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ブッカー・アービンのこと [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 私はジャズ・ミュージシャンについてさほどえり好みが激しいという自覚はなく、割合と誰でも受け入れる方ではなかろうかと思うが少々ネガティブな記憶のされ方をしているうちの一人にブッカー・アービンがいる。

 私が20代の前半だった頃、赴任していた勤務先のある土地で親しくなった(と、私は勝手に思い込んでいるだけなのだが)某氏は随分造詣の深いリスナーで、コバンザメよろしく私は随分色々なことを教わったが、憶えている限りで唯一、実名を出して「俺はこの人は受け付けられないんだよなあ」と仰っておられたのがブッカー・アービンだった。
 それがある種の刷り込みとなっているのかもしれないが、その後の私にとってブッカー・アービンはその録音にクレジットされていることがレコードを購入する理由とはなり得ないプレイヤーとなったまま今日に至っている。

 音楽を聴く行為は限られた時間とお金の中でのことなので、あまり断定的な物言いも憚られるのだが、私がブッカー・アービンの演奏で記憶に残っているもののうちリーダーアルバムは全くない。サイドメンとして参加しているものについては二つくらいはすぐに思いつくのだが皮肉なことにそれらはどちらも更に強烈なリード奏者が共演しているのでせっかくの力演にも関わらず格落ちの印象を抱かざるを得ない。

一つ目がこれ
オー・ヤー(+3)(デラックス・エディション)

オー・ヤー(+3)(デラックス・エディション)

  • アーティスト: チャールズ・ミンガス,ダグ・ワトキンス,ローランド・カーク,ジミー・ネッパー,ブッカー・アービン,ダニー・リッチモンド
  • 出版社/メーカー: イーストウエスト・ジャパン
  • 発売日: 1999/04/21
  • メディア: CD
 重心の低いフロントラインだ。ブッカー・アービンにとっては屈指の力演だと思うがここではローランド・カークが更に凄い。


二つ目はこちら

ザ・クエスト(紙ジャケット仕様)

ザ・クエスト(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: マル・ウォルドロン,エリック・ドルフィー,ブッカー・アーヴィン,ロン・カーター,ジョー・ベンジャミン,チャーリー・パーシップ
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2006/07/26
  • メディア: CD
本作については私がブログを書くようになる以前、Oops!に駄文をアップロードしたことがある。


3年前のテキストを今になって読み返してみると何とも恥ずかしい代物でしかないのだが、ここでのブッカー・アービンの立ち位置に対する私の見方は今に至るまで変わっていないことを再確認出来た。
 同じことを何度も書くのは無粋だが、やはりここでもエリック・ドルフィーが抜きん出て凄い。

 エリック・ドルフィーは何と言っても私が初めて接したジャズミュージシャンだったのでとりわけ強い思い入れを持っている。それだけに、このことは我ながら馬鹿ではないかと思うくらい何度も何度も折に触れて書いておきたいのだが、よりによってFire Waltzでドルフィーにソロスペースを一切与えないこのアレンジはきっと一生私の中にしこりとして残りそうだ。

 ブッカー・アービンに対する私の、何かしら否定的な気分の一番の根拠がこれではないかと常々思っている次第。全編いいソロをとっているのだけれど。

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釣果ゼロ再び [Outdoor的なこと]

7月5日、AFC大会の結果を記しておきたい。
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大会は昨年で20周年を迎えたとのことで、21年目の今年は前回秋の大会の入賞者に記念メダルが贈呈された。
 私は生兵法のいい加減な釣りしかできていないので、まぐれ当たりでたった一回優勝したことを除いては惨憺たる釣果しか残せておらず当然論外だ。 

 とはいえ今回の私には少々期するところがあった。今大会に備えて密かに多少の練習に打ち込んでいたのだった。何となれば前回、私は釣果ゼロの坊主というみっともない成果だったからだ。 
 幾ら何でも二大会続けてボウズでは惨めすぎる。しかも池釣りでだ。大会の前々日から餌を絶たれて腹ぺこの魚達がうようよ泳いでいるのを眼前にしながらのボウズではとても格好がつかない。毎回およそ40人ほどが参加するこの大会で2大会連続のボウズはあまり例のないことらしい。 

 経過を書いておきたい。実は今回またしてもボウズという落胆すべき結果が待ち受けていたのだった。何を言ったところで弁解でしかないのだが捲土重来を期していても報われないことが世の中には嫌になるほど沢山あるということを書いておかないと気持ちの整理がつきそうにない。 

 この日のために取っておいた鎌倉ミミズの効果は絶大だった。開始後五分で早くも食いつきがあり、合わせのタイミングは我ながらほれぼれするほどぴたりと決まりロッドにはかなりの手応えがあった。一昨年あげた大物の感触に近い引きの強さだった。50cmは固いな、と、私はニジマスとのファイトを繰り広げながらほくそ笑んだのだった。 魚体は相当な馬力の持ち主で、右へ左へとロッドをへし折りそうな勢いで暴れ回り、時に水面でジャンプする。久しぶりの釣果にわくわくしながら私はロッドを操っていた。 

 と、そこへ銀色に光る糸が目の前をよぎった。隣に陣取っていた参加者の方がやおらキャステイングを始めたのだった。空中に投擲されたラインは風に流されてファイトしている最中の私のラインに絡み付き、相手の魚は大暴れの気配がいっこうに止まないせいで見る見るうちに私たち二名のラインはこんがらかってひどくもつれた。そうこうしているうちに獲物はまんまとラインをちぎって逃げ仰せてしまったのだった。その瞬間、ちぎられたライン同様、私の中では何かが無惨に崩落していったのだった。 

 お見合いの相手となった某氏はいたって悠長な様子で絡まったラインをほどこうとしているのだが、私の目からその手つきはあまり器用そうで経なさそうに見えたのだ、失礼ながら。 
 あまり時間がかかるので、こんな調子で経今回待たしも私はボウズの屈辱に甘んじることになってしまいかねないとだんだん私が焦り始めた。某氏は年長者なのでなるべく丁重にラインを渡してくれるようにお願いして私がほどき始めたが、焦っているのは某氏もご同様でついつい横から手が出てくる。それでもつれたラインはなおさらけったいな絡まり方をするという悪循環に陥った。 

 いっそのこと二人ともラインを切ってしまって最初からやり直すべきではないかと持ちかけたが某氏はなお絡まったラインをほどくことを諦めきれずにいた。合意に達したのは実に競技終了10分前。気を取り直して再度のキャスティングに取りかかったのが終了5分前、もう私は腹立たしいやら焦るやらで本当に柄にもなくカリカリ来ていたのだった。 

 ただ単に、魚にラインを切られて競技続行ができなくなったことはこれまでにもあった。それはそれで残念ではあるが納得出来ない結果ではなかった。しかしここで、他人のラインが絡んでくるというハプニングが挟まると曰く言い難い怒りのような感情が湧き出してくるのは何故だろうか。 まあお互い子供でもないので、苦笑いしながら二言三言言葉を交わしてお茶を濁すのが不文律なわけだが悔しいものはやっぱり悔しい。   
  競技終了後のバーベキューパーティで私はやけ酒よろしくビールを飲んで嫌なことはとっとと忘れることにした。それで一体どうやって山の中から自宅まで戻ってきたかについては聞くだけ野暮というものだが、御用にならずに済んだのはその程度には私にもツキが残っていたからだ。 
 釣果がさっぱりついていない結果だったのだからそれくらいはいいではないか。神様、どうかお見逃しを! 

こんなていたらくに終わってしまったが、主催者様のご厚意により私にも景品が当たった。ボウズであることを白状したのでその正直さに免じてワカメスープの素一袋を頂戴した。無能であるのは仕方がないとして、誠実に努めれば一つくらいはいいことがあるということだろうか。

What a Fool Believe/Doobie Brothers(ホワット・ア・フール・ビリーブ/ドゥービー・ブラザーズ) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 貧乏暮らしの日々ではあるが、それでも時たま買い物に行く程度の小金はないこともない。

ここ数年は若い頃と違ってCDを買うにも思いつきとか、行き当たりばったりでいい加減な選択をすることが多い。ケースを穴の開くほど睨みつけ、熟慮を重ねて財布の中身と相談してということがあまりない。若い頃には意識して遠ざけていたようなミュージシャンの音楽を聴くことも歳とともに増えてきた。素直に受け止めることができるようになってきたという意味で人間としての度量が増してきたというべきか、それともある時期までは許容幅を狭めることがある種卓見の持ち主であるかのように振る舞いたくて無理に気取っていただけのことなのか、いずれにしてもここ数年の変化それ自体にはある程度の自覚はある。

 青年期の私にとって、ドゥービー・ブラザーズは必ずしもストレートに許容出来るバンドではなかった。それは先に書いたように、ある種やせ我慢によって目を背けていた種類の音楽だったことを意味している。
 手前勝手な区切り方でいうと、バンドメンバーの移行があったりはしたせいか、同時期の米国西海岸を拠点とするバンドの対比でいうと、ドゥービーとスティーリー・ダンのどちらにより傾倒しているかはその人の音楽的嗜好にとどまらず、人格の内実をある程度反映する物差し足り得たのではないかと私は薄々考えていて、若い頃の私自身は疑いもなく後者だった。

 その嗜好が私自身の何を表しているかはさておき、ともあれ、現在の私は日曜日、たまたまふらりと入ったにブックオフでドゥービー・ブラザーズの、それもベスト盤を買い込んできてダラダラ聞いているようなオヤジになった。
 ことさら作品性を絶対視していた覚えはないが、ひとつひとつリリースされていたもののディティールをためつすがめつ重箱の隅をほじくり返ようにして聴くことがだんだん面倒臭くなってきたのだろう。

ベスト

ベスト

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
  • 発売日: 1998/05/25
  • メディア: CD

 

あらためて、通して聞いてみると遠ざけていたとは言いながら聞き覚えのある曲が結構多い。貧乏人の弁解みたいな話ではあるがこうしてベスト盤を一枚買う、というつきあい方が割合と妥当なバンドであるように思える。  シングルヒットがきっちり詰まったパッケージングで編集としてはよくできているように思える。中で一曲、What a Fool Believeという曲をしばらく前にラジオで聞いて若い頃のことを思い出したのであらためて聴いてみたくなってこのように中古盤を見つけ出してきた、といういささかせこい事情が実はある。  諸兄は既にご存知だろうが元々はこれに収録されていた。
ミニット・バイ・ミニット(紙ジャケット仕様)

ミニット・バイ・ミニット(紙ジャケット仕様)

  • アーティスト: ドゥービー・ブラザーズ
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2006/07/12
  • メディア: CD
 元々のアルバム自体大ヒットしたそうだが、この曲はアルバム中での目玉チューンでもあったようでシングルカットされて若い頃私の周辺では随分方々で耳にした覚えがある。  私は英語の素養がさっぱりないのでタイトルについてうまいニュアンスが思い浮かばないが『それを信じてるなんてアホな奴だねえ』といった感じなのだろうか。  歌詞の内容は、以前別れた彼女と再会したある男性がよりを戻そうとしてしくじる。それで、時間をさかのぼってやり直すなんてことはできっこないんだよ、そんなことを信じている奴は愚かしい、というのが大意らしい。 私が学生の頃にふと耳にして何だか気になり、それから20数年経って最近、何かの拍子にたまたまラジオでこの曲を聞いて再び気になり、こうしてブックオフで中古盤を見つけてここしばらく何度か繰り返して聴いているというのは実はここで歌われているような出来事が、この間の私自身の身の上にあったからで、世間に充満する様々な人生模様のうちではゴマンとある話だが、それでもやはり当事者になってみれば何だかんだいってもきつい時間だったよなあ、と複雑な気分で当時を回想してみたりもした。  私自身がここで歌われているような愚かな恋愛観の持ち主だったことと、初めて耳にして歌詞の意味もわからずいい気分になっていた学生の頃には自分のそのような愚かな資質に気づいていなかったこととを併せると、私は二重の意味で愚かな奴だったことになる。何とも耳あたりのいいポップチューンの中に自分の愚かな一側面が歌われていたことに少々感慨めいた気分を喚起されたりもする。  動画の検索をしてみると、さすがにグラミー賞を受賞しただけあって随分色々と見つかった。 お年を召してからのマイケル・マクドナルドの歌いっぷりは高い音域が相当苦しそうで、スタジオレコーディングされた頃の感傷的な気分や都会的なソフィスティケーションは余り感じられないが、齢を重ねるとはそういう変化を余儀なくされるということなのかもしれない。迫力型の絶唱という感じ。  途中でソロをとっているギタリストがリー・リトナーであることに気づいた。 何故か登場してきた頃そのまんまのスマートさ、スムーズさで、プレイスタイルは全然変わっていない。 「おめえもそれ相応にオヤジになれよ」と、パソコンの画面を見ながら一人ごちている私の姿は先に書いたのとはまた別の意味で、さぞかし愚かなオヤジに見えることだろうw

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来客あり [身辺雑記]

 さる6月6日から8日にかけて、拙宅には客人がお泊まりになられた。
およそ一昔ほど以前、私が初めてパソコンを手に入れてそれをネットにつないだ頃、今はもう閉鎖されてしまったHPの掲示板で知り合った「東京はじめ」様というHNの方とそのご家族ご一行様だ。

東京はじめ様のHP 996と私

 かの方とは過去7年ほどの間に数度会った。多くは拙宅にご来訪いただいてあれこれと楽しい時間を過ごした。一度だけ、私が会社員だった頃に東京本社に出張した際に都内でご友人の方と一緒にお会いしたことがあった。
 
 不思議なもので、直接会って話をする機会はさして多くないにも関わらず(正確には過去7年の間で今回が5度目ほどではないかと思う)、何故か話題はかなり濃密な深度にまで掘り下げられていく。それは恐らく、日頃の私に何かしらの渇望がある点を東京はじめ様が満たしてくださっていると見るべきなのだろう。
 地理的には大変かけ離れているせいもあって、私はどこかで一期一会風のちょっとした緊張を内在させながらお会いしているのだろうが、ともあれ私にとってはいい意味での特別な時間であって、一言でまとめてしまえば幸福な時間であり、関係だと位置づけている。
 翻って、私自身の日常にはいたずらに時間を空費するだけの空疎な人間関係もたくさんある。凡人の日常生活とはそういうものであって私はそれを否定しない。空疎な日常が連続する中に散在する非日常の人間関係というコントラストは、生活時間に奥行きを与えてくれることを既に私は知っている。

 人には時間の経過とともに変化していく部分なり普遍の部分なりがあることを、たまさかの再会で知る。
ご一行様を空港まで送った後、日常に戻る道すがら私は家族について少しの間考えた。いつまでも締まりのないやもめ暮らしを続けている私自身のありようを顧みた。自由奔放さと孤独感にはある種の比例関係があるのかもしれない、と、チラッと考えた。
 人が家族を持つ、という成り行きは、それら比例要素をある値以下に収束させる意思の現れなのだろうと、私は全く明晰さに欠ける脳味噌でこれまで折に触れてうすぼんやりと考えてきたのだった。
 
 いささか古臭い捉え方なのかもしれないが、家族を構成させるための必要条件とはやはり両親と子供であって、それを私がこの先実現出来ることはない。良くも悪くも私はそういう時間の中を生きている。
 あらためてそんなことを思案させてもらう、やはり大きな意味のある再会でありました。
 

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Lee Morgan Vol.3/Lee Morgan (リー・モーガン Vol.3) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 長く音楽を聴いているうちに現れてきた変化の一つに合奏部分とか音の重なり具合に注意が向かうようになってきたのがここしばらくの私である。具体的に言えば編成の大きなものとかアンサンブル・パートの多いものを以前よりも良く聴くようになってきた。

 ジャズでいえば仕掛けが少なく、ソロのリレーに終始するブローイング・セッションを聴く頻度はやや低下傾向にあるがそれでも一定割合で聴くことは聴く。これまで何度も書いた通り5年前に貧乏自営業を開業してからの私は暇ができたので若い頃に買ったきりろくに聴かずにいたレコードをあれこれ引っぱり出して聴く機会が増えてきたのだが、買った当時はちゃんと内容が把握出来ていないまま一回聴いて終わりだったものがたくさんあって、これなどもその一つだったことになる。

リー・モーガン Vol.3+1

リー・モーガン Vol.3+1

  • アーティスト: リー・モーガン,ジジ・グライス,ベニー・ゴルソン,ウィントン・ケリー,ポール・チェンバース,チャーリー・パーシップ
  • 出版社/メーカー: EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
  • 発売日: 2007/09/26
  • メディア: CD






 本作を買った当時の私は、 I Remenber Crifford一曲だけがお目当てで、それ以外の側面には特段注意を払っていたわけではなかったのだが時間を置いて聴き直してみると、いろいろと奥行きのある一枚だったことに遅まきながら気づいた。
 長いこと棚の中に眠り続けていた理由の一つに、私は本作でクレジットされているテナーサックスのベニー・ゴルソンが今ひとつ苦手で、ついでに言えばアルトのジジ・グライスもプレイヤーとしてはあまり印象に残っていないことも付け加えて良さそうだ。更に言えば本作でのウィントン・ケリーのプレイが当時は遠慮がちに聞こえたせいもある。ブルーノート・レコードがプロデュースするリー・モーガンとなれば火の出るようなソロが連続する直球勝負ばかりだと思い込んでいたのだろう。

 今更私などが講釈を垂れるまでもないのだが、本作のジャケット裏には "Compositions and arrangements by BENNY GOLSON"とクレジットされている。参加メンバーはジジ・グライスとポール・チェンバースを除いて4人が当時のディジー・ガレスピー・ビッグ・バンドに所属している。従って本作は、ブルーノート・レコードに於けるリー・モーガンのリーダー作の三つ目であると同時にベニー・ゴルソンの作編曲に基づいたガレスピー・オーケストラのボス抜きセッションでありピックアップ・コンボ作品集であってこの切り口から見るとベニー・ゴルソンのリーダー作でもある。
 そういうわけでよくあるブローイング・セッションに比べると『あらかじめ書かれた』パートが非常に多い。具体的に演奏様式で言うと、通常良くある3ホーン、3リズムで聴かれるピアノのバッキングがここではかなり控えめで、代わりにソロ楽器以外のホーンの合奏がほぼ間断なく鳴っているという小型ビッグ・バンド(何とも矛盾した言い回しだが私の頭ではうまく表せません)的なバンドトーンが全編の底流をなしている。

 今聴いているとこの、いわゆる「ゴルソン・ハーモニー」はやけに耳に心地よい。ブレイキー御大のジャズ・メッセンジャーズ以外にもブルーノートにはこんな形でベニー・ゴルソンのホーンアレンジは残されていたことをだいぶ長いこと私は見落としていたのだった。
 思いつくままあれこれ断片的なことを連ねると、本作一番の人気曲だろうと思われる "I Remember Clifford"ではホーン陣のうちリー・モーガン一人だけがソロをとり、残りの2名はバッキングのみに終始する。本人の物故から約一年後での録音であることも関係あるのだろうが、本人のアドリブの一節がテーマになっていると伝えられるこの曲で管楽器ではトランペットのみがソロをとる、というアレンジは希代の名トランぺッターに対するリスペクトの現れか、などと想像すると私などは少々ホロッと来るものがある。

 ウィントン・ケリーはよく聴かれるいい意味でのはしゃぎっぷりを押さえてあまり多くないソロスペースをタイトにまとめるので全体の印象はリズムの弾け方よりもハーモニーの流麗さが前面に出る作りだが、ベニー・ゴルソンが主導権を握るアレンジメントとはそういうものなので、役どころをよく心得た好演ということか。

 今更ながらホーンアレンジの巧妙さについつい聴き入る本作での最大の見せ場は二曲目Domingoでの終盤だろうか。リー・モーガンの鮮烈きわまりない奔放なソロから一転して三本のホーンが織りなす一コーラスにわたる複雑で起伏に富んだユニゾンに切り替わっていく展開は何度聴いても理屈抜きにかっこいい。
 最後になんだが、当然ながら名義上の主役であるリー・モーガンがこれまた理屈抜きに素晴らしい。新進気鋭とはまさにこういう演奏ぶりを指すのであってソロにバッキングにと八面六臂の大活躍である。もしも楽器の出音に色があるとするならガレスピーやクリフォード・ブラウンは紛れもなくまばゆい黄金色なのだがリー・モーガンもそこにカテゴライズされるトーンの持ち主であることには疑問の余地がない。多少付け加えるなら、少々腰の高い、上滑り気味の軽さは彼を『トランペットの巨人』として無条件のリスペクトを集める存在とするには少々割り引き材料になってしまったかもしれないが、皆に愛される永遠のワンダーボーイとしておそらく多くのリスナーの記憶にとどまり続けていることだろう。
 
 知的な大人達によってあらかじめ周到に用意された最高の背景をバックに驚異の新人が見事に見栄を切ってみせるという、若さや馬力一辺倒ではない本作の構図に遅まきながら私が気づいたということは私もまたそれなりに視野が広がってきたということかと一人で妙に納得する。翻って何のよりどころもなく、何の手持ちもなく、おぼつかない足取りと手探りで恐る恐る世間様にデビューした私の、絵に描いたような凡庸さに今は苦笑いしたくもなる。
 

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フォノカートリッジを再度物色 [再生音楽の聴取環境など]

昨年買ったフォノカートリッジAT150MLXについては私の鈍い頭でもおおよそ素性が把握出来たような気がし始めてきた。
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死んだ子の歳を数えるような話をしても仕方がないのだが、結論としては、私のような無精者にはシュアーのほうが向いていたようだ。備忘録っぽく相対比較してみると、

(1)カンチレバーの動作感度や音の解像度ではオーディオテクニカが勝る、これはカンチレバーやスタイラスが極小なため振動系の実効質量が小さいからだろうと考えているが、反面、盤面の汚れ(主にホコリ)には敏感だということでもある。だからLPレコードのクリーニングはシュアーを使っていた頃よりもマメになることを余儀なくされる。実際、レコードクリーナーの交換用ロールの使用量は明らかに増えた。オーディオテクニカはフォノカートリッジのメーカーであると同時にメンテ用のアクセサリーメーカーでもあるので、商売としてはうまくリンクされているな、と、妙に感心したりもする。

(2)万事において使いやすいシュアーだが、そう多くない難点の一つはハムを拾いやすいことだと常々思っていた。以前使っていたUitra500もそうだったがシュアーのカートリッジというのはラインナップの上から下まで全てボディはチープなプレス鋼板なので、周辺機材の(特にアンプ)置き場所に注意が必要だ。対してテクニカAT150MLXのボディはアルミダイキャストでコイルのシールドはかなり厳重な部類に属しているように思える。ある時、システム全体がどこか以前よりも静かだなあと思い少し考えてみて思い当たったのがそれだった。微細な音を良く拾うのは振動系の機械的な感度以外に、こんな事も関係しているのだと思う。
 但しこの違いは全体質量に現れていて質量はシュアー6.6gに対してテクニカは8.3gだから約20%ほどの差がある。
オフセットアームであれば何の問題もないのだが、私のようなLTA使いにとってこれは無視出来ない。ボディの質量はカンチレバー側から見た機械負荷なので常々ここでも書く針飛びの起こりやすさに効いてくることになる。

 実際のところ、シュアーを使っていた頃には問題なくトレース出来ていたはずのレコード盤がテクニカに変わってからは針飛びを起こしてNGというケースが拙宅ではいくつかある。この半年と少々、折りを見てはアームの設定をちょこまか変えて色々試行錯誤してみたが結局未だ解決には至っていない。
 そんなわけでAT150MLXの後釜を思案中の昨今なのだが今時点ではなかなか考えがまとまらないでいる。モノとしてはまだまだ十分使える個体でちょっともったいない気はするが幾らおおざっぱな私でも針飛びにはNGなのでこれからあれこれ思案することになる。

(2)

ブログの更新を怠けながらの雑感を少々 [身辺雑記]

 何度も書くように、私は生来、大変な怠け者だ。これまでの人生の中で最も高度に極めたものはといえばそれは間違いなく『怠ける』ことだと確信している。

 ネット上のどこかのブログで書かれていたことではたと気がついたが、ブログの寿命が2、3年であることは大変多いのだそうだ。2、3年ほど続けていると書きたいことをおおかた書き尽くしてしまうからではないのかとその方は憶測しておられたように覚えている。考えてみると私もこのブログを始めてから2年か3年くらい経過しているようだ。
 但し私の場合、何かを書き留めて公開せずにはいられないとかどうしても文字として対象化しておきたい何事かがあるとかいった強いモチベーションがあったのかというとこれは甚だ疑わしい。
 だから先の、ブログの平均的寿命云々といった仮説については私はいくらが別の見方をしてもいて、その中には例えば私のような意思の持続性に乏しい怠け者の方々も結構多数含まれているのではないかと思い込みたい。

 何かを怠けて後になってからばつの悪い思いをしたことはこれまでに数えきれないほどあった。今でも日常、最低何か一つは怠けて先送りにしていることがある。
 真っ先に思いつくのは自動車の運転免許の更新で、連休明けの5月7日が講習の期限なのである。実質あと一日しかない。更新期間は60日間もあるのに本当に最後の最後、どん詰まりになるまで手続きが面倒臭くてやり過ごし続けていたのだった。

 このように、物心がついた頃から恒常的に抱え続けているのは何事かを怠けてやり過ごしている間の、えも言われぬ後ろめたい気分で、私の心象風景には天気に例えると快晴の状態は全くといっていいほどない。
 そんな後ろ暗い気分を抱えて日常を過ごすのならおまえは何故、自らを律して物事を手際良く片付けてきちんきちんと気切りを付ける生活習慣を志向しないのかと私はこれまで数限りない方々にお叱りを頂いた。全くもってお説ごもっともであることはこれまで骨身に沁みて感じておるのです。
 しかしである。てきぱきと物事に区切りを付けていく『良き人』が望ましい姿であることは重々承知の上で、既にこうして人生の折り返しを過ぎるまで常に何事かを怠け続けてきた私のような者が、なんで今更そのような自己改造に取り組まなければならないかとも思う。どうせその自己改造にしたところで幾らも経たないうちになし崩しになってこれまでのような自堕落な日常に戻るに決まっている。そんなのはやる前から見えていることだ。律儀で几帳面な生活習慣などというのは既に私の姿ではない。そういう人物は私ではない別の誰かだ。私は私以外の誰にもなれないことをこれまでの生活時間の中で十分理解しているので今更そのような無駄な努力をして人格改造に取り組みたいなどとは鼻くそほどにも思わないのである。この、何かをさぼり続けていることの後ろめたい気分というのはそのまま私が生きていることの実感でもあるわけで既にどうにもかえようがない。

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「これでいいのだ」でしたっけ?
 何だか今や、悲しいくらい私自身にピッタリくるフレーズですわいw

タグ:怠け癖
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よくある日曜日の過ごし方 [身辺雑記]

私は元来、何事につけ怠慢な人物だと思う。

5年ほど前まで、会社員だった頃にはこれまで何度も書いた通り年がら年中働き通しで土曜日の出勤は当然のこと、日曜日や祝日でもデスクワークの残務のために出社することは珍しくなかったので、たまの休みには一日中、自宅でグダグダと中途半端に何かをやってはうたた寝を決め込むのが楽しくてしょうがなかったものだ。

 貧乏自営業を開業してからは生来の怠け癖を律する必然性が薄れたので、なんとか食える目処が立てばそれ以上は働かないことにした。少しく稼ぎ怠惰に暮らす日常はすこぶる呑気なもので、日曜日などは以前にましてぐうたらな時間の過ごし方を決め込んでいる。活動的という言葉にはどこまでも縁がない。

 会社員だった頃、週末の深夜はにがーいコーヒーをすすりながら夜更かしをして音楽を聴き通すのが習慣だったが自営業になってからは控えるようになった。深夜の音楽は程々にしておいてとっとと床に就き、日曜日の朝食後、掃除を済ませてすっきりした状態で音楽を聴くことが増えた。気のせいか、睡眠を取って体を休ませた後の方が聴覚も感度が高い状態にあるように思えている。

ズート

ズート

  • アーティスト: ズート・シムズ,ジョン・ウィリアムス(ピアニスト),ノビー・トーター,ガス・ジョンソン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2003/04/23
  • メディア: CD

  日曜の午前中にレコードを聴くようになってから取り出す頻度が高くなってきたミュージシャンのうちの一人。若い頃の私はあまり熱心に聞き込まずにいたが、歳を取ってから接してみると妙にしっくりくるプレイヤーだ。 近年の私は朴訥な感じの音楽を好む傾向がある。いろいろな意味で温和というか円満な音楽が日曜日午前中には馴染みが良さそうだ。

 夕方近くになってやおら外出を決め込み、どこぞで夕食を済ませて帰宅する。

 平日の私は、朝以外は殆どテレビを見ることがない。どうせくだらない番組ばかりなのだからテレビなど見ているくらいならソファに寝転がって居眠りでもしているほうがましだとさえ思っているほどだ。 但し日曜の夜はちょっと事情が違ってNHKの「世界ふれあい町歩き」を見る。私の住む土地では午後11時35分から総合テレビで放送されるこの紀行番組が妙に好きだ。一週間のうち、明確に目的を持ってみる殆ど唯一の番組ということになる。

http://www.nhk.or.jp/sekaimachi/gtv/index.html

 リポーターは登場せず、撮影スタッフがステディカムを担いでその土地を歩いて撮りおさめて編集した動画に後から俳優がカメラマンの視点でナレーションをかぶせた一人称形式の番組である。どうも私は物心ついた頃から「ここではないどこかに当て所もなく旅立つ」とか「遠いところから来た風来坊として振る舞う」というシチュエーションに心惹かれる傾向がある。実際には入念な事前調査があるにせよ、少なくも表面上は行き当たりばったり風で、自由と心許なさの入り交じったようなこの番組の手触りは日曜日の深夜という時間帯が及ぼす心象風景と相まってか、何かしら私の本能をくすぐる作用があるらしい。年がら年中根無し草のように世間を浮遊しながら手探りで生きている私自身の投影なのかもしれない。

 四月からの番組改編以降、金曜日の午後10時45分からの放送となるのだそうだがNHKのセンスもあまり感心出来たものではないな、と思う。この番組はせっかくの休日を怠惰で無為なものに終わらせてしまったことへのささやかな反省と後悔を噛み締めながら見ることで味わいが出てくるもののように思えているのだが。

 


Bird Symbols/Charlie Parker(バード・シンボルズ/チャーリー・パーカー) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 別のエントリーであらためて書いておこうと思うのだが、私には一種、持病があって何かの拍子にある種のミュージシャンのレコードを聴き始めるとその人の演奏を次から次と手当たり次第棚から引っぱりだしてきては無我夢中で聴き漁り、気づいてみると随分時間が経っていることに気づく。中毒症状のように思えなくもないけったいな病気だ。

 目下この「なんとか中毒」には三種類の病原体が確認されており、 最初の二つは「ロバート・ジョンソン中毒」と「ジミヘン中毒」でもう一つが「パーカー中毒」だ。幸か不幸かCD2枚分の記録しか残されていないロバート・ジョンソンともう一人のジミヘンはさておいてここでのパーカーとは言うまでもなくかのチャーリー・パーカーを指している。

 

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  常々どうもこのお三方には共通した佇まいを感じている。ブルース、ロック、ジャズと並べてみて彼らはそれぞれ、そのカテゴリーの中で一人だけいることを許される場所に収まっているように思う。

 語りだせばきりがないそれぞれの音楽世界なわけだが、ジャズに関して言えば例えばマイルスあたりの録音は一つのパッケージとしての完結度が結構高いのでたて続けに何枚も聴きまくることは私の場合はないのだがパーカーは何故かいったん聴き始めると止まらなくなる。これ一枚を聴いておけば区切りがつきそうだと思いながら実は中毒症状発症ののきっかけとして機能しているのがダイアル・セッションのコンピレーションである本作、Bird Symbolsで、もう30年くらいの間、わかっていながらもう思い出せないくらい同じことを繰り返しているのは私が学習能力の全くない人物であることを現しているがチャーリー・パーカーの音楽世界のある種、魔力の証明でもあると妙な確信を持っている。

Bird Symbols

Bird Symbols

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Griffin Music
  • 発売日: 1997/10/21
  • メディア: CD

 アウトテイクでさえもが大きな意味を持つチャーリー・パーカーなのでコンピレーションを作成するのは至難の業で、どう選曲したところで必ず『どうしてあの曲のあのテイクが漏れているんだよ!』という不満が出てくるのは免れない。ましてや本作は元々LPレコードとして編集されたものなので曲数の制限がなおさらきつい。しかしそれでも本作の編集センスは最大公約数的に考えうる限りのベストを尽くしていると今でも思う。ダイアル・セッションの全テイクを網羅したスポットライトの企画は確かに歴史的な偉業だが本作はそこからの最良の抽出結果であって(発売された順番は逆だが)プロセスの全過程を検証するような聴き方とは別の、比較的気軽に(あくまでこの人にしては、の話だが)接することのできる取っつきの良さはある。

 個人的には先鋭的というかアグレッシブな傾向の曲よりもブルースナンバーだったりスローバラッドにやや寄り気味の匙加減と受け止めているが、歳を取ってあまり学究的な対峙の仕方が好きでなくなってきたせいもあって近年だんだんターンテーブルに載る機会が増えてきた。LP7枚セットのコンプリート・ダイアル・セッションをいつかは手に入れて腹一杯聴きまくってやろうとあれこれ本作に未収録の曲のことを想像しながらバイトに精を出しつつ何度も、時には一日に二回も三回も本作を聴きまくった貧乏学生の頃のことを思い出しながらEmblasable Youあたりに聴き入っていると、私の人生時間もそれなりの積み上げが形成されつつあるのだな、と、妙に感慨深くなる日曜の昼下がりである。 


デスクトップ再構築のための姑息な目論見 [パソコンのこと(主にMac)]

 中古iMac G5はいまいち調子が良くない。

以前のeMac G4でもそうだったがアプリのiTunesがわがまま放題に暴れる。どこをどういじれば設定を変えられるのかが未だにわからないままだがコンピューターの起動 と連動して無条件で立ち上がり、強制終了をかけてもなかなか退場せずに頑としてメモリー上に居座り続ける。この状態になると時計も狂ったりと結構迷惑っぽい。

リカバリーディスクなしの中古品なので文句を言えた義理でもないがiPhotoがインストールされていないのも痛い。どちらも看板アプリのようなものなのでMacの使い勝手を十全に享受出来ているとは言い難い環境が約一ヶ月ほど続いていることになる。

iLifeのパッケージを買えばアプリの問題は解決するのだろうが最新バージョンの動作条件ははMac OS10.5(Leopard)であるらしいので私の中古iMac G5(Mac OS10.4.11)には使えないことになる。

iLife '09

iLife '09

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: DVD-ROM
 
 
 
 
 
 
ならばいっそのこと、OSもバージョンアップしてしまおうかと思ったりもする。暴れ者のiTunesにも手を焼いているので潔くHDDをいっぺんフォーマットしてデスクトップを再構築するのが精神衛生上良さそうだと思案した。
Mac OS X 10.5.6 Leopard

Mac OS X 10.5.6 Leopard

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: DVD-ROM
  と、ここまで考えてアップルストアを覗いてみるとお得パッケージが抜け目なく販売されている。
MB997.jpg
シングルユーザー版で18800円とお買い得。
飛びつきそうになったが考えてみるとiWork'08のパッケージを二ヶ月前に買ったばかりだ。
iWork 08 (NEW)

iWork 08 (NEW)

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: CD-ROM
安価なアプリではあるから鷹揚に構えてまとめてバージョンアップも良いではないかと思ったりもするがなにぶん貧乏根性が染み付いているので昨年末に買ったパッケージが無駄遣いに終わってしまうことがどうにも面白くない。こんな風にしてアップルに鼻面を引き回されているうちにハードウェアの力不足が顕在化して幾らも経たないうちに今度は本体の買い替えを思案しなければならないような場面になっていくのだろう。
 
新品の本体にはリカバリーディスクが当然ついてくるのでそうなるとお徳用パッケージのアプリがまたまた無駄遣いだったことになってしまう・・・というところまで愚考して猿知恵がひらめいた。
 
Yahoo!!オークションでiMac G5のリカバリーディスクが見つかってそれを落札すれば最も安価な解決となる。これだ!と勢い込んで眺めてみればこれがまた皮肉なことにPower mac G5専用とかMac mini専用ばっかりでiMac G5用が見当たらない。OSのバージョンが違うとか機種が違うとかでどれもこれも合致しないので少々へこんでしまった。
 
 結局出物が現れるのを気長に待ってハイエナのごとく飛びつくことになる。飛びついた獲物が実はしょうもない落とし穴だったことに気づいて自分のせこい猿知恵を後悔することになりそうな予感もするのだが。
 貧乏人の独り相撲がしばらく続くことになる。 

 


Sessions for Robert.J/Eric Crapton (セッションズ・フォー・ロバート・J/エリック・クラプトン) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 先月三日に中学校の同窓会があり、以来長らく疎遠だった以前の同級生達の間では交流が再開されつつあるようだ。何だか嬉しいような懐かしいような気分で私はここしばらくを過ごしている。過去を振り返りながら毎日を過ごすような時期に私はさしかかりつつあることになる。

 私は元来、我ながら嫌になるほど奇矯なところのある性分なので考えてみると中学校を卒業以来、途切れることなく続いてきた交友関係というのは本当に少ない。私の場合はカメラの指南役である同級生のIさんがその数少ない一人で、随分長いこと有意義なおつきあいをさせてもらっている。

 カメラに限らずIさんにはこれまで多様な啓発を与えていただいた。もしもこの交友関係がなかったら私の精神世界は相当に偏狭で色彩感に乏しいものになっていたに違いない。Iさんは随分と多趣味にして多芸な方で、私は時折おこぼれに預かるコバンザメを決め込むことが多い。

 Iさんは最近、音楽を聴く時間が増えてきたのだそうで愛好家の私としてはご同慶の至りというかまた共通の話題が増えたことになる。エリック・クラプトンに関心が向かったのだそうだ。

セッションズ・フォー・ロバート・J

セッションズ・フォー・ロバート・J

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2005/01/26
  • メディア: CD

  功なり名遂げ、すっかり金満家となったクラプトンなのでいつかはこういう企画に手を付けるのだろうな、と以前から薄々予感はしていたがやっぱりやった。それは決して余興めいたものではなくリスペクトの込められた大真面目な出来上がりになるだろうとも予想していたがこれも当たり。端正とか生真面目というのがこの人のキーワードだと私は決め込んでいて、時に愚直なほど遊びやおちゃらけでプレイはしない、できない人だ。いつの音楽からもそれは伝わってくる。

 とまあ、わかったような講釈を並べているが実は私はクラプトンの良きリスナーではない。ミュージシャンとしてのエリック・クラプトンに対しては見当違いな思い込みに根ざした失望から敬遠していた時期がかなり長く、その音楽にシンパシーを抱くようになったのは月並みながらこの辺りから。我ながらミーハーっぽい気はして少々気恥ずかしいが。

チェンジ・ザ・ワールド

チェンジ・ザ・ワールド

  • アーティスト: エリック・クラプトン
  • 出版社/メーカー: ダブリューイーエー・ジャパン
  • 発売日: 1996/07/25
  • メディア: CD

 ロバート・ジョンソンへのトリビュートについては自身の音楽的出自とひたむきに向かい合った佳作という評価が多数を占める一方で、確たるアイデンティティを持った現在、何もカントリーブルーズのストレートコピーに精を出さなくてもいいではないかという批判も一部にはあるようだ。私としてはどちらの言い分にもそれぞれ共感するところはある。

 一生懸命鍛錬しました的な佇まいはブルーズの根本的な在りようにはそぐわないし、その歌いっぷりは所詮、イギリスの白人が物真似をしているだけではないのかといった醒めた目線はここでも払拭しきれない。おそらく本人にとってもキャリアが続く限り消えることのないわだかまりではないかと私は想像している。ただ、ここではカントリーブルーズの肌合いよりもクラプトンというミュージシャンの生来的な生真面目さに注目してあげても良いのではと思っている。これほどのビッグネームでありながらお殿様的な自己模倣に陥ることなく自分のアイドルの演奏をムキになってコピーしようとする姿は何だか微笑ましくはありませんかね?

  こういう企画盤に関心が向かうと、多少なりとも探究心のある方ならばオリジンの方に食指が動くのは当然の成り行きな訳だが件のIさんもこの例には漏れないようだ。

キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ

キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2007/01/24
  • メディア: CD
キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ VOL.2

キング・オブ・ザ・デルタ・ブルース・シンガーズ VOL.2

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2007/01/24
  • メディア: CD
 スタートであると同時にゴールでもある音楽。一周回ってたどり着く。色々考えるに、私にとってはここに根ざした音楽は殆どすべてが許容範囲ということになりそうで、これまで色々誤解もあったがエリック・クラプトンはそういったミュージシャンのうちの一人なのだと気づくまでに随分長い時間がかかってしまった。Iさんに拝借したこのCD/DVDであらためて知った。本作はCDよりもDVDのほうに主眼があるようで、私も借りるばかりではなくひとつ買い込んでこようかと思い始めている次第。

 

 

 


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腰痛の季節 [身辺雑記]

 日本のどこかでは梅の花が咲いたとニュースで報じられていたが、これまで何度も書いた通り私の住む土地は日本でも有数の寒冷地で未だに真冬である。ここ数日、早朝の外気温は-15℃以下を連日記録している。昨日は-20℃だった。

 今年は雪が多い。豪雪地帯ではないがむやみやたらと寒い土地なので一度降った雪はなかなか溶けずに春まで居座る。先週の土曜日には約10センチの降雪があった。先々週の土曜日には約40センチ、その前の土曜日には約30センチ、その前やその間にもとにかく雪が降った。

 雪が降れば当然ながら雪かきをしなければならない。放っておいても溶けてくれないのでどこかの時点で行わなければならない。一人暮らしが長いので持ち前の怠け癖がすっかり体に染み付いているところへ持ってきて寄る年波のせいでこれが何とも億劫だ。億劫ではあるが他に片付けてくれる人もいないので結局「えいやっ!」とばかりに意を決して寒い戸外に飛び出してスコップを振り回すことになる。

 最近は小型の除雪機が普及して除雪はずいぶん楽になったようだが私の自宅にはない。お金がないので買えないだけの話だが肉体を酷使して働くことには何かの意義があるはずだとやせ我慢をしながら毎度雪かきに励むのだが毎年体力は低下の一途を辿りつつあるのでそれも限度に近づきつつある。

 雪かきをさぼり続けて何日も放置していると日中の気温上昇と雪それ自体の重みで積雪は徐々に押し潰されていき、見た目上での重みは増してくる。そんなところへ気だけはまだ若いつもりで50肩が治りきってもいないこの私がやおらスコップを抱えて雪かきを始めると後になってから腰痛に悩まされるというのがここ数年の通例である。

 昨年も、一昨年もこの時期には腰痛に悩まされた。今年もまた同じことを繰り返し、風呂に浸かっては自分の学習能力のなさと除雪機を未だに購えない甲斐性のなさを悔いる。 例年、四月いっぱいくらいまではそのような付録が私の日常にはつきまとうので私の腰痛もゴールデンウィークくらいまでは解決の見通しはない。


タグ:雪かき 腰痛
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LD環境が拙宅で衰退していく予感 [再生音楽の聴取環境など]

 拙宅にはいくらかのLD(レーザーディスク)が蒐集されている。若い頃には小金があると何度も見返したい映画をLDで買っておくことがあった。

 昨日、私はDVDプレイヤーがたったの3ヶ月で変調を来すようになったと書いたが今晩はLDの不調ときた。本体は特におかしな挙動はないのだが賭けるディスクによってトラッキングエラー(と呼んでいいのだろうか?)が起きる。LDに経時劣化が起きるものなのかどうか私にはその知識はないのだがこれまでに不調の起きたものを思い出す限り列記してみる。

アメリカの友人 デジタルニューマスター版 [DVD]

アメリカの友人 デジタルニューマスター版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 東北新社
  • メディア: DVD

 

ダーティハリー 特別版 [DVD]

ダーティハリー 特別版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD
北北西に進路を取れ 特別版 [DVD]

北北西に進路を取れ 特別版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD

 どれも記憶に残る、これから先も折りを見て見返したい映画だがもう我が家の手持ちLDではエンディンまでを見通すことができない。残念至極。加えてどの映画もそうだが映像の飛ぶエラーが冒頭部分で現れてくれるのならまだしも、決まって終盤のストーリーが盛り上がる箇所当たりで発生するのはどうしたわけか。

冬になると引っ張り出して観たくなるこの映画ももう駄目だと今晩知った。先に書いた法則めいたものはこの盤についても言えていて、現在私は消化不良気味の気分に捕われている。

男と女 特別版 [DVD]

男と女 特別版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
  • メディア: DVD

 考えてみると、CD,LDと非接触のメディアには数年ほったらかしにしておいて久しぶりに再生してみるとエラーの出るものが拙宅には幾らかあるのでDVDにもこの先同じようなことが起きそうな気もする。

 そこへいくとLPというのは炎天下に放置しておいて反りが出たとか手を滑らせて落っことして傷がついたとかいった風に因果関係のはっきりした可視的な原因でなければ30年でも40年でも再生できるのだから考えようによっては大した耐久性ではないだろうか。数年ぶりに取り出して再生してみたらいつの間にか駄目になっていたという非接触メディアの壊れ方はどうも不条理な気がして納得いかないものを感じることが多い。

 

 私は出始めの頃のDVDには画質に納得のいかないところがあって高価なのを承知でわざわざLDを買い込んでいたのだが、今になってみて見れば出始めの頃のLDだって画質はひどいものだ。先々折りを見て、LDで見られなくなった映画はDVDなりブルーレイに買い替えていくことになるのだろうがDVDについてはこれまで書いた通りさもしい根性の発露からか安物買いの銭失いを繰り返しており落ち着いて長期間再生できる状況にない。その一方でLDはその性質故にLPレコードのように中古盤を漁る気にはなれず、そうこうしているうちに見られないディスクがこの先だんだん増えていくのだろうから拙宅ので映画鑑賞環境はだんだん混迷の度合いを深めつつある。何とかしなければ。 

 


安物買いの銭失いを地でいく [身辺雑記]

 拙宅の居間にあるDVDプレイヤーはこれまで何度も故障しては放り出してきた。現在使っているものは4代目なので平均3年弱から2年強くらいでおシャカになり続けてきたことになる。

 現在使っているものは昨年の暮れにハードオフから買ってきた型落ちの安物でお値段は三千円だった。さすがに三千円だけあって使い始めて僅か三ヶ月でディスクトレイが開いた途端に閉まるという変調を来すようになった。

 

dv343.jpg

 

 買ったところはハードオフだし値段も値段なので文句を言えた柄でもないのだがこうも次から次と短命政権が続くとまるでゴミを買ってきているような気になり始める。

 年を取ってきたせいかものを覚えるのがだんだん面倒臭くなり始めているところへもってきてDVDプレイヤーのリモコンはかなり多機能なのでせっかく要領を覚えて操作に慣れた頃に本体が壊れると何だか面白くない気分になるわけだが元はと言えば間に合わせの安物ばかりを買い続けてきた私のせこい了見が原因だ。

 いっそのこと、オールインワンでお手軽なセットを一つ置いておくのも悪くはないかと思案中だがこの手の思案ごとに夢中になっている時、私には決まって先立つものがない。

ボーズ DVD/CDレシーバー:PLS1610 PLS-1610

ボーズ DVD/CDレシーバー:PLS1610 PLS-1610

  • 出版社/メーカー: BOSE
  • メディア: エレクトロニクス

昨年の暮れに入れ替えた車のローンが終わる来年夏頃くらいまでにどうにか予算がひねり出せれば良いのだが。

 調子が今いちといえばLPレコードのカートリッジも今ひとつでシュアーを使っていた頃の簡便さが懐かしい。

 

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折りを見てはトーンアームのセッティングをああでもないこうでもないとやり直すが思い出したように針飛びを起こす。慢性疾患のようなものだ。
死んだ子の年を数えるような気分でレコードを聴くのも精神衛生上はあまりよろしくない。
 
 最近の安物買いといえばこうしてテキストを打っているパソコンだがこれにしたところであまり安心はできなさそうな気がしている。
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 どうも私の身辺はここ半年以上、常に何かが壊れている。機械文明の中で生きるというのはいつも壊れた何かと向き合う日常ということになるのかもしれないがそれはひとえに私が甲斐性なしの貧乏人だからで、安物買いの銭失いを性懲りもなく繰り返していいるからだ。
 

 

 


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クリフォード・ブラウンの動画を見つけて雑感 [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

 前日、トランぺッターのことをあれこれ書いてみたのだがたまたまYou Toubeを漫然と眺めているうちにクリフォード・ブラウンの動画を見つけた。  おそらくテレビ番組に出演した時のものと思われ、保管状態の問題からか音揺れがひどく、満足な音質とはとても言えないがそれでもプレイヤーとしての素晴らしさを損なうものではなく、偉大なスタイリストぶりは十分リスナーに伝わると思う。楽器を演奏する姿が動画として残っていたというだけでも私などは手放しで喜んでいる。

  冒頭、司会者は"Max Roach and Clifford Brown...."と紹介しているが画面に映し出されるのはバンドのメンバー全員ではなくクリフォード・ブラウン一人だけで、なぜこのような放送のされ方をしたのかを色々考えてみても私程度の頭ではよくわからないのだが、少なくともこの放送ではトランペットという楽器がバンドの顔として捉えられているからだ、という仮説は成り立つのではなかろうか。  演奏そのものは生前、全ての録音がそうであったようにここでも非の打ち所がなく、圧倒的なくらい雄弁でもある。オフィシャルな録音のみならずいくつか散見されるインフォーマルな場での演奏までマウスピースに口をあてがう度にこの水準だったのだろうから恐ろしく密度の高い演奏歴だったことになる。あるいはその短い生涯の中で言いたいことは全て言い尽くしていたのかもしれない。    余りにも完成され過ぎたものにはかえって安直な感情移入が難しい。無条件のリスペクトは疑いようもなく湧いてくるのだが。


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New Colors/Freddie Hubbard(ニュー・カラーズ/フレディ・ハバード) [音楽のこと(レビュー紛いの文章)]

  先日、FMラジオ放送を聞き流しているとフレディ・ハバードの追悼特集に行き当たった。昨年12月に物故されたらしい。享年70歳。トランぺッターらしいトランぺッターがまた一人、世を去ったことにはやはり一抹の寂しさを禁じ得ない。
 聴き馴染んだことのあるミュージシャンが亡くなるのは時間が流れている以上仕方のないことでいずれは私自身にもそういう時はくる。リアルタイムでジャズを聴く時間にはかなりブランンクがあるので今はもう、知らない人ばかりになってしまった。少々寂しい気分になる理由の一つはそういうところにあるのだろう。
 
  フレディ・ハバードはサッチモから始まってディジー・ガレスピーを経由してクリフォード・ブラウンへと繋がる、言ってみれば王道的な佇まいを感じさせるトランぺッターの系譜に位置している。すなわち、陽性でパワフルなトーンを持ち、直線的な突進力に富んだプレイヤーで、野球に例えれば右投げオーバースローの豪速球投手といった感じだろうか。
 
 毎度不思議に思うのだが、なぜかこの、王道的な系譜のトランぺッター達は概して日本のリスナー達に人気がない。唯一例外は若くして悲劇的な人生の結末を迎えてしまったクリフォード・ブラウンだけといっても良いのではないだろうか。サッチモをジャズとしてシリアスに聞く人は少なくとも私の周辺にはあまりいないし、ガレスピーは気の毒ほど人気がない。
 これは私の想像の域を出ないが、意地の悪い見方をすればクリフォード・ブラウンがこうも神格化されているのはああした死の悲劇性に由来しているからであって、もしも生きながらえてキャリアを積み重ねていったとしたら、おそらくここで取り上げるフレディ・ハバードのような立ち位置のプレイヤーになっていたのではなかろうか。
 

  ”フレディ・ハバードのような”と敢えて書く理由は、この人がシリアスなリスナーからは必ずしも高く評価されていない一面があるからで、マイナス評価の理由は商業主義的で楽器奏者としての真剣味に欠けるレコーディングをかなりの量でリリースしていたある時期を指している。実際、そういうブツをつかんでしまった方には御愁傷様と言う他なく、何を隠そうこの私も過去に於いては用心しながらもつい何度かはスカを引いてしまって腹立たしい思いをしたことはある。

 スカを引いてしまった方にとっては腹の虫の治まらない話かもしれないがしかし、この手の王道的なラッパ吹きにはそういった困り者の記録が必ず散在しているものなので時たまスカを引くのは仕方のないことだとあるときから私は無理矢理納得することにした。というよりもそもそも、先に例えた野球選手のように、トランぺッターという人種には総じてこれから演奏する音楽の全体的なストラクチャーについて予め頭の中に青写真がある人自体が殆どいないのではなかろうか。(その例外がマイルスではないかと私は考えている)

 先人の系譜をたどれば、サッチモにせよガレスピーにせよ疑問の余地なく偉大なプレイヤーではあるけれど、一つのパッケージメディアとして構築性の高い音楽は殆ど残していない。但し反面、彼らはしばしばジャズの枠を踏み越えて、もっとポピュラーな世界で華々しいソロをとることがあって、フレディ・ハバードにもこんな記録がある。

ニューヨーク52番街

ニューヨーク52番街

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2006/04/19
  • メディア: CD
 信者に囲まれた予定調和の世界ではなく、不特定多数の視線に耐え得る一般性とでも言ったらいいのか、誰もがトランペットとはこんな風にプレイされる楽器なんだ、と、ストレートに納得がいって更に『ああ、この人が演奏しているんだな」と、これまたストレートに判じ得る個性が横溢する。エース級のジャズトランぺッターというのはそういう人たちであってフレディ・ハバードもまた優にその水準に達した巨人の一人だ。これは決して故人であるから美化しているわけではない。
 

 かつてスイングジャーナルという雑誌で油井正一氏は「かつては芥川賞を取りながら現在はポルノ小説ばかりを書き飛ばす流行作家」という痛烈な比喩でフレディ・ハバードの新作を皮肉ったことがある。当時の私はその喩えに手放しで共感したがある時からは文学作品だろうがポルノ小説だろうが読んで面白く、ためになるのならカテゴリーは二の次と思うようになったのでフレディ・ハバードのありようには結構肯定的な見方をするようになった。但し、やっぱりスカは掴みたくないが。

 

 その演奏歴には毀誉褒貶が相半ばするにせよ、後進達の演奏スタイルにはフレディ・ハバードの影響が感じられる人たちが実に多いところから考えれば、以前のクリフォード・ブラウンがそうであったように彼は多くの新人達にとっては偉大なる指標だった。 これには疑問の余地がないと思う。

 病気のため長いブランクを要し、楽器を演奏できない時間がかなり長かった間に再評価されたのは良いことだった。シリアスではない音楽に携わることで身銭を切って音楽を聴くリスナーを落胆させるのは確かに好ましいあり方ではないのだろうが、楽器奏者としての偉大さとは別のところで論じられるのが自然だと考えている。

 

 レコーディング・キャリアの中ではかなり後期に属するのだろうが以前私がご祝儀的に当時買ったCDをさっきまで聴いていた。

 

ニュー・カラーズ

ニュー・カラーズ

  • アーティスト: フレディ・ハバード
  • 出版社/メーカー: 日本クラウン
  • 発売日: 2001/04/25
  • メディア: CD

  病を克服してカムバックを果たしたフレディ・ハバードが中編成のホーンアンサンブルをバックに往年の当たり曲を再演する企画である。

 さすがに往時に比べれば少々パワーダウンの印象は免れず、私個人としてはフリューゲルホーンよりもトランペットの方がこの人には似つかわしい気がするが、それらを差し引いても全編シリアスでなおかつかっこいいのと私のお気に入りのRed Crayも抜かりなく収録されているので買っても後悔することはない。共演者である若手のプレイヤー達とはやはり一線を画した貫禄を感じる。キャリアの終わりにこういった真剣味や重量感のある佳作を残してくれたのはやはりプレイヤーとしてのある種良心というか、即興演奏に賭けるスピリットの発露と私はかなり好意的に捉えている。理屈抜きに堂々としていてかっこいいトランペッターの系譜は今後どのように継承されていくのかはちょっと気がかりではあるのだけれど。


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今更ながらの周辺機器のこととか [パソコンのこと(主にMac)]

 ノートパソコンMacBookのトラックパッドに慣れきってしまうと長くMacで標準的だった1ボタンマウスでの操作が面倒臭くなってくる。現行機種ではボタンさえも廃止されてしまったので恐らく尚更だろうと思う。人の横着をしたがる欲求には際限がない。

 もともとMacの1ボタンマウスは誤操作を減らすためになるべく単純なインターフェイスを志向して決められたというのがその経緯らしい。 当時はそれで良かったのだろうがキーボードを叩いてコマンドを打ち込む機会が減ってくるにつれて今度はマウスの高機能が求められるようになってきたというのが少々皮肉な気はする。

PC/ATではごく当たり前の2ボタン、スクロールホイール付きのマウスを今まで使わないでいたのには別段、確たる信念があったわけではなくただ何となくであって、仕事で使うWindowsマシンでは当たり前のように右クリックだのホイールマウスだのを使っていた。

 中古のiMac G5にはマウスが付属してこなかったのでそれまで使っていたeMacのものを流用していたがゴミの噛み込みがあったのかスプリングがくたびれてきたのか、何せ、しばらく前から挙動がおかしかったので最近気になってはいた。現行の単倍されているワイヤレスのマイティマウスを買おうかと思ったがどうせいずれはこの中古Macも入れ替えるのだから当面は間に合わせの安物を調達しておこうとケチ臭い算段が働いた。

Apple Wireless Mighty Mouse MB111J/A

Apple Wireless Mighty Mouse MB111J/A

  • 出版社/メーカー: アップル
  • メディア: エレクトロニクス

 いくら何でも単体のマウスに8800円也はちと高い。貧乏人のチョイスはやっぱり千円でお釣りのくる安物となった。

TOSHIBA USB光学式ミニホイールマウス

TOSHIBA USB光学式ミニホイールマウス

  • 出版社/メーカー: 東芝
  • メディア: エレクトロニクス

 リンクに示されている東芝製の商品はもっと高価で本日私が買い込んだサンワサプライ製とは違うが機能としては似たようなものだろうからご勘弁を。

 何を今更と嘲笑されるのは当然だが長いことアップル純正の1ボタンマウスばかりを使い続けてきた者としてはやはり右クリックやスクロールホイールのご利益には感じ入るものがある。便利なものはやっぱり便利だ。

 ついでに冬は手首が痛むのでリストレストを一緒に買った。以前使っていたこともあるが汗で汚くなったので捨ててしまいそれっきり。長く使わないでいたということは大したメリットを感じていなかったからなのかもしれない。

WR-704LGY ジェルリストレスト

WR-704LGY ジェルリストレスト

  • 出版社/メーカー: ロアス
  • メディア: エレクトロニクス
 私が買ったのはブーメラン状に「く」の字に折れ曲がったものでなかなか具合が良い。冬季間は毎年腱鞘炎に悩まされるのだがリストレストはいくらか保護的に働くようだ。ただし私がここしばらくブログの更新を怠っていたのは単に怠け癖のせいであって腱鞘炎と直接関係があるわけではない。

 


中古iMac G5の購入(2) [パソコンのこと(主にMac)]

 昨日、首を長くして待っていた中古のパソコンが届いた。私用のパソコンもこれでやっと液晶画面となって場所ふさぎな印象はやや減った感じだ。

imac_g5.jpg

毎度ながらアップルという会社は大した技術がある訳でもないのに一見、おしゃれで特別なものを提供しているかのように見せかける術に長けている。起動してデスクトップ画面が現れた直後に勝手にAirmac Express(自前の無線LAN)を検知して勝手にデフォルト設定に組み込んでしまったのには笑った。

拙宅での私用パソコンには何台か外付けのHDやフラッシュメモリーがぶら下がっている。インターフェイスはUSB2.0とFireeire(IEEE1394)が混在していて、ディスクフォーマットもFAT32とMac OS拡張フォーマットとが混在している状況だが、インターフェイスでいえばFirewire,フォーマットの形式でいえば当然ながらMac OSのほうが物わかりがよい。最低なのはインターフェイスはUSB2.0,フォーマット形式がFAT32の場合で、これは仕事で使うWindowsマシンにも使うデータを入れておく必要上の措置だが認識は一番後回しでファイルネームにも制限があり、カスタムアイコンも使えない。まあ、認識できて読み書きもできるというだけでも有り難いと思わなければならないのだろうが、贅沢は言い始めるときりがないということだ。

 なにぶん中古品なのでマウスが欠品していたがこれは手持ちをあてがうのでよしとして、到着時点ではメモリーが512MBで非力なことが火を見るよりも明らかだったのでこれは昨日上限いっぱいの2GBに増設を済ませた。ハードウェアの出費としては目下これだけで、必要なものは大体全部予め組み込んであるのだからメモリーの増設以外のことはやってくれるな、という製品作りはマックの基本姿勢であって拡張性を求めるのならばおよそ購買意欲が失せてきそうに高価なPowemacしか選択肢はない。なかなか巧みな商売技法だ。

 ハードウェアはそれとして問題はソフトだ。手元に届いた状態ではMac OS10.4.4(Tiger)が最小インストールされている状態だったのでアプリケーションソフトをあれこれインストールしているうちに昨日一日が終わってしまい今日に持ち越しとなったが、改めてアプリのフォルダを見てみると使用頻度の高いiPhotogが見当たらない。何しろ中古のパソコンなので文句を言えた柄でもないのだがリストア用のディスクは付属していないからシステムインストールのやり直しはできない訳だ。

 幸か不幸か昨年8月に更新したノートパソコンMacBookにはMac OS 10.5(Loepard)が添付されているのでまるごと簡易インストールすることを考えたがTigerの環境でしばらく使ってみるのも悪くはないかと思い、それまで使っていたeMacのリカバリーディスクからアプリ諸々についてカスタムインストールを試みた。こちらはMac OS10.3.3(Panther)である。

 言うまでもなくアップルはハードウェアからアプリまでを手がけるトータルパッケージ志向、悪く言えば閉鎖的な製品作りの体質が感じられるが、こういう場面ではその傾向が如実に現れる。実に、前バージョンのOSリカバリーからの部分的な(ということはここではアプリだけを抜き出しての)インストールはいくつかを除いて大部分が拒否された。残念ながらiPhotoもそのうちの一つだ。今回の私のような虫のいい目論見を持った者に対してはアプリケーションのパッケージソフトを購入せい、ということなのかもしれない。

iLife '09

iLife '09

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: DVD-ROM

 現行製品のインテルマックを使っているのならまだしも、中古パソコンのスペックでは使い物にならないiMovieだとか.macのアカウントを持っていないと宝の持ち腐れでしかないiWeb、などなど使えないアプリまで抱き合わせて購入しなければならないというのが貧乏人としてはどうにも面白くない。よって、私のデスクトップ構築はまだ終わっていない。

 一つラッキーだったのは、ビジネス系のアプリが共存できることだろうか。

AppleWorks 6.2.4

AppleWorks 6.2.4

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: CD-ROM

 MS Officeがあったとしても、以前のeMacでは結構重宝したアプリで、リカバリーディスクにも含まれていた。ただし、現行製品であるインテルマックにはインストールできない。本体にも同梱されてこない。アップルとしてはもう、Macがビジネスユースとして販売されることには期待していないということなのだろう。機能限定とはいえiLifeを同梱してあげているのだからビジネスアプリが欲しいのならこっちを買ってくれ、という意思表示か。

iWork '08

iWork '08

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • メディア: CD-ROM

 iWorkは仕事上必要に迫られて昨年仕方なしにパッケージを買った。今回購入した中古パソコンはOSを10.4.11までバージョンアップすると動作条件を満たすことになる。同じメーカーが作っていながら意地の悪いことにiWorkはAppleWorksのデータをエンコードしないと読まないし、保存するときにも.cwk(Appleworksでの拡張子)は御法度となる。今回の中古パソコンではどちらも動作は可能なので、古いAppleWorksで作成したデータが混在する私にとってはちょっと有り難い。

 とはいえこれは枝葉の話であって、肝心要のiPhotoなしの環境はやはり考えものだ。打開策を模索すべくまだ試行錯誤が続く。

 

 

 


中古iMac G5の購入 [パソコンのこと(主にMac)]

 私用で使っていたeMacが起動しなくなったのでパソコンの更新を余儀なくされている状況については以前書いた。http://r-shim47.blog.so-net.ne.jp/2009-01-13

 emac.jpg

 弱り目に祟り目とはこういう事で、昨年の夏以来私は出費続きで脳天から煙が上がりそうになっている。わずか半年の間にノートパソコン一台と気絶しそうな額のデータ復旧費(しかも肝心のお仕事データは救出できずじまいというおまけ付き) を支払い、昨年冬には自動車を買い替えた。eMacはもともと安いだけが取り柄のような、あまりチャーミングではない製品で大した愛着もなかったが、とにかく普段はギャンギャン使い続けていたので息絶えてしまうと私のパソコン生活にはやはり問題が発生する。

 本当ならばここで気前良くデスクトップパソコンも新調したいところなのだがいかんせん来月からは自動車の残金のローンが待ち受けている。来年8月までは倹約の日々が続く事を余儀なくされているのだ。

 インテルコアの現行iMacには正直かなり関心が向かっているのだが我慢しなければならない。

Apple iMac 24インチ/2.8GHz Core 2 Duo/2G/320G/8x SuperDrive DL MB325J/A

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  • 出版社/メーカー: アップル
  • メディア: エレクトロニクス
 
 
昨年買ったMacBookで現行スペックの有難味は実感できた。欲を言えば、私は次回、iMacがモデルチェンジするときにはディスプレイが現在の液晶ディスプレイからLEDに変更されそうな希望とも予想ともいえないような虫のいい考えを持っているのだ。店頭で現行MacbookのLEDディスプレイを見る機会があって、そのとき今は懐具合が厳しいせいもあって今回は中古機の購入でお茶を濁す事にした次第。
 
 オークションで落札したのはiMac G5, 2GHz,HDD160GB,Airmac Expressは内蔵済みなのでこの点はちょっと嬉しいところだがメモリーが512MBで私の場合eMacに1GB詰め込んでもストレスを感じ始めていた矢先だったのでこれではお話しにならない。
imac_g5.jpg落札金額は約5万円弱でこの辺りが健在、大体の中古相場のようだ。手持ちのアプリが殆ど実行できる事はノートパソコンで実証済みなのでこの点では助かるが、メモリー2GBの購入は追加出費となる事を今から覚悟しておかなくてはならない。考えてみるとiMacは本体右側にDVD/CDのスロットがあるため予想以上に場所を取る。右側に約20センチくらいはスペースを取っておかないとディスクを扱えないのでパソコンの置き場所も考え直さなければならない。
 

岸和田少年愚連隊(外した映画シリーズ?) [映画のこと(レビュー紛いの文章)]

 余り書くべき事がない。普段は垂れ流しの駄文が多すぎる反省を込めて今回は手短に書く事を試みる。

岸和田少年愚連隊 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 松竹ホームビデオ
  • メディア: DVD

  井筒和幸監督にはこれまで幾つか大阪を舞台にした不良少年を描いた映画がある。そして本作はそのうちで最も出来の悪い映画だ。何が良くないと言って主人公の二人が全然不良に見えない。不良は大体、形から入ってくるものだと私は覚えているので、この映画は最も根本的な設定を無視している事になる。

 この手の映画の第一作は『ガキ帝国』で、井筒監督は以後、第一作を超える不良少年物語を一つもモノにできていない。その後三作続けても全てこれ以下なのでおそらくこの先も無理だろう。

ガキ帝国 [DVD]

ガキ帝国 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • メディア: DVD

「ガキ帝国」では島田紳介と松本竜助のコンビを起用して成功を収めたので今度はナインティナインを起用しようという安直な考えが丸見えだ。「ガキ帝国」が成功したポイントは必ずしも漫才コンビの起用にあったわけではないのでこれは読み違い。吉本系の漫才コンビを起用して舞台は大阪の不良少年グラフィティをシリーズ化しようという商業的画策もあったのかもしれないが、もしも本作がその目論見を断念する理由になったのだとしたら確かに納得のいく出来上がりではある。

 漫才コンビのうちの背が低い方はやっている事がテレビのバラエティ番組そのままで映画俳優として何をしなければならないのかがわかっているようには全然見えない。背の高い方が演技者としては幾らかましに見えるが、先に書いたように不良少年風では全然ない。出演者の資質の問題はそれとして、映画の筋立て自体も時系列でいくつかのエポソードを並べてみただけといった感じで 全体を貫く構造みたいなものは感じられない。それに不良少年でハイティーンというのはこんなにあっけらかんと能天気で楽しい事ばっかりなものだろうか?私個人は刹那性や寒々しさがどこかに見え隠れする作風の方に肩入れしたい心情があるので、映画としては『ガキ帝国』よりも退歩した印象を受けた。

 映画は全て芸術性をを持った「作品」でなければならないとは私は全然思わないが、本作は娯楽作品としても出来が悪い。漫才コンビのショーケースはテレビ番組や吉本興業のステージで事が足りるはずで、映画はまた別の入れ物ではないのか。


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