SSブログ
音楽のこと(レビュー紛いの文章) ブログトップ
前の15件 | 次の15件

Cross Town Traffic/Jimi Hendrix (クロス・タウン・トラフィック/ジミ・ヘンドリックス) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 ジミヘンの命日が近い。 あれだけいろんな方面に影響を与えながら、結局どれにも似ていない音楽だった。チャーリー・パーカーあたりもそうだ。天才の営為というのはそういうものなのだろう。  何かのようでありながらどれでもない。どこまで行っても割り切れない。幾ら均整化を計っても必ずどこかに混沌の種が息づいている。思い出してみると私はいつもそういう音楽を追いかけ続けてきたのではないだろうか。  行ったことも、勿論生活したこともない街でありながらN.Yというのはこの曲によって私の中であるイメージを形成している。結構私好みのビデオクリップである。  私にとっては無条件でカッコイイ音楽の一つ。あれこれ言うだけ野暮だと思っている。 ギル・エバンスによってカバーもされているのはやはり素材として興味を惹いたということだろう。こちらでのボーカルはハンニバルことマービン・ピーターソン、しばらく名前を聞かないが今頃どうしているのだろう。  
Gil Evans Plays Jimi Hendrix

Gil Evans Plays Jimi Hendrix

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: RCA
  • 発売日: 1998/11/17
  • メディア: CD
ジミヘンの曲は全てそうだがカバーされてオリジンを超えたものは一つもない。残念ながら本作でもそれは例外ではない。それとは逆にジミヘン自身は結構カバー曲が多いがどれも例外なく自分流に料理して完全に自家薬籠中のものにしてしまう。この辺は本能的なセンスとしか言いようがない。それが天才たる所以なのだろう。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Hello Mary-Lou/Ricky Nelson(ハロー・メリー・ルー/リッキー・ネルソン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 ある時同級生と世間話をしているうちに、私のような年代の者達にとって最大公約数的な「理想の生活」とか「幸福な家庭のモデル」みたいなものって具体的にはどんな風景なんだろうという話題になった。  あれこれ話しながらの落ち着きどころは1960年代前半あたりに製作されたアメリカ製ホームドラマに出てくる家庭のような光景ではなかろうかというところだった。「パパは何でも知っている」とか「可愛い魔女ジニー」とかいった類のコメディタッチの物語に出てくる中流家庭の光景だ。キッチンにはオーブンがあってでっかい冷蔵庫や電動式のミキサーがあって、流し台にはディスポーザーがあって、レザー針のソファが鎮座する居間の一角にはホームバーなんかがあったりもする。  寝ぼけ眼のパジャマ姿で二階の自室から居間に降りてきた坊主が欠伸をしながらでっかい冷蔵庫を開けておもむろに食い物を取り出す。でっかい窓越しに手入れの行き届いた芝生の庭を眺めながらピーナツバターを塗ったトーストをくわえ、ベーコンエッグの黄身をすすり、オレンジジュースをがぶ飲みする朝食って結構憧れだったよなあ、と、私と相方は変に想像を逞しくしてみたのだった。  そして居間のテレビではこんな歌手がこんな歌を歌っている。  恐らく今となってはこんな生活風景や家庭の空気は地球上のどこにも殆ど存在しないと思う。一部の人達の記憶の中だけにある失われた幸福とでも言うべきだろうか。異なる場所と時間軸の中でその日暮らしを続ける私は夢に見たことはあっても結局目にすることも、ましてや手にすることも出来なかったその生活を歌の中から一種、縁として嗅ぎ取るにとどまることになる。いい時代でしたよね、私には結局無縁だったけど。
Greatest Hits

Greatest Hits

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMI
  • 発売日: 2005/12/27
  • メディア: CD
 You Tubeなどを見ていると色々にカバーされていてアマチュアの投稿も大変数が多い。国民的愛唱歌の部類にはいる位のポピュラリティがありそうで、その後のベトナム戦争に始まる屈折や挫折をまだ知らない頃の野放図に豊かで伸びやかなアメリカの一面を私は幼少時耳にしたこの歌から確かに感じ取った記憶がある。  カバーも色々あるがことさら印象深いのが1986年ウェンブリーでのクイーンだ。  まあ何とも大仰にしてど派手な声。こうしてありきたりのポップチューンのカバーを聴いてみるとかえってフレディ・マーキュリーの資質や個性がはっきりと透視できる。外連見たっぷりの過剰にドラマチックな歌いっぷりにはまた何か、ヨーロッパの湿度感みたいなものを感じてこれはこれでまた一つの個性には違いない。  
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Summer Holiday/Cliff Richard(サマー・ホリデイ/クリフ・リチャード) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 しばらくぶりに更新。本性であるさぼり癖が露見したのでした。 私の住む土地の夏はもうおしまい。半袖シャツとは当分お別れとなる。夕食を食べながらFM放送を聞き流していると妙に引っかかる歌に出くわした。謳っていた人も、そのタイトルもさっぱり思い出せないのだが何だかやけに記憶にこびりついている節回しってありませんか?  音楽を聴くことに自覚的になったのは30数年前のビートルズからで、この曲はそれよりもっと前、私の幼少時の頃にどこかで聞いたことがあったのだと思う。今日のオンエアーで初めて私はこれがクリフ・リチャードの歌だと知った。夏休みの開放感とそれもいつかは終わってしまうことのペーソスみたいなものもチラッと垣間見える、今聴いてもなかなかいい感じの歌だ。  年齢が二桁になる頃には既に屈折を内在させた坊主だった私にとってクリフ・リチャードという人は毒にも薬にもならないポップ・シンガーの代表みたいな存在で全く注意を払うことはなかったが、以前カーペンターズのテキストで書いたようにこういう音楽を受容できるだけの感覚的な余裕がなかったというのがつまり、当時の私の若さであり未熟さでもあった。  公平に見ればこのクリフ・リチャードという人もイギリスではそこそこ売れたものの当時のアメリカを見ればエルビスがいたり、60年代の中頃からはロックバンドの勃興があったりでちょっとついてないようにも見える。  多くの人達もそうだろうがクリフ・リチャードと言えば真っ先に思いつくのがCongratulationではないだろうか。  これまた今日の放送で初めて知ったのだが、この曲をレコーディングしたときのベースマンは何と、あのレッド・ツェッペリンに参加する前のジョン・ポール・ジョーンズだったのだそうで。  しかしまあ、ひねた少年期を送った私のような者にとってこういう有り様のミュージシャンというのは何とも鼻持ちならない存在であって生理的に好きになれなかったのだが、まあこの人がSummer Holidayを唄っていたわけだ。歳はとってもアンテナの手入れをしておくとそれなりに小さな発見はあるようで。ともあれ今年の夏はおしまいだなあと、この曲をBGMに書いた駄文でした。
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Native Dancer/Wayne Shorter(ネイティブ・ダンサー/ウェイン・ショーター) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 季節ごとにとりわけ聴きたくなる音楽というのはやはりあるようで、夏、特にお盆頃になると私は条件反射のようにこのレコードを引っ張り出す。

ネイティブ・ダンサー

ネイティブ・ダンサー

  • アーティスト: ウェイン・ショーター
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 2000/12/20
  • メディア: CD

 

 

 

 

 ウェザー・リポートが解散した頃のジョー・ザビヌルのインタビューによれば 、プレイヤーとしてのウェイン・ショーターを絶賛しながらも作編曲の能力にはかなり辛辣なコメントを残していて私には意外に思えた。ある時期以降のウェザー・リポートは確かにジョー・ザビヌルの楽想を体現するためのバンドといった見え方ではあったけれどアルバム一枚の中には必ずいくらかはウェイン・ショーターのためのスペースが残されていたように思っている。結成当初から時間が経つにつれて段々減ってはいったものの私はショーターの曲というのもそれはそれで結構気に入っていた。

 本作は「ミステリアス・トラベラー」と前後して製作されたものだったと覚えている。

ミステリアス・トラヴェラー(紙ジャケット仕様)

ミステリアス・トラヴェラー(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ウェザー・リポート
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/04/04
  • メディア: CD

 

 

ジョー・ザビヌルがほぼ完全にバンドの主導権を握ったのが本作だと私は見ている。 

 

  SFチックでスペイシーな感触と土着的な躍動感がうまい具合に混在するこれも私の愛聴盤だが、前後してのソロワークである本作はブラジルという固有の地域に根ざした色合いから陽性の部分を抜き出してウェイン・ショーター自信の音楽性にうまく取り込んだような作風だ。後にザビヌル氏がこき下ろす根拠がよくわからない位本作の完成度は高い。但しこれには少々条件が付いていて、果たしてミルトン・ナシメントとの共同プロジェクトでなかったとしたらこれほど魅力的な音楽が出来上がっていたかどうかはやはり幾らか疑問の余地はあると私は見ている。

 総体の印象として、本作を聞きながらリスニングチェア(というほど立派なものではありません、単なるラタンの椅子)の背もたれを倒して体を伸ばすと「ああ、夏休みなんだなあ・・・」と毎年実感する。録音の良さも手伝ってか暖色系の開放感が2本のスピーカーの間から湧き出してきて部屋の中いっぱいに充満するような何とも幸せな錯覚をもう20年以上の間、毎年夏には噛みしめている。何と言っても最初の曲が私のお気に入りで、幸福という言葉を音楽にしたらそのまんまこういうものが出来上がりました、といった感じさえする。これは私にとって、かなり特別なところに位置する一曲なんである。 

 ここで、私自身の心象風景について少し書き留めておきたい。ネット上の公開日記にそぐわしいのかどうか判断がつかないがとにかく書いてしまうことにする。

 盆や正月など、一家が集う時間というのは私にとってはなかなかに辛くて居心地の悪いものだ。私事なのでここで多くを書くのはやはり控えておくが家族の姿というのも様々だと思う、他に誰もいないところにいる孤独よりもある集団から疎外されているときの孤独のほうがより辛い、肉親の集まりから弾き出されるとなれば尚更だ。何より私自身が不肖の息子なのがその理由であるとは言えしんどいものはやはりしんどい。

 盆の最中、いつにもまして私は自分の孤独と向かい合う。物心が付いた頃から自分の居場所を見出せなかった「家族」のことを思う。円満で、和気藹々としており、しかし私がそこにいることは許さない「家族」のことを思う。 その情景を離れたところから眺めて自分を省みて、やもめ暮らしももう大分経つ、こんな風にすりむけたハートを抱えて一体私はどこに流れ着くのだろうか、収まりどころなど一体あるのだろうかと一人ごちる。盆と正月は私にとっては結構辛い時間だ。そんな時間の中で本作の一曲目を聴いていると心のどこかが確かに癒やされているのを自覚する。これは20数年前から変わらない効能で、ささくれだった私のハートは段々沈静化していくのである。いつかそのうち安寧は得られるのかもしれないな、と段々弛緩しながら音楽に浸りこんでいく、そのときいつも、毎年、私は音楽が私の心の支えであることを確かめている。 今年もそういうお盆です。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

The Eminent J.J.Johnson vol.1/J.J.Johnson(ジ・エミネント・J.ジョンソン vol.1)その2 [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 毎度この手のテキストを書く度に本筋から逸脱して音楽そのものと直接関係ないことに字数を費やすのはこれから書こうとすることを巧く整理できない私の構成能力のなさを表している。作文の練習みたいなつもりで前回の続きです。

http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/archive/20080724(前回のテキスト)

 J.J.ジョンソンのブルーノートに於ける2度目の録音は1954年9月22日に行われた。

ジ・エミネントJ.J.ジョンソンVol.1

ジ・エミネントJ.J.ジョンソンVol.1

  • アーティスト: J.J.ジョンソン,クリフォード・ブラウン,ジミー・ヒース,ウィントン・ケリー,ジョン・ルイス,パーシー・ヒース,チャールス・ミンガス,ケニー・クラーク,サブー
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/06/08
  • メディア: CD

 

 

 

 Amazon.comの画像リンクを見ているとジャケットにフィーチャリングされているサイドメンはクリフォード・ブラウン一人だけだが実際の12インチLPではその他の人達もクレジットされている。CDケースのサイズでは余り細々書けないので営業上一番ポイントが高そうなブラウニーの名前だけを記述していのだろうが、実際に録音されているのは曲数にして約半分ほどなので何だか姑息な商売上の魂胆と受け止めている。

  1954年の録音に於いては既にマックス・ローチとレギュラーバンドを組んでいたせいだろうがクリフォード・ブラウンの参加はない。1ホーンカルテット+コンガという編成で、ほぼ一人舞台に近い。よく、リード楽器とは異なりトランペッターの1ホーンというのはなかなか難しいと言われるがトロンボーンともなればそれ以上だろう。プレイヤーの絶対数が少ないせいもあるのだろうが実際、トロンボーンの1ホーンで何作もリリースしていたのはJ.J以外には思い当たらない。(カーティス・フラーには1作あったと覚えている)

 演奏曲目はどれも、整形美人的なJ.J.の超絶技巧が満載でサーモの効き具合の正確さもお約束通り。冷徹なまでに無機的に巧い。ひたすら巧い。

 サイドメンについてはチャールズ・ミンガスが注意を惹くだろうが自分のリーダーセッションとは異なって弦を弾き毟りそうな暴力的パッセージは影を潜めてひたすら優等生的にペンペンやっている。事情は不明だがブルーノートへの録音はこれ一作だけだし他には余りサイドメンとしての記録が多くないミンガスなので憶測でしか書けないが役割分担とか振る舞い方について意外と空気の読める物わかりのいい人だったのかもしれない。

 ウィントン・ケリーは兵役が終わって間もない時期に当たる。未だ後年の跳ね回るようなフレージングを確立するには至っておらず、そのプレイスタイルはバド・パウエルからの影響が半分がたを占めているように私には聞こえる。過渡期の姿なわけだがこれはこれで資料的には貴重な記録と言えるかもしれない。

 演奏曲目の中で気付いたのはOld Devil Moonで、後年J.Jがレギュラークインテットを結成して吹き込んだときの再演と殆ど同じアレンジである。機会を見て取り上げたいと考えているが、J.Jジョンソン諸作中、私が最もよく聴くこれの最終曲でもある。

ダイアルJ.J.5

ダイアルJ.J.5

  • アーティスト: J.J.ジョンソン,ボビー・ジャスパー,トミー・フラナガン,ウィルバー・リトル,エルビン・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1997/03/01
  • メディア: CD

 

 

 

 

テーマをラテン・ビートで演じ、サビの部分にはストップ・タイムを用いるという青写真は2年前のブルーノートセッションで既にできあがっていたわけだ。素人ながら、『これをやりたくてこの日のセッションにはコンガを入れたのだろうか』と想像してみた。この日の録音中、コンガの参加が最も効果を上げた曲だ。この日のサブー、プラス、ケニー・クラークの役割を一人で担えるドラマーは・・・という勘案がJ.J の意中にあったかどうかは既に確かめようがない。

 改めて気付くのは当時仲間づきあいをしていたマイルス同様、J.Jジョンソンという人は、これから演奏しようとしている音楽の青写真があらかじめ想定されている部類のプレイヤーである点だ。無類の技巧はあくまでもその枠内でだけ発揮させるにとどめるところがこの人の理性の働かせ方であって、後年、沢山リリースされるそつなく抑制のきいたオーケストラ編成のレコーディングも自身の資質を総合的に発揮させた結果なのだろうが、弾けたようにブローしまくる記録が幾らもないのはやはりプレイヤーとしての資質の出し惜しみのようで勿体なく感じるのは私一人だけだろうか。

 と、ここまで書いて誤字や脱字はないかと自分のテキストを読み返してみて気付いた。私のテキストは垂れ流しにしてみても抑制をきかせてみてもさっぱり面白くもないし整合感もない。何かしらの形で後々名前の残る人とあと30年くらいすれば地球上の誰の意識の中にもない私のような有象無象のうちの一個体との明らかな差とはそういうことなのだ、と、妙に納得する次第。 


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

The Eminent J.J.Johnson Vol.1/J.J.Johnson(ジ・エミネント・J.J.ジョンソン Vol.1/J.J.ジョンソン)その1 [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 J.J.ジョンソンという人は私にとって、疑問の余地なく偉大なミュージシャンであるにもかかわらず偉大であるが故に何となく取っつきの悪い代表格ということになるのだろうか。いつぞや私はオスカー・ピーターソンのことを「帝大卒で公益企業の部長みたいだ」と半ば皮肉混じりに書いたことがあるが、同じような喩えで言うとJ.J.ジョンソンという人は同じ帝大卒でも財務省かどこかの官僚みたいなイメージなのである。

 その演奏はどこからどう切ってもそつがなく、なんだかむやみやたらと上手である。 腹立たしいくらい巧い。そしてどちらもあらかじめ約束済みの役割分担からは絶対にはみ出さない。予想通りのスリルを確実に与えてくれるが「予想外のスリル」は殆どあり得ないプレイヤー、最高級の実務家という印象はどちらにも共通する。但し、オスカー・ピーターソンがあくまでも1プレイヤーとしてそのキャリアを全うしたのに対してJ.Jはというと整合感の固まりのようなオーケストラ作品を多数リリースしたり1960年代の中期以降は長くスタジオミュージシャンとして活動していたりで、多少気恥ずかしい言葉を使えば、楽器演奏に賭けるジャズマンの情熱みたいなものが何となく希薄に感じられるのは私だけだろうか。世界中のトロンボーン奏者が逆立ちしても敵わないほどの超絶技巧を誇る名手でありながらその属性は「色々ある持ち札のうちの一つ」というのは何とも勿体ない話だと思う。何しろジャズミュージシャンであるばかりでなく腕っこきのスタジオミュージシャンであり、1プレイヤーであるばかりでなく目端の利いたバンドリーダーであり、秀でたオーケストラアレンジャーでさえもあるのだ。人は良く、「天は二物を与えず」と言って資質の欠落を惜しむがあんまり与えすぎるのも考え物だと私はJ.J.ジョンソンの音楽を聴く度に毎度思う。折角隔絶した技量がありながら残念なことにJ.Jのレコーディングには胸が熱くなるようなジャズ精神の爆発が聞き取れるものは実に少ない。超秀才の官僚作文みたいに周到で、隙がなく、緻密に考え抜かれていてそれでいながらというかそういうものだからなのかというか、どこかクールなんである。

  我ながら冷め加減のテキストだなあ、と、途中まで書いていて思った。今まではあまり熱中する気になれなかったJ.Jの音楽なのだが、ここ数年余暇が取れるようになってきたので少しは意識的になってみようと思い立ったのでした。手元にはブルーノート盤が2セットあって片方は一枚がレキシントン盤のオリジナルである。こちらは盤質がひどかったので後年東芝からの再発盤を買い求めたのだがいずれにしてもJ.Jジョンソンだしろくすっぽ聴きもしないまま長年棚の中に埋もれ続けていた。それもなんだか勿体ない話だ、何か聞き落としているものはないかと意識的に針を降ろすようになった次第である。

ジ・エミネントJ.J.ジョンソンVol.1

ジ・エミネントJ.J.ジョンソンVol.1

  • アーティスト: J.J.ジョンソン,クリフォード・ブラウン,ジミー・ヒース,ウィントン・ケリー,ジョン・ルイス,パーシー・ヒース,チャールス・ミンガス,ケニー・クラーク,サブー
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/06/08
  • メディア: CD

 

ブルーノートレーベルへの初リーダーセッション、1953年6月22日分のことを少々書き留めておきたい。 吹き込みは別テイクを除いて正味6曲ほどだったが何と言っても目を引くのはクリフォード・ブラウンの参加だろう。ライオネルハンプトンのバンドに加わる約3ヶ月前である。

 本作からパリでのセッションあたりにかけてのクリフォード・ブラウンは「新進気鋭の」という言葉さえもが陳腐に思えるほどの輝きようだ。まったくもってこの人は、姿を現したその瞬間から既にただ者ではなかったことがここには如実に記録されている。私に言わせれば後年のウィントン・マルサリスなんてちゃんちゃらおかしいくらいだ。「火を吐くようなブロー」とはこういう吹奏のことを指すのだと痛感させられる。2コーラスかそこらのソロスペースが何とも惜しいのだが、ここでのリーダーJ.Jはあろう事かその上、たった一曲だけとは言えこの歴史的逸材を休ませて1ホーンカルテットでの演奏を決める。後年これを聴く私のような者からすれば何とも勿体ない話で、後にJ.JはLP一枚丸ごとワンホーンなどというレコーディングもするわけで、ここではちょっとくらい若い者に花を持たせてやればいいじゃないかなどと文句を言いたくなる。

 それはさておきこの日のレコーディングには特別ボーナスがある。これも一曲だけだがなんとクリフォード・ブラウンがミュートソロを取る。私が知る限りこの人が生涯残したレコーディングのうちミュートをつけてソロを取るのはこれ一曲だけではなかっただろうか。同じミュートでも当然ながらマイルスともガレスピーとも違う。図太いエネルギーが充満したかのようなトーンでバリバリ感に満ちている。私などは思わず『これじゃあミュートを付けている意味がないよ』と苦笑してしまった。 だがしかし、天才とはそういうものだ。この過剰さ、やりすぎ感、ミュートを付けていてさえのこのパワフルな感じ、出音一つでリスナーをノックアウトするプレイヤーとはまさにこういう人なのだと改めて納得してしまった。

 本当はJ.Jジョンソンのことを書くつもりでいたのだがサイドメンの話題に脱線してしまった。元々私はいい加減な性分で、毎度特にこれから書くことについて深く考える方ではないのだがこんな逸脱を呼び起こすのも天才のなせる技かと。

 


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Gil Evans & Ten/Gil Evans(ギル・エバンス・アンド・テン/ギル・エバンス)  [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 一年くらい前に、このブログでマイルス・デヴィスとギル・エバンスのコラボレーションについて垂れ流しの駄文をアップしたことがあった。

http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2007-08-22
http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2007-08-26

 私のテキスト自体は整理の付いていないお粗末な代物でしかないことはいうまでもない。どうせ巧くまとめる能力が私にはないのだが敢えてまとめてみると、若き日のマイルス・デヴィスは、ある時デューク・エリントンからのオファーを受けたが自分にはビッグバンドでファーストトランペッターとしての経歴がないのと同時にその資質にも適性を欠いている自覚があったためこれを断った。 ギル・エバンスとの協調作業による成果はオーケストラをバックにソロを取るというフォーマットに取り組みたいという願望に基づくものだが、更に踏み込めば”もしも自分がデューク・エリントンのオーケストラでソロを取らせて貰えたらこんな風に演奏してみたかった”という過去の空想を現実化してみたかったのではなかろうかという憶測も成り立ちそうな気がする、というものだ。

マイルス・アヘッド

マイルス・アヘッド

  • アーティスト: マイルス・デイヴィス,ギル・エバンス
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 2000/06/07
  • メディア: CD

 

 

 

自伝中では、「音楽の父」から『ウチでやってみないか』風の声が掛かったことは本人にとってかなり嬉しかったらしいフシが伺えた。後年ものにしたオーケストラ作品のアレンジャーがフレッチャー・ヘンダーソン以来の伝統的作法の人ではなくギル・エバンスだったというのはこんな経緯に根ざしているのではないかという仮説をどうも私は捨てきれないでいる。言い換えれば当時、ギル・エバンスの志向していたバンドの音はかなりの部分、デューク・エリントンのトーンとかなりの共通項があったように私には聞こえる。

 マイルスはメジャーレーベルであるコロムビアへ転身するに当たってギル・エバンスとの共演によるオーケストラ作品を録音したい旨、当時の契約先であるプレスティッジのオーナーであるボブ・ワインストックに告げて、この無理難題に辟易したオーナーに契約の延長を諦めさせた、という物語は未だまことしやかに語り継がれているらしい。オーナーは相当そろばん勘定にシビアな人物だったらしいので(マイナーレーベルなのだからあんまり制作費のかかる演奏形態は願い下げにしたいのはごもっと もだが)『あと一息』の踏ん切りが付かなかったのこもしれないという想像は成り立つ。メジャー転身後のマイルスの商業的成功をボブ・ワインストックは地団 駄踏んで後悔したと伝えられるが、よく売れたレコードがギル・エバンスとのコラボレーションによる諸作だったことから察するに、「あのときやっときゃ今頃 は・・・・」的な思いだったのではなかろうか。この辺は人情の機微というか覆水盆に返らずというか、結論としては一マイナーレーベルのオーナーの手に負え る玉ではなかったと言うことだろう。

 本作はそんな成り行きのさなか企画された。白人のアレンジャーによるスモールオーケストラというのはプレスティッジのカタログ中では色々な意味で異色である。1957年の製作であり、当然ながらマイルス・デヴィスの参加はない。勿論、参加していないことで本作の価値がおとしめられているなどと言うことは全くない。マイルスとの共同作業によってメジャーシーンにその名を知られるようになったギル・エバンスにとっての初リーダー作がメジャーレーベルであるコロムビアでの恐らくは商業ベースのスタジオワークではなく、よりによって自分の知名度が上がるきっかけをもたらし、更に既に袂を分かったマイルスと浅からぬ因縁のあるマイナーレーベルによって企画されたことには、その後の有り様を含めてどこか人間世界の皮肉を感じる。

ギル・エヴァンス&テン

ギル・エヴァンス&テン

  • アーティスト: ギル・エヴァンス,バート・バーサローナ,デイブ・クルツァー,ポール・チェンバース,ジェイク・コーベン,ジョニー・キャリシ,ルイ・ムッチ,ウイリー・ラフ,ジミー・クリーブランド,リー・コニッツ,スティーブ・レイシー
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 1999/11/20
  • メディア: CD

 

 

 

 本作の録音データは1957年の9、10月であり、Miles Aheadが1957年の5月である。4か月後の録音、編成メンバーはコロムビア版の約半分というあたりにマイナーレーベルのオーナーであるワインストック氏の色々な思惑を感じ取るのは私の単なる妄想だろうか?

 しかしながら録音に至るまでの背景がどうあれ、本作が繰り返し傾聴に値する秀作であることには疑問の余地がない。この時点で既にアレンジャーとしてのギル・エバンスの特質はほぼ出そろっており、小編成であることがかえって異能ぶりを際だたせている。7人のホーンでこの音の厚みや重量感が達成できていることはやはり瞠目に値する。後年形容された『音の魔術師』という称号は本作での成果を指していると私は考えている。

 低音部にバスーンやフレンチホルンなどのプレイヤーを配することで重量感やふくらみを出すという手法は、ジャズのビッグバンドには恐らくそれまでになかった発想だと思う。リードセクションとブラスセクションとを区分けして個別に機能させるのではなく、局面に応じてホーンプレイヤーの出音を個別にブレンドさせるやり方は何度聴いても秀逸な工夫だ。適当さを欠く例えかもしれないが本作の出来はいい意味でうんとモダンな方向に舵を切ったデューク・エリントンを想像させるのである。徒に枠にはめるような物言いは控えるべきなのかもしれないが、モダン・ジャズのオーケストレーションに於いてエリントンの正統的な後継者がいるとすればそれはギル・エバンスだと私は見ている。

 ソロイストの中ではスティーブ・レイシーが断然光る。ジミー・クリーブランドも短いながらも鮮烈なソロワークを聞かせ、モダン・トロンボーンのテクニシャンはJ.Jジョンソン一人だけではないことを教えてくれる。私的にはもっとリー・コニッツにソロスペースを取って欲しかったのが玉に瑕だが本作はもう30年近く何度も繰り返し聴くが不思議と飽きることがないので、結局なんだかんだ言って愛聴盤なのだ。

 更に本作の聞き所はギル・エバンスのピアノソロがあちこちで聴ける点だろう。オーケストレーションがそうであるようにピアノの演奏もまたエリントンの影響をはっきりと感じさせるもので、不協和音の乱打だとか妙にたどたどしい運指だとか実に色々な手癖が酷似している。本人はプレイヤーとしての技量には余り自信がなかったらしく、後年MGMでの録音を除いては自分のピアノをフィーチュアした編曲は殆ど全く言っていいほど控えているのでこれは貴重である。恐らく、今の時点で手に入るギル・エバンスの録音のうち、本人のピアノが聴ける唯一のソースではないだろうか。初リーダー作ということもあるのだろうが、或いは小編成オーケストラであるから自らの出番を作ることを余儀なくされた結果なのもしれないが、期せずして本作は音楽家ギル・エバンスというフレーム部分を知るための格好のショーケースとなって結実した。

 その後の寡作ぶりから伺えるように、本作は高い作品性を持ちながらも商業的にはさほど成功しなかった。私なりに多少乱暴な結論づけをするならばギル・エバンスという人は偉大な先達であるデューク・エリントンの楽想のうち、最も芸術性の高そうで最も俗受けしなさそうな属性を抽出して発展させていった人だと思うのだ。しかしそれは決して音楽家ギル・エバンスの功績を割り引くことではない。考えてみればモダン・ジャズ以降ビッグ・バンドとかオーケストレーションという演奏形態や概念は急速にしぼんで小さなムーブメントしか形成しなくなってしまった。それは音楽自体が段々商業性を失っていったために物理的に場所を取り、費用のかさむバンド形態が維持しにくくなったという袋小路が余儀なくされる状況への変化でもあるのだが、商業的な成功が見込めそうにない中で営為を継続していたその姿勢にはやはり一定の敬意が払われるべきだと思う。

 去年アップしてみたMiles Aheadについてのテキストと併せて、何かここでやっと区切りがついたような気分に私はなっているが、こうして両作品のリリースから数十年を経て、拾い集めてみた周辺の情報を繋ぎ合わせてみて改めて思うのはデューク・エリントンというミュージシャンが作り出した引力圏の大きさである。これらがそこからの産物であることに私はヘンな確信めいたものを持っている。言い換えるとジャズが「酒場で演ぜられる黒人による通俗音楽」から徐々にそうではなくなっていく過程の一つの側面がエリントン、マイルス、ギル・エバンスという三人を結ぶ微かな点線としてここには現れていると思うのだ。

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Virgin Beauty/Ornette Coleman(バージン・ビューティ/オーネット・コールマン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 別段自慢にもならないが、初めてオーネット・コールマンを聴いたときには意外なくらいすんなりと受け入れることが出来た。貧乏学生でロクにレコードも買えない頃のことでジャズのことと言えば活字の印刷物を読むことでしか知識を仕入れることが出来なかったのだが、商業雑誌のライター達は自分が最初に聞いた頃の印象をそのまま保存し続けるものなのだろうか。初めて聴いたのは釧路の喫茶店で、『なんか、かっこいいじゃねえの」と聴き入っていて後になってからそれがオーネット・コールマンだと知って拍子抜けした記憶がある。

 

ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン+3

ゴールデン・サークルのオーネット・コールマン+3

  • アーティスト: オーネット・コールマン,デヴィッド・アイゼンソン,チャールズ・モフェット
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2007/11/21
  • メディア: CD

 

 

 

 

 疑いもなく良質な音楽だと今でも思っているが、当時雑誌を読みかじりの予備知識では一体どれほど摩訶不思議というかハチャメチャな音楽なのかと想像を逞しくしていたので、実際に音楽に接してみるといい意味で拍子抜けしたのだった。リアルタイムで接していればまた別の感想が出てくるのだろうが、凄くまともに聞こえたということは、既に当時私は結構ヘンな音楽に馴染んでいたからなのだろうか。

 1970年代末期というのは、没後10年以上経ってもコルトレーン信仰みたいな風潮が根強かった。およそサックス・プレイヤーは「あのスタイル」で吹けば物真似だと酷評され、『あのスタイル』以外で吹けば時代送れだのキワモノだのと酷評され、要するにコルトレーンでない人達は何をどうやっても『あのスタイル』を絶対基準として減点法に晒された。気の毒な話だ。

 これは民族性なのだろうが、凡庸な資質の持ち主が精進に精進を重ねて一角の人物になり仰せる人生模様が好まれる傾向は確かにある。人の生き方とは全てそうあるべきだ、と。ジョン・コルトレーンというミュージシャンの軌跡はまさにそのものズバリである。しかし私のような者は第一に音楽が聴きたいのであって特段そこから人生訓を得たいわけではない。音楽の狭間に生活時間のかけらや人生模様の断片が時折垣間見られる瞬間は確かに面白いがそれはあくまで副次的な楽しみであって第一義ではない。人生論や精神修養を求めるのなら本を読んだり誰かの講演でも聞きに行けばいいのであって音楽としてはつまらないが精神論としては素晴らしいなどというのは本末転倒である。コルトレーンの音楽がみんなそうだとは言いませんけどね。

 オーネット・コールマンはそれとはまるで対極に位置している。ビッグバンドの末席から身を起こし、やがてマイルスのサイドメンとなって後に一本立ちし一家を成して多くのフォロワーを生み出したコルトレーンは全く世間好みのするストーリーの持ち主で、ある種インナーサークルの優等生であるのに対してオーネット・コールマンはある日出し抜けに現れてそのままインナーサークルに居候を決め込んでしまった闖入者であるかのような否定的論調は今でも結構根強いのではないだろうか。私個人は、それはそれで人生物語としては痛快で面白いじゃないか、などと不届きなことを考える輩なのだが。

 初期から聞き続けていて意外なことに気付いたが、オーネットのプレイスタイルは昔から大して進歩がない。良くも悪くも変わっていない。音楽の外皮は時代時代で変化し続けていくがプレイヤーとしてのオーネットには初期から殆ど同じようなソロをとり続けているのである。そしてこれは私の主観というか、単なる印象だけなのだがその吹奏は一貫してちょっと突飛な感じ、ぶっ壊れかかった感じがして、少々胡散臭くもあるが奇妙に開放的でヘンにかっこいい。コルトレーンの音楽は臨界点に向かって凝縮していくようなベクトルを持つがオーネットの音楽は与太っぽいムードを発散しながら拡散していく。実は今の私はそっちのほうが好きである。

 しつこくアナロジーを続けたい。コルトレーンとオーネットでは時間の経過に伴う変容が決定的に異なる。コルトレーンのそれは『進化』であり、オーネットのは『変化』だと思っている。例えば同じ魚の行商人から始まって10数年後、コルトレーンは苦学して夜間大学に通い、立派な会社経営者になり仰せたのに対してオーネットは10数年前と変わらない同じ口上で今度は野菜の行商人をしているといった違いではないだろうか。そしてこれは単純に優劣の問題として語られるべきではない。立身出世は結構だが行商人をやり通すことだって十分立派じゃないかと今の私は考える口だ。

 20代後半のある時期からしばらくの間、私はジャズから遠ざかっていて、しばらく時間が経ってからこのCDを見かけて何の気なしに買ってみた。「まだやってんのかよ、今度は何を始めたの?」という冷やかし半分のご祝儀みたいな、オーネット・コールンというミュージシャンとの関わり方はそういうのが しっくり来そうに思っている。

ヴァージン・ビューティー

ヴァージン・ビューティー

  • アーティスト: オーネット・コールマン,デナード・コールマン,カルヴィン・ウェストン,アル・マクドウェル,ジェリー・ガルシア,バーン・ニックス,チャーリー・エレーブ,クリス・ウォーカー
  • 出版社/メーカー: エピックレコードジャパン
  • 発売日: 1998/02/21
  • メディア: CD

 

 

 

 どこからどこまでが計算尽くで、どこからどこまでが行き当たりばったりの思いつきなのか判然としないのだが兎に角誰にも似ていないこの人だけの世界がある。オーネット・コールマンの諸作中にはアイデアの煮詰め方の足りなさが感じられるものも中にはあるが本作は大当たり。律儀なスタイルの実力者をボトムに配して自分は多少のテキトーさを覗かせながらあっちへヒラヒラこっちへフラフラと好き勝手に飛び回るのがオーネットの成功パターンだが本作では見事にはまっている。自分のソロスペースは抑え気味にしてリズムセクションをクローズアップさせた構図は大変わかりやすく、リフを主体にした短めの曲作りは取っつきやすい。そして何よりもかっこいい。ヘンだがかっこいい。何かオーネットという人はそういう立ち位置がサマになるように思うのは私だけだろうか。

 ここで私もなんだか人生観みたいなことを垂れ流してしまっているようで、なんだかこっぱずかしい気分なのだけれど、冗談なんだか本気なんだかわからんようなトランペットのトーンにちょっと揺り動かされるものがあったり、全編通じてのリズムのハネ具合が生理的に気持ちよかったりで気付いてみると長年随分繰り返し聴き続けた。いつの間にかオーネットも来日して勲章をもらったりして世間的な意味での大家になってしまったようで少々イメージが噛み合わない、私はこの人の本質はいつも「客寄せの巧い山っ気たっぷりだが愛すべき露天商」だと思っている。それはそれで結構惹かれるもののあるキャラなんですよ、すれっからしの私には。

 

 

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

It Never Rains in Southern California/Albert Hammond(カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 You Tubeからの貼り付けを練習する意味で前回に続いて懐メロシリーズというわけです。
私が小学校の終わり頃に結構ヒットした曲。当然英語はさっぱり理解できなかったのにどういう訳かすんなり聴き馴染めた。



 当時は他にも幾つかスマッシュヒットみたいな曲もあったが2008年の現在となってはこれ一曲で名前を残していると言っていいだろう。尤も、たった一曲だけとはいえ40年近く経っても世界中のあちこちで歌われる流行歌をものにした人というのはやはりこの業界としては報われたタレントと言っていい部類だと思う。

 私にとっては10代の初め、反抗期幕開けの心象風景とかなりの部分で重なっているので色々と思い出深い。
歌詞の内容を詳しく知りたくて和訳に挑戦する身の程知らずな試みは当然ながら簡単に挫折した。およそ20年位前だっただろうか。
挫折を唄った歌らしいことは拙劣極まりない私の英語力でも何とか把握できたがディティールがわかったのはネットに接するようになってからだった。

 昔のヒットポップスが気になる方にとっては大変有り難いサイト
http://www.eigo21.com/03/pops/00.htm

訳詞はこうです。
http://www.eigo21.com/03/pops/itneverrains.htm

 この歌詞には物語性があって、成功を目指してどこか遠いところからカリフォルニアに出てきたものの結局芽が出ず、食い詰めて寄る辺のない生活を送る誰かさんが偶然誰か故郷の知人と会ってしまい、どうか故郷の肉親達には今の自分の窮状を伏せておいてくれと頼み込む様子を唄っている。
 これは実際に、アルバート・ハモンド自身が売れないシンガーだった頃にロンドンで体験した一場面を職業は俳優(と思われる)、場所はカリフォルニアに置き換えた歌なのだそうだ。

さびの部分(上記HPから引用はじめ)
Seems it never rains in southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California,
But, girl, don't they warn ya
It pours, man, it pours
南カリフォルニアでは雨が降らない。
以前そんな話を聞いたことがある気がする。
南カリフォルニアでは雨が降らない。
でも, ねえ君, 注意しなくちゃね
降ったら土砂降り そうさ 土砂降りなんだ。
(引用終わり)

ここでの土砂降りとは夢破れて困窮を極めている自分を表している。雨が降らない、陽気な、楽しいところ、垢抜けていて暮らしやすい所と一般的には思われがちなカリフォルニアではあるけれど自分のような存在だってここにはあるんだ。土砂降りが知られていないように自分のような存在も世間の人たちにとっては意識の中にはないんだよ、と唄っているわけだ。

 本人の体験に根ざしているからこの歌はこうして生命力を保ち続けているのだろうかと考えてみた。こうして訳詞に接してみると私自身の心象風景とも随分重なる気がしたのはあながち見当違いの思いこみでもなかったことになる。言葉の壁を越えてハートに届く心情が歌で伝わるちょっとしたマジックはやはりあるようで、私は自分の少年期を懐かしく思い出しながら2008年最近、この歌を聴き直した。歳をとったんだなあ・・・と、一人ごちるわけであります。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Copacabana/Barry Manirow(コパカバーナ/バリー・マニロウ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 5月も終わりだというのに私の住む土地は一向に暖かくならない。
昨日は長年の友人と晩飯に出かけたがあんまり外が寒いのでセーターを着込んでいった。友人宅に迎えに行くとパーカー姿で外に出てきた。全くここは日本なのかよ、とか、今は一体何月なんだよ、とか言いたくなる。

 元々私には冬の間、雪景色を眺めながらボサノバを聞き流すという性癖があるのだが、今年は5月になっても寒いので何か中南米風の音楽が聴きたくなった。それで不意に思い出したのが30年位前にヒットした「コパカバーナ」だ。その頃の私はしかめつらしくジャズにのめり込んでいて享楽的なポップチューンから目を背けていたのだがそれでもやはり生理的に惹き付けられる曲というのはあるもので、青臭い小意地を張るヒネガキを手玉に取ったバリー・マニロウという人はやっぱりかなりの才人なのだ。当時も今も、この曲は度々私の頭の中で鳴る。
 こういうときのインターネットというのは大変便利なもので、 You Tubeあたりを探し回ると簡単に音源が見つかる。 余りにも容易く実体化するので拍子抜けするほどだ。


 今になって聴いても改めて名曲だなあと思う。何か体に染みついた感覚がかき立てられるような気がする。
ネット環境で接してみて当時は見えていなかったことも色々発見した。つくづく思うに、私のように語学力のない者には外国語の歌というのはやはり即座に正しく理解するのが困難だ。
 ネット上で歌詞を見つけ出し、辞書を引き引き出来もしない和訳に取りかかって簡単に挫折し、ネット上で気の利いたことが書かれてあるホームページを探し出す。こんなことではダメだなあ。
 今更私がここで歌詞の内容について書くまでもなく、ネット上では色々な角度から語られているのだが、私個人のために唄われるストーリーをおさらい的に残しておこうと思う。

 ハバナの北のほうに「コパカバーナ」というナイトクラブがあって、その店のショーガールにローラという娘がいた。同じ店で働くバーテンダーのトニーは彼氏である。ある日、店にダイヤを身にまとった(恐らく地元のギャング)リコという男が現れてローラにちょっかいを出して強引に迫り始める。憤激したトニーと店内で立ち回りになり喧嘩がエスカレートしてトニーはリコに射殺される。
 30年後、「コパカバーナ」は閉店してディスコ(今や死語だが当時はそれで通った)に模様替えしている。ローラはそこに30年前の衣装を着て現れ、飲んだくれている。若さを失い、恋人のトニーを失い、精神は異常を来して病んでいる。「コパカバーナ」で恋をしちゃあいけないよ。

 およそこんなストーリーが歌詞だったのだ。30年前の私はこんな物凄い物語が乗っかっているなどとは全く思っていなかった。ただただ享楽的で楽しそうだとか、女の子といちゃつくときのBGMに具合が良さそうだだとか、その程度の想像しか働いていなかった。2コーラス目の終わりに女性の甲高い叫び声が聞ける。歌詞の内容がわからなかった時点での私にはあれは単に乱痴気騒ぎの熱狂だとばかり思えていたのだが本当は目の前で恋人のトニーが射殺されたローラ嬢の悲鳴を表していたのであって、理解できない言葉で唄われた歌を聴いてあれこれイメージを膨らませてみてもとんだ見当違いであることの約30年だったことになる。何というか自分の無知な思いこみを恥ずかしく思う。

 私ごときがここでわざわざ書くまでもなく、ここで唄われるストーリーはその後段々発展し、宝塚での演目になったり、他のシンガーによってカバーされたりしている。You Tubeでもこの歌をBGMにした寸劇風のビデオクリップが幾つか投稿されていてあれこれ見ていると結構いい暇つぶしになる。たかだか3分程度のポップチューンが30年がかりでこうして色々な浸透の仕方をしている様子を見ると音楽の力みたいなものを感じる。今更だが、バリー・マニロウという人はただ者ではない。私は詳しく知らないが確信があって、これ一曲でずっと後々まで名前の残る人だ。
 それにしても、歌詞の大意を頭に入れた上で改めてこの曲を聴いていると、対比の鮮烈さに私は何か表しようのない気分に囚われる。半ば世捨て人のような、変な達観に浸ったつもりになっている今の私の中にも何か、激情的な物語の断片がしぶとく燻っていることを発見するのだ。リアルタイムでこの歌に接した頃、今の時点程度の見え方であったとしたら、その後の私自身は今とは少し違うところに立っていたのかもしれない。大袈裟な話ではなく、そういう仮定をしてみたくなるのである。そんな様子を想像してみたところでどうせそこに戻れるわけはないのだが。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Now and Then/Carpenters(ナウ・アンド・ゼン/カーペンターズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 私の少年期は音楽に接すると言えばそれは大体ラジオを聞くことを意味していた。媒体(この場合はレコード)を買ってくるというのはそれがドーナツ盤だったにしてもある種の決断とか覚悟を要する行為であって、ラジオで放送される曲を聴くというのはこれからどんなレコードを買ったらいいかの、言ってみれば試聴とか予習とかいった意味合いがあったと思う。

 思い出してみるとラジオで何かのポップチューンが放送されるときには最後まで曲がかかっていた記憶が余りない。 必ず2コーラス目の途中位でフェードアウトして、曲によっては食べかけのご馳走を途中で持ち去られていくような歯がゆさがいつもあった。一曲を最後まできっちりオンエアーしてくれるのはFM放送か一部の深夜放送だったが小学生位の頃の私はFM放送が受信できるラジオさえ持てない子供だったし、夜中まで起きてラジオを聞いていると何か罪悪感めいた気分に囚われもしたので結局物足りなさを感じながらラジオにしがみついていた。

 今でこそ欧米の音楽は色々にカテゴライズされているが、40年近く前は英語で唄われる歌は十把一絡げに「洋楽」と括られていた。何ともラフな括り方だと今になってみて思うが実際、今ほどには多様な様式が当時はなかった。英語やフランス語の歌を聴いているというだけで西洋かぶれだとか、気取った奴だとか思われていたご時世が以前は確かにあったのですよ。

 当時は幾つか、リスナーのリクエストを募ってヒットチャートを紹介するラジオ番組があった。最新のチャートに詳しい奴が学校では情報発信元として結構重宝された。そのレコードを持っているともなると崇めたてられるほどの扱いを受けた。オヤジの昔話は気恥ずかしいが、当時レコードというのはそれほど高価なものだったのです。

 ヒットチャートの番組は平日の夕方頃放送されていて、暇があれば聴いていた。1970年代初頭というのはいわゆる「洋楽」がロックとポップスに分化して扱われ始めた頃だったと思う。ヒットチャートを賑わしていたのは前者でいうと例えば

マシン・ヘッド

マシン・ヘッド

  • アーティスト: ディープ・パープル
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD

 

Smoke on the waterを聴いてギターを弾きたくなった諸兄は一体どれ位いるのだろう。ほぼ間違いなく日本で一番数多くコピーされたリフだと思う。私の周辺でギターヒーローと言えばエリック・クラプトンではなく何と言ってもダントツでリッチーでしたよ。

 

 一方、後者を代表するのがカーペンターズあたりだったと私は覚えている。このアルバムからはかなり多くのシングルヒットが生まれた。名曲の宝庫というのはこういうアルバムのことをいうのだろう。

Now & Then

Now & Then

  • アーティスト: The Carpenters
  • 出版社/メーカー: Universal Japan
  • 発売日: 1998/12/08
  • メディア: CD

 

 

 

二分法で言えば私は当時、明らかに前者に肩入れしていた。反抗期の少年というのは、えてして幸福に充足した風景に背を向けたい気分を持つものだ。何かこういう、円満な音楽がチャートの上位に陣取っている構図というのは理由もなく面白くなかった。 過去をありのままに語れば私は、例えば中学校の音楽室で先生が「さあ、みんなで唄いましょう」と呼びかけそうな類の歌はどれもこれも好きになれなかった。本作はまさに、そういった音楽の宝庫なのである。

 ヒットチャートはカーペンターズの新曲がシングルリリースされさえすれば殆ど必ずと言っていい位たちまちチャートを駆け上がって長いこと上位に居座った。一方時たま、パープルみたいなロックバンドの曲が円満なポップチューンを押さえて上位に来ると訳もなくちょっと痛快な気分になったりした。当時の心象風景で言えばそれは全く正しいありようだった。Highway starが初めてチャートの一位を射止めたときの訳のわからない興奮は今でもはっきり覚えている。

 しかし一方で、パープルを聞き続けてさえいればそれで私の欠落が埋められていたのかといえばそうでもなく、ラジオのヒットチャート番組が終わってから晩飯までの間、時間を持て余していた私が聴いていたのは、それがほんとに私の内面を映し出していたからなのだろうが、なけなしの小遣いをはたいて買ってきたキング・クリムゾンだったりした。少なくとも当時、ラジオでオン・エアーされることなど考えられなかった類の音楽だ。本当に聴きたい音楽を好きなだけ聴こうと思うと、世間の多くの人たちはテレビの歌番組を見たり、ラジオのヒットチャートを聴いたりしていれば幾らでも接することができるのに、私のような者は多くもない小遣いを工面してわざわざレコードを買ってこなければならないことに自分の足場の狭さを実感して、それは世間からの疎外感にも繋がっていった。だから了見の狭い逆恨みみたいな話で、それは全く私自身の本質でもあるのだろうがカーペンターズの音楽とかこういう類の音楽を好む人たちとかいうのは生理的に反感を持った。

 ここで私は三度、バカの一つ覚えのように円満という言葉を持ち出したい。実際カーペンターズの音楽には円満という言葉が見事にはまる。ここでの音楽は世界の中に自分の居場所が約束された人たちの音楽だと思う。何より当の本人である私は反抗期真っ盛りの中学生から30年以上を経てどういう訳だか世間の中でそれなりに自分の居場所を見つけ出して囚人や浮浪者や精神病患者になるでもなく、どうにか市井人としての毎日を送っていて、居間のBGMでしょっちゅう本作を聴いているのだ。中年を過ぎてようやく、どうにかこうにか精神が落ち着いて人や世界を幾らか冷静に眺めたり’受け入れたりできるようになってはじめて私はこの音楽に多少の愛着めいた感情も持てるようにはなった、その程度には成長した、大人になったと思いたい。翻って少年期、私は一体この音楽の何をそんなに煙たがって毛嫌いしていたのかと考え込んでみた。

 生まれながらにイノセントな人の歌声、というのが何度聴いても確認できる。カレン・カーペンターという人は結局生涯結婚も出産もせずにいたわけで、その音楽性も相まって私にとってはまるで純潔の象徴みたいなシンガーだ。実人生の様相がどうであったかはともかく「きれいな歌声でみんなを幸せにしました」と伝記になっても良さそうな位の美的完結性を持った音楽が本作だ。幸せとか充足をそのまま音にするとこういう音楽になるのだろう。だからといって脳天気な陽気さ一辺倒でもないところが本作の美点である種奥行きを持たせているのだろうと考えている。多少のセンチメントもところどころ聞かれるがそれらは一つとして悲劇的でも否定的でもない。ここには矛盾も屈折も蹉跌も悲嘆も悔恨も、とにかくネガティブは要因は一つもない。一つもだ。そのこと自体を今の私は嫌悪しない。そういう音楽は人に安息や希望を与えるために何時の世にもなければならないし、歌い継がれていかなければならない。以前はそう思わなかったけれど今は違う。

 少し想像を逞しくしてみた。本作のような音楽がそのままある人格の表れだとして、そういう人の目に私はどのように映るのだろうか?勿論「いい人」などであるわけはないが「嫌な人」でもなくきっと「いない人」だと思う。何かしら鬱屈を抱え込んだ人は存在しない。人が全てそうだということではなく、そういう人たちは仮にいたとしてもここでの歌世界を取り巻くシールドの向こうにいる人たちなので関わり合うことも意識することもなく、いないと同義である。ここでの音楽はそういう世界観や人間観によって成り立っている。そして以前の私は内輪同士で幸福を確認し合う排他的なある集団に対峙しているという一種、被害者意識のような感覚でカーペンターズの音楽に接していたのだろうと思う。その集団の様子がハッピーであればあるほど何かを妬む感情が喚起されていたような時間は確かにあった。

 しかし何とか大人になって自我の確立めいたものを遂げた状態で本作あたりを聴いていると、意地悪く言えばこれは無菌室の音楽なのである。澄み切った池があり、見事な景観ではある。しかしその透明度は大量に投げ込まれた塩素によって殺菌され、精巧な濾過装置によって清浄化された結果である。池にボウフラや蚊が湧くことはないがトンボが飛んできて卵を産むこともないし魚も棲んでいない。汚される悲劇はないが清濁取り混ぜた命のドラマを産むこともない。そんな光景を想像する。だから今の私は本作を全面的にハッピーな音楽だとは思わない。ある心情が純化されたその音楽は確かに文句なく美しいけれど暗から明へと転じていく魂の脈動のような側面は見事に欠落している。それは私にはどうも一面の不幸のように感じられるのだ。今の私がこの音楽に以前のような違和感を持たずに気楽に聞き流せている理由は恐らく、こんなこじつけめいた見え方を見つけ出してどこかで安心しているからだ。我ながら物事を斜めから見たがる癖は筋金入りで、きっと一生直ることはない。しかし大人になるというのはある意味そういうことでもあるのだと勝手に納得している。

 だから現在の私はこの音楽を否定しない。ビューティフルな虚構として私はカーペンターズが好きだ。但し深い共感はない。繰り返すが、大人になるというのはある面そういうことだと思っている。良いことなのか悪いことなのかはわからないけれど。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Voices/Gary Peacock (ヴォイセス/ゲイリー・ピーコック) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 何かの符号めいているが昨日、「菊と刀」を読み終えた。本書の価値を不朽たらしめているのは異なる生活習慣、異なる価値観の持ち主である他民族の表層的な分析だけにとどまらず精神構造の中核にまで踏み込んだところにあるわけだが、ストレートに英語には置き換えることのできない概念、すなわち「恩」、「忠」、「義理」などをどのように西洋人に理解せしめるかに相当苦労した痕跡があることに改めて気付いた。

 前回のエントリー http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12 の続きです。

 日本人がジャズを演奏するというのはどういうことなのかはもう大分長いこと、ずっと私の中では引っかかり続けている。ジャズを演じる日本人がアメリカ人にはどういう風に見えているのかということも同様である。ある時期からのジャズはアメリカのどこかの土地という土着性に根ざしたものではなくなって一つの表現文化として世界中に広まっていったので当然、異邦の土地の文化や習慣にインスパイアーされた演奏も幾つか記録された。それはたとえばこんな風に。

極東組曲

極東組曲

  • アーティスト: デューク・エリントン
  • 出版社/メーカー: BMG JAPAN
  • 発売日: 2005/06/22
  • メディア: CD

 

音楽による旅行記として、私個人としては真っ先に挙げたい。 アーティスティックであると同時に上質な娯楽音楽でもある。「東洋っていうのはこんな感じだったんだよ」と、基本的には”西洋文化の中で暮らす人の視点から世界中の人たちに向かって”示された音楽ではある。大袈裟に言えば「ジャズ版の東方見聞録」と、今の私は捉えている。

 

 ところで、ゲイリー・ピーコックは1970年に来日し、1年強の滞在期間中に4枚のLPをレコーディングした。一作目が前回エントリーのEastwardで、離日前の最終作が本作Voicesとなる。

ヴォイセズ(紙ジャケット仕様)

ヴォイセズ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ゲイリー・ピーコック,菊池雅章,富樫雅彦,村上寛
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/07/18
  • メディア: CD

 

リーダー作としては2作目で、メンバーは前作に富樫雅彦を加えた2ドラムというやや変則的なカルテットである。曲によってはドラマーは一人となってトリオでの演奏。三ヶ月ほど前にアルバート・アイラーが非業の死を遂げており、本作の全体的なムードに影響を与えているように私は感じている。

 

 滞在期間中のゲイリー・ピーコックは京都の古書店の2階に下宿していたのだそうだ。ジャケット裏には古びたまな板のうえに野菜と菜切り包丁が無造作に転がっている写真が使われている。日本で暮らす日々を簡潔に表したものだ。実際、玄米食の自炊生活と日本語学校に通う日々で結構質素な暮らしだったらしい。 住まいが京都だったせいもあるのだろうが、仏教的な世界観や人間観への関心も随分高かったらしいことがライナーには書かれている。ヒッピー・ムーブメントのさなか、東洋思想に精神の救済を求める流行があって、来日生活はそうした時代背景に促されてのものだったのだろう。

 今や日本人とアメリカ人が共演する機会など特段珍しいものではなくなっているが、本作録音の時点ではある種West meet East的な新鮮味や緊張感があったことは前のエントリーで書いた。そこには異なる生活文化を過ごしてきた者同士が音楽という共通言語でダイアローグ可能なことの喜びや高揚感が聞き取れた。部分的に齟齬を来す瞬間があるにしても、全般のムードは概ねメロディアスで躍動的でもあった。

 一年以上の時間を経ての本作は趣が大分異なる。メンバー相互の比重で言えばゲイリー・ピーコックのモノローグが全編を支配していて、サイドメンは文字通り補完物として機能する。前作Eastwardでの共演者二人はリーダーのスタイルに大きく歩み寄った共演ぶりである点は注目のポイントだろう。印象をひとくくりにまとめれば本作はジャズという語法によって語られた日本人の自画像である。滞在期間中の精神生活を総決算したかのような内容で、収録曲中、Ishi(意志)、Bonsho(梵鐘)といったタイトルには仏教思想への関心とか傾倒が伺える。実際、曲調もどこか東洋風の響きがあってストイックなムードが漂う。

 サイドメンそれぞれについて短評すると、村上寛のドラムは前作のトリオよりも手数が減って律儀なタイムキーパー風だ。これを補完する富樫雅彦の参加が本作のムード作りに果たした役割は大変大きい。マレットワークを中心にした点描的なアクセントの入れ方は和太鼓を連想させる。菊池雅章はピアノとエレピを曲によって弾き分けるが前面に出てくる場面は前作よりもかなり減った。中心をなすゲイリー・ピーコックのベースフィギュアにところどころ句読点を打つ場面が多い。メンバーは一名増え、楽器も多様になってはいるが全編を貫く雰囲気はかえってスタティックなものに変化しているのは京都で玄米を食べながら一年強を過ごしたリーダーの生活感覚が素直に反映されているせいだと思う。

 私は歌舞伎とか能については全くの素人だが展開のさせ方として「序・破・急」というのが一つのセオリーであると何かで読んだか聞いたかした覚えがある。編集技法としてどれだけ意識していたかはわからないが奇しくも本作はそのような流れで構成されている。これも滞在期間中に読み取った様式を自分なりにジャズの語法で表現してみたということだろうか。LpレコードでいうとA面は滞在中の心象風景をまとめたような内容で、詠唱を思わせる場面がところどころに現れる。有機的な高まりは抑制されてモノクローム風な静謐さに満たされた、どこかの石庭を案内してもらっているかのような音楽である。

 一転してB面はピアノが慟哭しているかのような悲壮感に溢れたテーマから始まる。静養期間中に届いたアルバート・アイラーの悲報に接してから生まれた音楽のように私には感じられた。終局に向かって4人の演奏は次第に混沌を覗かせはじめ、錯綜し、集合と離散、沈黙と饒舌を不規則に繰り返す。アルバムの最初で提示された禁欲的意思統一や東洋風の整合感は断片化して飛散し、激情が段々に噴出し始める。最終曲の終わりで聴かれる長いベースソロはアルバム冒頭の茫洋とした響きとはうって変わって弦を掻きむしるように痙攣的な激しいパッセージで、苦悶をそのまま音にしたかのようなエンディングへとなだれ込んでいく。

 東洋思想に関心を持ち、傾倒し、来日して東洋人の中で生活することで彼、ゲイリー・ピーコックの心中には何か悟りのようなものが開けたのだろうと私は想像している。それは決して物見遊山の興味本位ではない 「東洋のマインド」がジャズの中に違和感なく織り込まれるという成果を上げるだけの明確なイメージを得てもいたはずなのだ。しかしながら悟りというのは学校の卒業証書みたいに一度得られればそれで終わりというものではない。悟りによって得られた矜持を世界は苛烈に試し続ける。一旦得られた心の平穏や平静さがかつての共演仲間の死によって大きく揺さぶられるそのとき、悟りは消散してどこかに飛び散ってしまっているのかもしれないが、修行が足らないなどと一体誰が非難できようか。万国共通、人種を問わず人心とはそういうものだし、それでいいのだとも思う。大事なことはその時その時、自身の内面を真正面から見つめ続ける視線の真摯さにある。抑制と葛藤とをベースで語り尽くしたかのような圧倒的なモノローグがこうして結実し、この重い心情の吐露に時間と場所を隔てて向かい合うことができるのは音楽のもたらす崇高な時間だ。ここでの音楽が東洋人の楽想によって達成されたものではないことには僅かに複雑な気分があるけれど、ともあれ、卓越したベースマンの精神の回折点を鮮烈に描ききった傑作であることに疑問の余地はない。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

FM Tokyo/The Timers [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 こういうことがあったのを私は知らなかった。長いこと偏狭な袋小路で過ごしてきたことになる。  あれこれ言っても意味がない。古舘一郎以下の面々の呆気にとられた様子、スタジオに充満する”ちょっと、まずいよ、これ” という焦り。音楽的なハプニングにはこういうのもありでしょうかな。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

Eastward/Gary Peacock(イーストワード/ゲイリー・ピーコック) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 自分の判断能力が低下しているからなのか、それとも大真面目に聴かなくなったせいなのかよく考えたことはないのだが、ここ20年ほどの間に出てきたジャズの楽器プレイヤーについて、演奏だけを聴いて誰なのかの区別がつかなくなっていることに我ながら少し驚いた。関心が薄くなってくるとどこまでも感覚は鈍磨していくものなのだろうか。まるで全くの門外漢だった30年以上も前のように、誰を聴いても同じに聞こえるのだ。ある時何の気なしに長い知り合いである某ジャズバーのオーナーと雑談していたらその方もご同様らしかった。技術の水準としてはすっかり煮詰まった状態であり、誰もが同じ学校に行って同じ教官から教わると昨今のような金太郎飴状態になるものらしいと勝手に納得している。

 かのウィントン・マルサリスが登場した時点で薄々感づいてはいたのだが、登場するプレイヤーの誰もが”学校でみっちり勉強してきました”風の、しかも揃いも揃って高水準の演奏技術の持ち主ばかりになってくると偶発性のスリルとかドキュメントとしての面白さが薄らぐように感じられるのは私だけだろうか。ジャズというカテゴリーは今や世界中の誰と誰が初顔合わせをしてもあっさり整合感が生まれてくる表現形態のようだ。人種や言語を超えて共通の約束事の元に統一感が生まれるのはもちろん素晴らしいと思うが、今のところ私はむしろ相互理解に未知数の部分を残したまま手探り風に展開される音楽が時折放つ危なっかしい瞬間のほうに関心をそそられる。

 レコーディングされた1970年という時代背景を考えると、本作には日米のプレイヤー同士がレコーディングする際の新鮮さとか緊張感が感じられる。

イーストワード(3ヶ月期間限定盤)

イーストワード(3ヶ月期間限定盤)

  • アーティスト: ゲイリー・ピーコック,菊地雅章,村上寛
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2006/01/18
  • メディア: CD

 

 本作は1970年2月4日と5日の二日間で録音された。麻薬などによって体調を崩し、婦人とも離婚したゲイリー・ピーコックは静養の目的を兼ねて単身来日し、この後1年強滞在することになる。本作は来日後初めてのレコーディングであり、彼自身初のリーダーアルバムでもある。滞在期間中の1970年11月にはかつての共演仲間であるアルバート・アイラーがハドソン川にて水死体となって浮かぶことになるが勿論この録音時点でそんな悲劇が予見できるわけもない。

 多くの場合、初リーダーセッションというのは共演歴のある人たちを交えて行われるが本作はピアノに菊池雅章、ドラムに村上寛という日本人プレイヤーと対峙するような形でのトリオ編成だ。来日以降、録音以前にどこかでお手合わせをしてはいたのだろうが 期せずして本作には70年代版west meets east的な双方にとっての発見が瑞々しく記録されている。

 好むと好まざるに関わらず、スコット・ラファロの衣鉢を継ぐ演奏スタイルが出発点だったゲイリー・ピーコックがオフ・ビートの奏法を発展させていけば当時、ジャズの世界にあってもっとも先鋭的なフリー・フォームの領域に足を踏み入れることになるのは必然だったし、実際、彼はその領域の中で実にめざましい多くの好演を記録し続け急成長の途上にあった。だから本作の録音時点では、すっかりプレイスタイルが固まって功成り名遂げた巨匠としてではなく、新進気鋭のフロントランナーとして日本のローカルミュージシャン達と接したことになる。

 サイドメンである日本人二名も当時にあっては気鋭の若手と言える人選だ。但しこちらはもう少し保守的な演奏スタイルを守り通す。身も蓋もない言い方をすればここでの菊池雅章はポール・ブレイ風味のハービー・ハンコックであり村上寛はときたまエルビン風のアンソニー・ウィリアムスと私は聴いた。要するに4ビートジャズ末期のマイルス・デヴィス・バンドの演奏スタイルをお手本として自己形成してきたプレイヤー達と括って良いのではないかと思う。

 演奏自体はハイ・テンションな力演で全体に相当の聴き応えがある。病み上がりという体調が眉唾に思えるほどゲーリー・ピーコックのベースワークはまさに変幻自在にして強靱そのもので緊張と弛緩を自在にコントロールする力業は真の意味でリーダーにふさわしい。これに鼓舞される日本人プレイヤー2名もそれぞれ最高度の集中力を発揮して渡り合おうとする様子がうかがえる。が、しかし、彼らサイドメン達とゲイリー・ピーコックとの間を隔てる何か薄い膜のようなものの存在がここには常に存在し続けている。

 それは一曲目から顕著に現れている。定型ビートで演奏の骨格を伝え終わったゲイリー・ピーコックは次第に小節内でビートのアクセントをずらし、小節と小節の境界を曖昧にぼかし始めてフリーリズムの展開に誘い込もうとするがサイドメン二人は頑なにコードと規則的なリズムパターンを固守し続ける。同様な展開は全編にわたって随所に散見されるのだが、このような局面では殆ど全てゲイリー・ピーコックがオンビートの定型リズムに軌道修正することでバンドの整合性が収束していく。 用いるイディオムにはところどころ齟齬を来しており、ユニットとしての一体感にはやや欠けるが音楽を生み出す情動の高まりには波長の一致がある。最終的に本作の質はここによって担保されたのである。

 編集上そのようになったのだろうが、最終曲に於いてようやく日本人二人はゲーリー・ピーコックの提示するアトーナルなオフ・ビート空間に手探り風の同調をし始める。三位一体の統一感こそないが私はその局面に何かちょっとしたドラマを発見したつもりになっているのだ。

 マイルス・デヴィスのバンドは確かに多くの優れたプレイヤーを擁していたし、その音楽スタイルは沢山の演奏家にとってお手本たり得る完成度があった。しかしそれはあくまで、オーセンテイックな枠組みの中で許される限りの自由であり、緊張であり、スリルなのだ。誰かに与えられた枠内での「最大限の自由」が到達点だと思いこんでいた者達が、枠の外から現れた見知らぬ別の誰かに「完全に自由」な世界の啓示を受けて次第に意識が転換し始めていく、事前に意図されたもののわけはないが、本作からはそんな物語性がにじみ出ているように私には聞こえる。独りよがりな思いこみでしかないのかもしれないが未知の者同士が向かい合う緊張や表現手法の微妙なずれや不整合がここにはあったからこそ、私の中にはそんな錯覚めいた想像が生まれたのではないかと思うのだ。

 そしてここでの相手を探り合うようなメンバーそれぞれの時間軸は次第に融和的に展開して約一年後、日本という風土に根ざした秀作に結実していく。

ヴォイセズ(紙ジャケット仕様)

ヴォイセズ(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ゲイリー・ピーコック,菊池雅章,富樫雅彦,村上寛
  • 出版社/メーカー: ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル
  • 発売日: 2007/07/18
  • メディア: CD

 

 

繊細にして病んだベースマンの「異邦への旅の終わり」というか一つのチャプターの締めくくり。 本作についてはいずれ何か書きたくなりそうです。

 

 


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

James Tayler/Greatest Hits(ジェイムス・テイラー/グレイテスト・ヒッツ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 手前味噌だが、サラリーマンだった頃の私は働き者だった。およそ20数年会社員をやっているうちに大体一生分働いたはずだと勝手に算段している。しかし腹立たしいことにあれだけ働きまくっていながら一生心配なく暮らしていけるだけのお金が手元に残ったのかと言えばそんなことは全然ない。代わりに職場に対する怨嗟とか世間に対する懐疑は一生かかっても消化できないくらいごっそり抱え込んだ。

 あんまり働きすぎて体調を崩して入院したこともあった。過労死しなかっただけでもよしとしておくことにした。4年前にしがない商売を開業して日銭を稼いではその辺でゴロゴロする生活を決め込んでいる。気取って言えばレイド・バックとかセミ・リタイヤ、一般の方々の目から見れば典型的なのらくら者、怠けの神髄を究めたぐうたら親父ということになる。
 
 最近思うに、宮仕えしていた頃の日々というのはどうも本来的な自分の姿ではなかったのではなかろうか。あれはきっと、世間なり職場なりに強いられた役を律儀に演じていただけなのだ。世間の枠から逸脱しないような生き方の有り様を心がけている限り、義務感で振る舞う場面があるのは仕方ないがそれも程度問題だ。睡眠と食事以外の時間は全部仕事とか、挙げ句の果てにはその日何時間眠れるか、風呂に入る時間がとれるかなどということを懸念するようになったらそれはもう人間の生活ではない。

 とりまとめれば30代半ばからのおよそ10年間、毎度私の中にあったのは「人生しんどい」という実感だった。若い頃、たとえばペーペーの社員だった20代くらいの頃だったら職場の帰りに独り者の仲間連中で酒でも飲んで騒いでガス抜きでもしたのだろうが中年ともなればなかなかそういうわけにもいかない。歳のせいでエネルギーの絶対値みたいなものが低下しているのはことあるたびに身にしみた。中間管理職というのは給料が30%位上がる代わりに仕事量と責任は70%位上がるものなのだと気付いたときにはもう暴れ出す元気もないくらいよれよれだったんである。

 民間中小企業ではお約束のサービス残業の最中、何故か私はジェイムス・テイラーをよくお仕事のBGMとしていた。深夜の職場で残っているのは私一人、近くのコンビニで買ってきた晩飯を胃袋に押し込んで、やおらドラフターにトレーシングペーパーをあてがう(CADなどという気の利いたものがなかったのです)、時計を見ればあと数十分で日付が変わる・・・『しんどいなあ・・・・』という内心の呟きにジェイムス・テイラーの歌は不思議なくらい共鳴した。

ベスト・オブ・ジェームス・テイラー

ベスト・オブ・ジェームス・テイラー

  • アーティスト: ジェイムス・テイラー
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2004/12/08
  • メディア: CD

 ロック小僧だった少年期の私には全く縁のないシンガーだった。実は今でもいい若い者がこういう音楽に入れあげるべきではないとどこかで決めつけている。
 風貌といい、その歌といい、絵に描いたような優男である。若い頃の私にはどうにも受け付けられないシンガーがジェイムス・テイラーだった。ある時期までの私は音楽の中に精神の臨界点みたいなものを求めていたのだろう。
 この人の唄う世界には感情の爆発とかある一戦を踏み越える瞬間がない。日常の音楽、等身大の音楽、人の激情や攻撃性をやんわりとたしなめるような、沈静を促すような、そういう音楽である。ここ数年で定着した言葉で言えば典型的な癒し系ということになるのだろう。
 仕事に疲れた中年期のある日、私はジェームス・テイラーのベスト盤を中古屋で拾い上げていた。奴隷もどきの生活の中で、あるいはそのとき、折れそうな心を抱えていたからなのかもしれない。頑張るとか奮起するとか鋭意努力するとかいったタームと無縁でいられる世界をどこかで求めていたということになるのだろう。

 深夜の職場で、製図の合間に放心したようになってタバコを灰にしているとジェイムス・テイラーの歌は不思議なくらいすんなりと染み入ってきた。英語のヒアリングはからっきしダメなので歌詞の内容はわからないがどの曲も「なんか、キツイよな・・・・」とため息混じりに呟いているような聞こえ方がした。
 嫌気がさしながらも最後の一踏ん張りができるとすればそれはきっと、「俺一人がこんなしんどい目に遭っている訳じゃない」とか「いつまでもこんなしんどい時間は続かない、いつかは報われるだろう」といった思いではなかろうか。当時、ジェイムス・テイラーの歌は私の精神状態をそういう方向に誘導してくれる効能が確かにあった。

 今になってみて、のんきな自営業のぐうたら生活を決め込むようになってから不思議と私はジェイムス・テイラーをあまり聴かなくなった。それはサラリーマンだった頃の欠落部分を自営業者になってから獲得できたことを意味しているのかもしれない。愚痴や泣き言をさんざん垂れ流した物わかりのいい知人に時間を隔てて再会したときの気恥ずかしさやばつの悪さのようなものを今は感じてしまう。
 だからというわけではないが、目下私が持っている唯一のソースであるこのベスト盤を手がかりにして、この先ジェームス・テイラーの軌跡を掘り下げていくことは多分ない。折れそうな自分、崩れそうな自分、打ちのめされた自分を直視することは大事だけれど、だからといっていつまでもそこにいるわけにもいかないのが現実の人生だろうから。

 あるいはまたこんなことも考える。全てを受容するヘナヘナした優男を一生貫き通すというのは、実は物凄く剛胆で男らしい姿だと言えはしないだろうか。
実際のジェイムス・テイラー氏の内面が歌の世界通りなのかどうかを窺い知る方法はないが、こういう佇まいもまたある種の男気を漂わせているように感じる。
 ここで私は世俗的な説教オヤジを気取って世間の若い衆に一席ぶちたいのである。
若いうちからジェイムス・テイラーに入れあげるようなことではいかん。これはもっと歳をとってくたびれた中年になってから聴く音楽である。そうならなければ良さはわからない。若くて、威勢が良くて、馬力や復元力があるうちは君らはテンションを上げて働け、死ぬほど働け。誰かに利用されまくって、頭を小突かれ、背中をどやしつけられ、あちこち駆けずり回らされて、つんのめって転んで、穴に落ちたりドブにはまったりしながら生きて、踏みにじられ、叩きのめされ、ある日ある時精根尽き果てた中年オヤジになったときにこそこれらの歌は涙を流したくなるほど有り難く聞こえるだろうから。
 私は若い衆の見本にも手本にもなれないが、そんな時間の中でこそジェイムス・テイラーを有り難く聞き流していたのですよ。


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
前の15件 | 次の15件 音楽のこと(レビュー紛いの文章) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。