系の音楽に関しては勘所を外すことがない。
 LPレコードを聴く上ではいろいろな意味で理想的な入門機と言えるのではないだろうか。

 居間のサブシステムは通年の稼働率が大して高くないので、振動計の劣化もまださほど進行していないようだ。確かまだ100時間以内程度の使用時間である。
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 前回のオルトフォン VMS-20Eは30年以上前のものだがM-44Gはさらに開発時期が古いせいかそれと比べてもカンチレバーが太い。『微細なニュアンスの表現云々」と私は書いたが。こういった振動系のあり方に関係があるのは容易に想像がつく。

 M-44Gの耐用時間は200時間だったように記憶しているが、スタイラス、カンチレバー、共にまだ正常な形を保持している。よく針先の摩耗時間について言われるが、カンチレバーの変形も使用時間としては考慮しておかなければならないことを今回のにわかマクロで知った。

 雑感めいたことをいくつか書いておきたい。
(1)お金がない負け惜しみで言うわけではないが(実はそれもあるのだけれど)、フォノカートリッジのスタイラスは標準で200時間、マイクロリーチ針でも500時間程度の耐久性である。高価なフリッツガイガーなどは耐久性もそうだがVTAを間違うとレコード盤を削る恐れさえある。
 私はフォノカートリッジは消耗品だと割り切っているので工芸品的な一個ウン十万よりは現実的な金額でチョイスして定期的に針交換する習慣がある。200時間といえばLPレコード600面、300枚分ということになる。一度に2時間聴いたとして100回、週に二回、土曜日、日曜日と聴くと約一年である。MCカートリッジで10万円以上ともなると針交換の価格は大抵標準価格の七割程度だからそういう選択は私のような貧乏人ではちょっと難しい。

(2)M-44G,オルトフォンのVMS,SPUにデンオン(今はデノン)のDL-103と、私はずいぶん長いこと丸針と縁があった。SPUは最初が結構粗い音でエージングみたいなことをしばらくやってから本調子が出始め、耐用時間間近になると名残惜しいくらい素晴らしい音がした。一方でM-44Gはおろしたての状態がベストで以下暫時、消耗が進むように捉えている。同じ丸針でもメーカーによって変化の状態が異なるのはかねがね興味がある。

フォノカートリッジを拡大してみる。(Ortfon VMS-20) [再生音楽の聴取環境など]

 新しく購入したデジカメでイタズラを続けている内に大事なことを忘れていた。
ハワイ在住のだーだ様よりのご指摘により泥縄的にやおら撮ってみたフォノカートリッジの画像である。
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 被写体はオルトフォンのVMS-20 で、長らくしまい込んでいたものだ。程々に厚みのある円満な音調で聴き疲れがしない。ボーカルなどには結構いいチョイスだと思っているが生産終了してからかなり経つ。
 こうして撮影してみると、持ち主がいかにずぼらで手入れの良くない奴だったかが如実に現れている。見るも無惨というか、とにかく酷い有様だ。20年以上の個体だからというのはやはりエクスキューズだろうか。カンチレバーから先はゴミにまみれていてスタイラスなどはまるで埃の塊だ。実にお恥ずかしい。

 iPhoto上でトリミングした拡大画像は以下のとおり。
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 手持ちのマクロ撮影なのでブレが発生しているのがよく分かる。もう一つエクスキューズを出させて頂くと私の撮影の腕はからっきしという証拠でもある。今後の課題としては小型のスタンドが必要。
 それにしても酷い状態だ。恥を晒すのはそれとして、私のような者には一個ウン十万円もする高価なフォノカートリッジは豚に真珠でしかないだろうという想像は容易に成り立つ。そもそもそんな高価なものは買えるだけのお金は元々ないのだが。

(追記)追加の画像1点
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 VMS-20E Mk2のカンチレバーはアルミパイプだがねじれやセンターの偏りが発生しているのは確認出来る。お恥ずかしい絵面だがこんな状態になっても使い続けているようではとても真価を発揮しているとは言い難いような気がする。
 ここで私は、所詮フォノカートリッジというのは消耗品なのだからそんなに高価な製品を買ったところで・・・という弁解とも負け惜しみともつかないようなコメントを出したいのである。

アナログレコードのUSBレコーディング [再生音楽の聴取環境など]

 道草とさぼりを繰り返した挙げ句、やおらアナログレコードの取り込みを試みることにした。
記念すべき初挑戦の素材は何にしようかと思案した結果、私が小学校6年生の頃にヒットしたこれが出てきた。

カリフォルニアの青い空(紙ジャケット仕様)

カリフォルニアの青い空(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: アルバート・ハモンド
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/12/19
  • メディア: CD


 私が持っているのはタイトル曲のシングル盤である。これには少々切ない思い出があって、今まで手放さずにとっておいたのもきっとそのせいだ。パソコンの性能やら環境が整ってくるにつれて私は何とかこの「カリフォルニアの青い空」をiPodで聴けるようにしておきたいと思い続けてきた。

 USBターンテーブルは録音用のソフトとしてGaragebandを推奨しているが、私の手持ちのパソコンにはあいにくインストールされていないのでこちらの登場となる。

Toast with Jam

Toast with Jam

  • 出版社/メーカー: ロキシオ・ジャパン
  • 発売日: 2002/08/09
  • メディア: ソフトウェア


 おまけで付いてくるSpindoctorである。マックのライティングソフトは悲しいかなRoxio Toast以外の選択肢はないといって良いのが実情だがたった一つの命綱みたいな存在だけあって出来はかなり気に入っている。
ろくにマニュアルも読まずにUSBケーブルを繋ぎ、半ば山勘で取り込みを始める。

録音終了後のスピンドクターの画面、呆気ないほど簡単に終了する。

おまけのソフトだけあってToastとの連携が嘘のようにスムーズである。作業は流れるように進む。

取り込んだデータは.aiffで保存される。iTunesに取り込むときにはMP3に変換して読み込み。

 気負い立って取りかかった割には呆気なく完了して実は少々拍子抜けしている。取り込みが楽なのは喜ばしいが読み込み後のデータは圧縮されない状態で保存されるのでサイズが大きく、内蔵HDがたったの20GBしかない私のiBook G3ではこれから後の取り込みでは残り容量を注意する必要がありそうだ。


ワイヤレスで鳴らすiPod [再生音楽の聴取環境など]

 3年前にiPodを購入して以来、携帯用以外に自宅のステレオで活用する機会を窺いながらも時間がズルズル過ぎた。特に慌ただしい生活を送っていたわけでもないのに3年も放置していたあたりは私のずぼらな性分が良く反映されている。

 CDを聴くことがある一定の割合で習慣化してみるとリモコン操作の便利さは肯定せざるを得ない。考えてみればいつの間にか身の回りはリモコンだらけだ。都度都度席を立って何から何まで手動で操作しなければならないのはLPレコードだけになっている。あと強いて言えば、我が家に何台かあるFMチューナーはどれも手動で選局しなければならないが新しい機種であればどれもプリセット出来るものなのでこれは単に私の財布の問題でしかない。

 iPodは一種、ミュージックバンクとして機能しているわけだがヘッドホンの端子からFM電波を飛ばしてFMチューナーに受信させればリモコンとして機能することになる。音量調整も手元でできることになるわけで一石二鳥だ。
 ディジタルの、しかも圧縮データから生成された音楽ををFM電波として送るのだからもとより音質に期待はできないが、どれもこれも古臭い操作系で不便な拙宅のステレオ聴取環境にも利便性の享受ができそうな思惑を暖め続けていた。

 お遊び感覚で購入したFMトランスミッターはこれである。

audio-technica AT-FMT5 SBL カーFMトランスミッター

audio-technica AT-FMT5 SBL カーFMトランスミッター

  • 出版社/メーカー: オーディオテクニカ
  • メディア: エレクトロニクス

 持ち出したiPodに取り付けて、カーラジオで試してみると絵に描いたような不首尾に終わったのだが、音が酷いのはきっと私のカーラジオがよれよれの粗悪品だからだとその時は思った。すぐに音が途切れて砂嵐のようなノイズだらけになる不安定な送受信もきっとカーラジオのせいだと思い、それきり使うこともなくFMトランスミッターはどこかに吹っ飛ばしたままにしておいた。1年以上前のことだ。

 今回、テキトーなステレオセットをテーブルの上にこしらえてみて再び、iPodワイヤレス作戦にリトライしてみたくなった。考えてみると1年以上も前の不具合がカーラジオのせいなのかトランスミッターのせいなのか、問題の切り分けもろくすっぽしないままの放置である。我ながら本当にずぼらの神髄を究めたような奴だと思う。

 結果から言うと絵に描いたような不首尾の再現となった。ステレオイメージどうのと言う以前の酷さだ。まず音質が酷い。冗談抜きにイヤホンで聴いていたほうがよっぽどマシなくらいの劣悪さである。
 ステレオ再生はされない。よって左右にセパレートされない。質の良いモノラル再生のようにスピーカーの中間に音像が焦点を結ぶ様子もなく、ただ漠然と鳴る。
 マランツのチューナーModel 115は特に受信感度に優れているわけではないが、私の住んでいる土地で受信出来るFM放送は四局とも問題なくステレオ受信しているのでこれはトランスミッター側の問題と見るべきだろう。送信状態が非常に不安定ですぐに音が途切れて雑音だらけになるし音量が乱高下する。トランスミッターには何か送信用の調整箇所があるのだが、音が途切れないようにのべつこの部分を微調整し続けるのは大変な労苦である。もしも一曲、三分間の間送信が途切れないように操作し終えることのできる方がいたら心底褒め称えてあげたいほどだ。

 要するに何から何まで良いとこなしの大失敗となった。思惑は見事に外れて、このFMトランスミッターは使い物にならないという苦い結論だけが得られた。
 今回こうしてブログ記事を書くに当たってAmazon.comのユーザーレビューを見てみるとこの製品は無茶苦茶な叩かれようだ。Yahoo!!のオークションでも投げ売りされているようで、特段私が出来の悪い個体を掴んでしまったというわけでもなさそうだ。少なくとも社名にAudioという名前を掲げているメーカーがこういう製品を作るべきではない。
 安物会の銭失いを地でいった今回の試みに苦笑いすることしきり、四千円のやけどで済んだところは不幸中の幸い。


小型スピーカーのステレオイメージ [再生音楽の聴取環境など]

 おとといからあり合わせの適当なステレオセットでひっそり聴き続けている。これも数年前に中古で手に入れた小型のスピーカーでの音出しだ。
 
 箱にはMicro speaker systemと書かれている。ミニより更に小さいことを謳っているわけで、当時のHi Fiブランド名だったLo-Dでこれを販売していた日立製作所にもちょっとした洒落っ気はあったということだろうか。

 箱はプレスした化粧鋼板と鋳物の組み合わせでできていて手に持ってみると大きさの割には重量感がある。
金属はQが高いので重量を持たせることで巧い具合にデッドニングしていることになる。贔屓目に見れば、ここ何年かハイエンドシーンの主流的な考えである無共振志向を先取りしていたことになる。箱を叩いてみてもコツコツ言うだけで全く響かない。

 しかしこういう造りはこのサイズだからできることであって、よく売れるようなサイズでは途轍もない目方になるので商品としての現実味はかなり薄い。一時、旭川の某メーカーがダクタイル鋳鉄でできた箱のスピーカーを製造していたがその後どれくらい売れたのだろうか。

 このスピーカーは平行線で繋ぐ場合はインピーダンスが20Ωとかなり高い。通常聴取する音量とするためにはアンプのボリューム位置は時計でいう11時から1時くらいの角度になる。ということは一番おいしいボリューム位置で通常音量が得られることになり、見かけによらず結構使える。
 とは言え何分この大きさなので周波数レンジは望むべくもない。ウッドベースの音などは倍音のそのまた倍音がかろうじて拾える程度だし、高い音域もカンカンと喧しく青天井に伸びる爽快感はない。そんなわけでそれらしい帯域バランスを得るためにはアンプの側であれこれと操作せざるを得ないことは前回書いた。

 テーブルの上であれこれ位置を変えているとミニチュア的なサウンドステージが現れる。位置を少しずつずらしていくとレンズのピントが合うように音像が焦点を結んでこびとのバンドがずらっと並ぶ様子が何だか可笑しい。モノラル再生ではテーブル上10センチくらいのところに見えない球状の発音体が現れる錯覚が得られる。流行らなかったがバイノーラルというのはこういう聞こえ方のことなのだろうか。

 20年前にステレオイメージの魅力にとりつかれてコンデンサースピーカーに切り替え、悪戦苦闘を続けたがこうも呆気なくお手軽に効果が得られると一体今までの苦労は何だったのかと思う。ある理想論として、無限に小さい点音源に勝るものはやはりないのだと再確認した次第。
 但しHS-01はポータブルラジオに毛の生えたような感触の出音しか得られないわけで、あくまでお遊び用サブスピーカーの域を出ないのは言うまでもない。

 モノラルの時代にはもっぱら周波数レンジや振動体のレスポンスだけが論議の対象だったがスピーカーが2本に増えることでステレオイメージという新たな座標軸が生まれて話はややこしさを帯びてきたわけだ。
 世の中に出回るスピーカーはどんな形式であれ、周波数レンジか、位相特性か、ダイナミックレンジかのどれかが犠牲にならざるを得ない。人が考えて作るモノには必ず何かしかの穴があるものだという摂理をこんな場面で改めて知る。


即席システムでゆるい時間を過ごす [再生音楽の聴取環境など]

 昨日の続きでにわかシステムに灯を入れて音楽を聞き流す。音質の追求ということはここでは一切しない。

 幾つかある休眠状態のアンプの内、今回はマランツのModel 1250を引っ張り出してきている。一聴するとどこか物足りない印象だが長時間付き合っていても聴き疲れのしないところはこの会社の好ましいトーンポリシーだと思っている。

 製造年度は1976年、もう30年も前の製品だ。当時はとても手の届かないアンプだったがネットオークションという便利な仕組みのおかげで中古機を手に入れることができた。4年くらい前のことだっただろうか。
 同じく中古品で手に入れたFMチューナーと重ねてどこかにぎにぎしい面構えを眺めていると少々ノスタルジックな気分に浸って音出しも結構楽しかったりする。

 
 良くも悪くも「昔の音」だ。現代の製品には遠く及ばないところはいっぱいあるがここから失われたものも幾つかはあるように感じる。
 音色云々は感覚上の問題で言い出すときりがないのでここでは書かない。ただ、ウォームアップタイムなど考慮しなくても電源を入れるなりいきなり本来的な音質で聴けるのは古い製品の良いところだと思う。
 そもそも、再生音楽の利点は思いついたときにポンと聴けるところなのであって、幾ら高音質だからといって本調子に至るまでに30分も1時間もも通電していなければならないようなことでは再生装置が本調子になる以前にリスナーの関心が音楽以外のところへ向かってしまいかねない。3時間も4時間も映像の伴わない音だけの世界に没頭して意識の集中を持続出来るのはある種のトレーニングを積んだ少数のリスナーだけだということに、多くの音響機器メーカーが気づかない時間は余りにも長すぎた。

 1970年代の中頃、FM放送は結構重宝な音楽ソースだった。LPレコード丸々一枚裏表をオン・エアーしてくれることはさすがになかったが、それでも私のような金欠音楽愛好家にとっては有り難かった。予備知識のないミュージシャンの音楽に無料で接することができる殆ど唯一の手段がラジオ電波だった時代だけに放送内容も受信機であるチューナーも今よりは相当気合いが入っていた。
 現在の家に引っ越して以来、私はBGMとしてFM放送を結構良く聴くようになった。残念ながら30年前とは大違いで受信環境は劣化の一途を辿りノイズ混じりの受信になってしまうがまあまあ我慢出来なくもない。

 昔のアンプに付属するトーンコントロールやフィルター類は現在とは目的がかなり異なっていると私はいつも考えている。メインソースがCDである現在とは違って昔の製品はイコライジングの可変幅が相当に広い。夾雑物が介在することで音質が劣化する、情報伝達にロスが生じるというデメリットよりも出音のエネルギーバランスがあれこれと変化するのを面白がっているのがここ数日である。

 Straight wire with gainは確かに理想だろうが、軽めの音楽を聞き流しながら色んな機能をこちゃこちゃと弄くり回すのも一つの楽しみ方ではないだろうか。
 件のUSBターンテーブルにはオートストップ機能が付属している。LPレコードを聞き流しながら居眠りをしても勝手に止まってくれるわけだが深夜の帰宅後小音量でお気軽に何か聴きたいときなどはこれも有り難い機能だ。音質の追求一辺倒だけがオーディオシステムとの付き合い方ではないと今の私は考えていて、しばらくの間、こういうゆるい接し方が日常の作法になりそうだ。

九月の雨

九月の雨

  • アーティスト: ジョージ・シアリング, マージョリー・ハイアムス, チャック・ウェイン, ジョン・レヴィ, デンジル・ベスト
  • 出版社/メーカー: UNIVERSAL CLASSICS(P)(M)
  • 発売日: 2007/12/05
  • メディア: CD


 LP2枚セットだけれど本日の一枚。ひっそりと優雅な貧乏生活にはわりかし良い感じの音楽である。私もオヤジになった。暇を見てそのうち何か、テキストでも書いてみようかしらん。


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